43 尖塔のある礼拝堂
手枷と口枷をつけたジットリアは、ルークとナイルズに付き添われて執務棟をあとにした。今朝ここに来る前は、なぜ参謀部がジットリアの護送や、調書の作成をするのか不思議に思ったが、事情を聞いた今は納得ができた。
森の奥に捨て置かれた廃墟が破壊されたことで、アデリス国はスレーン国に対して戦争も辞さないとばかりに激怒した。それがただの廃墟ではなく、便宜上、ケフラー王が幽閉されている建物であったからだ。
二十五年前、軍はクーデターを起こし、民に悪政をしいたケフラー王を捕らえた。しかし、アンガラン王族を神の遣いと信じる国民が王の処刑に反対したため、幽閉したといつわって王の死を隠し続けてきた。
だが、ジットリアの過失により、不死の王の幻想は暴かれた。事実が公表されれば、軍は民からの糾弾をまぬがれない。ケフラー王を信奉している者達が中心となり、反乱も起きるだろう。だが、幽閉されていた王を暗殺したとして、スレーン国の魔女が処刑されれば。スレーン国と戦争が起きる可能性はあるものの、国内の反乱は防ぐことができる。
しかし、レネスはジットリアの処刑に反対し、裁判を行うよう指揮官達を説得した。ジットリアは実際に王を殺したわけではなく、また、ジットリアを処刑したところで、ケフラー王の信奉者達を根絶やしにできるわけではないからだ。
レネスの狙いは、事実を公表して信奉者達をあぶり出し、根絶やしにすることだろうかとジットリアは考える。だが、それには多くの血が流れることになる。
考えながら歩いていた時、ジットリアはふと足を止めた。風の音に混じって、誰かが泣いている声が聞こえた気がした。
要塞の内部は入り組んでおり、今は高い建物の上の、見晴らしの良い回廊を歩いている。回廊は建物の外側を巡っており、屋根はなく、金属製の手すりがあるだけだ。ジットリアが首を巡らせると、青空の下に建物の屋根が連なっているのが見えた。
「ジリー、どうかした? もしかして気分悪い?」
立ち止まったジットリアに、後ろからルークが声をかける。ジットリアは、首を横に振ると理由を口にした。
「だえかのないていうこえが、ひこえたひがして……」
「声? 俺には何も聞こえないけど」
そう言うと、ルークは耳の後ろに手を当てる。前を歩いていたナイルズが、戻ってきてルークに尋ねた。
「どうかしたのか? 通訳してくれ」
「ジリーが、誰かが泣いてる声が聞こえたって」
「やめろやめろ、夜中に便所に行けなくなるだろうが!」
嫌な顔をしてナイルズが拒否する。ルークが唇をとがらせた。
「そっちが通訳しろって言ったんじゃないか」
「……風の音を聞き違えたんじゃないのか?」
ちょっとおびえた顔をしながら、ナイルズが辺りに目を配る。ジットリアも耳を澄ませたが、もう何の音も聞こえない。ナイルズの言う通り、風の音を聞き違えただけだったのだろう。
「もう、ひこえなくないまふた」
「もう聞こえなくなったって。やっぱ風だったのかな」
「それか、訓練でしごかれた新兵が、こっそり泣いてたんだろうよ」
寒気がするという風に、ナイルズは自分の腕をさする。再び歩き出そうとした時、ルークが「そうだ!」と明るい声を出した。
「ジリー、お祈りがしたいって言ってたよね。礼拝堂に寄って行こうよ!」
「えいはいどう?」
ジットリアは聞き返した。すっかり忘れていたが、今朝、そんなことを言った気がする。魔術を学び始めてから、一度も礼拝堂に足を運んでいない。数々の罪を反省すべく、今こそ心を入れ替えて祈るべきだと思ったのだ。
「ルーク、簡単に言うな。レネス様の許可はとってるのか?」
渋い顔でナイルズが聞くと、ルークがわかりやすく視線をそらした。
「……おいこら、こっちを見ろ」
「塔までの道順を指示されてるわけじゃないし、ちょっとくらいなら別にいいだろ。ジリーに礼拝堂を見せてあげたいんだよ」
「ちょっとって距離じゃないだろ」
「遠回りした方が、待ち伏せを回避できて安全じゃないか」
「帰る場所は同じなんだから、何の意味もねえよ」
ジットリアは、西の端に見える優雅な尖塔に目をやった。
