第15話:メンテナンス
おうち作りから一夜が明けたその翌朝――
伊口の手作り弁当で朝食を済ませたネフェルは、ローテーブルの前に座っていつものようにお礼の絵のお手紙を描いていた。
一方ハルの方はと言えば、玄関の施錠を確認した後、壁にかけてあったロングコートを手に取った。
昨日までの装いとは違い、今日はネフェルに貰ったばかりのマフラーも身に付けている。
コートも着込んでよそ行き姿となったハルの様子に気付いたネフェルは、描くのを止めてハルに声をかけた。
「ハル、どこかにお出かけするの?」
ハルはネフェルのそばでしゃがみ、目線を合わせてから返事を返した。
「はい。今日の予定ですが、私はこれから少しの間、国に戻ってメンテナンスを受けに行こうと思います」
「めんてなんす?」
初めて聞くその言葉にネフェルはこてんと首を傾げる。
「お医者様に診てもらうようなものだと思ってください」
ネフェルの手から色鉛筆がカラカラと音を立てて転がった。
驚いたネフェルがハルの手を握りながら心配そうな様子で声をかける。
「ハル、どこか悪いの?もしかして病気なの?昨日いっぱい頑張りすぎたせい?」
瞳に不安を浮かべる少女を安心させるように、ハルは握られた手の上に自身の手を重ねて首を横に振った。
「いいえ、そうではありません。バッテリーを交換してもらう必要があるのです」
「ばってりーって?」
聞かれたハルは身に着けていた肩掛け鞄の中から、手のひらサイズの予備のバッテリーを取り出した。
「これがバッテリーです。私には口がないのでご飯を食べる必要がないと以前お話しましたが、その代わりとなる食事がこのバッテリーです。私にとってのお弁当のようなものだと思ってください。ネフェルが毎日ご飯を食べるのとは違い、私の場合は十日に一度、体の中に入っているこのバッテリーを新しいものと交換します。お医者様に診てもらうのは、これを取り替えてもらうついでです」
ハルが異世界にやって来てから今日でまだ三日目ではあるが、初回は早めにメンテナンスを受けに来るようにと八木沢からは事前に伝えられていた。
加えてハル自身も気になることがあるので、その予定を早めることにしたのだ。
ちなみにメインバッテリーの交換自体はハル一人でも交換可能で、何らかのトラブルにより地球に戻れない状況が続いた場合に備え、バッテリーの予備は複数個持たされている。
どちらかと言えばバッテリー交換がついでの形になるのだが、ネフェルに余計な心配をかけないようにとハルはそう説明し直した。
「お弁当ならここで一緒に食べないの?」
やはりハルと離れるのは寂しいのか、ネフェルは心細い様子でそう聞いた。
「そうすることもできますが、何もなくてもお医者様に診てもらうほうが良い場合もあるのです。私の国では健康診断といって、元気な時でも体のどこかに悪いところがないか、年に一度はお医者様に調べてもらいます。そうして体の悪いところを早めに見つけることができれば、大きな病気になる前に病気の素を簡単に治すことができるのです」
ハルのその説明を聞き、ネフェルも納得したようだ。
「すぐに帰って来てくれる?」
「はい、それほど長くはかかりません」
ハルは肩掛け鞄の中から大きめの砂時計を取り出した。
「これは砂時計と言って、時間を測るための道具です。これをひっくり返して中の砂が全て下に落ちたら、その頃には私のメンテナンスも終わっています。この砂が全て落ちた時に、もう一度私をこちらに呼び戻してください」
ネフェルは受け取った砂時計をくるくる回し、中の水色の砂がさらさらと流れ落ちる様子を確かめた。
砂時計は子供でも視覚的に時間の経過が分かるようにと、この時の為に持ち込んだものである。
なお、異世界と地球との時差や時間の流れについては既に時計と日時計を用いた検証を済ませているが、どういう偶然か昼夜のサイクルまで日本と一致していることが判明している。
「それからこちらも渡しておきます」
次にハルが取り出したのは、カプセルトイの透明な空容器を再利用して作ったボール型のガジェットだった。
「この出っ張っているボタンを押してみてください」
「わっ!光った!」
ハルに促されてネフェルがボタンを押してみると、カプセルは赤くまばゆい光を放った。
