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嫌いが好きな人-7-

 * *


 高速道路のサービスエリア、喪服姿の青年。見ず知らずの訳ありの男を二つ返事で車に乗せる。

 いくら親切な人だったとしても、普通の人なら、売店の人間に相談した方がいいと言う。

 だから、あのとき男が葉山を車に乗せたのは、何らかの思惑があったのだろう。

 今となっては男の思惑も、その後の結末もわからない。

 葉山は運が良かった。どんな形だとしても、都内まで戻ってこられたし、男からは、謝礼に金も体も要求されなかった。

 葉山が車を降り、男に手を掴まれたところで、たまたま通りがかった警察官に職務質問された。

 男は慌てて車に乗って逃げた。何も事件は起こらなかった。

 ここまでが、葉山の運が良かったこと。

 結果、葉山は警察に保護されてしまった。これが運の悪かったこと。

 警察官に見せた身分証明書には、久我真幸と戸籍上の名前が書いてあった。眼鏡をかけて下を向いている今は、まだ俳優の『葉山真幸』であることに気づかれていないが、時間の問題だと思った。

「あの男とは、どこで知り合ったんだい?」

 警察官は柔らかい声で問いかけてくるが、何も悪いことはしていないのに、尋問されている気分だった。

「えっと……。その、たまたま」

「腕掴まれてたよね」

「いえ」

「まぁ、とにかく何もなくて良かったね。それで、親御さんに連絡ついたかい?」

「いえ、まだ。出かけているみたいで」

「そう……。このまま、はい帰っていいよとも言えないしなぁ、夜も遅いし、高校生だろ?」

 隙を見てこっそり逃げようにも、警察署の一階フロアには絶えず人の視線があって難しそうだ。葉山は会議室にあるような長机を挟んで警察官と向かい合っていた。

「あ、ちょっとごめんね」

 そう言って葉山の目の前に座っていた警察官は席を外して、同僚と何か話していた。

 俳優の『葉山真幸』であることを明かす。あるいは、名前から久我正隆の息子とバレて葬儀に連れ戻される。無論、それなら前者を選ぶ。

 迎えにきて欲しいと事務所の社長に電話すれば、助けてくれるだろう。こんなことさえも、自分一人で解決できない無力な子供の自分が嫌だった。けれど、あまり迷ってる時間はない。

(仕方ない、か)

 葉山は手に持ったままのスマートフォンのディスプレイに触れた。その瞬間、ちょうど電話がかかってきた。

 取るつもりはなかったのに、ディスプレイに手が触れて通話に切り替わってしまった。

『お、やっと、繋がったな』

 岬の声が、した。

『……ほんと、なんで電話出ないかなぁ、さっき無視しただろ』

「……」

『もしもーし。黙ってないで、喋りなさい。先輩が電話してきているんだから』

 何も言葉を返さなくても、岬は話を続けている。何か言おうとするけれど言葉が出てこない。役者のくせに。

『ほんとに、困った後輩だね。心配してたよ榊原マネージャー。で、いま、どこにいるんですか? ずっと黙ったままなのは、泣いているから? それなら、もうそろそろ泣き止めよ』