ケフラー王や王族達の血生臭い話が、今も頭を離れない。礼拝堂で祈ることができれば、いくらか心が安まるだろう。ルークの提案には心を惹かれたが、しかし、レネスの許可をとっていないのであれば話は別だ。
「えねすさまのひょかがなあなら、だめえす」
「気味の悪い声も聞いたし、ジリーも礼拝堂に行きたいって」
「ぜったあ、だめえす!」
強く拒否したものの、通訳がなければナイルズには伝わらない。嘘をつかれたことに眉をひそめていると、ルークが「俺に任せろ」という風に片目を閉じて見せた。
「先月赴任してきた運輸部の補佐官が、すっごい美人だって話はしたっけ?」
ルークが突然話を変え、ナイルズが初耳だという風に目を見張った。
「結婚してるってオチじゃないだろうな?」
「二十四歳、独身。恋人とは別れてこっちに来た」
「お前……お前は本当に、そういう情報だけは早いな」
「好みのタイプも聞き出してある。俺を信じろ!」
自信満々のルークが、親指を立てると自分の顔を示す。いったい何を信じろと言うのか、ジットリアは疑問に思ったが、ナイルズは誘惑に屈したようだ。
「……いいだろう。ただし、長居はしないからな」
「それでいいよ。ねっ、ジリー」
ジットリアは、ため息をついた。
ルークの気持ちは嬉しいが、礼拝堂へ寄り道したことをレネスに知られたら、ルークとナイルズは怒られるだろう。――いや、ふたりだけではない。ルークのドラゴンを拘束した際、今後は勝手な行動をひかえるようレネスから厳命されている。言いつけを破ったとなれば、ジットリアだって無事では済むまい。
「うーくひゃん、せっかくえすが……」
「大丈夫だよ、ジリー。レネス様は怒ったりしないよ」
先回りして言うと、ルークは手枷をしたジットリアの手をとる。安心させるように微笑まれると、ジットリアは言葉を続けられなくなった。
「それにさ。まっすぐ帰ったら、あの寂しい塔に朝までひとりで居なくちゃいけないんだよ? 俺は、少しでも長くジリーと一緒にいたいよ」
星見の塔のことを考えた途端、ジットリアは憂鬱になった。
塔に帰ったところで、ジットリアはひとりになれない。牢には友好的とは言えない幽霊が居着いているし、意地悪な衛兵達は巡回のたびに騒がしい音を立て、馬鹿笑いを響かせる。明日の朝まで、彼らと過ごすのだと考えると、寄り道の提案がひどく魅力的に思えてきた。
「……えは、おきづかあに、あまえしゃせていただきやす」
悩んだ末に、ジットリアは提案を受け入れた。長居しないならいいとナイルズも言っているし、急いで歩けば、それほど時間もかからないだろう。
「よかった! じゃあ行こう!」
はりきってルークが歩き出し、ジットリアとナイルズがそれに続く。
歩きながらふと、ジットリアは自分の手を見下ろした。
ルークに手を握られ、間近で見つめられたというのに、レネスの時のように心臓が高鳴ったり、顔が赤らんだりしなかった。ルークの慣れた様子から、日常的に女性を口説いているのは間違いない。ジットリアの方もルークの言葉を本気にはしておらず、安全な距離感から言えば、友人のような存在だからだろう。
では、レネスは?
ジットリアは考える。友人でもなければ、上司でもない。命の恩人というのが一番近いが、それでは心臓が高鳴ったり、顔が赤らんだりする理由にはならない。そうなるのは、ジットリアがレネスを異性として意識しているからだろう。――そう自覚した途端、体にまわされたレネスの腕の感触や、息がかかりそうなほど近くで見つめられたことを思い出し、ジットリアはどきどきし始めた。
「ジリー? どうかした?」
「あんでもあいまへん!」
耳まで赤くしながら、ジットリアは声を上げた。
どんな女性でも、レネスのような素敵な男性に手を握られたら、顔を赤らめるに違いない。けっして、レネスに対して特別な思いなど抱いてはいない。そんなことをしてはいけないのだと、ジットリアは自分に言い聞かせた。
ルーク、エドガー、ナイルズの階級は同じ。ナイルズが年上でレネスの部下歴も一番長いため、エドガーは敬語を使いますが、ルークは人懐っこいのでタメ口。ルークの「俺の信じろ」は、合コンをセッティングしてやるから言うことを聞けという意味です。




