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好きが嫌いな人-6-


 スタジオの一番端にあるひとけのない洗面所で、葉山は一人胃液を吐きこぼしていた。

 HIROTOと演技している時は、なんとか正気を保てたが一人になった途端、緊張の糸がぷつりと切れた。

 気分の悪さに目が回る。体のどこにも悪いところはないのに思い通りにならない。

 葉山の壊れた心が悲鳴を上げる。もう無理だろうって。

 今日の仕事が、これ一つで助かった。気力で体に鞭を打っても、これ以上は自分の意思でどうにも出来なかった。

 ぐらぐらと安定しない思考の中、気持ちの悪い映像が何度もフラッシュバックする。

(……もう、消したい)

 ポタポタと生理的な涙が洗面所に落ちる。

 自分の人生の中で、孤児になったことは葉山一人の力ではどうにも出来なかった。けれど、それ以降の選択は、すべて自分の手で選んだものだった。

 葉山のことを引き取りたいと申し出た夫婦の顔を見たとき、嫌な予感がしていた。

 昔から勘のいい子供だった。己の聡さは、可愛げのなさと同じだった。こんな自分を心から欲しがる人。

 手がかからない頭の良さが、その夫婦の望むモノだったと、施設の人が言っているのを耳にした。

 今よりいい生活はできたとしても、それと引き換えに何かを失うという予感。何の見返りもなしに、幸せは手に入らない。葉山だって、そんなことは最初から分かっていた。

 悪い想像に目をつぶって、欲しいものを手に入れた。

 ある頃から、養父が自分に向けているまとわりつくような視線の意味に気がついた。気付きながらも、その状況を受け入れた。初めて体に手を出されたのは、中学生だった。

 全部、分かっていたのに、言われるがまま全てに応じ、選んだのは葉山だ。

 ――結局のところ、全部、俺が選んだ。

 望むものを天秤にかけただけ。偽りの家族と居場所が与えられて、それを嬉しいと思った。

 だから、選んだ。

 欲しかったから。

 優先順位が、ただ、その時は、そうだっただけのこと。

 それでも、自分で選んだのに、最後には引き取られた家を逃げ出した。

 また、選んだ。

 養父に抱かれることは我慢できた。それがあの人の好意なのだと、自分を騙すことができたから。けれど体を傷つけられ、おもちゃにされ始めた頃、自分をささえていた何かが壊れてしまった。

 その時も、自分で選んでいた。

 生きるか。

 死ぬか。

 葉山は、いつだって選ぶことが出来た。

 怯え、身動きが出来なくなるまで、毎日のように養父に体と心を傷つけられた。

 消えないと思っていた顔の傷は、事務所の社長に拾われた時、腕のいい医者の力で元通りになった。

 後から知ったのは、そのとき養父は病気で心が壊れていたということ。

 そして今、養父は自分のやったことは都合よく忘れてしまっている。

 入院先で己の嗜虐趣味を恥ずかしげもなく語り、葉山にした所業をぶつぶつとひとりで話しているそうだ。

 そんな養父は、ふと我に返ったとき、葉山が自分を殺しにくると恐れているそうだ。

 葉山は怒りよりも、今すぐにそんな人間と関係した過去をすべて消したいと願った。

 だから、また、選んだ。

 事務所の社長が伸ばした手を取った。

 過去を捨てた。

 葉山は過去の自分と全く別の人格を演じることで、心を守っていた。

 いつも笑って楽しそうにしている葉山真幸を、あの男が真幸と認識できるとは思えない。いつまでも目の前に現れることのない「真幸」を探して死ぬまで恐れていればいい。

 もう、昔の真幸はいない。全部消したから。

 呼吸が落ち着き、流しっぱなしにしていた洗面所の水を止めた。

 洗面所の鏡に映る自分を見た。

 もう養父に付けられた怪我の痕もない。ちゃんと元通りになっている。それなのに一瞬、昔の顔がちらついた。

 血を流す、あざらだけの顔。

「ッ……」

 衝動的に鏡を殴りつけていた。割れるほどの力で殴ったわけじゃない。けれど、留め具に掠れたせいで人差し指の皮が切れ、うっすらと血が滲んだ。紙で切った時のようなチリチリとした熱を帯びた痛みに自分を取り戻していく。

