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好きが嫌いな人-7-


 葉山の自宅マンションまで送ってもらって、そのまま別れることもできた。

 岬からは、そういう逃げ道も提示されていたから。

 ただ、それを選ぶのは、これ以上演技ができないと言っているのと同じ。

 それだけは嫌だった。けれど、ありふれた恋愛劇を演じても勝算は限りなくゼロ。

 結局、車の助手席で何も選べないでいる間に、岬のマンションについていた。

 必要な家具しかない空っぽの部屋。片付いていると言っていたが、何もないだけだと思った。

「座ってよ」

 葉山がリビングに入って扉の前でぼんやりと立っていると、ソファーをすすめられた。

「あの、岬さん」

「ん? 何、お腹すいた? 外行く?」

「い、いえ、食欲ないです」

「まぁ吐いてたしね、なんか飲む? コーヒーは胃に悪いし、牛乳かな」

 葉山の返事を聞く前に、岬はマグカップに冷蔵庫から取り出した牛乳を注いでレンジにかける。温めるだけなのだから作り方は間違っていない。対面式のシステムキッチンには調理器具が何でも揃っていそうに見える。それなのに奥にあるレンジと冷蔵庫だけしか使っていない。何だか岬圭一という役者のイメージから考えると違和感を覚えた。

 人気俳優がオシャレなダークグレーのスーツで、レンジの前で腕を組んで立っている。深夜のバーカウンターに座っている方が、絶対に正しいし、岬圭一としてあるべき姿だ。

(そういう役作り?)

 少し見えた冷蔵庫の中身には飲み物しか入っていなかった。葉山の視線に気づいたのか岬は苦笑いする。

「俺、家で料理しないんだよね」

「料理が得意な人しか使わないようなキッチンなのに」

「そ、社長が決めた部屋だからここ。イメージが大事なのよって、けど、俺この部屋に誰も呼んだことないから、一体どこ向けのイメージなんだろうな」

「え……誰も?」

 葉山は思わず驚いた声を漏らしていた。

「何、意外? イメージ商売やってるのに女連れ込むわけにいかないだろ」

 レンジが鳴り、岬はマグカップを持って葉山のいるリビングに戻ってくる。

 落ち着かない様子でソファーへ座っている葉山に、岬はホットミルクを差し出した。受け取ったマグカップが熱すぎて手を火傷するところだった。これが演技なのか、それとも素なのか判断に迷う。やること全てが普通で、あと雑だった。

 岬に言われるまま部屋までついてきて、ただ普通に喋っているだけ。

 葉山は、これになんの意味があるのか分からなくなってきた。

 いまやっているのが、男同士の恋人の演技とは思えない。何だか昔と同じように岬と楽屋で話しているみたいだ。

 岬のどこまでが演技で、どこからが本当かわからない。――でも、きっと、全部作り物。

「部屋、HIROTOさん、呼んだことないんですか」

「何、昼間の俺らの演技真に受けてんの? 参ったな。あれは演技合わせてただけだよ。ついでに葉山くんも一緒にやろうかって話になってさ、絡み多いしね。他意はないよ。あと、HIROTOくんは友達。よく遊んでるし、この前釣り行ってさ。夜釣り、夜の海ってマジでさみぃんだよ」

「とも……だち、え、つ……つり?」

「俺とHIROTOくん親友だからね」

 これも演技で嘘なのだろうか。

 葉山の隣におもむろに座ると、岬はタバコに火をつけて口にくわえた。

 岬の親友のHIROTOに違和感を感じる。役者として親しくしているなら理解出来る。二人で飲みに行くのは、ただの仕事でインスタ用だと思っていた。けれど話し振りからもっと私的な交流をしているふうに感じた。

(え、分からない、どっちなんだろう)

