34 参謀部
エドガーに脅されつつ、ルークとジットリアは残りの道を駆け足で進んだ。
参謀部の執務棟は中央広場から近い区画にあり、入口をくぐって薄暗い廊下を抜けると、レンガ造りの貯水池があるだけの殺風景な中庭に出る。中庭を囲むように四階建ての建物がたっており、外階段を使って各階の回廊に出られるようになっていた。
ルークに続いて階段をのぼり、ジットリアが通されたのは二階の中央にある部屋だ。三人が駆け込むと、黒い軍服を着たレネスが椅子に座って書類を読んでいた。
「――時間通りだな」
顔を上げるとそう言ったので、ジットリアはほっとする。会議用らしき長方形のテーブルと椅子、壁際に小さな机と椅子が置かれてあり、それ以外に家具はない。回廊側に大きな窓が並び、左右の壁には隣室へ通じる扉があった。
「男爵令嬢の枷を外してやれ。ルークは外で見張りをしろ」
ルークが回廊へ出て行き、エドガーが枷の鍵を取り出す。手枷を外してもらったジットリアは、自分で頭巾と口枷を外すとレネスに挨拶をした。
「レネス様。おはようございます」
「おはよう、男爵令嬢。椅子にかけて楽にするといい」
テーブルの角にある椅子を示して、レネスが言う。ジットリアが腰掛けたところで、エドガーがハンカチに包んだものを取り出す。結び目をほどくと、寝台の下で見つけた小さな壺をレネスに渡した。
「寝台の足の裏に、蓋が外れた状態で置かれていました。ジットリア嬢が言うには、小さな蜘蛛を見つけたので窓から捨てたと」
「殺さず捨てただけか?」
二人から視線を向けられ、ジットリアは瞬きをした。
星見の塔は海に面した崖の上に建っているが、足元には城壁があり、城壁の上は哨戒兵が歩くための通路になっている。ジットリアが生きた蜘蛛を窓から捨てたとすれば、まだ要塞の敷地内をうろついていることになる。
「魔法を使って海まで運んだので、被害者の心配はありません」
ジットリアが答えると、レネスの表情が険しくなった。
「――つまり、毒蜘蛛だとわかっていたわけか」
断定する口調で言われ、ジットリアはとぼけることをあきらめた。エドガーにも嘘を見抜かれたことだし、レネス相手に下手な演技が通用するはずがない。
「……あやしげな壺が隠してあるのを見つけて、中から蜘蛛が出てきたので、おそらく罠だろうと思い、風でくるんで海まで運びました。それが毒蜘蛛かどうかは、私にはわかりません。もしかしたら、無害な蜘蛛だったのかもしれません」
毒蜘蛛だと言ったのはウォード卿で、ジットリアには毒のある蜘蛛とそうでない蜘蛛の見分けはつかない。暗殺ではなく悪戯目的であったなら、無害な蜘蛛だった可能性もあり得た。
「蜘蛛の特徴を覚えているか?」
「ええと……黒くて小さくて、背中に炎のような赤い模様がついていました」
思い出しながらジットリアが説明すると、レネスが眉をひそめた。
「アカビグモだな。噛まれれば、数時間で毒がまわり死に至る。エドガー、ライゼルに報告して、なぜこんなものが置かれていたのか説明を求めてこい」
レネスが壺を返すと、受け取ったエドガーが背筋をのばした。
「はっ。至急問い合わせてきます」
「毒蜘蛛は、生きたまま窓から出たようだと言っておけ」
「承知しました」
ニヤッとしてエドガーが言い、壺を包み直すと部屋を出て行った。
「ライゼルさんに、間違った情報を伝えるのですか?」
戸惑いながらジットリアは尋ねた。
毒蜘蛛は確かに窓から出たが、今頃は海の藻屑となっているはずだ。しかし、レネスからの伝言を聞いたライゼルは、塔の周辺にまだ毒蜘蛛がうろついているものと思い、必死で捜索することになるだろう。
レネスが、落ち着いた口調で説明した。
「衛兵隊の怠慢に対する報復ではない。騒ぎ立てた方が、敵の動きを抑制できるからだ」
「なぜでしょう?」
「まわりくどいやり方で命を狙うのは、事故に見せかけて亡き者にしたいからだ。敵が体裁を気にするなら、耳目を集めることが有効になる」
「私を暗殺したとわかると、まずいからでしょうか?」
「その通り」
レネスがうなずいて返した。衛兵隊のミスに腹を立てている様子はなく、本当に敵の抑制に繋がると考えている様子だ。ジットリアが裁判を受けることは、会議の投票ですでに決定している。投票結果に不満を持ったにしても、私的に制裁を下したとわかると、何かしら都合が悪いのだろう。
レネスが立ち上がり、座っているジットリアの近くに来る。身をかがめると、ジットリアの顎に指をかけて顔を上げさせた。
「あまり良くなっていないな……」
痣ができている左頬を見て、レネスがつぶやいた。
「まあ、昨日の今日ですから……」
間近で見つめられることに動揺し、ジットリアは思わず視線をそらす。窓の外にルークが立っているのが目に入ったが、ルークは背中を向けており、レネスの行動には気付いていない。
いや、とジットリアは思う。
レネスはジットリアの痣の様子を見ているだけで、ルークに目撃されて困ることなど何もない。そう思う一方で、もしルークが振り向いたらと思うと、ジットリアは気が気ではなかった。
「昨日はよく眠れたか?」
レネスに問われて、ジットリアは我に返る。それが事務的な口調であったため、少し落ち着きを取り戻した。
「……あまり眠れたとは言えません」
「では、そのせいかもしれないな」
そう言って手を離したレネスは、近くにある椅子を引いて腰を下ろす。物入れから軟膏を取り出すと、蓋を外してテーブルの上に置いた。
「横を向いて頬を出せ」
「……あの、薬をいただければ自分で塗ります」
たぶん却下されるだろうと思いながら、一応言ってみる。案の定、レネスはそっけなく言い返してきた。
「あなたより、私の方が上手く塗れる」
ジットリアは、あきらめの息をつく。立ち上がって椅子の向きを変えると、レネスに頬をさし出した。




