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05 曇り空に祈る


 荒れ地に足をとられつつ、ジットリアは歩き続ける。


 国境をわたる痩せっぽちの娘ひとりのために、古戦場の両岸には、数万にもおよぶ大軍が壁のように連なっている。大勢の兵達が放つ殺気で空気はヒリつき、つまずきながら進むジットリアは、痛いほどの視線を感じて背筋がぞわぞわした。


 ジットリアの歩みが遅いことに、どちらの軍勢も苛立っていることだろう。


 だが、向こう側に着いた途端、また檻に入れられ、火あぶりにされるのだと考えると、ジットリアの足取りはどうしても重くなる。一歩進むごとに死が近づくのだから、生きている時間を少しでも長引かせたいと考えるのは当然の心理だ。


 歩きながら、ジットリアは雲に覆われた空を見上げた。


「――天国にいらっしゃるお母様、少し早いですが、もうすぐそちらに参ります。お父様に頼らず一人で生きて行こうとしましたが、私には不相応な願いだったようです。どうかお叱りにならないで、リュクラルを用意して待っていてくださると嬉しいです」


 ずきずき痛む頬に手を当て、ため息をつく。


「あの時、ラフォーク大狼(おおかみ)と出会いさえしなければ……」


 アデリス国の建物を破壊し、こんな目に遭うこともなかった。


「どうして、私はあんなことを……」


 あとから思えば、魔獣を建物から出す方法は他にもあったはずだ。だが、あの時は建物を攻撃することが最善の策で、他の方法を考えようとも思わなかった。


 ナターシャ王女から大狼の首を献上するよう命じられ、緊張すると同時に、役目を与えられた誇らしさで浮かれていた。早く獲物を仕留めて戻れば、ナターシャ様はお喜びになるだろう。そんな期待もあり、一刻も早く仕留めなければと気が急いていた。そのせいで、とんでもないをしてしまった。


 敵軍まであと少しという所で、ジットリアは足を止めた。


 ここまで来ると、兵達の顔まで見分けられる。


 兵達の頭上には、アデリス国の国旗と、ジットリアには判別がつかない色とりどりの軍旗が風になびいている。意外にも、ジットリアを注視している者は少なかった。鋭い視線は対岸に広がるスレーン国軍にひたと定められ、何かあればすぐに進軍できるよう身構えている。


 と、数名からなる騎馬隊が列を離れ、ジットリアの方へと向かってきた。


 ジットリアの歩みがあまりに遅いので、しびれを切らしたのかもしれない。


 みるみる近づいてくる騎馬隊を目にして、ジットリアは思わず回れ右をする。しかし、祖国の軍と、その前に立つクレアモントの姿が目に入ると再度回れ右をした。今、ジットリアが逃げ出したら、両国で戦争が起きてしまう。


 アデリス国の騎馬隊がくるのを待ちながら、ジットリアは涙をぬぐい覚悟を決めた。


 不注意による事故だったとはいえ、起きてしまったことは取り消せない。


 ジットリアが壊したエベル寺院は、アデリス国にとって重要な施設だと聞いた。自分のことに精一杯で、被害者のことをあまり考えてこなかったが、困っている人が大勢いるに違いない。大人しく処刑を受け入れ、最後の言葉を言う時間がもらえたら、寺院を壊してしまったことをきちんと謝罪しよう。


 貴族らしくしろと言われたからでも、二国間で戦争が起きるからでもない。ジットリアが被害者に申し訳ないと思うから、そうするのだ。


 騎馬の小隊が、ジットリアを取り囲むようにして止まった。見事な軍馬にまたがっているのは、銀色の鎧をつけ、腰に剣を下げた男達だ。


 全員が兜の面頬(めんぼう)を下ろしており、顔はわからない。銀色の鎧はよく磨かれ、手入れされているものの、風合いから幾多の戦いで使いこまれたものだとわかる。兵達の挙動には無駄がなく、命令が下れば、すぐにもジットリアを殺すだろうと思えた。


 ジットリアは、思わず自分の首に手をやった。


 今、ここで首を切り落とす気なのだと、直感したからだ。


 考えて見れば、わざわざ薪を積み上げて火あぶりの準備をし、処刑を行ったあと、面倒な後片付けをするまでもない。この場でジットリアを殺して捨て置けば、処刑も死体処理も一瞬で終わるし、スレーン国への見せしめにもなる。火あぶりにするより簡単だし、面倒もない。きっとそうに違いない。


