34話 ラヴェルという名の男
男が目を覚ますと、そこはジメジメとした檻の中だった。
見れば手錠が付けられており、しかもそれは魔法が使えないようになる魔道具付きのものだった。
ゆっくりと起き上がると、男の周りには多くの人がいた。
子どもいれば大人もいる。
皆、力が抜けたように座り込んでいる。
突如、檻の外から声がかけられる。
「檻の中もお似合いよ、『わたくしの人形』」
見れば女が檻の前に立っていた。
気付けば女は男を『お気に入り』とは呼ばなくなっている。
男はすぐに理解した。
『お気に入り』から自分が外れてしまったことを。
「今日、新しい子が入ったのよ、とても美しくてお人形の様に行儀が良いの」
女はうっとりして目を細めた。
「だから」
女は目を見開き、そのでっぷりとした身体を揺らして何かを拾った。
「あなたはもう要らないの」
手には鉄の棒。
「本当はこれを火で炙ってもいいのだけど」
「消えない傷は価値を下げてしまうから……」
しょうがないといった表情で女は男を見た。
女はゆっくりと檻へ近づくと檻の鍵を開けた。
「さあ、いらっしゃいお楽しみの時間よ」
女は男へ檻から出て来るように促した。
だが男は動こうとしない。
男の意志がそうさせている。
女の命令に従う気にはもうなれなかった。
「なら無理矢理にでも出て貰うわ」
女はそう言って左手をあげると、何処からともなく大男が現れる。
筋肉質な身体を持ち、腕には痛々しい傷跡が残っている大男は、檻に入ると男を引き摺り出す。
男は抵抗を見せるが、大男の腕はびくともしない。
そのまま引き摺られて、檻の前に広がる石壁へ叩きつけられると男の手錠は壁へ繋げられた。
「何をするつもりだ」
男が真剣な面持ちでそう問うと、女は嘲笑った。
「わたくしは綺麗なお人形を着飾って愛でるのも好きだけれど、その綺麗な顔が歪む様子を見るのも大好きなのよ」
そう言い切った瞬間に女は鉄の棒を振り上げた。
ドンドンと部屋に音が響く。
固い物を叩いたような鋭い音ではなく、弾力のある物体を叩くようなくぐもった音。
たまにバキリと固い物が折れるような音もする。
それは肉を殴打する音であった。
煉瓦の壁に張り付けにされた男の身体には至る所に痣が浮かび上がり、足の骨は既に折れている。
殴打の音が響く度に、身体は身じろぎ、口からは声にならない音が発せられた。
女はそんな男の姿をまじまじと見つめながらなおも叩き続けていた。
男の息がヒューヒューと掠るような音を上げ始めた所で女は手を止めた。
「簡単に死なせるものですか、とびきり美しいあなたにはまだまだ頑張って貰いたいの」
そう言うと、男に最上級の回復薬を飲ませ再び檻の中へ突っ込んだ。
意識が朦朧とする中、誰かが男の身体を揺らしている。
徐々に意識が覚醒すると、檻の中に閉じ込められていた獣人の子どもたちが男の身体を取り囲んでいたのだと分かった。
「何をしてンだ」
男が掠れた声で荒々しく問いかけると、獣人の子どもたちは震えあがって黙り込んでしまった。
だが、ふと手元を見ると手錠が外れかけている。
手錠をよく見れば堅く鋭い何かで削っていた跡があった。
すると一人の獣人が震えながら話し出した。
「あなただけだった」
「あの女に抵抗したのは」
拙い言葉で喋る少年は男の目を見る。
少年が言うには、檻に閉じ込められていた者の中で唯一、この男だけが屋敷の主人である女に反旗を翻したという。
彼らはそんな男を見て、もしかしたら自分たちを助けてくれる人かもしれないと思ったらしかった。
見れば、彼らの指先は血で真っ赤に染まっている。
獣人は魔法を使えないが、純粋な身体能力は他の種族に比べて一際高い。
といっても、彼らはまだ子どもであった。
何とかして交代しながら、男の手錠を持ち前の鋭い爪で削り切ろうとしていたのだろう。
少年の爪は割れている。
彼らは不安そうな顔でチラチラと男を見上げる。
可哀想だと思った。
誰かに縋りつくしか無いと悟った姿が貧相に思えた。
だが、それと同時に彼らの生きながらえようと藻掻いている様は見ていて清々しいものだとも思った。
まだ、諦めない。
この凄惨たる屋敷の一室で、この子どもたちだけが明日を夢見ている。
見渡せば牢屋の中に囚われている多くの大人たちは憔悴し、体を小さく縮めて震えているだけだった。
彼らが声を上げない気持ちも分からなくは無い。
けれど、男が自分という存在を確立した今、男の心の底からじわじわと込み上げるある思いがあった。
「誰かが始めねェと何も始まらねェ」
彼らを見て男はポツリと零した。
足や腕を見れば、痣はすっかり消え、骨折の痛みも無かった。
あの回復薬によって既に傷は全治したのだろう。
