嫌いが好きな人-3-
ドラマ『青の鬼火』の撮影話数も残すところあと二話。初回放送の反応も良く、メディアで出演者がクローズアップされる場面が増えていた。
この日、葉山は星芸能の事務所で『青の鬼火』の雑誌取材を受けていた。今日の仕事は取材だけ。少し前と比べれば比較的スケジュールに余裕があり、明日は久しぶりの一日オフだった。
予定通り午後には取材も滞りなく終わり、葉山は一階のエントランス近くでマネージャーの榊原を待っていた。
約束の時間まで少しある。自動販売機で飲み物を買おうとソファーから立ち上がったときだった。懐かしい。けれど、ひどく耳障りな声が耳に届く。甲高い声。
「……え、真幸、真幸なんでしょう」
その声だけで一気に過去に引き戻された。
「……なん、で」
役者としての仕事も軌道に乗り、これから新しい自分を生きられると思っていた矢先だった。
(どうして、ここに)
どれほど以前と違う明るい自分を演じたところで、名前を変えたところで、いつか過去は白日の下に晒される。それが、たまたま今日だっただけ。
受付横のソファーから立ち上がった葉山の養母は、眼鏡をかけた黒のビジネススーツの男を伴って葉山に近づいてくる。濃紺のブランドもののスーツに高いヒールの靴。おおよそ、母というイメージからほど遠い女だった。
事務所の受付カウンターの女性は、葉山が何も言わずに動かなかったため、慌てて間に入ってきた。
「あの、失礼ですが、お約束は」
「あなたこそ失礼ね、私は、真幸の母です」
この場で、違うと大声で叫びたかった。
けれど言えない。葉山に出来るのは、今の場面にふさわしい役を演じること、それだけ。
「あ、ごめんなさい、びっくりしちゃって。大丈夫です。ありがとね。俺が呼びました。……じゃあ、行こうか。母さん」
にこりと受付の女性に微笑みかけて、葉山は養母の隣に立った。数年ぶりに母と呼んだとき、自分で自分の胸を切りつけている気分だった。身体から見えない血がたくさん流れた。
事務所の近くにある駐車場で、運転手がいる黒い車に乗るように言われた。そばにいた男は助手席に座り、葉山と養母は後部座席に乗る。先に口を開いたのは養母だった。
「……雰囲気変わるものね。近くの人が『葉山真幸』だって言わななければ気づかなかったわ。葉山って名乗っているのも知らなかったし、あの顔の怪我どうしたの?」
「……病院通ったから」
「そ、葉山社長にたくさんお金かけてもらったのね」
ベラベラと話しつづける声がザラザラとして不快だった。早くこの場から立ち去りたいのに、体が硬直して自由に動くことが出来ない。
「受付で、葉山さんに取り次いでいただこうと思ってたけど手間が省けて良かったわ」
テレビをつければ葉山を目にする機会はいつだってあったはずだ。数年といえ、気づかれなかったのだから、葉山の演技は上手くいっていたのだろう。あるいは、この日まで興味すらなかったのか。
「星芸能の社長が、あなたを引き取りたいと言ったときは、ただの金持ちの道楽かと思ってたけど……あなたの容姿を見て、お金になると思ったのかしらねぇ。綺麗な顔してるから」
「ッ……」
「何よ、その目」
養母は葉山のことをまるで鑑賞品のように評した。
芸能界で葉山が稼いだお金は、葉山の自由にさせてもらっている。お世話になっている社長のことを悪く言われて、反論したいのに鋭い目つきで睨まれると、体が凍りついてなにも言えなくなった。時間が一気に子供の頃まで巻き戻った。言われるまま人形のように彼らの息子を演じていた日々を。
「もう、会わない。あの日、俺言いましたよね」
「そうね、でも、それは真幸が勝手に言ってるだけでしょう。あの人がおかしくなって、近くに置いておくわけにいかないから、仕方なく葉山さんの申し出を受けただけだわ。貴方の名前は、まだ久我にあるから」
「それは……けど、誓約書が」
「貴方が、いま私についてこなければいけない理由の説明が必要なら、弁護士をつれてきてるから彼から聞くといいわ」
養母についていた男は弁護士だったらしい。
「何か、ご質問があれば」
「……いえ」
縁を切ると言ったところで、書類上の苗字は久我のままだ。そんなことは知っている。嫌という程。
けれど養母だって知っていたはずだ。父が葉山にしていたことを。知っていたから本人が望まない限り、二度と会わないという誓約書にサインした。
「……けど、俺は」
会いたいと思っていない。だから二度と俺の前に現れないで欲しいと、過去と同じように、彼女に告げて車から降りればいいのに、それが出来ない。
「あの人ね、死んだのよ。病気で」
「……え」
なんの前触れもなく、養母は養父の死を告げた。
「息子が葬式の場に出ないなんて、おかしいじゃない。貴方は今日明日と、席に座っていてくれればいいわ」
「そんなの」
「貴方も、あの人に可愛がってもらったんだから、最後くらい見送ってあげたいでしょう」
冗談だとしても、笑えない。
吐き気がした。
(俺は、こんな人たちの)
手に入りもしない温もりが欲しかった。欲しかったから、偽りの家族ごっこをずっとやっていた。そうすれば、いつかと思っていた。殴られて、傷つけられなければ、葉山は、今もあの家にいた。彼らの思い通りに動く、完璧な人形として。
そう思うと、ぞっとした。
それほどまでに、誰かに愛されたいと願っていた過去の自分。
「真幸、お芝居が得意なんでしょう? 私にも見せてちょうだいよ。貴方は、あの人が死んで少しも悲しくないでしょうけど、泣いてみせるなんて、役者なら造作もないことでしょう」
やれ、と言われればどんな役だって、演じる自信があった。けれど自分を苦しめた男の葬式で涙を流す、そんな場面、想像すらしたくなかった。
「車、出して」
養母について行かない理由なんていくらでも作れるのに、そのどれもが口から出てこない。
「そんな怖い顔しないで、明日には帰してあげるわよ。それでいいでしょう、ね」
「これで、もう……会うの、最後にしてくれますか」
「えぇ、いいわ。約束する」
その言葉に葉山は、静かに頷いていた。




