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好きが嫌いな人-5-


 時間になり、今回のドラマ関係者が稽古場に顔を出し始めた。演者たちは各々机に名前の貼ってある場所に座っていく。

 葉山は岬の楽屋を後にしたあと、なんとか時間までに落ち着きを取り戻し、集合場所に入ることが出来た。

 今回集まった場所は、普段は劇団の人たちが使っている半面が鏡の板張りのスタジオだった。奥には小上がりになった簡素な舞台がある。

 今は空間の中央に向かって四角に長机と椅子が配置されている。

 葉山が名札のある席につこうとすると、先に隣へ座って待っていたHIROTOに手を掴まれ体を引き寄せられる。ふらつきながらも、なんとか転ばずに済んだ。

「わっ、あっぶないなぁ。もぉ、HIROTOさん、何ですかぁ」

「どしたの? それ」

「何がです?」

「か、お」

「え、可愛いですかぁ」

 HIROTOにこれ以上訊かれたくなかったので、葉山はわざとらしい作り物の笑顔で返事した。

 どんなに普段と変わらず振舞えても、赤くなった目元だけは隠せない。他人のことなど放っておいてくれればいいのに。目ざとく、さっき楽屋であった時からの変化に気づいていた。

「もしかして、楽屋で岬さんに怒られた?」

 HIROTOが葉山の耳元で内緒話をするようにした言葉は、おそらく斜め向こうに座っている岬には遠くて聞こえていない。けれど岬からの鋭い視線を感じた。

 目が合ったわけじゃない。きっと疑心暗鬼。それでも葉山は顔を岬の座っている方へ向けることができなかった。これ以上心が乱されたら、仕事ができなくなる。それに、ここでさっきのように取り乱したりしたら、岬の思う壺だ。

「怒られてないですってぇ」

「俺から何か言ってあげようか? 仕事やりにくいなら」

「なんのことですか」

 空惚けてそれ以上のHIROTOの追求をシャットアウトした。HIROTOの視線は葉山の向こうの岬へ向く。

「……そ。ま、俺も仕事では葉山くん甘やかさないって言ったし。葉山くんがそれでいいなら、何も言わない。岬さんのことは、自分で頑張れよ」

 葉山は、にこりと笑顔を返すと椅子に座った。HIROTOもそれ以上踏み込むつもりはないのか、あるいは興味自体をなくしたのか、それきり何も訊いてこなかった。

 岬にもHIROTOにも、これ以上自分の内側に踏み込ませるつもりはなかった。楽屋で岬に無理やりキスをして、それで自分のドラマに対する決意を示せたとは思えない。

 あれは、ただの葉山の癇癪だ。煽られたから煽り返しただけ。本当に演じきれると言い張るなら、この撮影現場で示すべきだと思う。

 最後までカメラの前に立ち続ければ認められる。簡単なことだ。

 役者として岬の前に立ち続ける。他には何も望まない。

 もともと過去の自分の傲慢をなかったことにして、以前と同じ関係でいられるなんて、そんな都合のいい話あるはずもなかった。

 葉山は周りから見えないように下を向いて一人静かに息を吐き、自分がすべき役に再び集中した。

 そのタイミングで監督らが席に座り、全員の視線がそちらへ向く。


「えー、では、全員揃いましたので、予定通り始めます。まず、自己紹介。そのあと一話目の本読みと、今回の演出について――」

 撮影監督である内田の挨拶と段取りの説明後に台本読みが始まった。

 事前に連絡されていた、第一話のセリフを抜粋して読んでいく。時々、監督や演出からいくつか注文が入っていくが、限られた時間のなか勘所を心得た役者たちは、その指摘を効率よく吸収していった。

