第4話:ピエロ
帰らずの森とも呼ばれるその森は、昔から意思があると言い伝えられていた。
蠢く木々は幹に刻んだ道標を無意味なものとし、立ち込める霧は呼吸するかのように濃淡を変えて方向感覚を惑わせる。
そんな入れば二度と帰ってこれないと言われる森の中で、少女は懸命に生きていた。
運良く見つけた洞穴は少女にとっての生命線。
洞穴の一帯はなぜか常に霧は晴れており、魔物が寄付く様子もない。
少女はその日も正午を回ろうかという頃合いに、一旦採取を切り上げて拠点である洞穴へと戻っていた。
帰ってくるなり松明で焚き木に再び火を点け、そばに置かれた椅子代わりの石に腰を下ろす。
一抱えもあるこの石は、少女が森で見つけて持ち帰った物のひとつだ。
力自慢の男であっても運ぶのに苦労しそうな大きさだが、少女にとっては見えない秘密の荷物入れの中に仕舞うだけで事足りる。
午後の成果物は食用可能な少しの新芽と焚き木のみ。
自作の罠を見て回ったが、残念ながら獲物はかかっていなかった。
くぅっとお腹の音が鳴る。
今朝食べたのはわずかばかりの山菜だけだ。
空腹を白湯でごまかしながら、次の獲物がかかるのを静かに待つしかない。
食糧を求めてこれ以上遠出をすれば、迷わずここに戻ってくれるという保証はどこにもないのだ。
あるいは最後の手段で魔物を狙うという方法もあるが、手を出した瞬間にどうなるのかは試したことがないので分からない。
失敗すれば恐ろしいことが起きるような気がして、怖くてとてもできなかった。
腰を下ろして一息ついた少女は荷物整理を済ませることにした。
伸ばした手の先の虚空から、蔓草で縛った焚き木の束が現れる。
少女は大きな肩掛け鞄を身につけてはいたが、そこから物を取り出すことはない。
鞄は少女の不思議な力が村人達にバレないようにと、彼女の母親が作ってくれたものだった。
だが一人ぼっちとなった今、この鞄が本来の用途で使われることは、恐らくもう二度とない。
焚き木を取り出したあと、少女は次に見えない秘密の荷物入れの中から木板を取り出すことにした。
木板も鞄と同じく、少女にとってとても大切なものだった。
ちゃんと板に絵を描いて入れた物を覚えておかないと、ふとしたことで忘れてしまうと大切なものを取り出せないかもしれないのだ。
今しがた取り出した焚き木の束も、まだ残っていると勘違いしないよう描いた絵を消しておかなければならない。
そう思って少女はいつものように木板を取り出そうとするが、その日はいつもと違っていた。
「ひゃっ!?」
手の中に現れた木板を目にしたその瞬間、驚いた少女は小さな悲鳴を上げて木板を落とし、びゅーっと一目散に洞穴の外へと逃げ出した。
そしてやや間を置いてから、少女は再び洞穴の入り口へと舞い戻って来た。
逃げた理由は木板に何か人の顔のようなものが一瞬見えた気がしたからだ。
少女は洞穴の入り口脇に身を潜め、岩陰からそっと中の様子を覗き込む。
洞穴の中は焚き火の炎でほのかに照らされており、火の近くには先ほど手放した木板がぽつんと地面に落ちている。
遠くから様子をうかがったところ、木板がずるずる動いたりする気配は今のところ見られない。
先ほど逃げた先で拾った木の枝を手に、少女は意を決して恐る恐るその木板へと近づいていく。
やはり見間違えなどではない。
木板の表面には小さな男が立っていた。
どこかの不思議な小部屋の中で、その男は静かにたたずみ身動きもせずにこちらの様子をうかがっている。
少女は勇気を振り絞り、持っていた木の枝でちょんと木板を小突いてみるが、中の男が反応する気配はなかった。
少女が男をジッと観察する。
その男は目のところに黒いなにかを着けていて、両手を後ろ手に組み、上半身をわずかに傾けた姿勢で白い歯を見せてこちらに笑顔を向けていた。
着ている服は村でも見たことのない汚れやシワひとつない変わった服で、おまけにその髪の色は初めて見る黒い色をした髪の毛だった。
何から何まで珍しい見た目の男であったが、少女はようやくそれが絵であることに気付いて驚いた。
