第10話:HAL-1
「おはよう井手君。朝からお邪魔するよ」
「おはようございます、井手さん。」
「おはようございます。どうぞ上がってください」
ポーション事件のあった翌日の朝早くから、佐方と伊口の二人は井手の部屋を訪れていた。
世間は連休かつ井手もカレンダー通りの休みであったため、こうして朝から三人で集まって話し合う予定を立てていたのだ。
「井手君、昨日話した支援の件だがね。今後はもう家賃の心配はしなくて構わんぞ」
部屋に入ってローテーブルにつくなり、佐方はそんなことを口にした。
「え?あの、もしかして佐方さんが代わりに払ってくれたんですか……?」
確かに佐方は昨夜の別れ際、今後は全面的にサポートするから期待してくれと言っていた。
別に井手は家賃が払えないほど生活に困っているわけではない。
この部屋の家賃にしたって、どういうわけか月14,300円と嘘のような破格の安さだったのだ。
人に甘えるような形にはなるが、それでもその分のお金が浮くのであれば、少女にもう少し良い物を買ってあげることもできる。
しかし佐方から返ってきた答えは違っていた。
「いいや、一棟丸ごと買い上げた。この部屋は今日から完全に君のものだ」
「え……?は……?ええっ!?」
佐方は昨夜、伊口と井手が料理作りに勤しんでいたその間に、一号室に住んでいる大家の下へ事前のアポも取らずに押しかけた。
そしてそのまま大家と交渉を始め、小切手をその場で切って売買契約を済ませていたのだ。
「大家のほうも手放したがっていたようでな。お陰ですんなり交渉できたよ」
このアパートは建物自体が古いというのもあるが、心霊現象が立て続けに起きるという噂もあって、家賃の割に入居者は常に少なかった。
加えて大家自身が既に高齢なこともあり、建物の修繕費なども考えると高値で手放せるなら渡りに船と考えたのだろう。
ちなみに心霊現象や事故物件などという噂について井手は入居後しばらく経ったあとに知ってしまったのだが、これまでにそういった霊的なものを一切経験していないので特に気にしてはいなかった。
もっとも、自室にアイテムボックスが出現するといった超ド級の超常現象が起きているあたり、心霊現象の噂も案外事実だったのかもしれない……。
「……あれ?でも俺の他にもう一人住んでましたよね?そっちの人にはもう話を通したんですか?」
名前も名字も知らないが、この部屋の真上にある七号室に若い女性が住んでいたはずだと井手は疑問に思った。
法律には詳しくはないが、いくら大家が承諾したからといっても、今いる入居者をすぐに追い出すような真似はできなかったはずだ。
「いや?もうずいぶん前から君以外に入居者はいないと言っていたな。君の部屋の明渡し交渉についてはこちらでやっておくと、既に大家とも話はつけてある」
佐方の言葉を聞いて井手の顔がみるみる青ざめる。
あの住人だと思っていた女性とは挨拶程度ならこれまで何度か交わした覚えがあるのだが、こうして意識して思い出そうとしてもなぜか相手の顔を思い出せないうえ、そもそも顔も含めてその姿を見た記憶がないのだ。
思い出せるのは相手の声と、会話をしたという記憶だけ……。
真上の部屋に住んでいるというのも、単に上の部屋で誰かが歩く生活音を聞いていたからそう思い込んでいたに過ぎない。
しかもその音は昨夜二人が帰ったあとにも聞いていた……。
「そういうわけで、我々二人も二階の五号室と六号室に住む予定だ。ご近所同士、今後ともよろしく頼むよ」
井手はあの女性のことを不法占拠者だったと思い込むことにし、そのことは二人には黙っておいた――
「ところで井手君。昨日あれから何ができそうか考えてみたのだがね」
井手がお茶代わりに出したペットボトルのミネラルウォーターで喉を潤しながら、さっそくとばかりに佐方が話を始めた。
