19 湖畔と約束
エドガーは、ドラゴンを湖岸に連れて行くと水を飲ませ始めた。離れた場所で、他の兵達も同じようにドラゴンに水を与えている。
湖岸は地面が途切れたすぐ下に水面がせまり、水は透明で、水底に沈んでいる石の形まではっきり見える。水を飲もうと袖口のホックを外したジットリアは、ふとエドガーの方を見る。エドガーは油断なくジットリアを視界に入れているものの、ドラゴンの世話でいそがしそうだ。
辺りを見回し、湖面に岸が突き出した場所を見つけたジットリアは、そちらに足を向けた。そこなら、エドガーの監視から出ず、しかし、体で隠れて何をしているかまではわからない。
草地に膝をついたジットリアは、自分の体で隠すようにして服の袖をまくり上げた。両腕には、クレアモントの杖に打たれた時にできた痣が無数についている。しばらく忘れていたが、空の上で無茶をしたせいか、ずきずきと痛み出していた。
片手で水をすくい、ケガをした腕にそっとかける。
水の冷たさが心地良く、ジットリアはほっと息をついた。折を見て冷やせば、少しは腫れが引くだろう。頬にも水をかけたいが、そうすると朝に塗った軟膏が落ちてしまう。どうしようかと迷っていると、ふいに背後から肩をつかまれた。
「その腕はどうした?」
低い声を間近に聞いて、ジットリアは飛び上がりかけた。
肩をつかまれていなければ、頭から湖に落ちていただろう。レネスが手を離したので、ジットリアはどきどきしながら立ち上がる。素早く袖を戻して振り向くと、レネスの顔を見上げた。
「――ずずず、ずいぶん早いお戻りですね!」
レネスが立ち去ってから、まだ五分と経っていない。戻ってくるようなことを言っていたが、こんなに早いとは予想外だった。
「代わりになる布を持っているのを思い出して、引き返してきた。そんなことより腕を見せてみろ」
怖い顔でレネスが命令する。ジットリアは、両手の指を握り合わせた。
「これは……何でもありません……」
「何でもないかどうかは、私が判断する」
誤魔化せないとわかって、ジットリアはしゅんとする。悪戯を見つかった子供のような気持ちで、袖をまくり上げると腕を見せた。
白い腕のあちこちに、青紫色になった痣が散っている。クレアモントの杖から頭を守った際に負ったもので、頬の打撲ほどではないが触れると痛い。天幕のなかで見た時もぎょっとしたが、日光の下だともっと痛そうに見えてジットリアは悲しくなる。できれば、レネスに見られたくなかったし、知られたくもなかった。
レネスはジットリアの手をつかむと、ケガの様子を確かめた。
「殴られた時に防御したのか。これも魔法省のクレアモントか?」
ジットリアは驚いた。国境で聞かれた時に答えたが、クレアモントの名前をレネスが覚えているとは思わなかったからだ。
「――おっしゃる通りです」
「他にケガはないかと聞いた時、なぜ言わなかった?」
静かな声で問われると、ジットリアは返答に困った。
頬を打たれた時のケガと違い、服の上からだから打撲の程度は軽いと思っていた。ここで目にするまで、こんなに酷くなっているとは思わなかった。何と説明すれば、レネスに怒られずに済むだろう。
「……あの、忘れていました」
悩んだ末に、ジットリアはまた嘘をついた。こう言えば、故意に隠していたことにならないと思ったが、レネスは疑いの目をしている。
「ついてこい」
レネスが先に立って歩き出し、ジットリアは足枷を鳴らしながらとぼとぼついて行く。ドラゴンの世話をしているエドガーが、興味津々といった顔で見ているのに気づき、エドガーのそばで大人しく待っていればよかったと後悔した。
ドラゴン達が翼を休める草地を離れ、森に入ったレネスは大樹の下で足を止めた。
「そこに座って腕を出せ」
地面から露出した木の根を示し、レネスが言う。森の木々が目隠しになり、湖畔にいる兵士達からは見えない場所だ。根の上にジットリアが座ると、レネスがその前に片膝をついた。
「あの、薬なら自分で塗れます」
物入れから容器を取り出したレネスが、軟膏を指にすくうのを見てジットリアが申し出る。しかし、レネスに譲る気はないようだ。
「あなたより、私の方がケガの処置に慣れている」
ジットリアの腕をとると、レネスは軟膏を塗り始めた。ケガが悪化しないよう、手付きは慎重で優しい。治療行為だとわかっていても、レネスの大きな手に触れられ、肌に軟膏をのばされる感触に、ジットリアは顔が赤らんでくるのを感じた。
「見た目ほど痛くはないんです。これは本当です」
「では、何が嘘なんだ?」
問いかける声は、あきれた調子を含んでいる。
レネスが怒っていないとわかり、ジットリアはほっとした。軟膏に痛み止めが含まれているようで、レネスの手が触れた所から、ずきずきする痛みが引いていく。両腕に軟膏を塗り終えたレネスは、包帯を取り出すと慣れた手つきでするする巻き始めた。
「これ以外にも、まだどこかケガをしているのか?」
昨夜と同じ質問だが、ジットリアは返答することができなかった。
打撲は顔と腕だけだが、馬車の長旅で痛めた体はまだ回復しきっていない。それに、髪の色のこともある。ある朝、目覚めると真っ黄色に染まってしまった髪。たぶん何かの奇病だと思うが、これは病気であってケガではない。しかし、保護している虜囚が奇病で死んでしまったら、レネスはきっと困るだろう。
「言いたくないのか、それとも、言えないのか?」
ジットリアの沈黙を答えと受け取って、レネスが尋ねた。
「……両方です」
申し訳なさそうに答えると、レネスが息をつく。包帯を巻き終えていたが、ジットリアが逃げるのを怖れるように、手首をにぎったままでいる。一度目を閉じ、それから顔を上げた。
「わかった。あなたは女性だから、私には話しにくいこともあるだろう。首都に着いたら、医務官にあなたを診せるつもりだ。私には言えないことでも、医務官には正直に話して処置を受けて欲しい。それなら約束できるか?」
「ええ、はい。ご配慮いただきありがとうございます」
ほっとしながら、ジットリアは答えた。
ジットリアの手を離したレネスは、包帯の残りを束ねると立ち上がった。口枷の代わりにするつもりのようで、ジットリアの背後に回ると包帯をさし出した。
「――今日も、ルークを監視役にするつもりだった」
包帯の端を結びながら、独り言のようにレネスが言う。実際、布を噛んでいるジットリアにまともな返事はできないので、答えは求めていないのだろう。
「だが、今朝になって交代させることにした。ドラゴンの不調が人為的なものであれば、狙われたのはおそらくあなただ」
ジットリアは驚き、そして、昨日ルークから聞いた話を思い出した。裁判を受けさせるべきという意見のレネスに対し、犯人を即時処刑すべきという一派がいて、ジットリアの命を狙っているというものだ。
ルークが誰かの恨みを買ったのだろうと、エドガーは言っていたが、そうではなかった。ルークのドラゴンがおかしくなったのは、ジットリアを殺そうとする者達による罠だったのだ。