「泣いて、ないです」

『やっと喋った。ほんと失礼だし、芸能界干されてもしらないからな』

「……岬さん、だけです」

 嘘は言っていなかった。こんなふうに自然に話すのは岬の前だけだ。そうして、と初共演したときに言われたから。ずっと岬だけが、自分の中で特別だった。

『あのなぁ……』

 岬は電話の向こうで困ったような声を出した。なんでも自分の思い通りできる役者なのに。

『どこいんの、言えよ』

「……XX警察」

 葉山が答えると、一瞬岬は黙り込んだ。

『――あ、ごめん、流石に、それは想定してなかったわ。母親に誘拐されてんじゃなかったの?』

「知ってたんですね。でも、逃げてきました。高速のサービスエリアから、車拾って」

『すげーな。どんな演技して巻いてきたの、今度見せてよ』

「……うん」

『うんって、急に素直なるし。まぁ、いいけど、で、警察いるってなんで?』

「乗せてもらった人の車から降りた時に、職務質問されたから」

 岬は電話の向こうで笑っている。

『で、大人しく警察に保護されちゃったわけ? 援交でも疑われた?』

「……多分」

『それで怪我してない? 可愛いお顔は無事ですか?』

「酷いこと、言いますね。俺の顔が大事?」

『なんて言って欲しいんだよ、俺に。役者なら顔は大事だろ』

 このまま岬の声をもっと聞いていたかった。

「岬さん、俺、役者を続けたいんです」

 ただ、聞いて欲しかった。今の自分の気持ちを。

『――じゃあ、続けろよ。俺がやめろって言ったって、やめないくせに』

「うん」

『ところでさ、葉山くんの家、教えてもらったし、今から襲いに行こうと思ってるんだけど。今日いつ帰ってくるの?』

 岬の言葉がどこまで本気か分からない。

「いつ、かな」

『帰れない?』

 岬の声が優しかった。

「……俺、社長に助けてもらってばかりで、だから、迎えに来てくださいって言うの嫌なのに、でも、一人でここから帰れないし」

『ま、子供なら、仕方ないだろ』

「十八です」

『まだ、十八だよ、餓鬼』

「社長に電話したくない。でも、親も呼ばれたくないんです。連れ戻されたら、役者でいられなくなる」

『あれも嫌、これも嫌って、わがままだねぇ』

「知ってます」

 葉山が何も選ばなければ、久我の家に連れ戻される未来しかない。だから、きっと自分は社長に泣きついて助けてもらうことを選ぶ。

 役者を続けたいから。

『ほんとに葉山くんは、周りに助けてって言わないよな』

「え……」

『電話してきている俺は、誰ですか?』

「……岬さん」

 電話の向こうで、ふと笑う音がした。

『助けてあげるよ。それから、うんと優しくしてあげる。葉山くんさ、本当は、ずっと、俺にそうして欲しいって思ってるんだよね』

「……助けて欲しくない」

『そう』

 岬の優しい声に寂しさが混ざる。面と向かって演技をしている訳じゃないから、声には余計な情報が混ざっていない。そうして手を伸ばせずに、また傷つける。

「優しくなんて……して欲しくない。岬さんにだけは、優しくされたくない。怖いから」

 何も返せない自分に苦しくなるから。これ以上欲しがりたくない。傷つきたくない。ズルいのはいつだって自分だった。

『――ねぇ、葉山くん。まだ俺のこと、好き? どんな形でも、怖くても、好きだったら、俺は嬉しいな』

 携帯のスピーカーを通して聞こえた声に現実感がなかった。手紙を読むようで、それは、この場で必要な台詞のようだった。

「……ゃ」

 一瞬、岬に何を言われたのか理解できなかった。

 岬だって葉山の好きを信じられないと思っている。それなのに、岬は傷ついても葉山に触れてくれる。葉山が怖くて言えない言葉を、躊躇なく言葉にする。

『嫌って、まぁ、いいけど』

 葉山の拒絶の言葉を、岬は笑って聞いていた。

「じゃあ……岬、さんは、俺のこと、好きですか?」

 震える声で同じ言葉を返した。怖かった。答えを聞くのが。けれど、勝手に声がこぼれていた。スピーカーの向こうから、細い呼吸音が微かに聞こえた。

『……好き』

 プツリと通話が途切れた。

 ため息混じりの、軽い挨拶のような好きが、いつまでも耳に残っている。岬が普段ドラマで演じているような、感情は何一つ乗っていない。諦めたような、呆れたような声だった。

 岬からの電話が切れたあと、なんだか狐につままれたような心地だった。放心状態で端末のディスプレイを見つめている。

 しばらくそうしていると急にフロアが騒がしくなり始めた。騒ぎの方へ目を向けた瞬間、体が硬直する。

 聞き慣れている、落ち着いたハリのある声が自分の元まで届いた。

「久我真幸さんが、こちらにいると伺ったのですが」

 岬圭一が、目の前で演技をしていた。

 テレビの中の芸能人オーラそのままの姿で、警察署のカウンター前に立っていた。

 助けてあげるといった言葉通りに来たのだとしても、変装くらいするべきだ。

 一流芸能人のくせに、売れっ子の役者のくせに。キラキラさせたままやってきて、バカなんじゃないかと思った。奥に座っている葉山と目があった途端、岬はひらひらと手を振ってくる。

