嫌いが好きな人-9-
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通い慣れたロケ地にいる寺の猫に、次、撮影に来た時には忘れられていそうな気がして、葉山はそれが嫌だった。毎日餌をやって頭を撫でて、遊んでやれば、また来たの? くらいの反応は次もしてくれる気がした。
けれど気が向いた時に挨拶をしたくらいじゃ数年後には忘れられている。
猫もそんなに暇じゃないし、役者もそんなに暇じゃない。いつだって、興味の対象は、世の中にあふれているのだから。
忘れられたくなければ、誰よりも印象に残らなければならない。
『青の鬼火』のクランクアップの日。
ドラマの評判も良く、無事に二章の制作も決まっていた。それでも、しばらくは撮影メンバーと会うこともない。
自分も含め、多くのキャストが感傷に浸る間もないくらいに忙しい。だから、次も「葉山真幸」を忘れられたくないと思った。
まだ自分は爪痕を残していなかった。一番、傷を残したい人に。興味を持ちつづけて欲しいと思っている人に。
「なーに、怖い顔してるの?」
葉山の目の前に、さっきまで一緒に撮影をしていたHIROTOが衣装の黒い袈裟を着たまま立っていた。縁側に座って猫を構っていた葉山はHIROTOに笑顔を返す。
「え~そんな顔してましたかぁ? 俺」
「うん。今にも猫食いそうな顔」
猫は葉山が背を撫でると、気持ち良さそうな顔をしてごろごろと喉を鳴らしている。食われるなんて少しも思ってもないし、油断しきっている顔だ。
「そんな顔してませんよぉ。次に会う時まで忘れられたくないなぁって思ってました」
「いや、忘れるって、猫だもん」
「ですよねぇ。やだなぁ。寂しい」
そうやって、HIROTOと笑いあっていると、雑誌用に写真を撮りたいとスタッフがやってきて何枚か撮影して去っていった。
「で、葉山くんは、恋人とのキスシーンを無事に終わらせたのに、まだ物足りないの? それ、俺より大事な人? あー妬けるなぁ」
「もう十分ですぅ。お腹いっぱい。そもそもHIROTOさんは、別に誰が誰とキスしたって妬けたりしないですよねぇ。むしろ、恋人が他の人とキスしてたら、余裕の笑みを浮かべて喜んでそう」
「葉山くん怖いなぁ、俺も流石に、そういう寝取られ趣味はないけど、まぁでも、盗れるもんならどうぞ? とは思う」
「ほらぁ、あってるじゃないですか」
「――忘れられたくない?」
「……はい」
HIROTOは、もう撮影が終わっているからと、猫の毛が衣装につくのも気にせず葉山の隣にいた猫を抱き上げた。絶対に逃げるだろうと思ったら、猫はHIROTOの腕の中で落ち着いて甘えて鳴いたので、やっぱり腹が立った。
自分が猫だったら、HIROTOの腕の中の猫と同じようにした。けど、できないから仕方ない。そうやって諦めた。
「じゃあ、爪をたてるしかないなぁ。泣かせるくらいやらないと」
「――それじゃ、多分足りないから……。やっぱり食うつもりでやります。最後ですし」
葉山はHIROTOの目を見て苦笑する。
「ま、頑張ってね、俺はもう次の仕事行くけど、岬さんによろしく伝えてくれる?」
「はい、お疲れ様でした。HIROTOさんと一緒に仕事出来てとても楽しかったです」
「そう言ってくれて、嬉しいよ。じゃあ、またね」
HIROTOとその場で別れて、外にある庭のセットへ行くと、岬が撮影ベースの椅子に座っていた。
「先輩を待たせるとは何事ですかねぇ、葉山くんは」
「休憩ですぅ。そもそも待たせたの、岬さんじゃないですかぁ、もうHIROTOさんとのシーン撮り終わったし、あと岬さんと俺で最後」
「えーそうなの、ごめんねぇ。前の撮影が押しちゃって。葉山くんとHIROTOくんのキスシーン見逃したなぁ」
