第三話:そうだ、ダンジョンを作ろう
『地震によって放出されるはずだった、広島型原爆およそ三万二千発分に相当する莫大なエネルギーを消費せよ。』
『地震によって回収されるはずだった、三十万人を超える魂を集めよ。』
三十万人を超える魂。
何度読み返しても、その赤い文字は変わらない。
「……魂?」
思わず漏れた自分の声が、妙に遠く聞こえた。
一度落ち着こう。
焦っても仕方がない。
状況を整理する。
僕は南海トラフ巨大地震と首都直下地震を消そうとノートへ書いた。
すると、その代償として莫大なエネルギーと、三十万人を超える魂を集めろと言われた。
逆に言えば、この条件さえ満たせば二つの巨大地震は消せるということだ。
まずエネルギーは桁が大きすぎる。
今考えても何も思いつかない。
なら、先に魂について考えよう。
三十万人分の魂。
これは誰の魂でもいいのか。
それとも、本来地震で亡くなるはずだった人の魂でなければ駄目なのか。
前者なら方法はあるかもしれない。
後者なら、どうしようもない。
試しに聞いてみるか。
返事が来る保証なんてないけど。
『三十万人を超える魂というのは、魂なら誰でも良いの?』
そう書くと、すぐに赤い文字が浮かんだ。
『是。ただし、人間のみ可。』
「……答えた」
本当に会話が成立した。
まるで誰かと交換日記をしているみたいだ。
内容は全然平和じゃないけど。
魂なら誰でもいい。
なら、もう一つ聞いてみよう。
『犯罪者の魂を三十万人集めてもいいの?』
赤文字は少し間を置いて現れる。
『可。ただし、犯罪者という概念は人間社会が定義したものです。魂に本質的な違いはありません。犯罪者のみを対象とすることは極めて困難です。』
「なるほど……」
なら、もっと明確な条件を決めればいいのか。
例えば、人を殺したことがある人。
……いや、それだと死刑執行人や、人身事故の車掌まで含まれてしまう。
じゃあ、悪意を持って人を殺した人?
でも、『悪意』なんて誰が判断する。
そもそも。
僕は理不尽に三十万人が死ぬ未来を変えたかったから、このノートを書いたんだ。
なのに、今度は僕自身が誰かの命を選んで奪う。
そんなことをしたら、本末転倒じゃないか。
地震よりも、僕の方が理不尽な存在になってしまう。
それだけは、絶対に嫌だった。
……
考えても考えても答えは出ない。
頭の中だけが堂々巡りを続ける。
仕方なく僕はノートへ書いた。
『条件を達成する方法は必ず考えます。それまで猶予をください。』
赤文字が浮かぶ。
『了。保留期間は七日間。期間内に代替案が提示されなかった場合、今回の改変は無効とします。なお、無効によるペナルティはありません。』
七日。
あと七日しかない。
……
それから僕は、文字通り朝から晩まで考え続けた。
学校もない春休み。
気づけば食事と睡眠以外、ずっと答えを探していた。
そして、六日目。
ようやく一つの答えへ辿り着く。
人は危険だと知っていても、自分の意思で挑むことがある。
消防士。
警察官。
自衛官。
登山家。
レーサー。
もちろん、彼らは死ぬために危険へ向かうわけじゃない。
それでも、自分の意思でその道を選んでいる。
何の選択肢もなく命を奪われる地震とは違う。
挑むか、挑まないか。
その選択だけは本人に残せる。
「だったら……」
危険へ挑むことを、自分で選べる世界を作ればいい。
その瞬間、頭の中で何かが繋がった。
「そうだ……ダンジョンだ」
僕は思わず立ち上がる。
幸い、参考になるものなら山ほどある。
ファンタジー小説。
漫画。
ゲーム。
ネット小説。
この世界には、地球へダンジョンが現れたらという物語が数え切れないほど存在している。
ゼロから考える必要なんてない。
先人たちのアイデアを参考にして、現実でも成立する仕組みへ組み直せばいい。
地震のエネルギーでダンジョンを作る。
そこへ挑むかどうかは本人の自由。
危険の代わりに、利益も用意する。
そうすれば、理不尽ではない。
僕は夢中でノートへ書き始めた。
『地震によって放出されるはずだったエネルギーを使用し、世界各地にダンジョンを創造する。』
『ダンジョンへの進入は、人間自身の自由意思によって選択される。』
『内部には危険と、それに見合う利益を存在させる。』
『探索中に死亡した者の魂を、必要条件へ加算する。』
『参加を強制してはならない。』
……
……
書き終えた。
静かな部屋で、赤文字が現れるのを待つ。
『……』
最初に浮かんだのは、それだけだった。
「……駄目だったか」
そう思った、その瞬間。
新しい赤文字が躍る。
『えー、ダンジョン!? それ面白そう!』
「…………は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
今までの機械みたいな文章は何だったんだ。
『一人で作るのは大変でしょ?』
『サポート役、一人送っとくね! 頑張って!』
次の瞬間。
ノートから淡いラベンダー色の光が溢れ出した。
光は部屋中を舞い、やがて机の上へ集まっていく。
花びらが風に乗って舞うように、幾筋もの光が重なり合い、一つの小さな人影を形作っていく。
眩しさに思わず目を細めた。
光が静かに収まる。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
……いや、少女というにはあまりにも小さい。
大きさは、机の上に置いた常識改変ノートとほとんど同じくらい。
淡いラベンダー色の長い髪。
眠たげな紫色の瞳。
透き通るような四枚の羽には、小さな花が咲いたような模様が浮かび、動くたびに細かな光の粒が零れ落ちる。
白と紫を基調とした可憐なドレスは、妖精という言葉をそのまま形にしたような美しさだった。
その少女は机の上へふわりと降り立つと、小さく伸びをしてから、眠そうな目で僕を見上げる。
「……あんたが黒瀬玲司?」
その第一声は、見た目に反してどこか気の抜けたものだった。