 物語の導入部分のため、登場人物の紹介にあたるエピソードが多く、どこか淡々と進んでいた。

 声だけの演技なのだから仕方ない部分もあるが、一話目として、これで大丈夫だろうかと少し不安になってくる。もちろん指摘するほど悪いところもない。

 ――でも、まだ温度が上がっていない。

 おそらく役者全員が気づいているだろう。

 そんななか稽古が後半に差し掛かったとき、監督が待ったをかけた。

「まぁ、ね。雰囲気を掴むっていっても、君らも、ただ本を読んで、演出内容聞くだけじゃ熱も上がらんだろうなぁ」

「監督、セリフ合わせなんて、どこもこんな感じでしょう。準備運動みたいなもんですし、演出として、直して欲しいところは、それほどないですよ。さすが、というか」

「いや、でもねぇ、俺はやるからには、視聴率取りたい! 初回から走り抜けたい」

 内田のその熱のこもった冗談とも本気とも取れない発言に、場に少しの笑いが上がった。

「あ、何人か笑ったね。別に俺の夢物語じゃないよ、今回は、素晴らしい役者も揃っているし中々いい線行くと思ってる。二章なしで打ち切りなんてお寒いことにはならない。ね、HIROTOくん」

 そういって内田は、はす向かいに座る葉山の隣のHIROTOに話をふった。

「それは、なかなかのプレッシャーですね」

 HIROTOは苦笑を漏らすが、笑いながらも、決して無理だとは言わなかった。冗談でもできないと言わないその自信に、プライドの高さを滲ませていた。ただそれは考えなしで言っているわけじゃなく、実力と経験に裏打ちされた自信なんだと感じた。

「ま、そういうわけで、演出もこれ以上注文ないって言うし。本番前にテンション下げないためにも本読みはこのくらいで切り上げて、主演二人にドラマの看板背負ってもらうという覚悟を、ちょいと、今から前で見せてもらおうか」

 内田はそう行って、背後の舞台を指差した。

 HIROTOは最初からこうなることを分かっていたのか驚きもしない。

 セットもライトもない。

 ただのスタジオの小上がりで、俳優としての実力を示せと言われる。

「HIROTOくんと葉山くん。一話の最後、二話への入り前の導入部。二人の絡みやってもらえる?」

「――監督がお望みでしたら」

「すっごいのを頼むよ。全員に発破かけてあげて欲しいな」

 監督に言われて、HIROTOは席を立ち葉山を振り返った。

「葉山くんは、できる? 台本は持っててもいいよ」

 HIROTOのその目に気圧されそうになる。葉山がどんな演技をしたとしても、自分の思い通り葉山に演技を「させる」と言われている気がした。

 その傲慢さを自分は気に入らないと思っている。岬も、HIROTOも、撮影の場で全てが自分の思い通りになると信じて疑わない。その、自信。

 彼らと同じように、その非情を刻みつけたい欲に駆られた。葉山も、その大嫌いな傲慢を自分のなかに持っていた。

 あの日、岬に植え付けられた醜い役者の本能だ。役者としてのキャリアだとか、実力の差だとかは、分かっている。分かっていてなお、自分だって負けないと思わされる。

 その衝動を感情を嫌いだと思っているのに、この場にずっといたいと願っている。

 葉山はHIROTOに続いて席を立った。

 こうやって葉山の心を動かすことさえも、HIROTOの思い通りなのだろう。

「もっちろん、セリフも覚えてますよ。いつでもどーぞ、HIROTOさん」

 葉山は、HIROTOと正面で相対した。

「いいね。さすが、頼もしいよ」

 前の舞台へと移動する途中、セリフを頭の中でさらいながらも、岬に楽屋で言われた言葉が、ずっと頭の中で渦巻いていた。

 ――もしも、いま目の前にいるのが岬だったら。

 初めて共演したときのように、葉山を翻弄し、過呼吸を起こさせることなど造作ないだろう。

 けれど、いま目の前に立っているのは、岬じゃなくてHIROTOだ。

 何も不安なことはない。わざと自分をはめて撮影現場で遊ぼうなんて考えている人じゃないなら、葉山は普段通り演技をするだけだ。

 できると思っている。今までだって、ずっと役者として、普通にやってきた。

 倒れたのは、岬の前、あの一度きりだ。

 それに今から演じるシーンは、あの日のような長台詞もない。ただの日常パート。

 ――の、はず。

 だから、何も怖いことなんて起こらない。そう、何度も自分に言い聞かせた。

 『青の鬼火』は、怪異と情欲をテーマにした話で、話題の小説がドラマ化されたものだ。

 概要としては、HIROTO演じる主人公の「設楽響」が、鬼火に取り憑かれ法で裁かれない悪人を罰していく話。ストーリーが進むにつれ、設楽の前世に関係する殺人事件の謎にも迫っていく。