「向こうの世界の様子は夢で一度見ただけで、詳しくは分からないと言っていただろう?例えばだが、カメラを録画状態にしたまま向こうへ送って、それをもう一度こちらへ戻すよう写真でその子に伝えてみるのはどうだろうか?」
「あ……」
佐方の提案を聞いた井手の口から、そんな間の抜けた声がぽつりと漏れた。
「ほんとだ。そうだよ。なんで今まで思いつかなかったんだ……。あの、それって録画の前に機内モードにさえしておけば、データが勝手に企業に送信されるなんてことはないんですよね?」
「井手さん、そのことで私からもひとつ確認をさせてください」
慌ててタブレット端末を取りに立ち上がった井手に伊口が声をかけた。
「あのアイテムボックスですが、これまでにカメラで撮影されたことはございますか?」
現代人は何かとすぐにカメラを構えて動画や写真を撮りたがるのはもはや当たり前のこととなっているが、伊口はそれによる情報漏洩を危惧していた。
「そっちは大丈夫です。あれだけはカメラに写さないよう注意してました。SNSにも漏らしたりしてないです」
うっかり者の井手ではあるが、そんな彼もネットリテラシーには注意を払っている。
中でもとりわけ気を付けていたのはクラウドサービスだ。
井手は海外の大手企業が提供する無料のクラウドサービスを利用しているが、もしアイテムボックスが映り込んで企業の目に留まるようなことになれば収拾がつかなくなると考えた。
これまでも写真を撮るうえで異世界産の花や押し花が写り込むくらいはあったが、花については地面に生えている風景を撮影したわけでもないので、普通は見つけたところで造花か生成AIによる作り物と考えるだろう。
珍しいから異世界の花だと決めつけ怪しむほうが無理がある。
またSNS上での匂わせるような書き込みや、周囲にそれとなく吹聴するといったことも井手は一切していない。
そんな井手の言葉を聞いて、伊口と佐方の二人もホッと安心したようだ。
「とりあえずタブレットを手に持ったまま自分や周囲にカメラを向けるよう、いつもの連続写真であの子に伝えてみます。あっ、良かったらお二人も一緒に撮りますか?やってみたら結構楽しいですよ」
そう言って井手はおもむろにサングラスを装着しながら撮影準備に取り掛かる。
佐方も乗り気なのか、手鏡を取り出し身だしなみをチェックし始めた。
井手が夢の中で見た少女の姿は、彼が支援を始める前の姿だけだ。
今はあの時のようにやつれているようなことはないはずだが、ちゃんと元気にやっているかはやはり気になる。
まあ恐らくは大丈夫だろう。
井手は今もアイテムボックスを介して届けられる少女の衣服を毎日洗濯機で洗っているが、ジャージが破れていたり泥や血で汚れている様子もない。
それにあの子は日本の現代っ子よりも生活能力は恐らく高い。
焚き木の縛り方ひとつ取ってみても、少女は井手も知らないようなロープワークを駆使しているし、兎だって一人で仕留めて捌けるのだ。
魚すら捌けない井手とは大違いである。
それでもあえて心配な点をひとつだけ挙げるとすれば、井手が送っていたミックスナッツを食べたことで少女のステータスが大幅に上昇し、そこらのモンスターを片手で絞め殺せるくらいに強化されているのではないかという点だ。
もしもカメラに映った少女の肩幅が二倍くらいになっていようものなら、井手はその瞬間に佐方と伊口の二人からボコボコにされるだろう……。
井手はそういったこともあり、食べた瞬間天パのおっさんに急成長されたら怖いという理由から、某レトルトカレーを差し入れるのだけは避けていた。
そうして井手が少女の肩幅を気にしながら佐方と撮影方法を話し合っているさなか、なぜか伊口はそれには交ざらず、顎に手を当て一人で何かを思案していた。
