第2話:アイテムボックス
日本のとある地方にある、築四十年の古びたアパート――
郊外の静かな住宅地の中に、その二階建てのアパートは建っていた。
部屋数は全部で八つ。
各部屋には小さなキッチンにトイレとシャワーが完備された、六畳一間のワンルーム。
アパート一階の三号室の住人である井手亮吾は、その日は珍しくスマートフォンのアラームが鳴る前に目を覚ました。
井手は中肉中背で黒髪姿の、どこにでもいるような三十代前半のフリーターだ。
彼は目覚めてすぐにスマートフォンを手に取ると、画面を見てから今日は仕事は休みだったと思い出す。
もう少し惰眠をむさぼりたいとも思ったが、今しがた見ていた夢の余韻はまだ覚めやらない。
布団の上で仰向けのまま腕で目元を隠しながら、井手は今見た夢の内容を思い返していた。
やけにリアルな夢だった。
まるで自分もあの場にいたかのように、青々と生い茂る木々や湿った落ち葉の匂いまで、今も鮮明に思い出せた。
そして景色と合わせて水色の髪をした少女の姿も思い出す。
井手はマンガやゲームといったサブカルを嗜む男だ。
もしかすると覚えていないだけで、あの子も何かの作品のキャラクターだったのかなと記憶を巡らせるが、似たような水色の髪のキャラクターは浮かびはすれど、断定できるほどそっくりというわけでもない。
どうせ見るなら色気のある姉ちゃんの夢が良かったなとくだらないことを考えながら、井手はそろそろ起き上がるかと上体を起こす。
そして同時に異変に気付く。
遮光カーテンを閉めているにしては部屋が妙に明るいのだ。
「電気消すの忘れてたかな……はあぁぁぁぁっ!?」
それを目にした井手は滅多に出さない大声を上げて驚いた。
部屋の一角に異様なものが存在していたのだ。
それは光の箱だった。
琥珀色に淡く光る直方体の光の箱が、本来そこにあるはずの押し入れとすげ替わる形で壁の中に埋め込まれていたのだ。
光の箱は元々あった押し入れのスペースよりはやや大きいようで、上は天井ギリギリにまで伸び、手前には引き戸のレールがある位置を越えていくらかこちらへとせり出している。
「なんだこれ……」
井手は夢の続きかと頬をはたいて抓って確かめるが、痛みも光の箱もちゃんとある。
あいにくとコマのトーテムは持ち合わせていない。
「ホログラム……?」
まだ少し寝ぼけた頭で井手はその光に触れようとして――
「……っとあぶね!」
何かに気付いてすんでのところで手を引っ込めた。
視界の端で傾いていたローテーブルの異変に気付いたのだ。
テーブルの脚が折れるなどして壊れて傾いたわけではない。
端の部分がまるでそこから切断されたかのようにスッパリと脚ごと消失していたのだ。
位置関係を見るに、恐らくはこの光の箱と接触していた部分が跡形もなく消え去ったのだろう。
触れる前に気付いて良かったと思うと同時に血の気が引いた。
布団を敷いていた場所が悪ければ、消えていたのはテーブルではなく自分の脚だったかもしれないのだ。
その場合、失血死は免れなかったであろう。
お陰で肝が冷えると同時に目は冴えた。
井手はしゃっきりした頭で改めてローテーブルを見やると、テーブルに置いてあったはずのタブレット端末が光の箱の中に入っているのを発見した。
タブレットはまるでゼリーの中のフルーツが如く、光の中で固まるように静止している。
そして光の箱に入っていたのは井手のタブレットだけではない。
川で拾ってきたような綺麗な石。
まだ処理を終えていない兎の毛皮。
大きな弓に矢と矢筒。
蔓草でまとめられた焚き木の束。
その他にも釣り竿やら木製の食器やら紐で縛った大きな毛皮の包みやらと、様々なものが宙で固まり光の中に入っている。
そしてそれらの中には、夢で見た子供の落書きの残るA3サイズほどの木板も含まれていた。
「これ、ひょっとしてあの子のアイテムボックスか?」
ラノベを嗜む井手はすぐにその存在に思い至った。
アイテムボックス――
またの名を異空間収納、ストレージ、インベントリー等々、異世界ものの作品で必ずといっていいほど登場する定番の能力だ。
その力を使うことで様々な物品を異空間の中へと自在に収納できる。
日本で最もメジャーな作品だと、某ネコ型ロボットのお腹に貼りついている不思議なポッケが有名であろう。
「この直方体がそうだとしたら、中の容量は無限じゃなくて有限か?」
数多の作品に見られるアイテムボックスの能力にはチートじみた設定のものが多い。
異空間に物を収納するという理由から、容量無制限であったり、入れた物の時間が止まったり、更には家すら丸ごと収納してしまうケースもあるのだ。
だがこの光の箱や中のものを見る限り、恐らく容量は有限だろう。
このちょっとした物置きサイズがあの少女の能力というわけだ。
もしあの子がレベルアップして容量が拡張されようものなら、その瞬間に井手はまばゆい光と共に滅び去るのかもしれない……。
そんなアイテムボックスを眺めながら井手が考えを巡らせていると、ふと木板が目に留まった。
木板には夢で見たものと同じく炭で描いた絵が描かれている。
「いや待てよ。なんか違うな……?」
引っかかりを覚えた井手は木板を見ながら夢の内容をもう一度思い出そうとして、その違和感の正体に気がついた。
「兎の絵が消されてる?」
夢の中で少女が兎を描いていたはずの場所は、そこだけ濡らした布で拭き取ったような跡が残っていた。
なぜせっかく描いた絵を消したのかと考えると同時に、視界の端にあった未処理の兎の毛皮が目に入る。
あの子が絵を描いたのは兎を仕留めた直後だった。
その後には兎のものと思しき肉も食べている……。
井手は後ろに数歩下がると、改めてアイテムボックスの全体像を観察した。
そして木板に描かれた絵と見比べて、ようやくその答えに辿り着いた。
「目録か」
その一言で腑に落ちた。
あの子は自分のアイテムボックスの中身が分からないのだ。




