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29 高い塔の部屋


 一人になったジットリアは、あらためて部屋の中を調べ始めた。


 階段の下り口がある側に大きな鉄格子の扉があり、塔の外壁に沿って曲線になった壁には、細長い窓が並んでいる。取り壊す予定だと聞いたが、隅々まで綺麗に掃除され、古びているものの家具や設備の状態もいい。


 部屋の一角に小さな浴槽と洗面台があり、水の配管が上から伸びている。上の階に雨水の貯水槽があり、そこから濾過(ろか)した水を引いているようだ。水栓を開くと綺麗な水が出てきたが、飲むのはやめておこうとジットリアは考えた。濾過装置が古くなっているかもしれないし、飲み水なら魔法を使えばいくらでも手に入る。


 煮炊きをする()()()や、暖炉などはさすがにない。壁際に折り畳んだ衝立(ついたて)を見つけたジットリアは、感謝のあまり天に祈りを捧げた。衝立があれば、巡回兵にうっかり裸を見られる心配がなくなる。


「あっちには、何があるかしら……」


 うきうきしながら、ジットリアは部屋の中を移動する。寝台の横に古いチェストがあるのを見ていたので、引き出しを開けて中を調べ始めた。


 (くし)や石鹸と言った日用品、タオル類の他に、藍色の服を見つけたジットリアは、服を広げると体に当ててみた。地味なドレスに見えるが、ドレスにしては生地が厚い。ゆったりした長袖の服に、丈の長いスカートがつながっており、首元に取り外しのできる白い襟がついている。


 引き出しにまだ何かあるのに気づいたジットリアは、白い飾り布のついた藍色の頭巾を見つけ、この服の正体に気がついた。修道女が着る修道服だ。


「レネス様が配慮してくださったのかしら……」


 嬉しく思いながら、ジットリアは修道服の生地を撫でた。


 修道服の袖口は広く、鎖を持てば手枷を隠すことができるし、頭巾をかぶれば目立つ黄色の髪を隠すことができる。この服なら、廊下を歩いてもジロジロ見られずに済むだろう。


 引き出しを片付け、何気なく寝台の下をのぞいたジットリアは、寝台の足の陰に何かが置かれているのを見つけた。


 体の位置をずらして見ると、それが小さな壺であるとわかった。手のひらにおさまるほどの大きさで、上に(ゆが)んだ蓋がついている。虫除けの香炉だろうかと首をかしげ、手を伸ばして引き寄せようとする。ところが、


「それに触れるな!」


 背後からかかった声に、ジットリアは凍り付いた。


 牢の中には、ジットリアの他に誰もいない。


 そのはずだ。唯一の出入口である鉄格子には鍵がかけられ、レネス達が去ってからは誰も入ってきていない。隠れるような場所はなく、細い窓にも人が通れる幅はないのだから。


 ジットリアは、ごくんと唾をのみこんだ。


 心臓がばくばく高鳴り、恐怖と疑問で頭の中がぐるぐるする。どうか気のせいでありますようにと願いながら、おそるおそる振り向くと、一人の老人が壁を背にして胡座(あぐら)をかいているのを見つけた。


 普通の人間ではない。男の体を通して、向こう側にある壁が透けて見えていた。


「死にたくなければ、それに触れるんじゃない」


 続けて男が警告した。


 歳は六十代ほどだろうか。茶色の髪と瞳をし、ひだ飾りのついたシャツに、紫とオレンジの縦縞のズボンをはき、両手の指に宝石のついた指輪をつけている。派手な服装は貴族に見えるものの、目は落ちくぼみ、げっそり()けた頬には無精髭(ぶしょうひげ)が生えていた。


 その姿が酒浸りの父と重なって見え、ジットリアは目眩(めまい)を覚えた。


 一日中飲んだくれている父が、とうとう命を落とし、最後の挨拶にやってきたに違いない。そう思ったが、しかし、何かがおかしい。エスリル男爵は、この幽霊ほど年寄りではないし、悪趣味な服を身につけたりもしない。


 ジットリアは、胸に手を当てると深呼吸をした。


 気を静めてから幽霊に目をやると、それが、よく似ているだけの別人であると気づいた。目鼻立ちもそうだが、やつれ方が酒に溺れる父にそっくりだ。エスリル男爵と同じように、この男も酒で身を滅ぼし、それが原因で亡くなったのだろう。


 ――精霊魔法を使う者は、見えざるモノを見る者となる。


 ジットリアは、魔術の師であるヴィルジー・トリメトイの言葉を思い出した。


 ――精霊魔法を使うには、霊的存在である精霊達との結びつきが必要であり、その力が強まるほど、普通の人間には見えない存在が見えるようになってくる。だが、それは精霊魔法を使う上で、避けては通れない道だ。よくよく覚悟し、厄介事を避ける意味で、精霊以外のものはすべて無視するように。


 師匠から教わった通り、ジットリアは幽霊を見ても無視していた。


 だいたいは、ぼんやり見えるだけだし、言葉らしい言葉も発しないので難しくはなかった。だが、目の前にいるこの男は、今まで目にした幽霊とは様子が違っている。


 はっきりと姿が見え、明瞭(めいりょう)な言葉を発する個体をジットリアは初めて見た。この世に強い未練を残して死んだ亡霊のようだが、悪い霊のようには見えない。そう思うのは、父と似ているせいだろうか。


「小娘。どうやら私が見えるらしいな?」


 にたりと笑って亡霊が言う。


 ジットリアはしまったと思ったが、今から無視したところでもう遅い。それに、亡霊は聞き捨てならないことを言っていた。


「あの壺の中身を、あなたは知っているのですか?」


 師匠の教えに背いて、ジットリアは亡霊に尋ねる。亡霊は、偉そうに胸を反らすと答えた。


「ああ。壺の中にいるのは、腹を空かせた毒蜘蛛だ」


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