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好きが嫌いな人-4-


「岬さんって、よっぽど気に入ってるんだね、葉山くんのこと」

 葉山も岬に続いて、HIROTOの楽屋から出て行こうとした。けれどHIROTOが会話を続けたため出ていくきっかけを失ってしまう。葉山は岬の言い放った言葉にまだ動揺したままだった。

「ね、葉山くん」

「え……あ、すみません! ぼうっとしてて」

 HIROTOに再び呼びかけられ、楽屋の扉へ向けていた視線をHIROTOへ戻した。

「葉山くん、先輩に色々面倒見てもらえるっていいね。うちの事務所はそういうのないから。仲良しなんだ岬さんと」

「えぇ~良くないですよ。岬さんって話長いし、つまんないしぃ」

 なんとか自分の演技を続けようとするけれど、役と心はバラバラのままだった。だから簡単に嘘を見破られる。

「で、それ、やっぱ演技? 可愛い猫ちゃんだね」

「猫ちゃんって」

 HIROTOから猫かぶってるよねと続けて言われた。

「分かるよ。事務所の方針とか、キャラ設定とか大変だよね。君に限ったことじゃないけど」

 そう訳知り顔で流された。取り繕ったところで、もう岬にバラされているのだから今更だった。

「今日から恋人同士の役なんだし、俺には気軽になんでも話してね」

「ッ……」

 HIROTOの手が伸ばされ頬に触れた。至近距離で瞳の中を見つめられる。その触れ方があまりに自然だったから、思わずそのまま流されそうになった。演技で仕事中なら仕方ないが、それ以外で距離が近いのは苦手だし、これが撮影中ずっと続くのは無理だと思った。

「俺に言いたいことあるなら、我慢せずにどうぞ?」

 眩しい人だなと思う。明るく優しい黄色だ。ドラマでは演技の奇抜さが目立つ俳優だが、目の前の彼は芯がとても柔らかい感じがする。

 岬とは違うタイプの気安さがあった。岬は仕事で必要だから、あえて気安くやっているが、HIROTOのフレンドリーさは体に自然と染み付いているそれだ。息を吸うように、流れるように内側に入ってくる。

「あの……俺たち、一章の間は付き合いませんし。あと、カメラの前以外で人に触れられるの……俺、嫌です」

「そ? 了解。役が掴みやすいかなと思っただけで、嫌ならカメラの外ではしない」

「は、はぁ」

 はっきりと嫌だというと、HIROTOはそれ以上さわってこなかった。馴れ馴れしいけれども、押し付けがましいわけではない。本当に、ただ親切なだけだった。

「ま、とにかく、難しい役だし、何かあったら気軽に相談してね」

「何か、ですか? ぁ、あの! もし俺の演技で心配なところがあるなら、いま言ってください」

 突然HIROTOに心配そうな目を向けられ、その意図が分からず葉山は尋ねた。

「いや、ないない。葉山くんは年の割に落ち着いてるし、この役のイメージにもあってる」

 ただ、とHIROTOは言葉を続けた。

「葉山くんは岬さんが言う通り、面白いと思うけど。でもちょっと近くで見てると危なっかしいかな。こう、ふとした瞬間に守ってあげたくなる感じ。今も狙ってやってる?」

 自然な流し目。目の前にいるのが、自分でなかったら簡単に惚れているんだろうなと思った。

 岬が言うように、たらしだ。

「HIROTOさん、さっきから俺のこと口説いてます? それとも天然ですか」

「ただの役者としての葉山くんへの感想だよ。あと俺、性格きつい子が好みだから、葉山くんはタイプじゃないかな、ごめんね?」

 はっきりと物を言う人。

「いえ、お気遣いなく。俺がHIROTOさんの好みでも好みでなくても、演技に影響がなければ、それでいいですし」

「ありがとう、良いドラマ撮れるように頑張ろうね」

「はい」

 わざわざ引きとめてまでしているこの雑談に、何の意味があるのだろうかと考えてみた。

 なんだか自分がどういうふうに演技をする人間なのか、データを取って分析されているみたいに感じる。

 演技で、どこまで相手の内側に踏み込めるか。本気で相手するには、間合いも呼吸も大切だから。

 話しながら、互いの距離を試されていた。

 HIROTOも演技の魅力にとりつかれた、向こう側にいる役者だ。

 その自然な笑顔の裏に、得体の知れない恐ろしさを感じる。

「あのさ、葉山くんって、もしかして岬さん嫌い?」

「んー特別に好きとか嫌いとかの感情はないですよぉ、尊敬している先輩の一人ですけど」

「ふぅん。そっか。やっぱ苦手なんだ。こういうときは、君の役なら、面倒な先輩で困ってるんですよぉ! とか言っておかないと。好きでも嫌いでもないなんて言えば、なんかあるなぁって感じるよ。ね?」

