35 ジットリアの願い
頬に軟膏を塗られながら、ジットリアは顔が赤らんでくるのを感じた。
レネスが顔色ひとつ変えずにいるのも、ジットリアにはプレッシャーに感じる。レネスは仕事として接しているのに、どうして自分ばかり意識してしまうのだろう。すぐに動揺し、頬を染めてしまう自分の反応を恥ずかしく思った。
「あの……レネス様にお願いしたいことがあるのですが……」
黙っていると余計に意識してしまい、ジットリアは勇気を出すと言った。
「何か必要なものがあるのか?」
ちらっと見ると、レネスは集中した表情で軟膏を塗っている。まっすぐな黒髪が間近に見え、何て綺麗なんだろうとジットリアは見惚れた。高級なインクのように真っ黒で、水のように光を弾いている。触ってみたくて指先がうずうずした。
言い出したジットリアが黙り込んだため、レネスが怪訝な顔をした。
「男爵令嬢?」
「すみません。少しぼんやりしてしまって……」
「寝不足のせいだろう。無理もないが、これからは早めに寝台に入るようにしろ」
「そうします」
頬に軟膏を塗り終えたレネスは、ジットリアの顎をつかむと自分の方へ向かせた。まともに視線が合い、ジットリアはどきどきしながら目を見開く。
「なっ、何でしょう?」
「顔が赤い」
「れっ、レネス様がこういうことをなさるからです!」
我慢できずにジットリアは声を上げた。
容姿も頭脳も優れ、非の打ち所のないレネスは、こうした女性の反応に慣れているかもしれないが、ジットリアの方は男性に対して免疫がない。若い女であるから口説かれたことはあるものの、それだけだ。そこから先に進んだことは一度もなく、異性とのキスでさえ未経験だった。
「アデリス国では、男性が女性に触れるのはマナー違反にはならないのですか?」
ジットリアが非難したが、レネスは涼しい顔をしている。
「時と場合によるな。私のことは医務官の代わりだと考えろ。医務官の助手が務まるくらいの経験は積んできているし、ミリアンからあなたのことを任されてもいる」
「ですが、私は小さな子供ではありません。ひとりで薬を塗れます」
「軟膏を食べて、甘いとはしゃいでいるのが子供ではないと?」
痛いところを指摘されて、ジットリアは言葉に詰まる。レネスは特に勝ち誇るでもなく、ジットリアの顎から手を離すと命じた。
「袖をまくって腕を出せ」
抵抗をあきらめたジットリアは、大人しく服の袖を引き上げた。昨日、医務室で塗ってもらった軟膏は入浴で落としてしまい、今は包帯だけを巻いている。包帯を解いたレネスは、痣の様子を見て眉をひそめる。ジットリアの腕をとると、慎重な手つきで薬を塗り始めた。
「それで、何か欲しいものがあるのか?」
先程のジットリアの言葉を忘れていなかったようで、軟膏をのばしながら尋ねる。ジットリアは、肌に触れる指を意識しないよう努力しながら答えた。
「欲しいものはありません。お願いしたいのは、私の処刑方法についてです」
レネスの手が止まる。ゆっくり顔を上げると、問うような視線をジットリアに向けた。
「――あなたの処刑方法?」
濃い灰色の目は、怒りを含んでいるように見える。当たり前だろう、とジットリアは思う。二国間を戦争寸前にした重罪人が、ずうずうしくも自分の処刑方法について注文をつけようと言うのだ。だが、ここであきらめれば、火あぶりが待っている。
「……その……もし、レネス様にその権限があるのでしたら、私の処刑方法を縛り首にしていただけないでしょうか?」
勇気を振り絞ると、ジットリアは口にした。レネスの顔を見られず、視線をあちこちにさまよわせる。
「火あぶりは苦しいと聞きますし、首を刎ねられて首無しの幽霊になったらどうしたらいいのかわかりません。首から下には目がないのに、どうやって自分の頭を見つければいいのでしょう? 罪人が処罰に注文をつけるなど、厚かましいと思われるでしょう。ですが、もし最後の願いが許されるのであれば……どうか……どうか、私の処刑方法を縛り首にしていただけないでしょうか?」