まるで見ている風景を切り取って貼り付けたかのような、本物と見紛うほどに精巧に描かれた一枚の絵――
少女は少しの間その凄さに圧倒されたが、やがてその絵が一枚だけではないと気付く。
絵と木板を縛っていた両端の白い紐をナイフで切って調べると、その絵は皮とも布とも違う白くて薄いなにかに一枚一枚描かれているようであった。
幸いにも気味悪がった少女が写真を火に焚べるようなことはなく、初めて見る和綴じで束ねられたその紙束を、少女はゆっくりとめくり始めた――
表紙の絵をめくると、一枚下には同じ男が笑みを浮かべたままこちらを向いて直立していた。
次の絵では男は片手を横へと広げ、その次の絵では腰を折って恭しい仕草で礼をした。
少女はそれを見て、どうやらこの絵は一枚めくるたびに少しずつ時間が進んでいるようだと理解する。
場面は変わり、男は笑みを浮かべたまま大きくて真っ白な戸棚を開け、そこから中身が透けて見える不思議な袋に入ったパンのような何かを取り出した。
既に切り分けられているそのパンは、少女の見知った麦殻混じりの薄褐色の断面とは違う、綺麗な真っ白い色をしたパンだった。
少女のお腹が小さく鳴った。
絵に驚いて忘れていた空腹感をまた思い出しながらも、続きが気になる少女はページをめくる。
男はどうやらそのパンを使って料理を始めるようであった。
四角くてヘンテコな形の鉄板にパンを一枚乗せると、透明な壺に入った果物の果肉と思しきものをパンに塗っている。
まるで宝石のように綺麗で真っ赤な果肉を塗り終えると、男は鉄板を畳んで二つ折りにし、その赤い宝石を真っ白なパンの中へと閉じ込めた。
恐らく男の魔法なのであろう。
薪もないのに台の上で小さな沢山の火を起こすと、男はパンを挟んだ鉄板を火にかけた。
場面は変わり、そこからの絵は男が調理する様子を少し離れた位置で真横から描いているようだ。
そのあたりから少し絵の趣が変化する。
最初は火にかけた鉄板をジッと見ているだけの男であったが、飽きたのか次のページをめくると急に鉄板の前で狂ったように踊りだしていた。
「!?」
呆気にとられる少女をよそに、男は跳びはねたり片手で逆立ちをしたり変なポーズを取ったりとその動きは徐々に激しさを増していき、躍動感あふれる動きが続いたかと思えばふと我に返ったように鉄板を裏返しにしていた。
一応料理のことを忘れたわけではないようだ。
その後また踊りが始まり、両手を頭の後ろで組んで腰を何度かカクカク振ると、次のページでは突然開いた鉄板をこちらに見せる様子が描かれていた。
鉄板の中で折り畳まれていた白いパンはこんがりとキツネ色に焼き上げられており、湯気まで描かれたその絵からは、パンの焼ける美味しそうな匂いまでもが感じられそうなほどであった。
男が湯気の立つパンを大きなお皿にそっと乗せる。
それも少女のよく知る木のお皿ではなく、まるで雪を押し固めて作ったような綺麗で真っ白なお皿の上に、その焼き立てのパンは全部で三つ乗せられた。
男がそのうちのひとつを掴んで豪快にかぶりつく。
男の目元は黒いなにかで見えないが、眉の上がったその表情から美味しそうだというのは分かる。
男は食べかけのパンを片手に親指を立て、満面の笑みで料理の成功と味の感想を伝えていた。
またも思い出したようにくぅっとお腹の音が鳴る。
少女も一口でいいからそのパンを食べてみたかったが、それがどれだけ上手で本物のような絵であったとしても、絵の中のパンを食べることは叶わない。
小さく鳴ったお腹の音を聞きながら、少女は残りのページをめくる。
すると男は残ったふたつのパンを食べようとはせず、木箱とも違う大きな箱の中に皿ごとパンを仕舞い込んでしまった。
少女は気になり、そこから更にページをめくる――
次のページでは男は箱に蓋をした。
次のページでは男が箱に手を置いて、白い歯を見せながら親指を立てた。
次のページでは男がこちらに箱を差し出すような仕草をした。
そこからページをめくるたびに、絵は少しずつ箱へと近付いてゆく。