 油断ならない人だった。簡単に見抜かれている。

「岬さんが来たせいで、順番は前後したけど。今日の本読み、よろしくね。あと」

「はい」

「もし葉山くんが泣いても、俺仕事では、絶対に手を抜いたり葉山くんを甘やかしたりしないから」

 HIROTOの視線にさっきまでの気安さは残っていなかった。年下でも子供扱いなどしない。同じ役者として作品を作る者として妥協はしない。葉山は、そんなHIROTOの意志の強い視線を正面からまともに受けた。

「――岬さんから俺のことで何を聞いているのか知りませんが、俺は、絶対にこの役を途中で降りたりしませんよ」

「うん。それ聞いて安心した」

「あの、HIROTOさん、一つだけお願いがあるのですが」

「ん? なに」

「岬さんが、俺のこの演技をHIROTOさんへバラしたのは何か理由があると思うんですが、けど失礼を承知で、あの撮影現場で、俺は」

 これ以上、自分の求められている役を、キャラクターを撮影現場で崩すつもりはなかった。

「あーいいっていいって、ほんと律儀というか、葉山くん根は優等生タイプだろ。俺は気にしていないし、でも、猫かぶりばれちゃったら逆にやりにくいよなぁ、仕事でも」

「いえ、それこそ仕事なので。喋り方とか不快かもしれませんが、よろしくお願いします」

 葉山は、そう言って深く頭を下げた。

「でも、もう知ってるんだし俺の前で無理して演技しなくていいよ。岬さんも葉山くんが撮影に集中できるようにってあえてバラしたんじゃない?」

「……どうでしょう。俺には岬さんの考えていることは分かりませんが」

 なんでバラしたのかと聞いたところで、本当の答えは返ってこない気がした。

「ま、確かに岬さん、ちょっと怖い人だけど、そういうのは撮影現場だけだし。普段は結構気さくな人だよ、良い人かと言われるとちょっと、俺も答えに困るけどね」

 HIROTOはそういって口元に手を当てて苦笑する。

「色々お気遣いありがとうございます。けど、俺、無理をしているわけじゃないんですよ」

「そ? なら、いいけど」

 葉山は頭を下げて、HIROTOの楽屋から出ると、静かに息を吐いた。

 役者として生きていくため、自分を守るための『葉山真幸』の仮面だった。

 それなのに、今は仮面に邪魔をされている気がする。




 その足で岬の楽屋へ向かった。正直なところ岬と二人きりで会うのが怖かった。

 ノックをして中に入ると、以前と同じように岬の周りは静かだった。静かで、その空気を苦しく感じる。以前は、この空間を少しだけ心地よいと感じていたのに。

「岬さん、お久しぶりです、今回は、あの」

「久しぶり、元気そうだね。葉山くん」

「はい」

 岬は楽屋のパイプ椅子に座りパラパラと台本を捲っていた。落ち着いたダークグレーのデザインスーツ。

 長い足を組んでゆったりと座っていた。

 岬の前にある鏡を通して視線が交差する。

 岬は台本を机の上に置くと、おもむろに立ち上がり葉山の真正面まで歩いてきた。

「ところで、葉山くんさ。なんで、この仕事受けてるの?」

「なんでって、それは出演依頼をされたから。あの、岬さんが俺と共演NGなのは知ってましたけど、でも!」