何とか言い終えて、ジットリアは息をつく。レネスの反応をうかがうと、はっきり怒りの表情を浮かべていたので、びくっとした。
「あなたが死刑になると、誰かに吹き込まれたのか?」
冷ややかな声で尋ねられ、ジットリアは青くなった。
「……いいえ」
「では、何を根拠に、死刑になると確信しているのか教えてくれないか?」
レネスは軟膏を塗る作業を中断し、ただジットリアの手首を握っている。
剣を持つせいだろう。レネスの手は大きく、肌も硬くて、ジットリアの手とはまるで違う。近くに居られると緊張するし、恥ずかしくもある。だが、レネスの温かな手に触れられていると、不思議と安心できた。
肩の力を抜くと、ジットリアはレネスの質問に答えた。
「すぐに処刑すべきと主張する方々を、裁判もせずに殺すべきではないとレネス様が反対したとうかがいました。ですが、その方々は、どうしても私に死んで欲しいようです」
ジットリアは、最初の晩にルークから言われたことを思い返した。
裁判など必要ない。すぐにも犯人を処刑しろと主張した者達がいた。だが、いくら他国の人間であっても、裁判もせず殺してしまうような前例は作るべきではないとレネスが意見し、それが認められてジットリアの裁判が行われることになった。
しかし、賛否を問う投票は僅差となり、国の最高権力者である総指揮官は自分の意志を示さなかった。そのため、ジットリアの処刑を望む過激派をおさえ込める人物がおらず、彼らが実力行使に出る可能性が高いという話だ。
「エドガー……いや、ルークがあなたに教えたのか?」
「はい。私に気をつけるようにと、最初の晩に」
そうして、ルークの懸念は現実のものとなった。
ジットリアが乗るはずだったドラゴンは毒を盛られ、牢には毒蜘蛛入りの罠が置かれていた。同胞の兵を危険にさらしてまで、ジットリアを殺そうとするような者達だ。無事に裁判が行われたとしても、ジットリアに極刑を下すため、あらゆる手を打ってくるだろう。
「私は他国の人間で、この国に重大な被害をもたらしました。そして私の死を強く望む方々がいる以上、裁判をしたところで極刑をまぬがれるとは思えません」
ジットリアは口を閉じ、残りの言葉を飲み込んだ。裁判を生き延びたとしても、その後の人生まで守ってもらえるわけではない。いずれ暗殺されるなら、処刑されて罪をつぐなう方がずっといいと。
「あなたの罪とは何だ?」
唐突な問いかけに、ジットリアは伏せていた目を上げた。レネスは、怒りに満ちた瞳でジットリアを見つめている。だが、その怒りはジットリアにではなく、その命を狙う者達に向けられているようだ。
「アデリス国の大事な建物を破壊したこと……です」
「そうだが、あなたは疑問に思わなかったのか? 森の奥に建つ遺跡を壊したくらいで、なぜスレーン国に警告の文書が送られたのか。そのせいで、なぜ自分が命を狙われなければならないのか」
ジットリアは、すぐに答えることができなかった。
なぜ、と一度も考えなかったと言えば嘘になる。しかし、アデリス国にとって重要な施設であると言われれば、信じて受け入れるよりない。実際、それで国家間の大問題となったのだから、ジットリアが疑問をはさむ余地はなかった。
「私には、あの寺院は打ち捨てられた廃墟に見えました。ですが、アデリス国の方々にとって大事なものであった以上、私は私の罪を認め、あがなわねばなりません」
「理由を知りたいと思ったことは?」
「知りたいか知りたくないかと言われれば、知りたいです」
ジットリアは素直に認めた。
国の決定に背いてまでジットリアを殺そうとするくらい、寺院を破壊されて激怒している者達がいる。エベル寺院とは、いったいどういう役割を持った施設だったのだろう。今になって、ジットリアは理由を知りたいと強く思った。
「私が壊してしまった施設について、教えてください」