 もし本当に仲がいいというなら、HIROTOは岬に何か弱みでも握られているのだろうか。

「あ、もしかして、ヤキモチとかやいてる?」

「それは……」

 岬はタバコを口にくわえたままニヤリと笑った。恋人同士という演技は、どうやらまだ続いていたらしい。

「ヤキモチなら嬉しいなぁ、あ、牛乳美味しい?」

「熱いです」

「聞いてんの味! せっかくいれてあげたのに、文句言うなよ、先輩にそんな雑な言葉遣いすんの、今のところ葉山くんだけだよ」

「……岬さんが、うるさい演技やめろって言ったからです。俺は普通にしているだけ」

「うん、ま、いいよ。その方が落ち着くし。だってさ、俺だけの葉山くんって、なんか特別な感じしない?」

 ただ岬がレンジで温めただけの牛乳が、急に甘く感じた。温めすぎで熱いし、舌を少し火傷してヒリヒリする。なのに、なんで、ただの牛乳がこんなに甘いと感じるのか分からなかった。

 隣から伸びてきた岬の手が葉山の柔らかい髪に触れる。今日は撮影じゃなかったので、整髪料は何も付けてない。岬は葉山の髪の指通りを楽しむように手を動かしていた。何だか、その優しい手の動きに恥ずかしくなる。

「火傷するから、ゆっくり飲みなさい」

 レンジで温めただけなのに偉そうだと思った。

 くつくつと笑っている岬の隣にいることに、偽物の幸せなんてものを感じている自分。たとえ演技でも、こんな甘いものを自分が岬から受け取っていいはずがない。岬から自分に向けられる感情は、こんな生ぬるくて、甘いものであってはいけない。いつだって、痛くて、苦しくて、熱くて、そんな生々しい感情が欲しい。ずっと、そう思っている。

「もう、火傷しました」

「ほんと葉山くんは口が減らないな、いいよ。君はさ、俺の特別だからね」

 じわり、じわりと近づく距離感に、なんの違和感も感じていなかった。岬が葉山に見せているのは、そういう恋人同士の演技だから。

「葉山くん今日泊まってくだろ? もう送ってくの面倒だし、着替えるならそっちの部屋にあるの好きに着ていいよ」

 そういって岬が指差した寝室の暗闇に体が硬直した。なんで、こんな時に、こんなことを思い出すのだろうと、タイミングの悪さを呪った。

「……葉山くん、緊張してる?」

 岬に体を引き寄せられた。さっきまで、そんな素振りは一切なかった。油断していた訳じゃない。いつの間にか自然に岬の演技にのまれていた。何も出来ずに葉山は、ただその場に座っていただけ。されるがまま岬の胸に抱かれると、薄手のカットソーの向こうに岬の手の形を生々しく感じた。

 岬の隣にいるのに、役者でいられなかったから、余計な記憶が勝手に頭の中に流れ込んできた。

「ッ……あの」

「キス、しよっか」

 葉山が顔を上げると岬と視線が上下で交差する。キスをするときは目を閉じる。

 岬に言われたこともできない。また五点のキスを岬とした。

 軽く唇が触れた。触れるだけの挨拶のようなものだった。それなのに耐えられなかった。一瞬、目に入った暗い寝室が引き金だった。

 あんなに甘くて、美味しいと思ったホットミルクの味が一瞬で消えてしまった。悔しくて、腹立たしくて、奥歯をぎりぎりと噛んでいた。

「……これでも駄目?」

 岬が言った言葉の意味が、葉山は理解できなかった。岬には何も駄目なところなんてなかった。恋人同士の演技としてケチの付けどころがない。

 岬は完璧だった。葉山は岬の演技で幸せな恋人同士の時間を過ごしていた。

 葉山が岬に演技の糧になるようなものを何も提供できなかっただけ。

 岬に役者として認めてもらえるような演技ができない。

 自分だけ岬に与えられていることに、役者としてのプライドが音をたてて崩れていく。

 岬の腕を振り払って洗面所に走っていった。


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