 もしHIROTOの演技の助けがなく動揺して、あの場所で過呼吸を起こして倒れてたら。また、岬は楽屋まで運んでくれただろうか。

 以前と同じように。

 初共演したときのように、深刻な顔なんかしないで、つまらない取るに足らない事と笑って流してくれたのだろうか。

 過去、そうやって葉山にとって心地よい距離で接してくれたのは、岬の優しさだったと葉山は思っている。岬は、それを優しさと認めないだろうが、それでも葉山は岬に救われた。

 岬は今回、葉山がHIROTOとあのシーンを演じることで倒れると予想していたのだろう。だからこそ、自分はHIROTOの演技にのまれるわけにはいかなかった。

 静かな洗面所の扉が突然開く。正面の鏡の向こうには岬が立っていた。

「……岬、さん」

 吐いたせいで、喉が荒れ最初の音が掠れた。

「――最後まで演技出来て偉かったじゃん。俺の予想では、HIROTOくんの睨みから立て直せないと思ったけど。HIROTOくん怖いだろ? 相手を舐めてるからそうなる」

 葉山の取り繕うことも出来ない無様な顔を見て、岬はうっすらと笑っていた。

 気づかれないようにスタジオから一番遠い洗面所まで来たのに、岬は、わざわざ葉山を探したのだろうか。

(そんなはずはない、ただの偶然)

 葉山は自嘲的に笑った。

「ところでさ、葉山くんは、どうして誰かに助けてって言わないの? あぁ……言えないのは、俺のせいとか?」

「自惚れないでください」

 自分は、自分の意思で役者の道を選んだ。けれど否定しながらも、それが自分の意思だけじゃないこともわかっている。だから岬に噛み付く。葉山の足場がぐらぐらと揺れる。奈落に落ちそうだ。

「そんな怖い顔もできるんだね。可愛いのに」

「岬さんは……可愛いとか、可愛さなんて、無価値だと思ってる」

 葉山の癇癪に、岬は少しも傷なんてつかない。役者でない葉山の言葉なんかで、岬に傷をつけることは出来ない。

「葉山くんが、そう思ってるだけだよね。俺は可愛いの好きだよ?」

 鏡の向こうに見える、岬の氷の笑顔に震えが走る。その笑顔は演技だった。自分に向けて演技をして、欲しい絵を描いている。まるで舞台の上の支配者だ。

 岬は、一歩、一歩、葉山の背後に近づいてくる。

「ほんとさ、葉山くんが、あの日やったこと。今でも思い出すだけで、ぞくぞくするな」

 その「あの日」が、最後に岬と共演した舞台のことだと葉山は分かった。後ろから肩に手をかけて顔を覗き込まれた。

「それで、次は、俺に何してくれるの? 葉山くんなら、俺を本気にさせるなんて簡単だろう?」

「岬……さ」

「ホント、あんなに胸くそ悪い経験、初めてだった。でも、あの時の葉山くん面白かったなぁ、あぁ、コイツ本物の役者だって思った。親が死んでもって奴、君になら出来るだろうね」

 岬の胸を突き刺すような言葉に、ガタガタと体が震える。同時に「本物の役者」という甘美な言葉の響きに頭がおかしくなりそうだった。それは葉山が岬の口から、ずっと欲しかった言葉だった。