 設楽は実家が寺の長男で、ある怪異で困っていた葉山演じる、大学生の佐伯と知り合って友人になる。

 佐伯は設楽に助けられたことで、半ば吊り橋効果により設楽に好意を抱く。ただ物語が進むにつれ、事件の当事者しか知らないことを設楽が時々口走り、彼が犯人ではないかと疑いを持つようになっていく。

 設楽は鬼火に取り憑かれているときの殺人者としての人格と、普段の優しい人格の二面性がある。その演じ分けがこのドラマの見どころだ。

 鬼気迫るシーンを演じるのは、今のところHIROTOが中心。一章では葉山演じる佐伯に難しい演技は割り当っていない。

 男同士の恋愛ドラマとはいえ、自分が今まで演じてきたものとそれほど差はないように思えた。

 葉山が役に集中できた頃合いで、スタッフ、出演者に見守られながら、葉山とHIROTOは何もない舞台の上に立った。

「じゃあ、今日は、二人の演技を見て、撮影に向けて全員に熱を上げてもらって、終了ってことで」

 それが、演技開始の合図だった。


 §§


 ――ある怪異が解決した日の翌日。

 朝、設楽の実家である寺にやってくると、なぜか東森が居間でテレビを見ていた。設楽の居場所を聞けば、二階だと言われる。「襲うなよ」と軽口でひらひらと手を振った。

 その次のシーンから、二話へと続く導入部だ。

 設楽と無駄に距離の近い友人の東森へモヤモヤを募らせながらも、好きな人の部屋へ初めて訪ねるという胸踊る展開に、佐伯は自然と足取りが軽くなっていた。

「……あの、佐伯です」

 設楽の部屋の障子の前で声をかける。

 返事がない部屋へ入ることに一瞬気が咎めたが、それでも昨晩の事件で怪我をしている設楽のことが心配になり、佐伯は、そっと障子を開け顔を覗かせた。

「――し……!」

 畳の上で帰ってきた姿そのまま倒れている設楽に驚き、佐伯は慌てて駆け寄る。

「設楽さん! 大丈夫ですかっ、大変、救急車っ」

 駆け寄り肩を揺り動かした。一瞬倒れて死んでいるように見えたが、落ち着いて状態を確認すれば、ただうつ伏せて眠っているだけだと気づく。

「……眠ってるだけ、よかった。……昨日、大変だったし」

 無事を確かめて、その場で体の力が抜けた佐伯は、眠ったままの設楽の姿を改めて観察する。

 衣服のところどころ、そして手が泥と血に濡れていた。

 それが、生きている人の血ではないことを、すでに佐伯は知っている。

 視える人間と、視えない人間がいる。佐伯は視える側の人間だったことで、今回の怪異に関わってしまった。

 佐伯は設楽の頬についている、血の痕のような黒い汚れに吸い寄せられるように手を伸ばした。

 瞬間。

 設楽を演じているHIROTOは目を閉じていた。けれど葉山が手を伸ばして、頬に触れる寸でのところで、目を見開いた。

 台本では「佐伯が頬に触れ目を開く」と書いていた。その部分をHIROTOは変えてきた。

 突然人格が入れ替わったようにみせるためのアドリブだった。

 そのままHIROTOの頬に触れるつもりで身構えていなかった体は、台本に書かれていた通りに驚き、後ろに尻餅をついていた。

 佐伯は上体を起こした設楽に手首を掴まれる。

 手首を掴むHIROTOの握力に体が硬直して動けない。一瞬で体が凍りつく。これは葉山が望んでやっている演技だろうか。次第に役と自分の心の境が曖昧になっていく。

 この感覚を、葉山は覚えていた。過去にもあった。岬にされたのと同じ。

『――誰だ』

 色のない声。設楽に乗り移っているもう一つの鬼火の人格が、葉山の時間を止めていた。

 青い鬼火。

 昨晩、人を殺した鬼火の人格。猟奇殺人鬼であるもう一人の設楽響の姿だった。

 HIROTOが見せた、一瞬の視線の演技。その場にいる誰もが息をすることも出来ず縛られていた。目の前で演技をしている葉山も同じだった。

 そのまま押し倒され、畳の上へと縫いとめられる。

 葉山が顔を上げた先にいるHIROTOの姿が、得体の知れない暗闇を全体にまとっているように錯覚した。

 けれどそれは、葉山の思い過ごしなんかじゃない。本当に、見えていた。