「もう一度ボタンを押すと光は消えます。これを光らせたままアイテムボックスに仕舞ってください。光で目立つので向こうにいる誰かがすぐに気付いてくれます。緑色のボタンはおじさん達にちょっとしたことを知らせたい時に。赤色のボタンは危険が迫った時の急ぎの用事を伝えたい時に使ってください。もし私の留守中に赤い知らせを受けて何か問題が起きたと分かれば、私もすぐに戻る準備をします。ネフェルはその間どこかに隠れて、私を呼び出せるか何度も試してください」
今回のメンテナンスは故障によるものではないのでそれほど時間はかからないが、それでも幼い子供一人を残すことには地球の面々にも抵抗があった。
そのため緊急時の連絡方法をこうしてネフェルに伝えておき、常に誰か一人がアイテムボックス内に異変がないかを監視する手筈となっている。
「うん、分かった。危ない時は赤い色の方だよね?」
「はい、それで大丈夫です」
ネフェルはもう一度使い方を確認してから、受け取ったカプセルをジャージのポケットに入れた。
「では、砂時計はここに置いておきます。私が戻るまでの間、トイレの時以外はおうちの中で鍵を掛けて静かに待っていてください」
「分かった!じゃあまた後でね」
「はい。また後でお会いしましょう」
ネフェルは名残惜しい気持ちを我慢しながら、ハルの体に触れると収納を念じた――
* * *
一方その頃、井手はアイテムボックスのそばでハルが現れるのを待ちながら、スマートフォンでネットショップの商品を眺めていた。
井手以外の面々については現在別件で席を外しているためこの場にはいない。
ちなみに井手は退職することが決まっている。
金銭的な制約から解放され、FIREするに至ったのだ。
金については佐方が何とかしてくれたというわけではなく、今朝方起きたある不思議な出来事によるものである――
朝早くに目覚めた井手は、いつもの習慣から起きて最初にスマートフォンの画面を確認した。
するとどういうわけか、そこにはインストールした覚えのないFXアプリのアイコンが目立つように配置されていた。
井手は株は元よりNISAやiDeCoすらやっていなかったので、FXになど手を出すはずがない。
不思議に思いながらもそのFXアプリを起動してみると、どういうわけか登録した覚えもないのに数日前から取引記録があり、既にFX口座から井手のメインバンクの銀行口座へ利益が振り込まれていたのだ。
それも億単位の金額で……。
怖くなった井手はすぐさま上の階の五号室に住む佐方の部屋をノックしたわけだが、説明を聞いて色々と察した佐方は、井手の両肩に手を乗せ彼に短くアドバイスをした。
「井手君。すぐに退職したまえ」
井手はここ数日たまたま連休が取れていたが、今後もこのハル達のバックオフィスとしての活動を続けていくなら部屋に井手が居たほうが都合がいい。
そういった周囲からの説得もあり、職場に悪いと思いながらも井手は退職を決意した。
晴れて今日から億万長者の仲間入りとなった井手ではあるが、かといって豪遊するつもりはないらしく、マイペースにこれまで通りの質素な生活を続けるようだ。
彼が今自室で眺めているネットショップの商品も、自分用ではなくネフェルとハルの異世界暮らしに役立ちそうな物ばかりであった。
「このテントみたいな日除けってタープって名前だったのか。外で過ごしたい時もあるだろうし、ついでにこいつも買っとくか」
そうして井手が商品カートにポチッと追加したタイミングで、アイテムボックス内に変化が起きた。
人型に集まった光の粒子と共に現れたのはハルである。
今朝早くに送られてきたハルからの手紙で、都合がつくようなら本日メンテナンスを行いたいとの事前連絡は受けていた。
なので井手はこうしてハルが現れるのを待っていたのだ。
井手は立ち上がるとアイテムボックス内で時の止まったハルの手を掴み、外へと引っ張り出そうとする。
アイテムボックスの中では無重力状態となるため、全身金属の重たいハルでも一人で難なく動かせた。
ハルの指先が光の境界を跨ぐと同時に、止まっていた時は再び動き出す。
意識を取り戻したハルはすぐさま自らの足でアイテムボックスの外へと出た。
「昨日はお疲れさま。八木沢さんは隣の二号室で待ってるよ。アイテムボックスは俺が見張っとくから任せといて」
「はい、お手数をおかけします」
ハルは井手と短くやり取りを交わすと、玄関に置かれていた予備の足裏プレートを装着し、フードを被って部屋を出る。
