第10話:HAL-2
佐方重工の本社は、井手達が暮らす地方の一角を飲み込むようにして鎮座している。
見渡せぬほど広大な敷地内には本社ビルと工場群が混在し、その規模は数キロ四方にも及ぶ。
周囲を冷たいコンクリートの壁と街路樹が囲うその様相は、さながら地方に築き上げた巨大要塞そのものであった。
佐方は本社工場へ到着するなり研究棟へと足を運んでいた。
一緒に訪れた伊口は拳銃調達の件で現在別行動中である。
彼が向かう先は研究棟内のワンフロア全てを使った独立開発部第三課。
佐方重工においてこの独立開発部と名の付く部署はどれも科学者一人だけの部署を指す。
突出した才能を持つ者や、癖が強すぎるためにチームでの運用に難がある者達に用意された特別部署だ。
今日は本来祝日のはずなのだが、これから会う相手は自宅に帰ろうともせずずっとここに住み着いている変わり者なので、今の佐方にとっては大変都合がよろしかった。
廊下を進みカードキーを使ってラボのドアを開けると、目当ての人物はそこにいた。
どうやら机に突っ伏すようにして何かを眺めているようだ。
佐方は白衣を羽織ったその女性の隣に立つと声をかけた。
「調子はどうかね、八木沢君。せめて休みの日くらいは仕事から離れたらどうだ?」
「……会長?」
声をかけられた女性はボケっとした顔で佐方を見上げた。
野暮ったい太縁メガネに、ところどころ跳ねた栗毛色のボブカット。
若く顔立ちも整っているにも関わらず化粧っ気ひとつない彼女の名前は八木沢綾。
この独立開発部第三課に所属する科学者だ。
調子を聞かれた彼女は自嘲気味にヘッと笑った。
「ハルの凍結でもう燃え尽きました。コストコストってうるさいから、今度はこれを作ってやりましたよ。今の私が作ってるものなんてこんなオモチャです」
そう言って八木沢が目を向けた先には、小さな三体のヒューマノイドが机の上で戦っていた。
フルフェイスヘルメットを被せたようなボールペンほどの背丈しかない真っ黒なロボット達は、一方は蛍光ペンを大剣のようにぶん回し、もう一方は爪楊枝をフェンシングのフルーレに見立てて相手を牽制し、残る一体はレフェリー役を演じている。
それはぎこちなさなど微塵も感じさせない洗練された動きであった。
「エディ、次はあれをやってみて」
ロボット達は得物を手放すと縦一列に並び、両手を膝に置いて中腰になると、タイミングをずらしつつ電車の車輪のように正面を向いたまま上半身をゆっくりと回転させ始める。
それはぎこちなさなど微塵も感じさせない洗練された動きであった。
「十分すごいと思うがな……」
このレベルの動作が可能なロボットはまだ世に出ていない。
佐方は本心から称賛の言葉を口にしたが、八木沢の心には何も響かない。
気がつけばロボット達は飽きたのか命じてもいないのに解散し、足を開いたり胡座をかいたりと自由な姿勢で各々勝手にくつろぎ始める。
中には体育座りでキーホルダーのことわざ辞典を読むなど妙に人間臭い個体もいた。
そんなロボット達の様子を虚ろな瞳で見つめながら、八木沢は心の内を佐方に吐露する。
「会長、何が悪かったんですかね……」
「まあ、運が悪かったとしか言えんな」
彼女は数年の歳月をかけて、ハルと名付けたAI搭載型の治安維持用警備ロボットを開発していた。
ところが一年ほど前の完成も間近に迫っていた矢先、彼女に不運が訪れる。
彼女のライバルだった四課の科学者が、別のコンセプトの自走式警備ロボットを先に完成させたのだ。
スカラベと名付けられた直径約70センチの球体型のそのロボットは、こちらも同じくAI制御による自律行動を可能としていた。
公道を最大時速60キロほどで走行し、顔認識機能や車両ナンバーの読み取り機能にも対応。
他にも非殺傷兵器としてゴム弾やグルーガン、催涙弾や放水機能なども搭載している。
そして先に完成したこのスカラベ試作機の実証実験を佐方重工のお膝元の市街地で行ったところ、そこで思わぬ欠点が発覚してしまった。
なんと階段を上れなかったのだ。とんだポンコツである。
その問題が発覚した経緯は、ある日バイクに乗ったひったくり犯をスカラベが追跡していたことで明るみになった。
途中にあったわずか六段ほどの段差を上れずオロオロしている様子を市民にバッチリ見られていたのだ。
そこをたまたま通りがかった下校途中の小学生達がみんなで協力してわっせわっせと後ろから押し上げてあげたところ、彼はなんとか階段を上ることができ、チビッコ達にお礼の反応を返してから追跡任務を再開したのである。
