嫌いが好きな人-1-
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ドラマ『青の鬼火』の撮影が決まった頃には、まだ夏の面影が残っていたのに、ふと周囲を見渡せば北風が木の葉を散らしていた。
室内なら空調で温度調整が出来る。けれどロケ撮影は本人の努力と慣れが必要だ。
外では演技するのに丁度いい環境なんてものはない。どんな過酷な状況でも監督に求められた絵を出すのがプロだ。
温度感覚が麻痺している気がした。長い撮影期間、暑い場所で寒い演技をしてたから、頭が変になったのかもしれない。寒いはずなのに、ずっと暑かった。
葉山は、そんな原因不明の体調不良を抱えていた。幸か不幸か、そんな折、期間限定で新しく仕事が決まった。連日、早朝の情報番組出演が続いた。
ドラマ撮影と慣れないバラエティ番組。気づけば仕事に忙殺され半月が経っていた。
――朝までバグっていたはずの皮膚感覚が突然正常に戻った。
(寒い……)
上着は薄手のジャケット一枚。衣装なので服で体温調節は出来ないし、このあと『青の鬼火』の外撮影を思うと憂鬱だった。
「今日の『朝ドキ』さ、葉山くんガチ泣きしてたよね」
ロケバスの中、通路を挟んで隣に座っていたHIROTOに呼ばれた。
「えー、HIROTOさん見てたんですか、恥ずかしいなぁ、もちろん演技ですよぉ」
大きく袖口の開いたシングルブレストの黒の羽織ものだけなのに、HIROTOは、全く寒そうに見えない。筋肉量の違いだろうか。
「そうなの?」
「そうです。最終出演回で、女子アナに花束渡されたら泣いてくださいって演出指示がありました。あ、秘密ですよ?」
忙しい朝の時間。誰もが片手間に見ているようなコーナーを、まさかHIROTOが見ているとは思わなかった。実際はHIROTOの指摘の通り、本当の涙だった。毎朝の辛かった撮影を思い出して、感極まって本気で泣いてしまった。
「演出ねぇ。でも、あれは本気で泣いてたね。そんなにキツかったの? 現場でいじめられた? Pが陰険だったとか」
ただの雑談なのにHIROTOは真実を突いてくる。ほんと、嫌な人だなぁと思いながらもお仕事用の笑顔を顔に貼り付けて返した。
「そんなことないですよ。現場の皆さん、とても優しくて。まぁ、朝早いのは大変でしたけど」
嘘に、真実を少しだけ混ぜた。
「先週の子犬がいっぱい葉山くんに乗ってくるやつ。あれ、面白かったなぁ」
「ど、どうも。そんながっつり毎朝みてたんですか、お世辞じゃなく? 俺のこと好き過ぎませんか?」
「俺、葉山くんの恋人役だから、気になって。――というのは、冗談で、たまたまね。移動時間、いつも車でマネージャーが『朝ドキ』つけてるから。葉山くん、朝早くから毎日お仕事頑張ってるなぁって」
「動物コーナーは楽しかったですよ? 俺、犬飼ったことないんですけど、いいなぁって、可愛くて」
そう言うと、突然HIROTOから探るような視線を向けられる。
「ふぅん。とりあえず、あの犬はプロだよね。葉山くん本当は犬怖かったんだろ?」
結局、演技勝負でHIROTOに勝てるはずがなかった。葉山は小さく息を吐いて降参した。
「……HIROTOさん、全部分かってて俺で遊んでますよねぇ」
「もちろん」
撮影中、葉山は犬が怖くて遊ぶのに必死だった。
そんな葉山の苦労なんて我関せず、犬は、葉山で、遊んでくれた。
結果、とてもいい絵が撮れた。葉山は犬に演技で助けられたんじゃないかと思っている。犬の方がプロの演技者だった。
車がロケ地の寺に着き、ロケバスから降りるとHIROTOに肩をポンと叩かれる。
「うん。とりあえず大丈夫そうだね、葉山くん」
「何がですか?」
葉山はHIROTOがどうして頷いたのか分からなかった。
「朝から撮影続きで集中力切れる頃かなと思ったけど、まだもってるから。遠慮なく相手できそうだし」
「ほんと。いい性格してますよねHIROTOさんって。そもそも、俺が演技できなかったらできるまで妥協なんてしないでしょ」
「飴と鞭かな」
「え?」
「俺は鞭担当だから、飴は、事務所の先輩にもらうといいよ。今日、途中から岬さん入るし、遊んでもらえるんじゃない?」
「そ、そーしますぅ。けど、岬さんの場合だって、飴じゃなくて、鞭ですよ? ほんとドエスなんですから。いつも俺のこといじめて楽しんでるんです」