そして自分の中で答えが出たのか、彼女はひとつの提案を出した。
「会長。ハルを使うのはいかがでしょうか?」
「そうか!あれがあったな!」
その反応を見るにどうやら伊口が妙案を思いついたようだが、何のことだか分からない井手は二人に尋ねた。
「あの、ハルって何です?」
「うちで開発を進めていた警備用のヒューマノイドだ。訳あって途中で開発は止めてしまったがな」
「少し前に稼働しているところを一度見かけましたが、試作機はほぼ完成しているように見えました。ハルはAIによる自律行動が可能です。もしロボットを向こうの世界に送り込むことができれば、一足飛びに多くの課題を解決できるかもしれません」
なるほど。人が無理なら代わりにロボットを送ろうというわけだ。
こちらの指示通りに行動してくれる人型ロボットを活用すれば、人間用に作られた数々の道具も扱える。
また言語の問題についても、これまでは連続写真を使うくらいしか意思疎通の方法がなかった。
しかしそこにボディランゲージや対話も加わることで、いずれはAIによる解析が進んで言葉の壁も解消されるはずだ。
上手くいけば森で一人きりの少女の相談相手にもなってあげられるうえ、何より二十四時間付きっきりでの身辺警護が可能となる。
少女にとって心強い味方となってくれることだろう。
「井手君。その場合アイテムボックスの秘密を知る者が一人増えることになってしまうが構わないだろうか?彼女の人柄については儂が保証する。儂の身内ばかりを抱き込むようで忍びないのだが……」
申し訳なさそうにそう話す佐方に、井手は首を横に振った。
「それがあの子のためになるなら俺は構いません。実際俺一人じゃ、何年かかってもロボットを用意するなんて無理でした。俺は佐方さん達のことを信じてます。どうかあの子の力になってあげてください」
そう言って頭を下げる井手に、佐方は力強くうなずいた。
「任せてくれ。決して後悔はさせん」
この青年の期待だけは裏切らないようにしようと、佐方は改めて心に誓った。
「伊口君。すまんが今から社まで一緒に来てもらえるか。ついでに会社の銃を横流しする。彼女なら恐らく今日もラボにいるだろう。彼女の助けを借りれば一丁くらいはごまかせるはずだ。仮にバレてもその時は儂に脅されていたと証言すればいい」
佐方の口から銃器の横流しというとんでもなく物騒な話題が飛び出す。
しかし伊口はそれには賛同せず、臆することなく彼を諌めた。
「失礼ながら、銃を調達するのであれば猟銃のほうがリスクの面ではより安全かと」
「そっ、そうですよ佐方さん!あの子の為に尽くしてくれるのは嬉しいですけど、もしそれで佐方さんが警察に捕まったりなんてしたら、それこそあの子を助けるどころじゃなくなっちゃいますよ!」
佐方重工では国防軍が扱う武器類の製造も手掛けているが、そこまで危ない橋を渡らずとも、猟銃であれば弾薬も含め入手難易度は比較的低いと言える。
伊口の意見はもっともだった。
「連射もできんような武器なんぞ持たせても頼りにならん。心配するな、必ず上手くいく」
佐方はこれから協力を仰ぎに行く科学者を抱き込み、会社の生産・在庫・物流といった各システムを改ざんし、不良品に仕立て上げて廃棄処分扱いにした武器弾薬を外部に持ち出す腹積もりでいた。
「会長」
しかし秘書の伊口はなおも食い下がる。
「お言葉ですが、それには賛同いたしかねます。事が発覚した際のリスクについては、会長ご自身も重々ご承知のはずです。なぜそこまでの危険を冒す必要があるのでしょうか?」
伊口は理解に苦しんだ。
佐方の下で秘書として働き始めてまだ長いと言えるほどの付き合いでもないが、それでも彼が本来そのような無謀な行動に走る人間ではないと知っている。
リスクをまったく取らないわけではない。
