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32話 楽園の温室



ラヴェルは走る。


背後を走る鬱陶しくも同情してしまう相棒を一瞥もせず走っている。



ラヴェルは知っていた。


襲撃事件の犯人も、


これから起こることも。


きっと、それがスゥを傷つけるだろうことも。



沈みゆく夕陽は殆ど地平線の向こうへ消え、反対側では既に白銀の月が昇っている。



温室が見えた。


橙色から紫、青、紺へと徐々に夜の色を帯びる温室の硝子は、温かみを失いつつある。


「待てラヴェル!これから何をするんだ」


スゥは黙ったままのラヴェルを不審に思ったのか、困惑したように問う。


「犯人があそこにいる」


「温室に?でも、そこは」


「早くしろ、時間が迫ってンだ」


立ち止まっている暇なんて無い。


オレたちにはやるべき事がある。何のためにここに来たのか。


()()()()()()()()()()()()だ。


そんな単純なことをコイツは理解していない。


理解しようとしない。


それがいつも可笑しくて憎くて可哀想に思ってしまう。


そう思いながらもオレはコイツの考えを訂正する気はない。


きっと、コイツは自分で気づき絶望する。


それでいい。


コイツは自分が壊れている事を自覚しつつある。


優柔不断でありながら、その心は黒く淀んでいることをオレは知っている。


そしてその心を救済するのは他人じゃない。


誰かのお膳立てを待っている暇などない。


救世主は待つものじゃない。


自分が、自分を、救済するべきだ。


自分の足で立ち上がり、自分の手で始めなければ、自分を変えることなど出来やしない。








温室の入り口まで走って来ると、硝子越しに二つの影が見える。


二つの影はお互いに向き合っている。何やら話をしているようだ。


「こっからどうするんだ、中にはイシュリーが」


「静かにしろ」


焦ったような口ぶりのスゥを制して、自分に付いて来るよう手で合図する。


気配遮断の魔法を展開し、姿勢を低く保ちながらゆっくりと入り口を抜ける。


中に入ると物陰に隠れて、そっと会話に耳を立てた。



「なんで、辞めちゃうのよ!卒業まであと数ヶ月しか無いじゃない!」


イシュリーの悲痛な叫びが温室に響く。


「仕方ないんだ。母国の政治情勢が変わって来ていてね、ここに居られるのは難しそうだから」


青年の優しそうな声色が宥めるようにイシュリーへ向けられた。


「それで、これまでの努力を捨てるっていうの?……私は知っているわ、貴方がどれだけここの植物が好きか、どれだけ学科での成績がいいか、まさかそれを全部捨てるなんて……」