そしてその一部始終の動画を撮影していた市民の一人が『段差のぼれなくて草』といったタイトルで動画投稿サイトにアップしたところ、その時のほのぼのとしたやり取りが可愛いとネットで大バズりし話題になったのだ。
このスカラベだが、丸っこい見た目以外にもうひとつの特徴がある。
それが機体前面のバイザー型ディスプレイだ。
走行時も常に水平を保つように設計されたそのディスプレイは人とのコミュニケーションを取る際に使用されるのだが、スカラベ達は基本的に意思疎通を音声でも文章でもなく、顔文字だけでやり取りを行うようデザインされている。
あざとい顔文字でキッズ達にお礼を伝えた彼は、一躍ネットの人気者となった。
そしてその日以来、一人で登下校をしている子供を見かけるや、本来の巡回ルートを外れてまるで見守るように後ろをコロコロと付いて回るようになったのだ。
その行動は追加投入された他の機体達にまで伝染し、その様子を市民がネットに投稿してはまたバズるといった流れができあがった。
ポンコツだった欠点はいつしかポンコツ可愛いという評価へと変わり、全国の市役所に『うちの町にも欲しい』といった保護者からのメールや、『スカラベちゃん達のためにスロープを作ってあげて』といった要望や嘆願が数多く寄せられるようにもなっていた。
佐方重工現社長は最初にバズった時点で商機を見出し、段差の欠点をスルーしたまますぐにもフル稼働で量産体制に入っていたため急な需要というビッグウェーブに乗ることにも見事成功。
こうして全国各地に配備されたスカラベ達は今では地域猫のようなポジションを獲得し、地元の人々にも愛され、こんにちの日本の治安維持にも大きく貢献することになりましたとさ。
めでたしめでたし――
「うちのハルは階段くらい一人で上り下りできるんですよ」
「そうだな」
「命令すれば小学生の尾行だってできますし、バイクに跨がればもっと速く走れます」
「そうだな」
「世の中おかしくないですか?」
「世の中とはそういうものだ」
先に完成したスカラベが売れに売れたせいでハルの開発にはストップがかかり、ついでにコストがかかりすぎているという理由で一旦白紙の御触れまで出された。
どんなに優れた製品やアイデアであったとしても、時流に乗れなければ日の目を見ることなく埋もれてしまうというのはよくあることだ。
「実はそのハルのことで君に話があってここに来た」
「ハルの!?」
それまでふて腐れるようにして机に突っ伏していた八木沢であったが、ハルと聞くや急にガバっと身を起こす。
「も、もしかしてゴーサインが出たんですか!?あっ!それとも会長がポケットマネーで何とかしてくれるとか!?」
期待のこもった眼差しを佐方へと向ける八木沢だったが、その期待も次の言葉ですぐに打ち砕かれてしまう。
「残念だがそうではない。埃を被っているようなら儂の別荘で使うことにした。もう許可は取ってある」
「そんな……」
佐方はここへ来るまでの間に現社長である息子へと電話をかけ、使わんようなら儂が貰うと既に根回しを済ませていた。
あとは開発者である彼女の協力を得るだけだ。
「まあ聞け。別荘というのはあくまで表向きの話だ。使う相手も儂ではない」
八木沢が一転して怪訝な表情を浮かべる。
「ハルにはその人物の身辺警護も含めた身の回りの世話を内密に任せたい。決して表沙汰にはできん相手だ。社のシステムとも完全に切り離してスタンドアローンで運用したい。相手は儂より遥かに格上の相手だと思ってくれ」
「どんないと貴き身分の方なんですかそれ」
その言葉を聞いて佐方は笑った。
「ふふふっ、貴いか。そうだな、確かに尊い。」
佐方はスマートフォンの待ち受け画面に映る絵の中の少女を思い出す。
当たらずとも遠からずと言えよう。
なにせ仕える相手は小さなお姫様なのだ。
「今言った調整も含めて、何日あればハルを動かせる?」
「そんなにお待たせしませんよ。三十分もあれば終わります」
八木沢はハルの開発が打ち切られてからも未練を断ち切れず、これまでずっと休日や休憩時間を利用して開発を続けていた。
あとはプログラムの追加調整を行えば、すぐにも稼働させられる状態であった。
佐方は今日にも少女とコンタクトを取れそうだと分かり、井手君にもいい土産を持って帰れそうだと心の内で喜んだ。
一度屋外へと出た佐方は自販機で缶コーヒーを二本買い、再び八木沢の元へと戻ると一本手渡し、近くの椅子に腰を降ろす。
そしてモニターと向き合う八木沢に対し、彼は普段の調子で声をかけた。