それは過去の経営戦略においても一見博打に思える選択は多々あれど、結果的にはその全てで成功を収めている。
しかし同じリスクであってもそれらは全て合法的なものであり、法に触れるという一線を越えたことはこれまで一度たりともなかったのだ。
猟銃という代替案があるにも関わらずそうしない佐方の姿勢に、伊口は強い違和感を抱いていた。
「君の言うことはもっともだ。儂も普段であればそんな危険を冒すような真似はせん」
それでも彼が危険を承知で無謀な賭けに踏み切る理由は、佐方には今この瞬間も自分達を静観しているであろうなにかが力を貸してくれるという半ば確信めいた予感があったからだ。
「ちょうどいい機会だ。儂もこの場でひとつ確かめておきたいことがある。……井手君。すまないがあそこの小銭を借りてもいいかね?」
「え?ええ、構いませんけど……」
急な申し出に戸惑いながらも、井手はカラーボックスに置かれた小銭入れ代わりのいちごジャムの空き瓶を取りに行き、佐方はその間に伊口の手を借りローテーブルを部屋の隅へと移動させる。
そして礼を言って井手から小銭を受け取ると、硬貨を重ねてその枚数を数え、スマートフォンで何やらポチポチ調べ始めた。
「あの、佐方さん。小銭なんかで一体何を確かめるんですか?」
「この36枚のコインを投げて全てが表になる確率は、およそ687億分の1だそうだ。宝くじの一等が、確か2000万分の1だったか。普通ならまず起こりえんな」
「え?」
困惑する二人をよそに、佐方は手の中の小銭を握りしめながら天井を見つめ、その視線の先にいる何者かへと呼びかけた。
「もし我々に力を貸してもらえるのなら、このコインを全て表に変えて示して欲しい」
佐方はそう告げるや、手の中のコインを軽く上へと放り投げる。
コインはジャラジャラと激しく音を立てながらフローリングの床を散らばり、固唾を飲んで見守る三人の足元を縦横無尽に転がった。
コイン達の踊る音がひとつ、またひとつと止む度に、佐方を除く二人の表情が次第に驚きへと変わってゆく。
そうして全ての音が鳴り止み最後にピリオドが打たれた時、その結果を予見していたはずの当の佐方ですら、驚愕の表情を浮かべて床の上のコインを見つめていた――
SURE.
それはコインによって描かれた、この場にいないはずの何者かによる意思表示であった。
そしてコインの面はといえば、そちらはついでとばかりに全て表へとそろえられている。
奇跡を目の当たりにした伊口は口元を押さえて息を飲み、井手はきょろきょろと辺りを見ながら「え゛っ!?この部屋霊とかいんの!?」と唐突な怪奇現象にビビり散らしていた。
一方、自身の予想超える形で肯定の意を示してくれたことに、佐方は小さく笑みを浮かべる。
正体が何かは分からないが、この存在が我々にある程度の裁量を任せてくれていることがこの件でようやくはっきりした。
このような芸当が可能なのだ。
事故の起きた日に見られた機械の異変がそうであったように、やろうと思えば我々が持つ端末を操作することも、直接指示を書き込んで命令を下すことだってできたはずだが、そうしないのは我々を単なる手駒として見ていないということだ。
因果を自在に操る神にも等しい力を持つ者が後ろ盾についたとあらば、恐れることなど何もない。
佐方は法を犯す覚悟を決めた。
「期待して待っていてくれ」
不敵な笑みを浮かべてそう井手に告げながら、佐方は伊口を連れ立って本社へと赴いた――
そして今しがた心霊現象が起きたばかりの部屋に一人取り残されることとなった顔面蒼白状態の井手であったが、彼はすぐさま交通安全の御守りを掴むと部屋のすみっこで布団を被り、検索した読経BGMと盛り塩の陣で更なる護りを固めつつ、佐方達の帰りをただただ震えながら待っていた……。