 何より、岬が自分の本名を口にしたことに驚いていた。

「あの、俳優の岬、圭一さん……ですよね、その、久我さんとは、どういった」

 警察官が戸惑っているのが手に取るようにわかる。

「あれ、分からないですか? 変装してますけど、そこにいる真幸くんは、俳優の、葉山真幸くんですよ。いま、Mテレビのドラマで私と共演してるんですが、ご存知ないですか?」

 まさか岬に正体をバラされるとは思ってもなかった。授賞式などの記念パーティーでしか聞かないような岬のよそ行きの声に違和感しか感じない。

「今日撮影でね。ロケ車で一緒だったんですけど、ちょっと向こうでトラブルがあって……あ、この喪服は今日の衣装です」

 岬は自分と同じように喪服を着ていた。

(あぁ、全部、社長に聞いたのか)

 葉山は自分が、子供で悔しいと思う。

 あの朝も外泊をして、上手く言い訳出来なかった。そんな葉山と違って、岬は堂々と嘘をついて、その場を綺麗な形に収めた。

 今回も岬は、そうするつもりなのだろう。葉山の腹立たしさなど、気にもせず自由に絵を描くように役者として演技する。

 自分も岬と同じようになりたかった。どんなことがあっても、笑って乗り越えられる。そんな一流の、本物の役者になりたいと思っている。

 葉山は、ずっとつけたままだった眼鏡を外して、椅子から立ち上がる。まっすぐに前を見て、岬に笑ってみせた。

 これ以上、負けたくなかった。

「岬さん、遅いです! てか、なんで勝手に正体バラすんですか!」

「遅いって、集合場所間違えたの君でしょう。じっとして待っていればいいのに、勝手に車捕まえて、破天荒と言うか考えなしと言うか」

「馬鹿って言いたいんですかぁ」

「よく分かってるね」

「ほんと、岬さん、意地悪い」

「はいはい。で、葉山くん、なんでさっさと身元明かして、マネージャー呼ばなかったんだ?」

 言われてみれば社長でなく、マネージャーを呼べば良かったのだ。少しも頭に浮かばなかった。

 どうして周りを頼らないのかと岬に言われたのに。気づきもしなかった。全部自分一人で解決しようとしていた。

「……だって、怒られるしぃ」

 苦し紛れにそう答えると、岬は演技でなく今度は本気で笑っていた。

「なら喜びなさい。このあと、きっちり事務所で怒られるから」

「最悪ぅ」

「あの、そういう訳で、ご迷惑おかけして、すみません。この後、彼と事務所で打ち合わせがありまして、連れて帰っても宜しいでしょうか、必要でしたら後日連れてきますので」