「ごめんね、そう言ってくれるだけ嬉しいよ。本当は何も言わずにここを辞めた方がいいと思うんだけど、君だから言っておきたかったんだ」


「何も言わずに去るなんて、そんなこと私が許さないわ」


涙ぐむ声は痛々しくも強がる姿勢がそこにはあった。


「あはは、そうだよね、なら言って良かったよ」


「……なんで、言おうと思ったのよ」


「……なんでだろうね」


「意気地なし」


「君に言われると堪えるなあ」


青年の諦めるような乾いた笑いが温室に響く。


「……でも、それは言わないでおくよ、きっとこれが君のためにもなるから」


打って変わって割れた硝子を包み込むような優しい声色で告げた。


「……いつ、出て行くの?」


「今夜、この後だよ」


「っ!?そんな早いの?なんでもっと早く言わなかったのよ!」


張り裂けるような悲哀の思いを青年にぶつける。


「イシュリー、君が大会に向けて頑張っていたのを見て邪魔したくなかったんだ」


青年は落ち着かせるように凪いだ声で話す。


少女は言葉を失い、二人の間に静寂が訪れた。


きっと、少女の心中は複雑な感情で埋め尽くされ次なる言葉が出ないのだろう。


「……ねぇイシュリー、最後にお願いがあるんだ」


静寂を破ったのは、感情の見えない平坦な声。


「何よ、」


やっとの思いで出した声はくぐもっている。


「……何も聞かずにどうか今夜は学院の外へ行っててくれないかな」


「それってどういうこと?」


「何も聞かないで」


「ねぇタナート、理由を——」




オレはこの時を待っていた。




「『今夜、再び襲撃事件が起きるから』そうだろ?タナート・ヴラスターリ」


物陰から飛び出て見れば、見慣れた蒼髪の少女と薄い茶髪の青年が如雨露の脇に立っている。


驚いた表情を見せたのはイシュリー、苦い顔でオレを見つめるのはタナート。


飛び出たラヴェルを追うようにスゥも姿を現し、二人を視界に捉えると酷く狼狽える。


「貴方たちがなんでここに、っていうか何を言ってるのよ、襲撃?」


混乱したように目を白黒させるイシュリーの傍らで、青年は黙ったまま。


「オマエは学院内の至る所に魔方陣を書き、学院の結界を弱めようとした」


「今や存在しないティオラン王国の残党に手を貸して、獣人でもねェオマエは何がしてェンだ」


「本当に何を言っているのかしら、タナートが、彼がそんなこと——」


イシュリーは戸惑いと焦りの中、震える声で反論した。


「僕は、」


だが、イシュリーにタナートは割って入る。


「僕だってこんなことやりたいだなんて一度も思ったことはない」


「故郷には家族がいる、母と父と妹と、貧しいけれど必死に毎日を生きる家族がいる」


「でも、それを壊したくない……」


青年は目を伏せて、疲れた様子で吐露した。


「タナート、何の話を」


「……僕が魔法を使えたばかりに、僕がいるから、僕が」


頭を抱え、苦悩する姿を隠すことなく言葉を零す。



きっと、コイツは家族を人質に取られたからここでこんなことをしているんだろう。


可哀想だとは思う。


だが、可哀想だけで腹は膨れない。


「オマエには二つの選択肢がある。投降するか、ここで殺されるか」


「待てラヴェル、殺すなんてこと」


スゥは混乱する表情を隠そうともせず、生温いことを言う。


「黙れ」


本当に憎たらしい。


こんなヤツがオレの相棒などとは嘆かわしい。


いつまで現実から目を逸らしているつもりだ。


その醜い心意気が見るに堪えないことを自覚しろ。






 ———————————————






様子のおかしいタナートと、冷たい目でそれを見るラヴェル。


俺の制止も意味を成さず、緊張感は高まるばかりだ。



「投降はできない。僕はそんな生半可な気持ちでここまで来た訳じゃない」


淀んだ墨染の瞳を見開き、ラヴェルを捉えた。


「この世はどこまでも勝つことが正義だ」


青年は狂気を纏って、ラヴェルに語りかける。


「ああ、勝った者だけが歴史を語るからな」


いたって冷静な態度のラヴェルは相槌を打つ。



温室の硝子は明るい月の光を透過させ、二人の姿を際立たせている。



タナートの薄い茶髪がほんのり金色に煌めく。


「なら、僕はどんな汚い手でも勝利を掴む」


黒い瞳に強い意志が宿る。


その瞬間、ラヴェルは近くにいたイシュリーの首を掴み引き寄せると、胸元からナイフを取り出し首に当てた。


「うっ、タナート何を」


イシュリーは顔を歪め、目だけでタナートを見る。


「この首飾りには魔方陣を刻印してある、身に付けた者の首を絞め殺す魔法だ」


タナートは淡々と述べた。



