【最終話】 嫌いが好きな人-10-
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夕日の差し込む、だだっ広い寺の本堂の窓際で、葉山は撮影セットの片付けが進んでいるのを横目に岬と並んで座っていた。
スタジオではないから鍵のかかるような控え室はないし、人に会話を聞かれないようにするには開けた場所の方がいいと思った。
「葉山くん今日はいい演技だったね。よく出来ましたってお兄さんが褒めてあげよう」
「……ほんとは、そんなこと思ってないでしょう」
岬の顔を見ることなく、前を向いたまま淡々と言葉を返した。周囲に人がいない今は、演技をする必要もないと思った。それに、さっきの岬との撮影で気力を使い果たして疲れていた。
「葉山くんテンション低いなぁ。もう、今日のお仕事は終わり? じゃあ、俺も普通に話すけど」
「……はい」
「正直、葉山くんのこと褒めたいとは、少しも思わないよ」
「――でしょうね」
背がすっと冷たくなるような岬のこの真剣な声が好きだと思った。役者として一人の人間として真剣に向き合ってくれる瞬間が幸せだった。この先も、ずっとこの時間が続けばいいのにと思っている。
隣で岬が、くつくつと笑う音が聞こえた。
「けどね、腹立つって思ったけど、それだけかな。葉山くんが役者としてのプライドがあるように、俺にだってあるから」
葉山は頷いた。
「すごいって相手を認めることと、自分が負けたって認めることは別。葉山くんはすごい役者だけど、俺は、この仕事を続けている限り、一生、君に負けたとか言いたくない」
予想通りで安心していた。岬には、そうあって欲しいと思っていた。ずっと、負け続けたいとは思っていない。けど岬にはずっと自分に勝って欲しいとも思っている。あのプライドを踏みにじるような演技を隣でこの先も見ていたい。
この気持ちは役者を続ける限り一生続くのだろう。
「俺も言いたくない」
「ホント、生意気。とりあえず、お互い良い仕事が出来たねってことで、いいかな。で、ここからはプライベートの話なんだけど」
「……うん」
「先に、葉山くんのお話は、なんですか?」
「岬さん、彼女いるんですよね。それなのに、俺と遊んでていいんですか?」
岬へ言えずにいることは沢山あるけれど、これだけは訊かなければいけないと思っていた。
お互いのために。
「はぁ! 話に脈絡なさ過ぎて、お兄さんびっくりしたんだけど、ちょっと怒ってもいい?」
頭の上に乗せられた手に体重を掛けられて、葉山の体が前に傾いだ。
「なんで俺が、岬さんに、怒られないといけないんですか。……俺に怒る資格もないですけど」
「えー怒ってもいいのに。面白そうだから。とりあえず、そう思った経緯を教えてくれる?」
「部屋に呼ぶような相手、いるんでしょう」
「いないよ」
即答に少しだけ怯んだ。
「だって寝室にゴムあったし、抱くのだって手慣れてて……上手いし、色々準備良すぎ。なんで誰も呼んだことないとか、あの日嘘ついたんですか? どこまで演技だったの?」
岬は葉山の顔をマジマジと覗き込んだあと、わざとらしく両手で顔を覆った。
「あーもう、葉山くんが可愛過ぎて、今すぐ連れて帰りたいんだけど、このあと仕事あるから無理だなぁ、つらいなぁ」
「岬さん!」
「……てくらいには、いま葉山くんのこと好きだよ」
岬の演技がかった声に葉山は小さく息を吐く。そうやって煙に巻かれる。
「今は、でしょう」
岬は顔をあげると葉山の言葉に、ふわりと笑顔を浮かべた。
「心配しなくても、いま彼女はいません。あと部屋に君以外の誰かを呼んだこともありません。誓って」
誓ってなんて、歯の浮くようなセリフだ。
信用できない? と岬は続けた。信用して欲しいとか、少しも思っていないくせに。
「どこまで演技だったかは、自分で考えなさい、役者だろう」
「……うん」
答えが分かっていても聞きたかっただけ。
「嬉しい? 君だけって言われて」