男は意を決すると両手を強く外側に引っ張り、壊れかかった手錠をねじ切る。
カランと音を立てて手錠の残骸が冷たい床に落ちた。
ものの数分でそれができたのは、子どもたちのお陰だろう。
男は魔法を展開し、いとも簡単に檻の錠を開けた。
「付いてこれンならついてこい」
男はただそれだけ言って、牢屋を後にする。
背後から複数の足音を聞きながら男は歩いていく。
紅色の絨毯を踏みしめ、男はゆったりと華やかな屋敷の中を進んでいく。
牢屋から脱走した男を見た使用人はすぐさま屋敷の主の元へ報告しに行こうとする。
だが、そんなことを男が許すはずもない。
男は掌に魔力を溜めて黒鉄の武器を作り出す。
黒い靄が作り上げた大鎌を手にすると逃げ惑う使用人を次から次へと切り裂いた。
男が通った廊下は使用人の死体が転がり、静寂が訪れる。
そうして、男は人形たちの部屋に辿り着いた。
豪勢な扉を開けばそこには美貌の人形たちが何もない宙を眺めているばかりで、相変わらず女の悪趣味が良く反映されていると思った。
「オマエたちはどうしたい」
男は静かに問う。
人形と化した者どもの中には、まだ理性があったのか、男の元へ自らの意志で歩いてくる者もいた。
だが、大多数が男の言葉に反応を示さず、静かな狂気に飲まれ、廃人と化していた。
男はその姿を一瞥し、彼らを残してその部屋を後にした。
救える者は限られている。
ぞろぞろと付き従う多く人々は何も言わずに、ただ男の後ろ姿を追うだけだった。
だが、人々の目に映る男の姿は神が遣わした救世主そのもので、誰もが男の指示に黙って従っていた。
「この扉から外へ出られる。外に出たら騎士団を呼ぶなり助けを求めるなり好きにしろ」
男がそう言うと、人々は浅く頷いて扉へ手を伸ばした。
だが男は屋敷の外へ出なかった。
むしろ屋敷の奥へ引き返していく。
深紅の絨毯は血を吸って、その上を歩く度にびちゃびちゃとぬめりのある水音を廊下に響かせた。
落ち着いた足取りで階段を上がり、屋敷の中でも特に華美な扉の前で立ち止まる。
男はその扉を律儀に四回ノックして入る。
薄暗い部屋の中に入ると真っ白なカーテンがたなびいていた。
見れば女はバルコニーにいるようだった。
男は冷めた面持ちでバルコニーへ出た。
女はバルコニーの手摺に座って男を真正面から見ていた。
繊細な装飾がなされた手摺ではでっぷりとした身体を支えるのに心許ない。
女は白いネグリジェを纏ったままであった。
「あなたは心を持ってしまったのね」
円盤のように丸い顔は小綺麗な笑みを湛えている。
「あなたを弄んだ女は今頃は地獄の底よ」
「そうか」
男と女を静寂が包み込む。
その代わりに春を告げる優しい風が二人の間を通り過ぎていく。
風に乗って柔らかな花の香りが鼻を擽った。
その少しの平穏を乱すように女が口を開く。
「わたくしを殺したら、あなたはきっと死刑にな——」
言わせる前に女の肩を強く押す。
「言われずともオマエを殺すためにここに来たンだ」
女の身体が宙を舞う。
といよりも、ただただ落下していく。
あんな重い身体ではここで死のうが生きようが、助かる希望も無い。
元からその肥満は女の寿命を喰い尽くしていただろうから。
バルコニーから身を乗り出して下を見れば、屋敷から逃げ出した人々と駆けつけていた騎士たちがこちらを呆然と見上げている。
バルコニーの真下には女の無残な死骸が転がっている。
太った死体は水風船のようにはち切れ、赤い液体が四方に飛び散っていた。
「あの男を捕らえろ!」
雄叫びと共に数人の騎士が屋敷の中へと入っていく。
男はその声を聴きながら、ゆっくりとした足取りで屋敷の中を歩いていく。
廊下を歩きながら掌に再び魔力を纏め上げ、呪文をそっと唱える。
フッと掌へ息を吹きかけると紅の火炎が現れ、屋敷の床や天井へ広がり、あっという間に屋敷全体を包み込んでしまう。
暫くすれば、天井が焼け落ち、豪奢な装飾も意味を無くして灰へと還るだろう。
遠くから聞こえる騎士の怒声。
燃え盛る真っ赤な炎。
泣き喚く声は聞こえない。
きっと人形は燃え盛る炎にくべられるだろう。
男は徐に首から下げた荷札を手に取った。
それは既に草臥れ、赤黒い液体で濡れている。
燃え盛る屋敷の中で、男はじっと目に焼き付けるように荷札を見る。
数分経っただろうか、天井からシャンデリアが大きな音を立てて大理石の床へ落ちた。
その音を聞いて男は迷うことなく荷札を首から外すとそのまま燃え盛る炎の中へ投げ捨てた。
男は既に名前を持っている。
荷札が無くとも自分が自分であると証明できる。
緋色の瞳と人形の様に美しい金髪を持った男。
男の名はラヴェル。
麗らかな春の日に生まれた救世の死刑囚。