タナートがそんなことをするなんてありえない。


けれど、現に彼はイシュリーを人質にラヴェルと対峙している。


悪夢を見ているように足元の感覚が無い。


信じられない、信じたくない。


こんな状況、あってはならない。


脳が警鐘を鳴らしている。




ならラヴェルはどうなのか。


どうするのか。


振り向いて見れば、ラヴェルは



全く動じていなかった。


「そうか、じゃあさっさと死ね」


むしろ、何てことも無いというように容赦なく吐き捨てた。


「ラヴェル!」


きっと、タナートには何か訳がある。


じゃないと、こんなことをするはずが無い。


きっと、お前も分かっているはずだろう。


そう思って、呼び止める。


だが、


「オマエに止める資格はねェ」


金髪の男はこちらを視界に入れることもなく、タナートへ歩み寄っていく。


「欲するものを奪い取ってでも手に入れる志が無いオマエにはな」


そう言うと一瞬だけ、スゥを見た。


蔑む目で見た。


スゥはその目を真っ直ぐ見つめる。


その瞳の眩い緋色はまるであの時の月のようだった。


赤く大きな月。



嫌いだと思った。


その瞳の色が憎らしく感じた。


煮え滾る怒りが心の奥底で目を覚ます。


だが表面は氷の様に冷えていた。


紡ぐ言葉は必要無い。



スゥはじっとラヴェルの動きを目で追う。





ラヴェルは剣を携えていなかった。


だが、ゆっくりと一歩ずつタナートへ近づく。


「この女が死んでもいいのか!」


タナートは荒れ狂うように叫び、ナイフの刃を少女の首に押し付ける。


真っ赤な血がツーと垂れる。


タナートは分かっている。


ラヴェルには勝てないと。


だから卑怯な手を使うべきなのだと。


だが


「ああ、死んだってオレには関係ねェ」


ラヴェルは笑い、青年の発言を一蹴する。


そしてそう言い切った瞬間、ラヴェルの赤き瞳孔が縦に裂け、背中から紫黒の羽が突き出る。


ギザギザとしたそれは、まるで蝙蝠のようだった。


きっとラヴェルは蝙蝠の獣人なのだろうとスゥは考える。



ラヴェルの手には何処からともなく黒い煙のような(もや)が巻き付いた。


その靄は高濃度の魔力であることはスゥの目から見ても明らかだった。


靄はラヴェルの掌に収まると、瞬きの間に黒鉄の長剣へ姿を形を変える。


「その女諸共死んでもらう」


そう告げると、その剣を突き刺すような形で二人へ飛び掛かる。


青年は息を飲み、震える手に力を込めた。


黒鉄の切っ先がイシュリーの心臓を貫きそうになる。


死ぬだろう。


そう思った時、タナートがイシュリーを突き飛ばした。


突き飛ばされた少女は地面へ倒れ込み、首から鮮血が流れながらも上半身を起こす。


そしてやっとのことで、顔を上げた。



空から血の雨が降っている。


イシュリーはその赤黒く生温かな雨を初めて見た。



黒い長剣は青年の心臓を貫き、内側から黒い魔力が肉を喰らう。


赤い液体がとめどなく吹き出していた。


青年は既に絶命している。


手足がだらりと垂れ下がり、見開かれた瞳に精気は無い。


「終わったのか」


スゥはそっとラヴェルへ声を掛ける。


「ああ、この死体は持って帰るぞ」


「分かった」


スゥは端然と答えた。


だが、


「一つだけ聞きたいことがある」


スゥの瞳が真っ直ぐラヴェルを見る。


「何だ?ココから早く切り上げきゃなンねェ、手短に言え」


「お前は俺の何を知っている」


そう言い切ると少しの間だけ静寂が訪れた。


「……オマエが怒っていることぐらいは見て分かる」


()()()()()()()()()()()()()何となくだが知ってる」


「けどよ、オマエはその怒りをぶつける意志がねェ」


「それが気に食わねェンだよ」


ラヴェルは鼻筋に皺を寄せ犬歯を剥き出し、吐き捨てた。


「それでラヴェルに迷惑を掛けた記憶は無い」


何の感情も纏わない表情を浮かべたスゥは淡々と喋る。


「オレは相棒としてオマエのために言ってるンだ」


嘲笑うようにラヴェルは話した。


「オマエは怒って良い。()()()()()()はオマエにしか怒れない。何かを変えたいならその感情を抑え込むな」


「オマエは向上心のない負け犬になるのか?誰かを傷つけてしまう、なんて考えているのか?()()()()()()()()()()()が?」


スゥへ顔を近づけたラヴェルは挑発するように問う。


「怒りはオマエが思ってるほど悪いもんじゃねェ」


そう囁いて、薄暗い笑みを浮かべたラヴェルはスゥから離れると、意味の無くなった死体を引き摺っていく。