 どうして岬がそんなことを訊ねるのか葉山はわからなかった。

「えー。俺は一度だって葉山くんへ共演不可なんて言った記憶ないよ。あのさ、葉山くん知らないと思うけど、今回の役、俺が内田監督にいって君を指名したんだよ」

「岬さん、が」

 指名されたということに驚き目を見張る。

 それなら、なおさら「どうしてこの仕事を受けているのか」と訊く岬の意図がわからない。

「どうしてだかわかる?」

 空気が重い。岬がそういう空気を作っているからだ。息を一つするのも憚られる。

「すみません。俺、わかり、ません」

「葉山くんさ、目障りだから。もう引導渡してあげるよ、それが先輩としての優しさかなって、これ以上役者として見込みないし」

「目障り……ですか」

「そ、目障り」

 嫌われている。ちゃんと知っている。分かっている。過去の葉山の行いの結果だ。

 なら、今までと変わらず、この先も同じ舞台に立たなければいいだけ。だが岬は今回わざわざ嫌っている葉山を共演者として指名した。

「ちなみに、さっき気にしてたみたいだけど、俺はHIROTOくんに、君のこと何も話してないよ。先輩後輩の仲で、面白いから仲良くしてる。そういう設定。君は好きでしょう、設定。役者の自分っていう設定、お芝居の中の設定。それで、今の君は? 何?」

「今の、俺って」

「中途半端。初めて俺と楽屋であった時は、もっと面白かったのにねぇ、残念だよ。どうして、今、そんなに腑抜けてるんですか? ん?」

 見下ろされて、顔を覗き込まれる。

「今の俺は……面白くないですか、役者として」

 苦しげに漏らしたその問いへ、岬は冷笑を浮かべる。

「最後まで演技出来る。そう自分で言ってたのに、最近崩れてるの自分で分かってる? さっきだって、簡単にHIROTOくんに役者じゃない自分の素顔を晒している、もう無理じゃない?」

 岬の取るに足らない者へ向ける視線に、足場が崩れていくような感覚に陥った。

 本当は薄々気づいていた。

 最近、無理している。この顔で生きているのが苦しい、限界だと思い始めている。

 それなのに、気づかないふりをしていた。この場にいることへ苦しさを感じ始めていることに。噛み合わない、心の違和感に。

 それでも役者という仕事にしがみついていたのは、ほかでもない岬と同じ世界で役者として生きていたかったから。

 もう一度、岬と演じた舞台の時ような、血湧き肉躍るようなあの瞬間を味わいたかったから。

 その望みだけが今の葉山を役者として繋ぎ止めていた。

「……俺、岬さんに、何か迷惑をかけたり、しましたか」

「いや、何も。迷惑なんてかけられてないよ。そもそも一年くらい共演してないじゃん」

「だったら!」

「ただ、ね。君は、今回役を最後まで演じられないよ。だから結果的に迷惑かけられるし。そんなの葉山くんが一番分かってるんじゃない? 分かっててそれでも仕事を引き受けた。それって、プロとして俺はどうかと思うし、だから、俺は君を軽蔑する」

 事務所の社長が自分に向けていった言葉を思い出していた。

 ――できないことは、無理しなくていいの、分かった?