「見たかったんですかぁ」
「もちろん、可愛い後輩の熱演は見ておきたいよ、全部ね」
岬は裏もなさそうに笑う。
その笑みに仕事の都合じゃなくて、わざと遅れてきたんじゃないかと思ってしまう。岬とベッドの上で交わした、その場限りの睦言が頭に浮かんだ。
けれど、そんな考えは浮かんですぐに消えた。仕事とプライベートを一緒くたにしたりしない人だから。多分、今は本気で葉山のキスシーンを見たかったと思っている。でも仕事が終わった後は、きっと嫌になる。
「普通、最後に主演組が感動的なシーンを撮ってから終わりません? めでたしめでたしって。なんで、岬さんと最後になるかなぁ」
「なに不満なの?」
「岬さんと、写真撮られるの嫌なんです」
「HIROTOくんとも撮ったんだろ、俺とも一緒に撮られようよ」
「やですよ」
HIROTOがオールアップで、周りはすでに撮影終了モードだった。無理もない。残っているのは、ただの日常シーンだ。
それでも葉山は最後に爪痕を残したかった。今回のドラマ撮影に満足がいっていないわけじゃない。全て本気でやってきた。けれど葉山の中では、どうしても、最後に岬へ見せたい演技があった。
自分の本気をぶつけたいと思った。
ずっと、岬にだけ、持ち続けている気持ち。
嫉妬も羨望も、怒りも、喜びも、悲しみも。役者としての岬の感情全てが欲しいと思っている。
岬と出会ったときからずっと。
「ま、残念でしたねぇ、HIROTOくんも次の仕事あるし、仕方ないだろ。ドラマの撮影なんて総じてそういうもんです。諦めて、俺と花束受け取ってニコニコ笑って写真撮られなさい」
「岬さん」
葉山は椅子に座っている岬へ手を伸ばし、シャツの袖を掴む。
「なぁに?」
「――俺は、次のシーンが一番大事。ただの日常シーンだとしても」
「どしたの急に」
「岬さんに、次も選ばれたい」
「選ぶ?」
目をそらさずにまっすぐに岬を見た。
「俺がいいって。岬さんは、最初、俺を降板させるために、監督に俺を指名したのかもしれないけど。次は、俺じゃないと嫌だって、役者の俺だからいいって思って欲しい。岬さんは、役者じゃない俺がいいのかもしれないけど、俺は……」
「で、勝負しろって?」
「はい」
「本気?」
目を細めて静かに笑う岬の顔を怖いと思った。けれど、その表情をまた自分が引き出せたことを嬉しく思う。最初に、ただの日常シーンだとしても、気を抜くなと言ったのは岬だ。
岬の空気にのまれて、そう何度も岬の思い通り綺麗に終わるなんてごめんだった。
今度は自分が、岬を思い通りにしたいと思った。演技の世界で。演技の世界だからこそ。
「あと、終わったら、話があるんで、時間もらえませんか」
「いいよ。俺も、葉山くんに話あるし」
――本気で勝負する。
そう約束をして二人でカメラの前に立った。
§§
――『青の鬼火』で岬の演じる東森は、前世に自分が起こした凄惨な事件を夢に見る日が続き、近いうちに自分が鬼火に殺されると悟る。二章に続くシーンだった。
大学の講義の後、葉山演じる佐伯は、怪我をして寝ている設楽を見舞うため寺に来ていた。
借りていた鍵を使って中に入ると、東森が居間のテレビの前で漫画を読んでいた。
佐伯は自分よりも設楽と長くつるんでいる東森に嫉妬していた。
部屋に足を踏み入れる前に、少しだけ不思議に思う。普段なら聞こえてくる東森の馬鹿笑いが、今日はなかったから。ただ静かに漫画本に目を向けているだけで、ページを繰る手は動いていない。
「なぁに、真剣に読んでるんですか、エロ本?」
佐伯は部屋に足を踏み入れて東森を見下ろした。
「佐伯ぃ、また遊びにきたの? ほんと暇人だねぇ」
