28 しばしのお別れ
ジットリアは、胸の前で両手を握るとレネスを見上げた。
「――レネス様」
「わかった。牢の中では、やはり枷はやめておこう」
「ありがとうございます!」
ジットリアが、笑顔を浮かべて礼を言う。目を細めたレネスは、手を上げるとジットリアの左頬に触れた。
「――医務室で、軟膏を塗ってもらったんだな」
薬が塗られているか確かめるために、ジットリアの頬に触れたらしい。思いがけなく触れられたことで、ジットリアはどきどきする。顔が赤くなる前に離して欲しいと思いながら、うなずいた。
「はい。ミリアン先生が塗ってくださいました」
「気になっていたんだが、なぜ痣の様子が昨日より悪くなっている?」
「その……私が、無理に引っ張ったせいだと思います」
昼間、危険にさらされたルークを助けようと、きつく縛られていた口枷を引っ張って外そうとした。その際、頬に布が食いこんで悪化させてしまったのだ。ジットリアが説明すると、レネスは納得したように息をついた。
「あまり無茶をするな」
レネスが手を離すと、ジットリアはほっとしたような、寂しいような奇妙な気持ちになる。レネスが立ち去りそうな様子を見せたので、あわてて口を開いた。
「――あの、レネス様とまたお会いすることはできますか?」
広場で衛兵隊を見たエドガーはここでお別れだと言い、要塞内での囚人の管理は衛兵隊の仕事だと説明した。国境から首都まではレネス達に護送されてきたが、ここに来て、ジットリアの監視任務は衛兵隊へと引き継がれたようだ。
それなら、今を最後に、もうレネスと会うことはないのかもしれない。レネスはこの国の士官で、ジットリアはこの国の虜囚だ。本当なら、対等に会話できるような相手ではなく、仕事を終えたレネスがジットリアと会う理由もない。そう思うと、ジットリアは胸が痛むのを感じた。
レネスが、首をかしげると尋ねた。
「なぜ、そんなことを聞く? ここに一人でいるのが不安なのか?」
「そういうわけではありませんが……」
上手く言葉にできず、ジットリアは語尾をにごした。
たぶん、話し相手がいなくなるのが寂しいのだろうと考える。下で会った衛兵達は、通り過ぎるジットリアにさげすみの視線を向けてきた。その彼らと、レネス達のような信頼関係を築けるとは、とても思えない。
そこまで考えて、ジットリアはふと顔を上げた。医務室を出る時に、レネスが軟膏を受け取っていたのを思い出したからだ。
「あの、ミリアン先生から軟膏をいただいていましたよね?」
「そうだな」
「……いただけませんか?」
「その点に関しては、あなたを信用していない」
顎を上げたレネスが、きっぱりとして断る。
レネスがこう言うからには、軟膏を食べないと誓ったところで無駄だろう。その点に関してはと言うことは、「逃げない」という言葉の方は信用してくれているのか。信用してくれているから、足枷を外してくれたのだろうか。
ジットリアが考えていると、レネスが言い足した。
「――ミリアン医務官は、士官専属の医務官だ。虜囚を診る医務官もいるが、信頼が置ける者に心当たりがなかったので、無理を言って引き受けてもらった。あなたの体調のことはミリアン医務官に一任したが、そう言った事情があり、頻繁に診てもらうことはできない」
「ミリアン先生に、ご迷惑がかかるなら……」
ジットリアが言いかけると、レネスが片手を上げて制した。
「あなたには医務官の診察が必要だ」
「ですが……」
「私が言いたいのは、あなたの体調管理は、引き続き私がするということだ。基本的には医務官の指示に従うことになるが、何か不調があれば、まず私に言って欲しい。症状を言いたくないのであれば、医務官の診察を受けたいとだけ要求しろ。ともかく、自己判断で抱え込むのだけはやめて欲しい」
淡々として、レネスが言った。
裁判前の囚人が、病気で死んだりしては大変だからだと、ジットリアは心の中で付け加える。わかりましたと答えてから、レネスの言葉の別の意味に気付いて顔を上げた。
「では、これからもレネス様とお会いできるのですね!」
嬉しそうにジットリアが言うと、レネスが表情をゆるめた。微笑んだように見えてジットリアはどきりとしたが、瞬きひとつする間に、いつもの冷淡な顔付きに戻っている。たぶん、何かの見間違いだったのだろう。
「あなたの監視は衛兵隊に任せるが、事故の調書を作成するのは私の部署の役目だ。あなたには、明日から私のもとに出向き、調書作成のために詳しい話をしてもらうことになる」
「調書を作成するには、どれくらいかかりますか?」
「裁判が行われるのは六日後だ。準備期間が五日、予備日を一日置くとして、四日で終わらせるつもりでいて欲しい」
ジットリアは、呆然とした。
裁判を行うというからには、準備や調査に時間がかかるものと思っていた。たった一週間足らずで裁判を行うなら、処刑の実行はもっと早いだろう。判決次第では、六日という日数がジットリアがこの世にいられる残り時間となるかもしれない。
「どうかしたか?」
「いえ、そんなに早いとは、思ってもみなかったので……」
「準備をする時間は十分にある。今日はゆっくり休んで、明日に備えろ」
「……はい。そうさせていただきます」
ナイルズが鉄格子の扉を開け、レネスが通ると扉を閉めて鍵をかける。振り向いたレネスは、見送りに来たジットリアを見下ろした。
「男爵令嬢。夜間でも兵が巡回しているのを忘れるな」
「はい。おやすみなさい、レネス様」
レネスは、返事をせずに背を向ける。ナイルズは、ジットリアに片手を振ると、レネスのあとを追って階段を下りて行った。