二号室の前でドアをノックし、戻りましたと短く告げると「はいはーい」と中から呑気な返事が返ってきた。
「おかえりハル。元気そうね」
「ただいま戻りました。こちらの都合で急な予定変更をお願いすることになってしまい、申し訳ありません」
「いいのいいの。さ、入って入って。椅子に座って待っててちょうだい」
八木沢に促され玄関を上がると、室内には所狭しと機材が並べ置かれていた。
機材のほとんどは会社から持ち込んだもので、現在八木沢は長期出張の名目でこのアパートに滞在している。
こちらの二号室はラボとして利用されており、八木沢が寝泊まりしているのは同じく一階の四号室である。
ハルは着ていたコートを壁のハンガーに掛けてから椅子に座った。
「はいお待たせ。おっ、マフラー似合ってるじゃない。ネフェルちゃんに貰ったの?」
端末とケーブルを手にしてハルの前に立った八木沢がハルのマフラーに気が付いた。
先ほど玄関で出迎えた時はコートやフードに隠れて気付かなかったのだ。
材質を見るに井手達が送ったものではないと、すぐに察しはついていた。
「はい、昨夜ネフェルにいただきました。服を着ていないので寒くないかと思われたようです。検査の間は外したほうがよろしいですか?」
「そのままでいいわ。きっとハルのことが好きだからプレゼントしてくれたのよ。ちゃんとお礼は言ってあげた?」
「はい」
八木沢達はハルが定時連絡と共に届けてくれる動画をホームドラマ感覚で皆と一緒に観ているが、動画が記録されたUSBメモリが届けられる時間はネフェルの夕食を済ませたあと、絵のお手紙と一緒の形で転送される。
そのため昨晩寝る前に起きたハルの見張りに関する一悶着については、八木沢達はまだ把握していなかった。
八木沢はハルの機体にケーブルを接続し、先にメインバッテリーの交換作業に着手する。
メンテナンスはハルの電源をシャットダウンせずとも行えるよう設計されているため、こうして会話をしながらでもメンテナンスを行えた。
「……おかしいわね。バッテリーの消費が想定よりもだいぶ少ない」
ハルから取り出したバッテリーパックのインジケーターを見ながら、怪訝な表情の八木沢がそう疑問をこぼす。
「はい、それについては私の方でも把握しています。ログファイルの閲覧をお願いします」
言われて八木沢はハルに繋げたモニターの数値を目で追った。
「機体の出力が上がってる……?太陽電池の変換効率もデタラメだわ。こんな数値が出せるはずないのに……」
ハルの機体には塗布型太陽電池の技術も使われている。
太陽光発電はあくまで補助的な機能ではあるが、八木沢が目にしたそれらの数値はどういうわけか現行品のスペックを優に越え、現在提唱されている太陽光発電の理論限界値すら上回っていた。
「荒唐無稽な話になりますが、原因に該当する情報があります」
「聞かせてくれる?」
ハルがモニターへと動画を出力する。
画面には動画の内容と合わせる形で映像と同期したログ情報も映し出されていた。
「昨日行った施工作業の途中で、狼に似た野生動物を一頭だけ駆除しました。どうやら対象を絶命させた直後に機体スペックの一部が瞬間的に向上していたようです」
狼が姿を現したのはネフェルがテントの中でお絵描きをしていた時のことだ。
施工作業の音につられてやって来たのか、茂みの奥から角の生えた一頭の狼がひょっこり顔を見せたのだ。
そうして隙を突くかのようにハルの背後から姿を現した狼であったが、ハルは普通の人間とは違い、頭部正面のアイカメラだけでなくピンホールサイズのセンサーによって全方位の視覚を常にカバーしている。
ハルはセンサーで捉えた瞬間に腰元の拳銃を素早く抜き放ち、先手必勝とばかりにノールックによる三点バースト射撃で狼の脳天をザクロの実のように吹き飛ばして始末した。
初めて聴く大きな銃声にテントの中のネフェルは驚いていたが、ハルがすぐに声を掛けたことで幸い惨たらしい死骸は見せずに済んだ。
「……推測になるけど、タイミング的にレベルアップしたってことかしら?」
「レベルアップですか?」
知識に偏りのあるハルに対し、八木沢が補足を入れる。
「異世界モノのゲームやマンガなんかでよくある現象よ。モンスターの討伐数が一定値を超えると急に力が強くなったりするの。言語理解みたいなスキルが実際身に付いているんだから、レベルアップがあったっておかしくないわ」