「東森さんにだけは言われたくないですぅ。いつも設楽さんの家で遊んでるくせに。俺は大学の帰り」
東森は佐伯を目に止めると、急にいつも通り人をバカにするような意地の悪い目に変わった。さっきまで静かだったのに周りの空気が賑やかになる。
――東森の役は、岬と似ていた。
本当が見えない人、見せない人。
そして自分が演じる佐伯は、周りの事象に何も気づかずに、ただそこにいて、水のように流されているだけ。真実が分かるその日まで。
葉山も佐伯と同じだった。知らないうちに、周りを傷つけてばかりだ。
弱い人間が、誰も傷つけないなんて嘘だ。傷ついた人も人を傷つける。世の中は酷い人ばかりだ。自分の立ち位置なんて、一瞬で入れ替わる。明日は自分が大切な人を傷つけている。
それでも欲しいものを諦められない。嫌われても、傷つけても欲しいものがあった。
「……なぁ、佐伯」
東森は体を起こして座布団の上に座り、佐伯に手を伸ばそうとして、その手を止めた。結局その手は、机の上にあったタバコを掴み、慣れた手つきで火をつける。
「なんですか、急に改まって」
「もしさ、俺が悪い男だったらどうする?」
佐伯は東森が手を伸ばしたのに気付かずに、二階にいる設楽へお茶を入れるために台所に立っていた。
「え、そんなの、決まってるでしょ」
「どうすんのよ。もしかしたら、人殺してたりするかもよ?」
冗談のように、本当のことを言う東森は、振り返った佐伯をまっすぐに見た。けれど佐伯は、東森の言葉をただの冗談だと思ってる。本気で取り合おうとしない。
「また漫画の話ですかぁ?」
「んーま、そんなとこかな」
――自分も岬もひどい人間だ。
「もちろん、そんなの叱ってあげますよ。何てバカなことしたんだって、あとまぁ、とりあえず警察は呼ぶかな」
「叱るだけ? お前、緩いなぁ。もっとなんかあるだろ、憎んだり怖がったり、恨んだり、俺が殺したのが、お前の大事な人だったら?」
「――この世に、いい人なんていませんよ。悪い人ばっかりなんです」
いつもその場の空気を読み、監督の欲しがる演技をしていた自分が、初めて感情を乗せて演技をした。これが正解だとは思わない。それでも、演じてみたかった。自分を。
「お前なぁ、それ、設楽の仏教学の受け売りだろ。悪人こそが救われるって」
「え、なんで分かったんですか! 今『歎異抄』やってて、設楽さんが大学へ講義に来てるんです」
「ちなみに、その悪人って、犯罪者って意味じゃねぇからな佐伯。バイトばっかして遊んでねぇで、もっと勉強しろ勉強」
「してますぅ! ちゃんと分かってますって! 確か……悪い……悪、あ、分かった頭の悪い人。きっと東森さんのことですよ。――だったら、きっと、東森さんも救われますね」
「ッ……」
東森が息を詰めた。
「良かったですね」
佐伯がそういって無邪気に笑うと、突然、東森が背を向ける。
――それは、台本にない演技だった。
「……だいたい合ってるよ。ほんと、バカな奴ほど、適当なこと言って、正解引くんだよ、嫌な世の中だよなぁ」
岬の不安定に揺れる瞳に、葉山の演技が届いたと思った。
カメラからは死角で映ってはいない。葉山にしか見えていない絵だった。
この時間を葉山は、愛しているんだと思う。自由に息ができて。楽しくて。
そうやって、自分の思い通りに演技が出来て、役者として幸せだった。けれど、誰かを思い通りにしたいと、ぶつけた葉山の演技を岬が同じように喜ぶかは別の話。
好きになって、嫌いになる。
演技の世界にいる限り、いつだって、何度だって。
「なんのこと?」
「――佐伯、あいつのこと、頼むな」
どうして東森にそんなことを頼まれるか知りもせずに、佐伯は笑った。
――こうして数ヶ月続いた『青の鬼火』の一章の撮影の全てが終わった。




