40 ノルゼイン
「レネス様、ジリーは大丈夫ですか?」
レネスは寝台の端に腰掛けると、横たわるジットリアの青白い顔を見下ろした。ジットリアに息苦しそうな様子はなく、静かな呼吸で眠っている。
「貧血だろう。昨夜は、あまり眠れなかったと言っていた」
レネスはジットリアの手をとり、手首の内側に指を当てると脈拍を測り始めた。
ジットリアが倒れたのは血生臭い話によるものだが、それ以前に健康状態に問題があるのは明らかだ。これ以上痩せさせるなとミリアンから言われており、レネスも同意見だが、ジットリアの食事は毒味も含めて衛兵隊が担当している。食事の量を増やすよう依頼はしているものの、ジットリアに食欲がなければ意味がない。
ルークが肩を落とすと言った。
「ジリーの安全のためとは言え、あんな寂しい塔の上にひとりぼっちで、ぐっすり眠れるはずがないですよ……。レネス様、ジリーをうちで預かるわけには行かないんですか?」
「できない。管轄外だ」
簡潔にレネスは答えた。裁判を言い出したレネスが調書を取るのは当然として、被疑者の管理まで請け負っては、衛兵隊とその指揮官であるライゼルの面目をつぶすことになる。それに、他の指揮官達から、レネスが客観性を欠いていると判断される要因ともなるだろう。
ルークは心配そうにジットリアを見ていたが、真剣な表情をするとレネスに尋ねた。
「レネス様。ジリーのために、俺ができることはありませんか?」
「男爵令嬢を守れ。これ以上、かすり傷ひとつ負わせるな」
「当たり前です! 言われるまでもありません!」
気負ったルークが大声を出したため、レネスは険しい顔で「静かに」とささやく。ルークは両手で口を押さえると、そろそろと壁際の方へ移動した。
レネスは、ジットリアの脈拍に集中した。乱れていた脈拍が正常に戻ったのを確認すると、手を離して毛布を引き上げる。青ざめた顔を見つめながら、ジットリアの言葉を思い出した。
処刑の方法を決める権限がレネスにあるなら、縛り首にして欲しいとジットリアは願った。首を刎ねられ、首無しの幽霊になりたくないとも。
そこまでジットリアを追いつめたのは、二十五年前に死んだ王に忠誠を誓うこの国の狂信者達であり、ひいてはこの問題を放置し続けてきた軍部の責任でもある。もっと早くにこの問題に決着がついていれば、ジットリアの過失が大事になることもなかったのだ。
仮眠室の入口から、ナイルズが顔を出した。
「何かあったんですか?」
「ジリーが貧血で倒れたんだよ」
近くにいたルークが答え、心配そうにジットリアの方を見る。レネスは立ち上がり、隣室に移動するとナイルズに命じた。
「少し出てくる。男爵令嬢が目を覚ましたら、様子を見て塔に帰らせろ」
「了解しました。どちらへ行かれるんです?」
「総指揮官のところだ」
レネスが答えると、ナイルズは低く口笛を吹いた。
グルスト要塞は、かつて宮殿であった建築群を増強、改築して建造された要塞である。要塞の中心にそびえる中央砦もその例に漏れず、元の建物から無用な装飾を取り払い、屋根や壁を頑強に造り替えたものだ。低層階から中層階までに大小の会議室があり、高層階に関しては、すべてが総指揮官の執務室となっている。
レネスが執務室を訪ねると、扉の外にいた近衛兵達があわてふためいた。
「ノルゼイン第二指揮官! 申し訳ありません。おいでになるのを聞き漏らしていたようです!」
よほどあせっているらしく、第二指揮官と階級をつけて呼ぶ。アデリス軍では、中央会議のようなあらたまった席をのぞき、士官の名に階級をつけて呼ぶ規則はない。常に階級で呼ばれるのは総指揮官のみである。
「約束はしていない。総指揮官に取り次いでもらえるか?」
近衛兵はいぶかしげな顔をしたが、一礼してから扉の中に入る。残った別の兵が、廊下に置かれている椅子の向きを変え、両手で座面を示した。
「どうぞ! こちらでお待ちください!」
「いや。それほど時間はかからないだろう」
レネスの言葉通り、すぐに扉が開いて先程の兵が姿を見せた。両開きの扉を全開にすると、脇に寄って直立の姿勢をとる。
「お入りください! 総指揮官が、最上階でお会いになるそうです!」
「取り次ぎご苦労。案内は不要だ」
近衛兵をねぎらうと、レネスは執務室に足を踏み入れた。
左右に扉の並ぶ広い廊下を通り、突き当たりのホールにある大階段を上がる。崖の上にあることを差し引いても、この中央砦は国内にある建物の中で一番高い。その最上階の部屋を、総指揮官は私室として利用していた。
総指揮官の私室には、円形の部屋をかこむように大きな窓がぐるりと並んでいた。透明度の高い窓の向こうには、城壁に囲まれた要塞から首都の街並み、広い海原までを見渡せる絶景が広がっている。
そうして窓の前には、国内にひとつきりしかない巨大な望遠鏡が置かれていた。遠国から特別に取り寄せたそれを、総指揮官は「鷹の目」と呼んでいる。総指揮官ご自慢の鷹の目は、台座についた車輪でどの窓にも移動することができ、水平線を進む交易船から、市中にいる物売りの顔まで、目の前にあるかのようにはっきり見ることができた。
「ノルゼイン第二指揮官。いきなりの訪問とは驚きだ!」
アデリス国の総指揮官が、両腕を広げつつレネスを出迎えた。
背丈も横幅も並外れた大男で、黒地に金をあしらった軍服は筋肉で膨らんでいる。腕も首も太く、黒い髪に白いものは一本もない。染めていると思われているが、そうではないことをレネスは知っていた。同じ年代の将校達が老眼に悩まされる中、眼鏡なしで細かい文字を読むこともできる。信じがたいことに、五十代半ばという年齢で若者のように健康なのだ。
「突然の訪問をお詫びいたします。ダリウス・ノルゼイン総指揮官」
目を細めたレネスは、そう言って父親相手にやり返した。




