46 遠吠え
星見の塔に戻ったジットリアは、疲れを感じながら椅子に腰を下ろした。
ほっとする間もなく、階段を上がってくる鉄靴の音がし、早めの夕食を手にした二人の衛兵が姿を見せた。鉄格子の下の隙間に夕食のトレーを置くと、それを笑いながら足で押し込む。食器がぶつかり、コップが倒れるのを目にして、ジットリアは暗澹たる気持ちになった。
少ない夕食を噛みしめていると、ウォード卿が姿を見せた。服装はいつも同じで、ひだ飾りのついたシャツに、紫とオレンジの縦縞のズボンをはき、宝石のついた指輪を両手の指にはめている。いつもの壁を背に、どかりと胡座をかく姿を見て、ジットリアはふと食事の手を止めた。
王政時代、星見の塔は貴人の軟禁場所だったと言う。ウォード卿の服の生地は高価なもので、指輪についた宝石もガラスではなく本物のように見える。生前のウォード卿は高い身分の貴族で、ジットリアには悪趣味に思える服装も、当時の最先端だったのだろうと推測できた。
ウォード卿が、不機嫌そうな唸り声を出した。
「何をじろじろ見ている?」
「……いえ、ご機嫌が直ったのかと思いまして」
名無しの亡霊から呪われることを防ぐため、ジットリアは亡霊に名を与えて支配下に置いた。そのことに激怒して姿を消していたウォード卿だが、自分から現れた所を見るに、あきらめて受け入れることにしたようだ。
ウォード卿は、鼻を鳴らすと横を向いた。
「犬の餌のようなものを、よくも喰らう」
「これしか食べるものがないのだから、しかたありません。我慢できなくなったら、こぼれたものも食べますが、今はまだ大丈夫です」
そう答えたものの、ジットリアのお腹はぐうぐう鳴った。
昼寝のせいで昼食を食べ損ねており、今日はこぼれず残った朝食と、こぼれず残った夕食しか口にしていない。だが、スレーン国で囚われていた時は、パンと水の食事しか出されなかった。その頃とくらべれば、肉や野菜が口にできるだけありがたい。
「お前を女神と呼んでいた、あの若造に告げ口してやればいいではないか」
どこかで見ていたらしく、ウォード卿がけしかける。助言のつもりだろうかと考えて、ジットリアは微笑んだ。
「そうですね、言ったら何とかしてくれると思います」
「ならば、告げ口してやればいい」
「言うつもりはありません。私のせいで衛兵隊と参謀部が険悪になったら、レネス様にご迷惑がかかってしまいます。それに、私は罪人なのだから、食事に文句を言える立場にはありません」
ジットリアが説明すると、ウォード卿はつまらなさそうに舌打ちをした。
食器を洗い終えたジットリアは、部屋を横切ると窓辺に立った。ウォード卿は壁を背にして座ったまま、ジットリアの挙動を目で追っている。
亡霊は六十歳をこえているように見え、ジットリアから見れば祖父のような年齢だ。どうやら酒で身を滅ぼしたらしく、エスリル男爵と同じように不健康な顔色をし、痩けた頬には無精髭が生えている。別人であるのはわかっているものの、父に見られているように思えて、ジットリアは落ち着かなかった。
「あの、どうかしましたか?」
いつもは勝手に不機嫌になって消えるのに、今は立ち去る気配がない。ジットリアがつけた名前の件で苦情を言うつもりかと思ったが、それにしてはウォード卿の態度はくつろいで見えた。
「礼拝堂へ行ったようだな」
世間話といった風にウォード卿が言い、驚いたジットリアは声を上げた。
「どうして知っているんですか? 塔の外へ出られるんですか?」
「出ていない。この上から見える」
部屋の天井を指さして、ウォード卿が答えた。
ジットリアも天井を見る。高い塔の上からなら、確かに要塞中を見渡せそうだ。星見の塔から礼拝堂までは距離があり、人の姿を見分けられるはずもないが、幽霊であるウォード卿には可能らしい。そもそも、太陽の光を浴びて平気なのだろうか。
「昼間に外に出て、消えたりしないのですか?」
「何と勘違いしとるのか知らんが、私は灰にはならんぞ」
ぶっきらぼうにウォード卿が言い、肉体がないのだから、それもそうかとジットリアは納得する。ふと思いついて尋ねた。
「礼拝堂の近くで、犬か狼のような遠吠えを聞いたのですが、理由を知りませんか?」
最初は、誰かが泣いている声だと思った。
コーデルと対決している際に同じ声が聞こえ、それが人間ではなく、犬か狼の遠吠えだと気付いた。最初に人間の泣き声と聞き違えたように、それは今にも消え入りそうにか細く、悲しみに満ちていた。そして、遠吠えを聞いたコーデルは、ジットリア達を責めるのをやめて立ち去ったのだ。
塔の上から要塞中を観察しているらしいウォード卿なら、遠吠えの正体に心当たりがあるかもしれない。ジットリアが期待の目で見つめると、ウォード卿は居心地悪そうに身じろぎする。しぶしぶといった様子で答えた。
「……遠吠えとやらを聞いたことはないが、礼拝堂にいるのであれば狼だ」




