好きが嫌いな人-3-
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葉山は役者を続けていても、この先、岬と共演する機会はないと思っていた。
だから今回のドラマ『青の鬼火』の共演者一覧に岬の名前があって酷く動揺した。当たり前のように毎週どこかの撮影現場で顔を合わせていたのに、同じ現場がゼロになったのだ。誰だって共演NGだと感じる。
(一年ぶり……くらいかな。岬さんと同じドラマ)
マネージャーとスタジオへ移動する車の中、葉山は車窓の雨粒が流れるのを目で追っていた。ガラスには浮かない顔をした偽物のアイドルの顔が映っている。予定は本読みだけだったので、オフショルダーの黒のカットソーに、細身のデニムパンツを着ていた。よく言えば年相応の十八歳。与えられた役に入っていなければ、年齢より幼く見える自分の姿。
あの日と同じ灰色の空。
とにかく岬は目立つ人なので、共演がなくても葉山の目にはしつこく入ってきた。だからこそ葉山は岬のことを忘れられなかった。
今日まで、ドラマ、舞台、バラエティ番組。一切の共演がなかった。事実それだけのことをした。
後悔ばかりが押し寄せてくる。
時を戻して、あの日からやり直したい。
もっと違った形で、岬を役者としても、人としてもあの場から救いたかった。何も壊さずに済む方法で。
――岬が、葉山という人間を暗闇から救ってくれたように。
けれど何の力もなかった自分は、岬のプライドを傷つけることでしか、岬をあの場にとどめることができなかった。岬の今にも壊れそうな心を受け止める器も、側に寄り添って慰める言葉も浮かばなかった。
何もかもが、ただの思い上がり。無神経に子供の我儘を岬にぶつけてしまった。
岬に認められたあの舞台で、彼と役を最後まで演じたかった。――きっと、それだけ。
恨まれても岬が役者として同じ業界にいるなら、それでいいと思っていた。それなのに願いが叶えば、もっと近くで岬の演技を見たいし、相手役として岬の前に立ちたいと願っている。
車に揺られているうちに、淡い期待が生まれた。
何かの手違いの可能性もあったので、事前に社長から探りを入れてもらったが、岬の返事は「共演、楽しみにしてるよ」とそれだけだったらしい。
あの舞台の後も、岬は身内の不幸など何も無かったかのように、テレビで見ない日はなかった。岬の出演作を見るたびに、葉山は許されている気がした。
岬をあの場に引き止めたことは、間違っていなかったって。
「ねー葉山くん、寝てる?」
運転中のマネージャーに呼びかけられて、ミラー越しに目を合わせる。
「起きてますよ」
「ほんと雨、嫌ねぇ」
「ですねぇ。あ、榊原さん、今日、社長と約束あるので、お迎えはいいですよ」
「え? そうなの。ついでだし事務所までは送るよ」
「大丈夫です。タクシー使いますから」
「そ? 時間遅くなるし気をつけてね」
「心配いりませんって、小学生じゃないんですからぁ」
実際のところ社長と約束なんてしていなかった。一人の時間が欲しかっただけ。
岬には遠く及ばなくても、葉山は葉山で役者の仕事が以前より増えていた。それに伴い一人の時間が減り、仕事の拘束時間が長くなっていく。
(仕事が増えたから、岬との共演が叶った。そんな自分に都合のいい話、あるんだろうか)
葉山はスタジオの前に着いた瞬間、終わらない思考ループを断ち切った。
スタジオの建物に入ると、葉山は最初に主演であるHIROTOの楽屋へ挨拶に向かった。初共演。自分の恋人役。
今日は共演者の初顔合わせと、合同での本読みの予定になっていた。
メインキャスト陣は、何度も顔を合わせることになるのだから関係は良好にしておくべきだ。
自信がないわけではない。プロとしてこの場にいるのだから、誰が相手でも最後まで演じきるという決心は、岬と出会った日からある。それでも初対面で岬に遊ばれた前例があるので緊張はしていた。
楽屋のドアノブに触れた手が止まった。じわりと手が汗ばんでいる。