なるほど、ラヴェルは俺の過去を知っている。俺が何を考えているのかも分かっていた。


それなのに、俺に助言をくれた。



「そうか、そうなのか」


独り言が闇に溶けた。







 ———————————————








「……ねえ、待って、待ってよ」


それまで呆然としていたイシュリーがか細い声を上げた。


「なんで、タナートは私を盾にしなかったの」


引き摺られた死骸を見て、正気を失ったように問いかけた。


「コイツは与えられた任務より情を選ンだってコトだなァ」


タナートは結局、大会の最中も襲撃を起こさなかった。それはイシュリーに好意を持っていたからに他ならない。


コイツは馬鹿だった。


だが、それで好きなヤツが救えたなら良い最期だったとオレは思う。


魔方陣を書いていたコイツが死ねば、中から魔方陣を起動する人物がいなくなり、襲撃ももう出来なくなるはずだ。


早く駐屯地に戻り、急ぎ報告をしないといけない。


手早く死体を温室にあった麻袋に詰める。


その時、思い出したことがあり、力の抜けたイシュリーへ身体を向ける。


「ああ、言い忘れていた、オマエの首飾りの魔方陣はただの守護結界だ。大事に使えよ」


少女は目を見張り、怒りと恐怖に震え出した。


「貴方はなぜ、なぜそんなことができるの!?彼は私のためにこんなことをしてくれたというのに!!……貴方は人間じゃない!悪魔だわ!」


狂ったように奇声をあげ、ラヴェルを責める。


「オレは人間じゃねェからなァ」


「それにコイツがオマエに優しくしたとしてもオマエ以外の人間を殺そうとしていた悪い人間なんだぜ」


「……だから人間が嫌いなンだがな」


人間なんて、愚かで自分の利益にしか興味の無い阿呆ばっかりだ。


誰かのために、誰かを殺し、愛する者のために信念を捨てる。


でもそれでいい。


それら欲望がぶつかり、淘汰される。


倫理に反するもの、人としてやってはいけないことは世の人々によって裁断が下される。


それが普通のことだ。


だが、欲望を無条件に抑え込み、それが正しいこと、正しくあるべきことだと信じる奴らがいる。


その欲望が意味のあるものだったとしてもだ。


そんな人間を見ると同情と同時に殺意が湧く。





考え事を辞め、温室の出口へ向かおうとした。


その時、スゥの姿が視界に入る。


スゥは黙ったままオレに背を向けて突っ立っていた。


「オイ、何してんだ」


徐にスゥが耳飾りへ手を伸ばす。


アイツがいつも大事そうに触っていたアレは魔道具の一種であることは何となく見て分かった。


だが、それがどんな魔道具かはオレにも分からない。



スゥが深い紫色を帯びたそれに触れると、


ブチッ


鮮血が耳たぶから流れ出る。


だが、スゥは微動だしない。



「スゥ、何をしている」


コイツが何を考えているのか分からなくなった。


臆病で、優柔不断で、他人に優しいコイツが何をしたいのかを、今までは分かっていた。


だが、今のコイツは不気味で何をしようとしているのか掴みとれない。



スゥはゆったりとした足取りで発狂するイシュリーに近づいていく。


「結局、貴方もそっち側なんでしょ!?この人殺し!」


少女はスゥを見てより激しく狂い始め、泣くように崩れ落ちた。


スゥはそっと、イシュリー背後へ跪くと、少女の目元を両手で塞ぎ、何やら小さく呟く。


両手を離すと、イシュリーは気を失い倒れてしまった。


何をしたのだろうか。


スゥの動きを注視していると、急に振り返る。


「イシュリーの記憶を消した、たぶんもう俺たちのことも覚えていない」


スゥは笑っていた。


平然と、何も無かったかのように。


続けてスゥが右手を横に振ると、辺りに散っていた黒く変色した血が消えていき、


そのまま確かな足取りでオレの横を通り過ぎて、温室の出口へ歩いていく。




高度な精神に干渉する魔法を扱えるとは思ってもみなかった。


それに、スゥから溢れ出る魔力は他の魔法師とは違い、異質なものだ。


それがスゥという人物の()()()()()()()()()()は明白であろう。


ラヴェルは違和感を感じながらもスゥの後を追うように温室を出て行った。






温室に平穏と静寂が訪れる。


木々は暖かな空気の中、のびのびと葉を広げている。


植物たちの楽園はほとんど一人の男の手で管理されていた。


彼が死んだことを木々たちは知らない。


世話を焼かれていたことも知らない。



使い込まれたブリキの如雨露が、懇々と眠る少女の脇で月光に照らされ鈍く輝いていた。













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