「岬さんの部屋で修羅場とか、刺されるのは嫌だなって思ったから訊いただけ」
「HIROTOくんみたいに、たらしじゃないし。俺、誠実だよ、一途じゃないけど。刺されることはないから、安心しなさい」
誠実さと一途さについて考えようとしてやめた。
「誠実な人は自分で、誠実とか言わないですよ」
「あ、そうそう、それで、俺の話なんだけど。誠実さを証明しようと思って。はい、どうぞ、葉山くんに渡しておくよ」
岬はそう言って、一枚の折りたたまれた紙をポケットから出して、葉山に差し出した。
「何ですか」
「俺の大事なものを葉山くんにあげようと思って、ほら、責任をさ……取らないとなぁって、ずっと思ってて」
葉山は突然の岬の言葉に目を見張った。驚きすぎて声が上擦る。
「ぁ、せ、責任とか、そんなの……いらないですよ」
「中身も見ずに即答?」
突然、差し出された紙に、葉山は驚くよりも少し引いていた。岬はそんな冗談を言う人間じゃないと思っていたから。
「だ、だって責任とってとか、そういうの、バカみたいじゃないですか。俺そんなの岬さんに望んでない。そんなモノくれなくても、そばにいるくらい……俺は」
岬の言った、そばにいてねという言葉が「それ」に続いているとは少しも考えていなかった。
「え、なに、急に顔赤くして、別に、そ……あ、違う」
岬は、ふいをつかれたように急にらしくなく顔を赤くして、葉山から顔をそむけた。
「違うって?」
「ごめん、間違えた。明日、やりなおしていい、ちゃんと持ってくるから、婚姻届。いや養子縁組? どっちでもいいけど、やり直すって」
葉山は岬が引っ込めようとした紙を奪って広げた。
「がっかりしないでね?」
少し変色した紙。それは、岬の戸籍に関する書類だった。
「期待してくれたところ、申し訳ないんだけど。あーそっちか……葉山くん喜ぶのは」
「……これ、本当ですか。嘘でしょう」
そこに書かれていた名前に、葉山は驚いていた。
――女優、宮森沙希子。誰もが知っている大女優の名前だった。
そこには岬との親子関係が示されていた。
大女優と親子など、岬に才能があればあるほど、役者として不利にしかならない。世間にこれが公表されれば、彼の演技に先入観を持ってみる人が増える。それが嫌だからこそ、亡くなった今でも彼女との親子関係は公になっていないのだろう。
それを見せてくれたということが、岬の誠実さだというなら葉山は納得できた。同じ役者だからこそ、その事実の重さが分かった。
「ほんとだよ、俺の大事な秘密。葉山くんの秘密だけ俺が知ってるの、やっぱり、なんかフェアじゃないから。それ好きにしていいよ」
「好きにって?」
「……そうだなぁ、眺めて、喜ぶとか?」
「喜んだりは、しないですけど」
岬の演技を色眼鏡で見ない人間だと思ってくれていることが、素直に嬉しかった。
「――言ってるそばから喜んでるし、君はそういう子だよね。ま、これでお互い様ってことで」
「うん」
「ところで、俺たちの婚姻届だけどさ」
声で分かる。冗談にされた。だから、冗談で返す。
「いらない」
「ほんと、君は、可愛くないなぁ。可愛いけど、そこは演技してよ。でも、そばにはいてくれるんだよね、だからさっき聞いたんでしょう? 彼女いないのって」
「……好きにしていいんでしょう」
「いいよ、俺だって好きにする。とりあえず、じゃ、話終わったし、仕事行くわ」
岬は何の未練も感傷もなく、さっとその場から立ち上がる。そして、一歩踏み出したとき、何か思い出したように、葉山を振り返った。
夕日が眩しい。
けれど、岬が自分に向かって、笑っているのは分かる。
「ねぇ、今日の葉山くんの演技、大好きだったよ」
大好きと言われる。
「――嬉しい。じゃあ今度のドラマもみてね」
愛嬌と、あふれんばかりの笑顔を「大好き」という言葉のお礼に返す。
「……やだよ」
はい。それがはじまり。大嫌いが大好きに変わっていた。
終わり