「あ、は……はい、いえ、こちらとしては保護しただけですので」

「そうですか、ほら行くよ、葉山くん」

「はぁい」

 こんなのは、ただの茶番劇だ。岬の後ろをついて警察署の外へ出て、前に停めてあった岬の車の助手席に乗り込んだ。

 ずっと堪えていたのか、岬は車を出してすぐに声をあげて笑った。

「なんで大人しく警察署にいるのかな。堂々とやれば大丈夫だって前にも教えてあげたのに」

「……俺、岬さんみたいに、遊び慣れてないんです」

「そ、いい子ってことだね」

「なんで、喪服着てるんですか」

 答えは聞かなくても分かっていた。

「急に身内で不幸があってねぇ」

「嘘つき」

「うん、嘘。葉山くんのパパが亡くなったって聞いたから」

「社長に聞いたんですか」

「そう。俺の泣き落としで、葉山くんの秘密、全部教えてもらっちゃった。怒ってる?」

「……少し」

「ごめんね」

「悪いとか思ってないですよね」

「うん、全然」

「……どうするつもりだったんですか」

「ま、普通に、このたびは、誠にご愁傷様ですって香典渡して? 真幸くんには、いつもお世話になっておりますって母親の顔睨みつけて」

「……それから?」

「そのあとは、御霊前で、誠に残念です長生きしていただいて、真幸くんのことを、いかに可愛がっていたか伺いたかったのにって、涙ながらに」

「……逃げてきて良かった。岬さんの、そんな演技見たくないですから」

「俺は見たかったよ。葉山くんの喪服姿、似合ってるね」

「どうも」

「でも葬儀逃げ出して、警察に保護されてるのは予想外だったなぁ」

 岬の車は、暗闇を滑るように走っている。環境音が車内まで届いているはずなのに、不思議と岬の声だけが葉山の耳に届いていた。

「俺も。岬さんが喪服着て、俺の目の前に来たから、驚いています」

「ど、俺の喪服、似合ってる?」

 ずっと足元を見ていた。岬の顔を見ることが出来ない。本当は、笑っているのか、怒っているのか。悲しんでいるのか。喜んでいるのか。岬が見せる演技から、本当を知るのが怖い。答えあわせをしたくない。

 好き、と言った岬の声が、耳から離れない。

 怖かった。言葉を、気持ちを受け取ることが。

「俺の方を見ないのは、照れてるから? 俺のコスプレなんて見慣れてるだろ? 探偵に警察官に医者? ほかに何やったかなぁ。葉山くんは俺に何着て欲しい?」

「……変態なんですか」

「どっちがだよ、別にプレイの話なんてしてないだろ。普通に衣装どれ似合ってるかって話」

「どこ、行くんですか」

「質問ばっかりだなぁ。俺のマンション」

「事務所じゃなくて」

「社長には、ちゃんと葉山くんと夜遊びするって、さっき連絡しておいたから」

「夜遊びとか……。すみません、俺のマンションまで送ってくれませんか」

「なら、送り狼になるけど」

「この前の、本気……だったんですか」

「逆に聞くけど、なんで嘘つく必要があるの?」

「だって」

 嘘ばかりだと思っていた。岬の言葉に本当なんてないと思っていた。岬は、感情も心も自由な人だと思っていた。それがずっと羨ましかったから。ぽたぽた、と勝手に目から涙が溢れてくる。

「葉山くん。泣いてるし」

「泣いてない」

 自分の自由にならない感情が腹立たしい。何一つ思い通りにならない。けれど、岬だって、きっと、そうだ。

「別に泣いてもいいよ。俺、優しくするって決めたから。葉山くんがどんなに嫌がっても」

「嫌です。そんなの」

「葉山くんの意見は聞かないことにしたの。俺さ、葉山くんの一番嫌がることがしたい。寂しくて、悲しくて、苦しくて、泣いてる葉山くんの手を握って、優しく頭撫でて、キスがしたい」

「ッ……なん、で」

「葉山くん、俺が怖い?」

 声が続かなかった。

「葉山くんの駄目なところは、同じじゃないと駄目って思ってるところだよ」

「同じ……」

「そ、別に、嫌いでも好きでも、腹たっても、酷くてもいいだろ。そんなのお互いさまだ。葉山くんが酷いなんて、俺は昔から知ってるよ、もう諦めてるし」

「……そんなの」

「けど、仕方ないだろ。欲しいって思ったら、我慢できないんだから、お互いに一番は譲れないんだから。俺も諦めたから、葉山くんもさ、そろそろ諦めてよ」

「だって俺は! 何も、返せない、岬さんに」

 傷つけることしか出来ない。

「じゃ、返さなくていいから、そばにいて。腹たっても、好きでも嫌いでも、別にそばにいるくらいは出来るだろ? 嫌になったら、嫌って言えばいい」

 好きにしなさい。俺も好きにするから。

 岬は静かに、そう言って葉山の手を握った。大きくて温かくて。自分の頬を伝う涙が岬の手の甲に落ちた。



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