まさかHIROTOにまで出会い頭に同じ指摘はされないと思うが、岬に負けず劣らずHIROTOも人気絶頂の若手人気俳優だ。その場にいるだけで眩しい光を感じる。星屑を必死で集めレフ板を当てているような葉山とは比べ物にならない、視聴者の視線を釘付けにする化け物じみた演技力を持っていた。目が、とても綺麗だと思う。
そんなHIROTOだ。自分の虚飾を見破られる可能性は決してゼロじゃない。
あるいは、その逆で扉を開けたら、いきなりオフ状態の彼がいるかもしれない。
葉山は意を決して扉をノックする。中から声が返ってきたのでドアノブを回した。
そして、この場で演じるべき、慣れたいつもの役を自分に降ろした。
「おっはようございまーす! 本日からよろしく、お願いしま……」
葉山の張った声は、後半になって窄んでいった。葉山の挨拶など意に介すことなく、HIROTOは先客と二人の世界を作り出していた。
ただならぬ様子に思考が停止する。
楽屋に行ったら岬がHIROTOの肩にしな垂れかかり、キスのひとつでもしそうな雰囲気だった。HIROTOは口では拒否していても、親友に対する気安さを漂わせていた。あるいは恋人の可能性も考えられる。
扉を開けて、どんなHIROTOが居ても動揺しない自信があった。
けれど全く予想していなかった場面に出くわして頭が混乱している。葉山は社長が言っていた言葉を思い出した。
――岬のお気に入り。
目の前にいるのが岬とHIROTOだと頭では分かっているのに、何だか違う誰かに見えた。
そう思った次の瞬間、HIROTOの視線を受け、勝手に体と口が動いていた。
一瞬で自分が、今すべき演技を判断していた。役を無理やり自分の身に降ろされた。HIROTOの視線一つで。
『――設楽さんに、近づかないでください!』
出演する『青の鬼火』そのままの役で、彼らの前に立っていた。
自分が、その間に入っていくシーンが自然と頭に浮かぶ。岬は椅子に座っているHIROTOへ後ろから抱きついていた。それを無理矢理に引き離し「セリフを放って」いた。まるで小動物が敵を威嚇して、毛を逆立てているように。
本気で目の前の二人が一緒にいるのが嫌だと思わされたのだ。葉山は二人の前で『青の鬼火』佐伯透流の役を演じていた。
『えぇーただのスキンシップじゃん? ねぇ、こいつ誰?』
にんまりと意地の悪い笑みを浮かべた岬。『東森』が『佐伯』の頬をつねってきた。
距離が近すぎる幼馴染。そういう役。
岬も、すでに完璧に役を掴んでいた。
『佐伯くん。うちのカフェのバイトくんなんだよ』
『へぇ……』
監督からカチンコを鳴らされたわけじゃない。葉山が、ハッと我に返ったのは、岬とHIROTOが顔を見合わせ、突然、くつくつと笑い始めたからだ。
――設楽響、東森誠。『青の鬼火』で親友同士を演じるHIROTOと岬。その演技を目の前で見せられた。そして、そのあまりの仲の良さに嫉妬する、自分の役、佐伯透流。
岬とHIROTOに演技を仕掛けられて、ハメられたのだとわかった。
「あ、えっと、何を……しているんですか、二人とも」
「何って、もちろんお芝居の練習でしょう。俺とHIROTOくんは、ちょっと距離が近すぎる大親友の役だから、仲良くしておこうと思って」
「葉山くん乗せるにしても、ちょっと顔、近すぎですよ岬さん」
「そぉ? けど餌として効果覿面だったでしょ? さすが演技で相手乗せるの上手いわHIROTOくんは」
葉山は岬とHIROTOの顔を交互に恐る恐る確かめるように見た。
葉山の視線の問いには岬が答えた。
「だからね、このあと律儀にうちの事務所の後輩が挨拶にくるから、一緒に遊ぼうって俺が誘った」
「さそ……った」
いつも周りに見せている「葉山真幸」の演技を続けるつもりだったのに、戸惑いから役者の自分が戻ってこない。
「四六時中役者やって歩いているような猫っかぶりだから、ちょっと仕掛けたら簡単に芝居に乗ってくるって言ってね。ホント変わってないね君は」
にこりと、信用ならない演技の笑顔を向けられる。