「あの! 首を()ねる前に、少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか!」


 死を予感したジットリアが叫んだ。


 声がうわずったが、言い直している時間はない。誰が責任者なのかわからないので、馬上にいる全員の顔を見回した。


「――私、あの建物が重要なものとは知らなくて……いえ、知らなかったから罪が軽くなるなどとは思っていないのですが……私が申し上げたいのは……その……あの寺院がなくなって困っている方々に、その方々に謝罪する時間をいただきたくて……つまり、アデリス国の皆様に謝罪いたします」


 兵達は、黙ってジットリアの話を聞いている。話をさえぎられなかったことで、ジットリアはいくぶん気が楽になる。胸に手を当てると、言葉を続けた。


「私の命ひとつであがなえるかわかりませんが、私に差し出せるものは、今はこれしかありません。アデリス国の皆様にとっては、とるに足らない命でしょう。ですが、どうか広い心で慈悲をお与えください。ここで私の首を落とすことで怒りを収め、国境から兵を引いていただけますようお願いいたします。――最後になりますが、不注意から大事な建物を壊してしまい、本当に申し訳ありませんでした」


 体の前で両手を重ねると、ジットリアは深々と頭を下げた。


 言うべきことは、すべて言った。これが最後の刻だ。


 頭を下げたまま、ジットリアは目を閉じた。息を詰め、首が落とされる瞬間をあきらめて待つ。数人の兵士が馬を寄せ、内容まではわからないが、小声で言い交わす声が聞こえた。


「――顔を上げろ」


 凜とした声に命じられ、ジットリアはそうっと頭を上げた。


 鹿毛の馬に乗っていた兵士が、流れるような動作で馬から降りる。ジットリアの前まで歩いてくると、留め具を外して兜を脱いた。


 現れた顔は二十代半ばほどで、怜悧(れいり)さのうかがえる冷ややかで整った容姿をしていた。鋼鉄を思わせる濃い灰色の瞳をし、艶のある黒い髪を肩にかかる長さまで伸ばしている。黒い睫毛に縁取られた切れ長の瞳を細めると、ジットリアの顔をじっとながめた。


 豊穣の秋を追い立て、霜と吹雪をもたらす冬の王のような人だ。こちらも男の姿を観察しながら、ジットリアはぼんやり考える。雪と氷は冷たいものだが、春の訪れまで、土地に眠る多くの命を守ってくれる。


 観察を終えた男が、低い声で話し出した。


「――我々は、そちらのするような野蛮なやり方は好まない。あなたには裁判を受ける権利があり、あなたがした行為について弁解の機会が与えられる。あなたの言い分を聞いた上で、斬首が妥当と判断された場合は、我が国の法に基づき処罰が下されるだろうが、決定が為されるまでは、あなたの身の安全は保証される」


 ジットリアは、ぽかんとして男の顔を凝視した。


 今、この人は何と言ったのだろう。


 裁判を受ける権利や、弁解の機会が与えられると言われた気がするが、まさか、そんなことがあるだろうか。死に直面した恐怖から、違う意味の言葉を聞き違えたのではないだろうか。


 ジットリアが返事をしないせいだろう。男がいぶかしげな顔をした。


「私が言ったことを理解したか?」


「……あの……?」


「今、ここで、あなたの首を、刎ねるつもりは、ない」


 一言一言、かみ砕くようにして男が言う。


 ジットリアは、ぽかんと口を開いたまま頭を上下させる。はっとして口を閉じると、軽く膝を曲げて淑女らしく一礼した。


「しゃ、しゃ、謝罪の機会を頂けることに感謝いたします」


 そう言うと、ジットリアは両手を胸に当てた。じわじわと、もう安全だという実感が湧いてくる。聞き間違いではなく、本当に裁判を受けさせてもらえるようだ。


 死刑をまぬがれたわけではないが、判決が下り、刑が執行されるまで生き長らえることができる。ジットリアが二国間を戦争寸前にしたことを考えると、話を聞いてくれるというだけでもありがたい。これは夢ではないだろうか。


 喜びを噛みしめていたジットリアは、男が腕をのばしてきたのに気づかなかった。


 避ける間もなく、革手袋をはめた手に顎をつかまれ、顔を上向けられる。反射的に振り払おうとしたが、冬空の色をした瞳と間近で視線が合うと、ジットリアは逃げることも忘れて見つめ返した。


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