「そーなの? 岬さん、この前自分でドエムだって言ってたよ」
一瞬、笑顔が引き攣ってしまった。
(普段、二人でなんの話しているんだよ)
HIROTOは楽しそうに声を上げて笑った。そこへADの女の子が話しかけてきた。
「HIROTOさん、なぁに、さっきから葉山くんにやらしい話してるんですか」
「あー葉山くんが、興味あるみたいだから、大人のお勉強をね」
「葉山くん、悪いお兄ちゃんたちの話なんて聞いちゃダメだからね!」
「俺、もう十八で大人だよ? ミカさん」
そう言って外向きのアイドルみたいな笑顔を作った。
「私の中で、葉山真幸は永遠の少年キャラなの!」
拳を握って力説された。嬉しいような悲しいような。
「永遠の少年ってねぇ、ミカさん。葉山くんだって、そのうちゴツいおっさんになるよ?」
「あーっ、そんなの考えたくない! ずっと可愛い葉山くんでいて! あ、そうそう。いつも通り控え室に和室借りてますから、時間まで、そこ使ってくださいね」
よく働くADの女の子は機材を抱えて、忙しそうに寺の母家の方へ駆けて行った。
「にしても罪作りだね、葉山くん。一人の女を惑わせて」
「惑わせてません。HIROTOさんじゃあるまいし。そんな魅力はないです。永遠の少年らしいですし」
「そんなことないと思うけどな。好みって人それぞれだし。今は少年キャラでもいいじゃん。喜んでくれてるんだから」
「……HIROTOさんみたいな大人の余裕って、いつ身につくんですかね」
つい、つまらないことを訊いてしまった。
子供のような余裕のなさを歯痒く思う。空回りして、大切なものを手に入れた先から失っている気がした。
もし、葉山がもっと大人だったら。岬のように何処でも上手く立ち回れたら、何も失うことはなかったのだろうか。
「今しか出来ない演技って、貴重だからさ。大事にした方がいいよ」
「そうでしょうか」
「葉山くんのは向上心じゃなくて、生き急いでるだけかな。せっかく可愛いのに、もっと自分の武器を活かした方が良いよ」
「もしかして、俺、けなされてます?」
「いや、まっすぐで努力家なところは、俺も見習いたい」
背伸びなんかせず、子供は子供らしくしろと言われている気がした。
「やっぱり貶されてるじゃないですかぁ」
「大人の余裕ってね、結局のところ、どれだけ子供だったころの自分を知ってるかなんじゃないかな」
「子供の自分?」
「たくさん失敗した経験とか、わがままで無邪気で、甘えたで。どうしようもない自分を知っているから、ちょっとだけ先に立っていられるって感じ? 俺もまだまだだし偉そうなこと言えないけど」
「……失敗、か。失敗、俺、したくないな。岬さんの前では」
「俺の前じゃないんだね。恋人の役、俺だよ?」
「うん。だって、HIROTOさんは、容赦無く、俺に何度でも正解までやり直しさせるでしょう」
「まぁね、鞭だから」
「岬さんは、最初からNGにしない」
「それは葉山くんが、上手いからだよ?」
「そんなことないです。前は、もっと……」
前は、何度も、何度も、演技で葉山にぶつかってくれた。
葉山の言葉にHIROTOは小さく笑った。NGを出しているわけじゃない。集中もしている。ただ、HIROTO相手ほど岬の前で上手く出来ないだけだ。葉山自身が自分の演技に納得出来ない。けれど監督はOKを出す。岬も何も言わない。だから、悔しい。岬は、飴なんかじゃない。
「俺から見て葉山くんって、場の空気読むの上手いし、演技の方は適応力高くて余裕綽々でしょう? どうして岬さん絡むと余裕ないんだろって、俺は常々不思議で不思議で。相性悪いのかな?」
HIROTOは人の気も知らないで楽しそうだった。
「そんなの、俺が知りたいですよ」
「ま、事務所の先輩の教育方針に俺は口出さないから、いじめられても、頑張れとしか」
「俺、いじめられてる間は、まだ役者として大丈夫かなって思うんです」
面白い役者として、岬から興味を持ち続けられたい。自分の望みはそれだけだ。
「あーもしかしてまた何か追い詰められてる? 俺が鞭やめて飴にした方がいい?」
「もう! 手抜いたら怒りますよぉ」
「そんなことはしないけど」
遊んでもらえるのと、遊ばれるのは、全然別物だ。
必死で相手の演技に食らいついて、遊ばれないようにする。一瞬でも気を抜けば、すぐ相手にいいように弄ばれる。
「真面目過ぎだよ」