 口から空気とともに漏れ出る葉山の途切れ途切れの声に、岬は無感動な表情で耳を傾けていた。

「ごめん……なさい、分かってたのに、岬さんと、あの舞台を最後まで演じたかったから」

「それは、光栄だなぁ、本物の君に選んでもらえたんだから」

「ッ、俺は、知ってたのに、あの日、やめたいって。嫌だって、岬さんは、ちゃんと優しくて、優しかったのに、俺は!」

「へぇ……そう。そうやって、君は、あの場でも俺のこと役者として下に見てたんだ? ほんと可愛いねぇ葉山くんは」

 岬にあった優しさのカケラを、握りつぶして葉山が鬼にした。

「けどさ、俺は、今でも優しいよ? なんなら、葉山くんが、今望んでいる通りのことをしてあげる。あの日、君が、俺にしたのと同じことだ。お返しだね」

「ッ……俺は」

「俺は、君みたいに気持ちなんて読めないから、言葉で教えてくれる? どうしたい? 俺にどうして欲しい? ――今度は、俺が君を助けてあげるよ」

 助けてあげる。

 人として当たり前の優しさを岬が葉山に与えてくれる。

 葉山がこの場で、岬に言うべき言葉は分かっていた。その言葉を言えば、岬のプライドは守られて、葉山も自分の心を蝕む養父の悪夢から解放される。

 これ以上、心と体をズタズタにするような痛みを味わうこともなく、怖いものから解放される。無理をしてまで、役者を続ける理由なんかない。

 ――俺をこの場から助けてください。

「……俺は、役者でいたい」

 無理だった。

 自分と他人の心を踏みにじってでも欲しいものに出会ってしまった。

 もう出会ってない頃には戻れない。

「葉山くんさ、喧嘩売ってる? 君は本当に俺の予想通りにならない。もしかして、助けてって言葉、知らないの?」

「じゃあ、岬さん、俺を助けてください。このドラマ、俺は最後まで降りたくない、俺は壊れてもいいから、岬さんが俺のこと役者として見てくれるなら、それ以外は何も望まないから!」

 爪を立てて縋っていた。岬が自分に向ける感情はなんだっていい。

「――それで、葉山くんは、怖いもの見えなくなるの」

「俺が、望んでること、してくれるんでしょう、岬さんは」

 そう言って笑う葉山の引き攣った顔が、岬を苛立たせることは分かっていた。

 自分の望みと、岬の望みが噛み合わない。

「ほんと葉山くんは、演技、上手だね」

 その呆れた笑顔が、一瞬だけ、初めて楽屋であったときの岬に見えた。

 普段使用されていない薄暗い洗面所。電球が切れかかり、葉山たちの真上でカチカチと明滅していた。光と闇は行きつ戻りつを繰り返している。

 岬の腕を掴む葉山の手は震えていた。

「葉山くん、腕。ちょっと痛いかな」

「ッ、ぁ」

 岬に爪を立てていたことに気づき、葉山は慌てて岬から離れた。途端にふっと炎が消えるように目の前が一瞬暗くなってバランスを崩しそうになる。

 視界が安定したときには、すでに岬の広い胸に抱きとめられていた。岬のダークグレーのスーツからは微かにタバコの香りがする。

 軽蔑しているような相手なのに、葉山を抱く岬の大きな手に迷いはなかった。

「あのっ、すみません、大丈夫ですから、手放して」

「――ねぇ、葉山くんは、さ、役者の仕事好き?」

 岬に唐突に問いかけられる。そう訊いた岬の顔が見たくて、葉山は岬の腕の中で身じろぎした。けれど岬の拘束は外れなかった。

「岬さん」

「答えてよ」

 結局、葉山を呼んだ、その心もとない声が、どんな表情で言われたのか確かめることは出来なかった。

「……初めて岬さんに会ったとき、この先、役者を続けるか分からないって俺は言いました。けど……今は好きです。これ以外に、好きになれるものがないんです、欲しいものもない」

「そっか。じゃあ、俺と一緒か。俺も好きだよ。役者の仕事。これ以上に面白いと思えることがない」

 葉山と一緒だと言った岬は、少しも嬉しそうな声をしていなかった。

 冷たくて、色のない声。

 けれど岬の腕から解放されて、再び目を合わせたときには、熱を灯した役者の目をしていた。

 だから葉山はそれに安心していた。ずっとその目で見られたい。いつだって、わがままな感情を岬に押し付けている。何があっても、最後まで役者でいて欲しい。自分も同じように立ち続けるから。それに見合うだけの価値が葉山にあるとは思えない。

 分不相応な感情でも、覚悟だけは変わらないと誓えた。

 岬に出会ってからずっと。

 それほど岬に演技で弄ばれた思い出が、葉山を役者という仕事へ縛り付けていた。自由に人の感情を揺さぶり、葉山を思い通りにした岬の演技に、ずっと囚われている。最も嫌悪していた類の傲慢な欲を手に入れて、自分も役者として生きたいと願った。

「それで、大口叩いたからには、それなりの根拠があるんだよね」

「根拠」

「そ、最後まで、佐伯の役を演じられるっていう、根拠。HIROTOくんにちょっと迫られただけで、震えちゃうような君に、この先に続く二章の愛憎劇が演じられるとは到底思えない」