 セットもライトもない。ただの簡素な舞台でしかないその場に絵が広がっていた。

 それは自分が思い出したくもない、抵抗など何も出来なくなる、あの瞬間だった。

『……なんだお前か、可愛いな。そんなに俺が怖いのか?』

 人を弱い者とあざ笑う。暴力的なその視線を受けて激しい頭痛に襲われた。

 ――思い出すな。

 そう、自分の心に蓋をしようと足掻く。

 感情を消すことなんて出来ない、ただ、順番を入れ替えただけ。自分が何度もしてきたことだった。

 葉山が迫り来る恐怖に涙が流れそうになった瞬間、HIROTOは、葉山に口付けていた。

 今までだって、恋愛ドラマでキスシーンはあった。けれど、そんな優しいキスじゃない。

 ――これは、暴力だ。

 体が、恐怖で震える。

 けれど、それを少しでも周りに気づかれてはいけない。殺人鬼の口付けを、ただ戸惑うだけの佐伯を演じきらなければ、葉山は、この役から降ろされる。

 過去のトラウマを追体験する恐怖よりも、この場にいられないことの方が恐ろしいと思う。そう、思うことにした。

 飛びそうになる意識を、必死に現実世界へ縫い止めた。

 葉山は台本通り、設楽を力一杯押しのけて、下を向き戸惑いをあらわにする。顔を上げなければ、わからないと思ったから。声だけならどうにでもなった。

「し、したらさんっ、どど、どうしたんですかっ! お、俺は、さ、佐伯です!」

「……え?」

 急に声色がカチリと切り替わり、普段の設楽に戻っている。HIROTOの声に葉山は体を弛緩させ、自分の演技を取り戻す。

「あれ、ごめん、寝ぼけてた、俺……もしかして」

「っ、い、いえ! 俺の方こそ、ごめんなさい。東森さんに、設楽さんが部屋だって聞いて。か、勝手に入った俺が悪いんですっ! 気にしてませんから!」

「本当ごめんね、無理やりキスなんてびっくりしたよね」

 それに顔を赤くしながらも喜んでいる佐伯という演技。

 設楽のもう一つの人格に気づきもしない。ただ、びっくりしたと笑いながらも、自分が思いを寄せる相手に、寝ぼけてキスされたことを嬉しいと浮かれている。

 そんな鈍い佐伯を演じている。

 ――演じきることが、出来た。

 ただ、何一つ自分の思い通りに演技ができなかっただけだ。

 どれほど葉山が戸惑い、壊れそうになっても、それさえも自分の思い通りの絵に変えたHIROTO。

 葉山が驚き涙を浮かべそうになったタイミングで、キスをして葉山が演技を立て直す機会を作った。

 ――次はないと、言われた気がした。

 それがHIROTOの優しさなのだとしても、到底受け入れられるものじゃなかった。圧倒的な演技力。

 これは一話目だ。

 まだ先があるのに、簡単にHIROTOの演技にのまれかけていた。

(ただの日常シーンだから大丈夫だとか、岬じゃないから大丈夫だ、なんて考えてはいけなかった)

 甘やかさない。HIROTOが楽屋で言った通りのことをされた。

 役者として対等に本気で演技を仕掛けられたのに、それに自分の本気で応えられなかったことが、悔しくてたまらなかった。

 岬との出来事に気を取られていたことに苛立っていた。役者としてのなけなしのプライドがズタズタだった。

「いやぁ、やっぱり、想像通り、最高だね。そのHIROTOくんの目だよ! 目」

 内田の興奮気味の声が遠くに聞こえた。周りの全てが現実じゃないみたいに感じている。

「ありがとうございます」

「葉山くんも、こう初恋! って初々しい感じが伝わってくる。いいドラマが撮れそうで楽しみだよ」

 監督の喜ぶ言葉に、葉山も正しい演技で笑顔を返している。大丈夫、何も問題ない。

 それなのに、次第に心の中にどろりと黒い闇が満ちてきた。

 背中に感じる、気持ちの悪い冷や汗。役者を続けたいという意志だけで、その場に立ち続けていた。

 少しでも気を緩めれば、すぐにでも底なしの暗闇に飲み込まれてしまいそうだった



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