あれだけ主張の激しかった男の姿はもうどこにも描かれておらず、何枚も何枚も、パンの入った箱だけが描かれるようになった。
そうして最後の一枚となったその絵には、箱の絵の上に大きな赤い丸が豪快に付け足され、少女に読めない異国の文字で、大きく赤く『TAKE THIS!』と力強く書き殴られていた――
井手の想いは少女に届いた。
全てのメッセージを見終えた少女は、心の中で願いを込めて、感謝の言葉と共にその箱の形を思い浮かべた――
* * *
井手は狭い自室の中を先ほどからうろうろと落ち着きなく歩き回っていた。
現状井手の計画は上手くいっている。
猫を使った実験で安全性を確認した井手は、とりあえず送るなら真っ先にメシだと考えはしたが、問題はアイテムボックスに入れた料理の存在を少女にどうやって伝えるかであった。
これについては最も使用頻度の高そうな木板の目録を利用する形で伝えればいいとすぐに思いつきはしたものの、絵心のない井手が木板に料理の絵を描いたところで伝わるものも伝わらない。
そこで井手はプリンターを購入して写真を使って伝えることにしたわけだが、今度は料理の写真だけを木板に貼り付けたところで、はたしてその料理がアイテムボックスの中に入っていると伝わるのかという疑問が生じた。
言葉の通じない相手にこちらの意図をどうやって伝えればよいか――
井手が悩んだ末にまず思い浮かべたのは無声映画とチャップリン。
そしてそこからパントマイムやピエロを連想し、それらを参考にすることに決めた。
ピエロはいい。
子供にも人気で、某ファストフード店でも看板キャラを務めていた時代もかつてはあったのだ。
あの特徴的な白塗りメイクだけを見れば不気味で恐怖の対象にもなりえるが、それに反してあのコミカルな動きと表情だけで、言葉を発さなくとも子供達を笑顔にできる存在なのだ。
だからといって仮装までするつもりは井手にはないが、見知らぬ男が証明写真のように真顔のまま淡々と写っているよりは少女の警戒心も薄れるであろう。
元々井手は根っからの陰キャ気質で、本来人前でそのようなことをする性格ではない。
だが自分以外にあの子に手を差し伸べられる者がいないのではと思うと、居ても立っても居られなかった。
薄暗い洞穴の中でずっと沈んだ表情ばかりを見せていた女の子を、少しでも元気づけてあげたい――
井手はそう思ってメイク代わりのサングラスをかけ、少女のために道化役を演じようと心に決めた。
その結果かえって余計に怪しさを増しただけではあったのだが、最終的に少女の気を引くことに成功したのでそこは良しとしよう……。
さて肝心の料理であるが、井手は普段からほとんど料理をしない男である。
料理をまったくしなかったり未経験というわけでもないが、手軽に食せるものを好むため、いつもパンや弁当で済ませるかインスタントラーメンばかりを食べている。
ただ今回は少女の気を引く必要があった。
そこで調理工程も見せたほうがいいと考えた井手は、甘党なので時々作って食べているジャムやピーナッツバターを挟んだホットサンドを作る様子を録画し、それをプリントアウトすることにした。
ただ料理をしているだけというのも味気ないと思い、途中から昔ネットで見た動画を真似して激しく踊りながら調理を行った。
しかしこのホットサンドはあくまで気を引くためのデモンストレーション。
本命の料理はちゃんと追加で用意してあり、そっちはケースの蓋を開けてからのお楽しみだ。
井手は冷凍食品や惣菜を総合スーパーで購入し、一枚の大皿にこれでもかとそれらの品を盛り付けた。
サンドイッチは少女が食べやすいよう包丁で一口サイズに丁寧に切り分け、小さなコーンクリームコロッケやミニハンバーグ。フライドポテトにミニオムレツに唐揚げと、それらを大皿に全部盛り付け、見事なまでの茶色弁当亜種を爆誕してみせた。
メニューだけ見れば茶色一色で彩りなど欠片も存在しないが、その彩りの無さを補っていたのは野菜ではなくお子様ランチの旗であった。