監督に呼ばれたHIROTOは、葉山にそう言い残して寺の本堂の方へ歩いて行った。
HIROTOに発破をかけられ、撮影は順調に進んだ。葉山は自分の撮影が終わった後、岬とHIROTOのシーンを外のカメラベースから眺めていた。連日の過密スケジュールに疲れているのなら、挨拶をして直ぐに帰ればよかったのに、圧倒的な演技力を持つ二人から目が離せなかった。
ロケバスの中で温かな空気を纏っていたHITOROが、岬にみせた一瞬の狂気に背筋が凍る。自分のように求められた演技をするだけじゃなく、期待以上のものを表現出来ている二人に嫉妬していた。
「ねぇ葉山くん、葉山くん」
「え……」
突然肩を叩かれて驚いて横を見ると、そこには内田監督が立っていた。椅子に座ってぼんやりしている間に、今日の全ての撮影が終わっていたらしい。
「どうしたのカメラ睨みつけちゃって、気になるシーンあった?」
その瞬間しまったと思った。なんの演技もせずに、現場で素の自分に戻っていたことに気づいて慌てて取り繕った。
「あ、えっと、二人の演技に飲み込まれちゃって、すごいですよね」
本当は、そんなことを言うつもりはなかった。劣等感に苛まれる。どうして、自分は期待以上のものを出せないのだろう。期待通りのものを返せることだって、誰もができるわけじゃない。それでも彼らの演技を見ると、自分も誰かの想像をはるかに超える演技をしてみたいと欲が出る。
「だよね、ホント。今期いけると思うよ、ところでさ、葉山くんこのあと飲み会どうする?」
「あ、はい。是非」
行くつもりはなかったのに、つい参加すると答えていた。
「え、いいの? いやぁ駄目元だったけど、やっぱ主演組にきてもらわないとねー。嬉しいな。きっとみんな喜ぶよー」
「え、なに、葉山くん飲み会来るの?」
撮影が終わって戻ってきた岬は、近くの机の上に置いていた水を紙コップに注ぎながら、葉山に視線を向ける。周りには他のスタッフが沢山いた。いつもの岬なら、もう少しテンション高めに返す場面だった。何故か岬の声は面倒くさそうだった。
「俺、行っちゃ駄目ですか?」
「だって葉山くん、未成年だし。お酒飲めないのに楽しくないだろ」
「あ、そっか、ごめんね。そうだよね楽しくないかぁ」
内田監督に言われて、葉山は慌てて声を作る。
「そんなことないですよぉ! 飲めなくても、みんなでご飯行くの好きだし、俺だけ仲間はずれにされる方が、嫌です」
後に引けなくて口からは勝手にセリフが流れていた。
「そうだよね、じゃ、葉山くん参加で、ADに伝えておくよ」
そう言って内田は撮影ベースの外へ出て行った。
「岬さん、現場の雰囲気悪くするのやめてくださいよぉ、折角監督が誘ってくれたのに」
「葉山くんも物好きだねぇ、せっかく早く帰れるのに。そういう付き合いは大人に任せとけばいいじゃん。今日行ったらこの先もずっと誘われるよ」
「でも、今までだって」
「今までだって、なに」
よくよく考えてみれば、葉山はスタッフたちが定期的にやっている酒の席が初めてだった。ドラマのクランクアップ後のパーティーは、撮影が入るので参加していた。
けれど親睦会を兼ねた飲み会には誘われたことがない。
――こんなことに気づいても、今更だと思った。
岬たちの飲み会に出演者の中で葉山一人だけ誘われていなかった。ずっと気にしていた。嫌われているのかもしれないって。けれど、それは十六歳の子供だったからだ。
酒の席に誘われても、子供は楽しくないだろうと岬に思われていた。岬は、いつだって葉山に対して大人と子供で線引きをしていただけ。
きっと、それだけだった。
(あれから、答えあわせばかりしている)
岬に抱いてもらった日から、もしかしたら、岬は、こんなふうに考えていたのかもしれないと理由を探すようになった。けれど浮かんだ答えは、自分にとって都合の良い理由ばかり。
だから、自分でバツをつける。
岬が葉山に対してする理不尽には、全てに理由があるのかもしれない。ただ、信じられないのも、それを酷いと思うのも、腹が立つのも葉山の勝手だ。
そもそも信じられなくしたのは、自分自身だから。
「今まで誘われてなかっただろ? 自分がまだ子供なんだって、自覚しなさいね」
そうやって周りに人がいる場所で楽しそうに先輩風を吹かせる。
以前はそんな岬からの絡みを仲のいい後輩として普通に流せて、岬のその接し方をありがたいとさえ思っていた。けれど、今は。
