47 幽霊の入れ知恵
「狼、ですか?」
ジットリアは聞き返した。ウォード卿がうなずく。
「そうだ。先月の真夜中に、傷だらけの馬鹿でかい狼が、ドラゴンに吊り下げられて運び込まれるのを見た。とっくに死んだと思っていたが、まだ生きていたのか」
「大きいということは魔獣ですね。魔獣を礼拝堂に入れたのですか? 何のために?」
「私が知るものか。自分で行って、聞いてくればいいだろう」
不機嫌な顔をしてウォード卿が言う。
ジットリアは、にぎった指を唇に当てると考え込んだ。
コーデルは、獣騎兵隊の指揮官だとルークが言っていた。竜を駆るのが竜騎兵で、魔獣を駆るのが獣騎兵だ。獣騎兵の指揮官なら、負傷した魔獣を見舞ってもおかしくはない。だが、それで終わらせるには、何かが引っかかる。
要塞に入れたからには、その魔獣はアデリス軍に所属する騎獣に違いない。礼拝堂は大きく、魔獣を入れるのに十分な広さがある。だが、この要塞の規模であれば、適当な場所が他にあったはずだ。なぜ、真夜中に礼拝堂へ運び入れ、嘘の張り紙をして人の立ち入りを禁じているのだろう。
「……ケガをした狼……馬鹿でかい魔獣……」
狼型の魔獣を思い出そうとしたジットリアの脳裏に、深い森を走り抜ける、青と黒の毛皮の巨大な狼の姿がよみがえった。
「ああ!」
気がついて、ジットリアは大声を出す。壁にもたれて座っていたウォード卿が、飛び上がると辺りを見回した。
「何だ? いったい何事だ!?」
ジットリアは、泣き出しそうになりながら両手を胸の前で組んだ。
「きっとラフォーク大狼です! その狼は、私が殺しかけた魔獣に違いありません!」
ナターシャ王女にラフォーク大狼を仕留めるよう命じられたジットリアは、大狼をおびき出すために寺院を攻撃し、あやまって崩壊させてしまった。中にいた大狼は、寺院の崩壊に巻き込まれてケガを負ったのだ。
遠吠えだとわかった時に気づいていればと悔やんだが、あの時は、それがラフォーク大狼だとは少しも考えなかった。崩壊した建物の下敷きになり、死んだとばかり思っていたのだ。
ウォード卿が、困惑顔をすると言った。
「それがどうした? 魔獣を殺しそこねたくらいで、なぜ騒ぐ?」
「……殺すべきではなかったからです」
ジットリアは言い、歩いて行くとウォード卿の前にスカートを広げて座った。何事かと身構える亡霊に向かい、懺悔する気持ちでこれまでのことを話した。
「そうか、エベル寺院が失われたか……」
無精髭の生えた顎をなでつつ、ウォード卿がつぶやいた。外の世界のことをある程度は知っているらしく、ケフラー王の最期を聞いても反応は薄い。ジットリアは、しゅんとなるとうなだれた。
「本当に申し訳ありません。壊すつもりはなかったのですが……」
「私にあやまった所で、どうにもならん。小娘、お前の言うように、あれがラフォーク大狼であるなら、治療のために礼拝堂に運んだのだろう」
「獣医師ではなく、司祭様が魔獣の治療をするのですか?」
ジットリアが尋ねると、ウォード卿があきれた顔をした。
「そんなことも知らんのか。お前が殺しかけたのはラフォーク大狼だぞ?」
「さきほどから、そう言っていますが……」
ウォード卿は、自分の膝を叩くと説明を始めた。
「よいか、小娘。ラフォーク大狼は、魔獣と妖精の性質をそなえた獣だ。その体は現界と冥界のはざまにあり、実体のある敵だけでなく、私のような幽体にも攻撃をくわえることが出来る。しかし、良いことばかりではない。ラフォーク大狼が負傷すると、肉体と幽体の両方が負傷することになるからだ」
ウォード卿が、すらすらとそう答える。男性貴族にとって、魔獣狩りは娯楽であると同時に、重要な社交の場でもある。ウォード卿も生前は、魔獣狩りをたしなんでいたのだろう。
「司祭様は、幽体の治療ができるのですね?」
確認してジットリアは尋ねた。聖職者が幽体を治療できると聞いたことはないが、悪霊退治と言えば聖職者の専門だ。討伐ができるのであれば、逆の方法で回復ができるのかもしれない。
「そういうことだろう。まあ、あの様子では、完治はむずかしいだろうがな」
「そんな……」
ジットリアは、うつむくと両手を握りしめた。ウォード卿が不思議そうな顔をする。
「狼が死のうが生きようが、お前には関係あるまい。それとも、とどめを刺せなかったことが心残りなのか?」
「殺したいのではなく、助けたいのです。もしかしたら、私の精霊魔法でお手伝いできることがあるかもしれません」
「なぜ助けようとする?」
「大狼にケガを負わせたのが、私だからです」
ジットリアは、辛抱強く繰り返した。
ラフォーク大狼は、むやみにナターシャを襲ったわけではなかった。エベル寺院の封印の守り手として、侵入者を攻撃しただけだったのだ。それなのにジットリアは、大狼を追いかけ、重傷を負わせてしまった。あの大狼を助けるために、できることがあるなら手伝いたい。
ウォード卿が、壁にもたれるとジットリアを見やった。
「馬鹿なことを。仮に申し出たところで、お前を近づけるわけがない」
「……そうですよね」
ジットリアは立ち上がり、寝台まで歩いて行くと腰を下ろした。
治療を手伝わせて欲しいと願い出たところで、礼拝堂の司祭やコーデルの許可が下りるはずもない。誤解され、警戒されるのがオチだろう。コーデルに気づかれず、あの魔獣を助ける方法はないだろうか。
ジットリアが考えていると、ウォード卿が咳払いをして注意を引いた。
「――礼拝堂へ行きたいのであれば、ここから出る方法を教えてやってもいい」
ジットリアは顔を上げた。胡座をかいたウォード卿が、自信たっぷりの表情でジットリアを見ている。
「今、何とおっしゃいました?」
「聞いていなかったのか? 牢から出る方法を教えてやると言ったのだ。ここを出て、礼拝堂の犬ころの所へも、他の場所へも自由に行けるぞ? ただし、私につけた忌々しい名前を取り消すことと引き換えた」
ウォード卿の提案を聞いたジットリアは、思わず牢の中を見回した。
細長い窓に体を通せるような幅はなく、鉄格子と周辺の壁には強化の魔法がかかっている。天井と床にも魔法はあり、破壊できるのは外壁だけだが、実行すれば衛兵が駆けつけてくるだろう。
「言っておきますが、壁を破壊するのは駄目ですからね?」
「どこも壊す必要はない。外の連中にも、下の連中にも気づかれないで牢を出る方法だ。さあ、取り消すのか、取り消さないのかどちらだ?」