 この役を演じきれないという不安要素があるなら、それに気づいているのなら、仕事を受けるべきじゃなかった。プロとして失格だと言われている。

「けい、べつ」

 岬は冷たく笑っていた。こんな恐ろしい笑顔を、葉山は今まで見たことがなかった。

「そ、同じ役者として、君を心の底から軽蔑するよ」

「ッ、俺は、出来ます、だって」

 ――ここにいたいから。それが、自分の望みだから。

「そう。分かった、じゃあ、おいで……」

 岬は突然葉山の腕を引き寄せて葉山の腰を抱く。とっさに反応できなかった。一瞬見せられた岬の得体の知れない目の色に体が動かなくなる。

 美しい花なら何でも似合う。その深い色香に、落ちる。

 長い前髪の隙間から見えた、鋭い視線、色っぽいひさしまつ毛、薄い唇。

 そのまま岬の唇が触れるかと思った。その瞬間、息が止まった。

 ――真幸、服を脱いでこっちへおいで。可愛いねぇ真幸。

 思い出したくもない、真っ暗な記憶が頭の中に流れ込んでくる。

 演技が、出来ない。笑えない。『葉山真幸』を演じている限り、ずっと大丈夫だった。過去は全部消した。けれど心の奥底に沈めたはずの記憶がフラッシュバックする。

 震えが止まらなかった。なすすべもなく、ずるずるとその場に座り込んでしまう。

「あーあ、大丈夫? 葉山くん」

「ッ……ぅ」

 岬は気付いていた。葉山が演技で心の傷を封じ込めていることに。記憶を呼び覚ますトリガーを無理やり引かれた。

「――ねぇ、何か怖いもの、見たんじゃない?」

 頭上から降ってきた最後通告のような言葉。

 それは葉山が岬の口から一番聞きたくない言葉だった。ずっと、そう問われるのが怖かった。

 以前なら、ただ疲れていただけだと言えた。それが葉山の役者としての矜持だったから。

 けれど岬に役者として軽蔑されて、立ち上がれなかった。以前のように誤魔化す言葉が言えない。

「……俺の過去。社長以外知らないはずですけど」

「ただの、予想。あの時、父さんって葉山くん言ってたしね。なんか、酷いことされたんでしょう」

「怖いですね。普通言わないですよ、本人に」

「よく言われるよ。俺、普通じゃないからね。究極の利己主義者? ある意味、サイコパスかもね」

 それでも、この役を降りたくなかった。そこまでしても、岬の共演者という立場に縋り付いていたいと思う。いまここで、岬に逃げない自分を示したい。

 岬が言うように岬が何もしなくても遅かれ早かれ、ドラマの撮影中にこうなる。だから醜態を晒す前にさっさとやめろと岬は言っている。

 岬のしたことは、やり方はひどくても、ある意味で正しい。

 撮影メンバーに迷惑がかかる前にやめておくべきだ。

 葉山はいうことなんてきかないから、言って分からないならと、岬は行動で分からせただけ。

 鬼か、悪魔じゃないかと思う。

 けれど、その鬼に惹かれて囚われている。この感情の名前を葉山は知らない。執着とか、嫉妬とか、羨望とか。そういった類の感情の全てを、この男から向けられたいと思っている。

 それ以外の好意的な優しい感情はいらないから。岬と同じ世界で、役者として、この場所に立っていたい。そして今チャンスが目の前にある。やっと、手に入れた岬との共演だ。

 役者なんて身勝手だ。自分も身勝手だ。

 岬とあの舞台を続けたかったからと、自分だって同じ非道をした。岬を非難する資格は自分にはない。

「……怖いものなんて、この役を降ろされること以外にないです」

 震える手で、岬へ手を伸ばす。

「あぁ、大丈夫、立てない? 手貸そうか、マネージャーさんに連絡する? それとも社長の方がいいかな」

 ひどいフラッシュバックに吐き気がした。連絡されたところで、病院なんて行くつもりはなかったし、今更この役を降りるつもりもなかった。岬が役者として軽蔑したというのなら、軽蔑されないような演技をいま、この場で見せるだけだ。

 自分で受けた仕事を自分で投げ出すような勝手な人間だと岬に思われたくない。役者は自分で役を降りてはいけない。岬が葉山に教えたことだ。

 これは葉山の役者としてのプライドの問題だった。

「結構です」

「無理しない方がいいよ、顔真っ青だし」

 岬に向けられる感情は、好きでも嫌いでもいい、そんなものはどうだっていいと思った。

 岬に役者として見てもらえないことの方が、自分は怖い。

 葉山は岬に掴まれた手を握り返して立ち上がった。

 そして思い通りになったと安心している傲慢な男を自分に引き寄せた。岬の広い胸に手で触れる。自分とは違う他人で、大人の男の体。

「岬さん。俺が、今回のドラマで男とキスなんか出来ないと思いました?」

「そうだね、葉山くん、泣き虫だから。お兄さんは心配で」

「できます」

 葉山は背伸びして岬の唇に自分の唇を押し当てる。岬は葉山のその行為を拒絶することなく、ただ受け入れていた。

 さっきHIROTOが葉山のことを分析していたのと同じだ。

 役者として演技が出来るか品定めされている。岬の鋭い視線は葉山から逸らされることはなかった。

 葉山は岬から、そっと唇を離す。

「俺、恋愛ドラマ、得意なんですよ。知らなかったですか?」

「……へぇ、すごいねぇ、ちゃんと出来たじゃんキス。でも5点かな、キスするときは、目を閉じないとね。先輩からのアドバイス」

 今にも壊れそうな葉山の精一杯のすがるような子供のキスを、岬がどう感じたのか分からない。

 それでも再び自分とまっすぐ目を合わせてくれたことに、自分への興味を繋ぎとめられたのだと安心していた。

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