「けど、俺は、今までだって、演じてきて」

「男同士の恋愛、大人の男に迫られる。葉山くん、怖くて無理なんじゃない?」

「あのキスだけじゃ、岬さんの信頼を得るのに足りなかったですか?」

 半ばむきになっていた。そのキスさえも自分は、まともに感情を乗せて演技が出来ていないことは分かっている。分かっていても岬を前に一歩も引く気はなかった。

「でもねぇ、葉山くんがいつもやってるような、子供同士の恋愛ごっこじゃないんだよ、今回のドラマは。自分で何も感じたことのない人間に何が演じられる?」

「そんなのは、殺人鬼を演じるなら殺人鬼じゃなければできないっていうのと同じじゃないですか」

「俺は別に経験しろって言ってるわけじゃない。想像しろってこと。想像することをやめている時点で、人に伝わる演技なんて出来るはずがない」

「……想像くらい」

「怖いんだろ、見てるだけで分かる。男が男を好きになるっていう仮定すら想像出来ない葉山くんに、それが出来るのかって言ってるんだよ」

「出来ます」

「まるで、子供だな。いいからやめておけ、今なら、社長がどうにかしてくれるよ」

「……想像出来なくても、経験してる」

「経験?」

「キスだけで証明できないなら、岬さん相手に恋人同士を演じられたら認めてくれますか?」

 葉山は男を誘うような瞳で岬を見上げた。撮影現場の自分を見て信頼できないというなら、プライベートな場で証明すればいいと思った。

 葉山の言葉に岬は風船が破裂したような笑いを返す。

「はっ、子供が生意気に色ごと玩具にすんじゃねーよ」

「岬さんが知らないこと、知りたいこと、俺が教えてあげますよ。それで役者として信用してもらえるなら」

「俺が知らないことって何」

 岬の瞳は暗い色をしていた。けれど、それに怯むことなく葉山は言葉を続けた。

「……もう、分かってるんでしょう。俺が、誰に、何をされていたか」

 岬が言うように、役者が経験したこと、想像できることしか演技ができないと言うのなら、自分には岬に教えられることが一つだけあった。そんなものを自分の価値だとは思いたくない。消したいとさえ思っている。けれど、岬に自分を認めさせるために使える葉山真幸の武器がそれしかないのなら、迷わずに使う。

 『青の鬼火』が男同士の愛憎劇をテーマにしているのなら、それに似た感情を見せることはできる。自分が長い間消したいと思っても消せない感情だからこそ、さっきは簡単にHIROTOの演技に引きずられてしまった。

 憎しみながらも望みのために人を愛する、その感情を岬にあげる。

 決して綺麗じゃない感情を。

 過去の自分を含めて、岬が葉山のことを面白いと興味を持ったのなら、もうそれでいいと思った。ずっと消したかった、知られたくなかった、そんな汚れた自分を岬にみせる。

「男同士、初めてじゃないんですよ。だから、俺、岬さんが知りたいなら、何だって教えてあげられる。何されたっていいですよ」

 自分を守るために、養父に優しくしてもらうためにやっていた、男を誘う甘えた声で岬を呼んだ。今更、失うものなんて何もないと思った。

 感情も、思考も、全て搾取して岬が演技の糧にして利用すればいい。

「それさ、俺に何かメリットあるの?」

「……最後まで演技ができる、本物の役者」

「本物、ね」

「俺が、岬さんを楽しませる役者でいます」

 はったりでもいいから、岬に役者としての自分を認めさせたかった。岬の喉の奥から乾いた笑いが漏れた。

「はは……。葉山くんごときが、それをいうのか。そう、そこまで言うの。なら是非、見てみたいね。君が、HIROTOくん以上の役者とは思えないけど、それだけ、できるって言うなら少しは君の恋人同士の演技に期待してもいいのかな?」

「はい」

 まっすぐに岬の目を見ていた。実際のところ岬に自分の覚悟を示しただけで、本当に岬が葉山の体の誘いへ乗ってくるとは思っていなかった。

 メリットと言われて、確かに岬が葉山を抱いたところで何の利点もないのは事実だし、もし仮に男同士の何かを知りたいと言われても、せいぜい下世話なことを根掘り葉掘り聞かれるくらいと高をくくっていた。岬にだって相手を選ぶ権利はあるし、養父と同じような加虐趣味でもなければ、子供の域をでない男を抱いたところで、少しも楽しくないだろう。