「八木沢君、作業を続けながらでいい。待たせてもらっている間にひとつ与太話を聞いてもらっても構わんだろうか」
「ええ、いいですよ。どんな話ですか?」
二人の手の中で缶コーヒーを開ける音がカチリと響く。
「もしもこの世に異世界への扉があるとして、儂が今日にもそこにハルを送り込むつもりだと言ったら、君はその与太話を信じてくれるかね?」
* * *
少女はその日、日課の山菜採りと焚き木拾いを済ませ、お昼のお弁当を食べるために洞穴へと戻っていた。
食事の時間はここで暮らし始めてから、最近できた楽しみのひとつだった。
いつも本物みたいな上手な絵を描いて送ってくれる、名前も知らない変だけど優しいおじさんが、おいしいご飯をたくさん作って届けてくれるからだ。
おじさんが作ってくれるお料理はどれも珍しくておいしいものばかりで、もし叶うなら大好きだったお母さんにも食べさせてあげたかったと少女は思っていた。
ところが昨日の夜からそのお弁当がガラリと変わった。
お弁当を作ってくれる人が、綺麗な黒い髪のお姉さんとお爺さんに変わったのだ。
お爺さんはおかずと一緒に食べるとおいしい真っ白い麦のようなものを作ってくれて、お姉さんはそれ以外のおかずを作ってくれていた。
いつもと違う中身の見えない小さなお弁当箱を開けた時、少女は大変驚いた。
なぜならそのお弁当は一緒に入っていた可愛いお人形にそっくりの、食べられる絵のお弁当だったのだ。
お姉さんが作ってくれた絵のお弁当はびっくりするほどおいしくて、お爺さんが作ってくれた真っ白い麦のご飯も、いつもと似ているようで食べてみると全然違っていた。
一緒に入っていた温かくて黄色いスープも、中の黄色いつぶつぶした実と一緒に食べるとおいしくて、甘いスープは飲むと幸せな気分にさせてくれた。
そしてこの日の朝から、お弁当の詰まった箱の中身は全部お姉さんが作ってくれたお弁当へと変わっていた。
おじさんの作ってくれるお弁当が食べられないのは残念だったけど、お姉さんのお弁当は蓋を開けるまで中身が分からないので、いったい中にどんな絵が描かれているのか、開けるのがとっても楽しみなのだ。
それにもしかすると、おじさんはお弁当作りからお菓子作りに変わったのかもしれないと少女は思った。
今朝はお弁当の他に、綺麗な大皿に盛られた沢山の焼き菓子も入っていたのだ。
焼き菓子は作りたてでまだほんのり温かく、どれも可愛い形をしていて食べるとサクサクでとってもおいしい。
一緒におじさんがお菓子を作っている絵も入っていたので、きっとお菓子作りを始めたに違いない。
そんなお弁当を楽しみにしながら洞穴へと戻った少女は、いつものようにその日のお昼も、お弁当がいっぱい入った大きな鉄の箱を思い浮かべて呼び出した。
すると現れた箱にはいつもと違って、なにやら外側に絵が貼られていた。
絵に描かれていたのは四人の大人。
両目に輪っかのようなものを着けた綺麗なお姉さんがまた一人増えている。
けれどそれより少女が気になったのは、中央に描かれた等身大のお人形のほうだった。
そのお人形は全身を隠すように黒いローブを身に纏い、自分と同じように大きな鞄を斜めにしてかけている。
顔はフードを目深に被っているため分からなかったが、それが人ではなく人形であることは何となく少女には伝わった。
なぜならその絵をめくるともう一枚おんなじ絵があり、そこには人形にだけ見覚えのある大きな赤い丸が付けられていたからだ。
赤い丸の下には以前にも見た知らない文字で、『TAKE THIS!!』と力強く書き殴られていた。
少女は分かったとばかりに笑顔でうなずき立ち上がる。
そして心の中で人形を探すと小さな片手を前へと伸ばし、見つけたそれを心に描いて、その手の先へと呼び出した――
カシャンと音を立てて、大きな人形が着地する。
その人形はしゃがんだ姿勢のまま、真っ直ぐに少女を見上げてフードを取った。
フードの中から現れたのは、翡翠色に輝く大きなひとつの丸い瞳。
まるで真っ白な顔ののっぺらぼうに、目をひとつだけ付け足したようなお人形だった。
人形はかしずくように片膝を突いて胸に手を当て、少し低めの女性の声で、少女にも馴染みのある言語で言葉を発した。
「はじめまして。警備用ヒューマノイド試作機のHAL TYPE-0と申します。今後の身の回りのサポートはお任せください、ユーザー様」
それはのちに少女にとってかけがえのない家族となる、ヒューマノイドのハルとの出会いであった――