ずっと岬が千秋楽のことに腹を立てていると思っていた。
けれど目の前にいるのは、共演が続いていたあのころと同じ、どこにでもいるようなお兄ちゃんの顔をした岬だった。それに安心している自分と、安心できない自分が半分半分。
いつも岬は、本番まで楽屋で一人静かにしている人だった。だから仲がいいといっても理由もなしに人の楽屋へ遊びに来ているのは違和感があった。
「へぇ猫ちゃんなんだ、葉山くんは」
「ね……ねこ、ちゃん? あ、俺は! あ、いえ、初めまして! 星芸能の葉山真幸です。本日からよろしくお願いします」
なんとか動揺から立て直して当初の予定通りHIROTOに挨拶をした。
「はい、よろしくね。言葉通り絡み多いけど演技だから、本気で惚れないでね。あ、違うか、撮影期間は、本気で惚れて欲しいってお願いするべき?」
「どっちだよ」
岬はそう言って腹を抱えて笑っていた。
「いやだって釘刺しておかないと、面倒なんですよ。刺されるのはドラマの中だけでいいです」
普通なら頭沸いているんですか? と返すような場面も、さっきの演技への引き込み方はプロのそれだった。HIROTOは、恋をする演技をするなら、本気で相手に惚れさせることができるだろう。
自分含めルックスだけで、役者をやっていると言われる人間が多い中、岬の言葉を借りるならHIROTOは「本物」なんだと思った。
(そっか、だから、仲がいいのか)
二人が近しい距離にいる理由を理解した。
自分だって本物になるつもりで、ずっと演技をしてきた。今日までも、これからも。
「はい、じゃあ無事に二人が打ち解けたところで、HIROTOくん、うちの後輩よろしくね。みっちり君好みに演技シゴいてあげて。けど手は出さないで。――彼、繊細だから、泣いちゃうかも」
その言葉に、鋭く重い視線に、頭の中心が冷えた。岬は葉山の過ちを忘れていない。葉山の指先は小刻みに震えていた。
岬がHIROTOの楽屋に来たのは、必要な仕事をしに来ただけだ。葉山が役者として「使えるかどうか」確かめるため。「繊細」という言葉一つで伝わった。
過去のつらい経験が葉山の演技を作っている。それは葉山にとって、一番触れられたくない部分だ。
岬は、それに気付いていながら言葉の刃を突きつけてくる。昔、岬が葉山にされて不快だったように。
忘れていないし、忘れるつもりもない、岬にそう宣戦布告されたのだ。何も言葉を返せずにいた葉山へHIROTOは手を伸ばしてきた。そしておもむろに葉山の髪をくしゃりとかき交ぜる。
まるで心から愛している恋人へするように。背に冷たいものがつたった。
――あぁ、同じなんだ。HIROTOさんも。
岬と同じ向こう側にいる役者。面白いだけで、どんな非道も通ると思っている。最後に想定通り綺麗にカメラや舞台におさまれば「それでいい」と思っている。
そして、それを平気でできる彼らのことが、葉山は心底羨ましかった。
自分も一度だけ、その悪魔のような瞬間に魅せられ、同じ欲を岬へ突きつけた。
「もー岬さん、葉山くんいじめるのやめてくれませんか? 俺の大事な相手役なんですよ」
ね、とHIROTOに視線を送られる。HIROTOの少し長めの髪がサラリと揺れた。
彼にフォローされたのだと分かった。以前と同じように岬と話せると、少しだけ期待していた。どうやら自分はHIROTOが気付くくらいに、素で落ち込んだ顔をしていたらしい。
それなら岬も同じように葉山の異変には気付いているだろう。
悔しかった、恥ずかしかった。役者じゃない自分を晒したことが。
「えー別にいじめてないよ。後輩を可愛がってるだけ。てかHIROTOくんさぁ……そういうところだよ、たらしだって。やっぱ近いうちに刺されるね、賭けてもいいよ。あ、そうそう、葉山くん」
「っ……はい!」
名前を呼ばれて、心臓がどくりと深く打つ。
「このあと話あるから、俺の楽屋きてね」
「え、あの」
葉山の返事を聞く前に、岬はひらひらと手を振って楽屋から出て行ってしまった。