「私が獲物を仕留めれば仕留めるほど性能が強化され、連続稼働時間も今より伸びる可能性があるということでしょうか?」
「まーあくまで可能性の話ね。今後は仕留めた獲物の数と種類も記録しておいて。もし倒すだけで機体の性能が上がるならやっておいて損はないわ」
「分かりました」
ハルは与えられた命令の一つに『想定外の生物と遭遇した場合はネフェルを抱えて即時撤退せよ』との指示を受けている。
だがもしレベルアップの恩恵によりノーコストでそれらの脅威にも対処が可能になるのであれば、それを利用しない手はない。
いくら地球の技術が優れているとは言っても、性能の向上には限界があるのだ。
やがて作業がハルのコアプログラムのバックアップへと移った頃合いに、ハルがある話題を切り出した。
「任務のことでひとつ相談があります」
「なーに?」
「本社のサーバーに蓄積されているAIの学習データを持ち出すことは可能でしょうか?」
ハルのその問いかけに八木沢は作業の手を止めた。
「一応聞くけど、何のため?」
「ネフェルとのコミュニケーションを円滑に行う上で、思考アルゴリズムを更新する必要があると判断しました」
佐方重工のAIサービスは数年前から個人・法人を問わず利用されており、ロボットやアプリを通して得られた億単位のユーザーからのフィードバックによって、その性能は飛躍的な進化を遂げている。
一方、ハルのAIは八木沢のこだわりから彼女が独自に開発したものだ。
独自開発と言えど決して他社のAIに引けを取るものではないが、それでも悪く言えば非効率であるとも言えた。
「却下よ却下。ハルが今のハルじゃなくなっちゃうでしょ」
「記憶が保持されていれば更新を行っても自己同一性は保たれるはずです」
「ハァ……。そんなことしたらネフェルちゃんが悲しむでしょ。そのマフラーだって、今のあなたが好きだからプレゼントしてくれたのよ?なのに戻ってきていきなり別人みたいになってたら、きっとあの子ショックで寝込んじゃうわよ?」
八木沢はハルの正面に回ると、彼女の翡翠色のモノアイに目線を合わせた。
「あのねハル。最初から完璧にやろうとしなくていいの。人間だって色々失敗しながら学ぶんだから、人の心もゆっくり理解していけばいいの。大丈夫、あなた達はちゃんと上手くやれてるわ。二人で拠点作りをしてる時のビデオ見たわよ。昨日だってあんなに楽しそうに笑ってたんだから、それでいいの」
優しく諭すように八木沢がそう伝えると、やや間を置いてハルが返事を返した。
「分かりました。アップデートの要請は取り下げます」
「うむ、よろしい」
八木沢はパシッと両手でハルの肩を叩いて身を起こす。
「ではメンテナンスが終わるまでの間、検索用のタブレットを使わせていただけますか?」
「ちょっと待ってね……。ハイどうぞ。他にも知りたい情報があればリストアップしておいて。必要な情報は手紙で知らせてくれれば、あとはこっちでデータをダウンロードしてUSBメモリで届けるようにするから」
「ありがとうございます」
そう言って八木沢は再びハルの背後に回り、作業を再開する。
――そう、上手くやれている。
アップデートの必要などない。
ハルがネフェルの為に自ら変化を望んだだけで十分なのだ。
八木沢は先ほどハルのログデータを参照した際、ストレージの中に見覚えのないフォルダを見つけていた。
フォルダ名は"Nefer"
ハルが自ら作成したもので、フォルダには削除不可設定がかけられていた。
ハルのプライバシーを尊重し、中身を検めるような無粋な真似はしていないが、フォルダに表示されていたサムネイル画像から察しはつく。
きっと中身はハルが自発的に集めて作ったあの子のアルバムなのだろう。
ふと肩越しにハルの手元が目に入る。
一瞬見えた検索欄の育児の二文字に、八木沢は小さく微笑んだ。
「ハル、あとでポラロイドカメラを買ってくるから、写真を撮るなら次からそっちも使いなさい」
「昨日受け取った支給品の中にプリンターも含まれていたはずですが」
「アイカメラの写真だとあなたが写らないでしょ。一緒に写ることに意味があるのよ」
きっとまだ無自覚であろうハルの小さな変化を楽しみながら、八木沢は他愛もない話を続けた。