「君が本気だと言うなら、俺も、本気で葉山くんの相手をしないとね」

「相手?」

「ほら、おいで……葉山くん」

「え?」

 カチッと、音がした。役に入る音。その音は、葉山が演技の場で感じる感覚的なものだ。カメラが回る前の合図のような音が聞こえた。

 岬は、さっきまでの様子が嘘のように、優しく葉山に微笑みかけている。

 華のある演技、いつだってドラマでみていた。自分が霞むような存在感に一瞬で圧倒される。

「葉山くんは、俺を演技で認めさせたいんだろ?」

「は、はい」

「恋人同士の演技、見せてくれるって言ったのは葉山くんだ。今から、やって見せてよ」

 じゃあ行くよ、と岬に強引に手を掴まれた。

「え、どこに」

「恋人なら、自分の部屋に呼ぶだろ? それとも葉山くんは、付き合って三ヶ月とか、結婚するまでは恋人の部屋なんて行かないっていう身持ち固い感じなの?」

 岬は蕩けそうな笑みを惜しみなく葉山に見せる。

 岬に恋人同士を演じてみせるとは言った。男同士のことも何でも教えると言った。けれど、岬がいま葉山相手に演じて見せているのは、普段から葉山が同じ年頃の女優相手にしているような、ごく普通の恋愛ドラマだ。

 そんな演技を岬と今更やったところで演技の糧になるとは思えない。そこには、岬が『青の鬼火』で演じる憎しみを伴う恋愛感情なんて欠片もなかった。

 初めてじゃないとか、何されたっていいとか、岬を誘った葉山に対して、岬がありふれた恋愛劇を演じ始めて肩透かしをくらう。

「……いいんですか、そんなので俺の演技の証明になんて」

「いいよ。そんないつもの葉山くんを見たくなったから。ちょっと付き合ってよ、それ見てからどうするか決めるから」

「岬さんがそれでいいなら、けど、俺なんか急に部屋に呼んでいいんですか」

 プライベートな部分を何の準備もなく晒す岬を、なんだからしくないと思った。自分ほどではないにしても、外面を作り込んでいる人だから。

「別に心配しなくても、部屋はいつも片付いてるよ。それに、このまま置いて帰ったら、葉山くん家までたどり着けないだろうし、俺のマンションこないにしても家まで送るよ。今日車だから」

 まるで、ままごとだ。

 人として当たり前の親切や優しさを岬から向けられて葉山は本気で戸惑っていた。

「い、いえ、そんな、いいです。今日はこれで仕事終わりですし、ただの貧血だから落ち着いたら、タクシー使って」

「これでも君のこと心配しているって、言っても、葉山くんは信じないかな」

「……信じる?」

「恋人なら心配するよ。葉山くんは、俺がもし体調崩してたら心配しない?」

 ただの仮定の話だ。それさえ想像できなかった。こんなとき、どういう顔をして、恋人にどんな言葉を返せばいいのか。台本があれば、監督の指示があれば、そこから欲しい演技を感じ取れる。

 葉山ができるのは、あくまでドラマや舞台の現場で空気を正確に読み取ることだけだ。岬相手には、それが正確に出来なかった。

 岬の望む演技が読めない。読ませてくれない。

 岬が言った通りだった。男同士で愛し合うって想像を頭と体が拒絶している。

 いま目の前で見せられている甘ったるい空気に、自分という役がどういう反応を返せば良いのか、何一つ正解が想像できなかった。

 ――何も知らない。だから、感じられない。

「そういう、演技を俺に見せたいといったのは、葉山くんだろ」

「……はい」

 落ち込んでいた。知らなくても演技できると大口を叩いたのに、出来ない。ただ岬がいう言葉に頷いて、引かれる手についていくことしか出来ない。

 こんな自分が、岬に男同士の恋愛劇の何を教えられるというのか。

 普通の恋が分からない。綺麗な恋を知らない。知りたいとも思えない。怖い。

 それは、眩しくて、温かいものだろうか。

 監督がさっきスタジオで言った「初々しい演技」なんて男相手に本当は出来ないと分かっていた。

 出来ているように見えても、他のドラマをそのままコピーしただけだ。

 監督は騙せても、岬は無理だろう。

 最近腑抜けていると、葉山の演技の変化を感じ取り、わざわざ引導を渡しに来たような男だ。

 この恋人同士の演技を最後までやりきったところで、岬が役者として葉山を認めるとは思えなかった。

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