旗の爪楊枝は店内でたまたま目についたので食糧と一緒に購入したものだが、「二百本も入ってるし全部刺しとくか」と何も考えずにほぼ全てのおかずに万国旗を一本一本ぶっ刺した結果、とりあえず見た目の派手さだけなら彩りを通り越して現代アートレベルにはなってくれた。
料理はそれとは別に二つのタッパーも用意され、ポテチに煎餅、チョコにクッキーといった菓子類も甘いのとしょっぱいのとで分けて入れられている。
一人でパーティーを開ける量だ。
ぜひともお腹がいっぱいでもう食べられないといった幸腹体験をして欲しいところである。
ではそんな一仕事を終えたはずの井手がどうして不安な面持ちで部屋の中をうろうろしているかと言えば、「もしかして転送に失敗したのでは?」という考えが後になって頭をよぎったのだ。
最初は目論見通りに写真の束を縛り付けた木板が虚空に消えたことを喜んだ。
そのあと少しの間を置いて、次に料理の入った収納ケースが消えた時は上手くいったと何度もガッツポーズし喜んだ。
しかしそこから反応のないまま時間が経つにつれ、アイテムボックス内の物が消えたからといって転送に成功したとも限らないという別の発想が芽生えたのだ。
アイテムボックスというシステムからすれば、井手の存在はイレギュラーだ。
本来その能力を持つ本人にしか利用できないはずのシステムに第三者が介入するなど異例の事態であろう。
井手が余計な手を加えた道具がシステム側でエラーとして弾かれ、防疫するかの如く道具もろとも時間差で消去された可能性だって無いとも言えないのだ。
あの収納ケースの中には料理以外のものも入っている。
温かいおしぼり。ミネラルウォーターのボトル。A4サイズのスケッチブックに、人生で始めて買うこととなったクレヨンセット。
ついでにままごと用にと百円ガチャのミニフィギュアもいくつか購入して入れておいた。
それらの道具の使い方やボトルの開け方についても実演する様子を写真に撮ってクリアファイルに同封してある。
アイテムボックスという大きな箱の中に物の詰まった箱を入れるというのは、ある意味では壺の中に壺を入れて保存するようなものだが、それが有効かどうかは毛皮の包みを見て確証を得ていた。
あとはケースが空になって返ってくることを祈るだけだ――
そうして井手がやきもきしながら待っていると、アイテムボックス内に変化が現れた。
光の粒子と共に向こうへ送った収納ケースが返ってきたのだ。
「よっしゃ来た!」
井手は飛びつくようにケースを掴むと、アイテムボックスの外へと持ち出そうとする。
光のカーテンを越えると同時に手の中に重みを感じるが、ケースは明らかに軽くなっていた。
井手はケースを床へと降ろし、はやる気持ちを抑えながら、そっと蓋を開けて中を覗き込む。
ケースの中には摘み取ったばかりの素朴で綺麗な一輪の花と、クレヨンで描かれた一枚の絵が入れられていた――
スケッチブックから切り離されたその絵を手に取りジッと眺める。
そこには少女と井手の二人の姿が描かれていた。
井手は独り身で子供もいない。
小さな子供に自分の似顔絵を描いてもらった経験など一度もなければ、子供からプレゼントを貰うことすら生まれて初めてのことだった。
口元に自然と笑みがこぼれる。
井手にとって、その絵は何よりの報酬であった。
「待ってろよ! 次ももっと美味いメシを食わせてやるからな!」
財布を掴んで手早く支度を済ませると、井手は普段と違う気力に満ち溢れた瞳で六畳一間を飛び出した――
* * *
主が出かけて静かになった部屋に、その日初めて一輪の花が飾られることになった。
カラーボックスの棚の上には、花瓶代わりの栄養ドリンクの瓶が置かれ、そこには水色の一輪の花がそっと挿されて飾られている。
花瓶のかたわらには少女に貰った一枚の絵が添えられており、そこにはクレヨンで二人の人物が描かれていた。
一人はキツネ色にこんがり焼けた食べかけのパンを手に、屈託なく笑う幼い少女。
そしてその隣には、某サーフ系ボディビルダーのポーズで怪しくたたずむ、グラサン姿の笑顔の井手が描かれていた――