「そんなこと……事務所の先輩なんだとしても岬さんに、言われたくないです。仕事なんだから、自分のことは自分で決められます」
「あー言ったな。もう助けてやらねーぞー」
こうやって葉山の演技が崩れても、岬の演技は崩れない。だから心の底から腹が立った。
「頼んでないですぅ」
「ホント可愛い顔して、腹立つ餓鬼だよなぁ」
葉山は踵を返した背で岬の声を聞いた。どんな顔をしてそう言ったのか知りたくもなかった。珍しく喧嘩していたとしても、それくらい仲がいい先輩と後輩なんだと周りに思われている。そういう関係にみえるように、葉山が、葉山真幸でいられるように、岬が今まで協力してくれていた。
気づきたくない。これ以上、何も知りたくなかった。
* * *
未成年が居酒屋に行ったのだとしても、飲まなければいいだけの話。ノンアルコールの飲み物だってある。葉山にとって辛いのは、酒が飲めないことでも、タバコの煙でもなかった。
スタッフ同士で歓談するだけ。ただそれだけのことでも、葉山は細心の注意を払わなければいけなかった。
経歴も家族構成も嘘で塗り固められている自分にとって、プライベートなんてない。
仕事外の普通の飲み会の場だとしても、カメラの前に立っているのと同じだった。人の会話から自分が返すべき言葉を瞬時に判断して、違和感なく会話を繋いでいく。自分の作っている普段の嘘から外れないようにしなければいけない。
ドラマの撮影現場よりも高度な演技力が要求された。
「葉山くん、お酒飲んでるの、駄目だよぉ、未成年なんだから」
酔った内田監督に冗談のように笑われて、オレンジジュースをグラスに注がれる。
「飲んでないですぅ。岬先輩に駄目って、さっき現場で厳しく指導されたので」
「そんなこと言って、顔赤いよ、こっそり飲んでんじゃないの?」
内田に言われて席を外す口実が出来たと思った。
「ホントですか? 顔赤い? そんなことないけど、ちょっと鏡見てきますね」
葉山は席を立って洗面所に向かう。けれど洗面所の扉は開けなかった。そのままふらりと一人外に出て、誰もいない裏道へ入り壁伝いにずるずるとしゃがみこんでいた。
暑くて、寒くて、頭の中がぐちゃぐちゃで、訳がわからなくなった。周りの音全てがうるさい。頭が割れそうに痛い。とにかく誰もいない静かな場所で一人になりたかった。これ以上は無理だと思った。絶対に無理だとは言いたくないのに。早く席に帰らなければと思うのに、立つ気力が湧かない。
もう一言も喋りたくなかった。あと何分くらい休めるだろうか。そうしている間にも、時間は刻々と進んでいる。どうして岬に言われた時に、行かないと言えなかったのか。昼間の時点で疲れているのは自分でわかっていたはずなのに。
動きたくない、動かなければいけない。
時々路地の向こうに車が通り、その音だけが葉山を現実に引き止めていた。
「あ、葉山さんですか、サインください」
路地の入り口から突然明るい声が聞こえて、葉山はびくりと体を震わせた。とっさに声を作ろうとしたのに、言うべきセリフが浮かばなかった。
「――で、なに芸能人が、一人でふらふら外出歩いてるんですか」
足音が、人影が葉山の座っているところに近づいてくる。
「ッ」
「葉山くん」
ゆっくりと顔をあげるとそこには岬がいた。同じ目線にいる岬は、葉山を叱るような先輩の顔をしていた。昼間の撮影現場と同じ真剣な顔。
「なに、酒飲んだの?」
その問いに首を横に振る。岬の声は、淡々として静かだった。
「じゃあ、立てる?」
それにも首を横に振った。酒を一滴も飲んでいないのに、頭がぐらぐらして平衡感覚が戻らず立てない。
「あっそ」
助けてあげない、腹立つ餓鬼だと、ここへくる前に言っていた。だから岬はそのまま店に戻るんだと思った。それに葉山は、最後まで演技できると岬に言った。
「葉山くんさ。もう、終わりでいい? カット、演技終了」
「……ぇ」
「今から、俺の言う通りにしろよ。声が出ないなら、頷けばいいから。葉山くんは、事務所から電話がかかってきて、急遽帰ることになりました。で、急ぎだっていうから、たまたま車で来ている俺が送る。さっき喧嘩してたけど先輩の俺が折れて仲直りした。そういうシナリオでいいな」
「……飲酒運転」
「気にするの、そこ? 飲んでねーよ。俺明日早いの! ロケ! だから飲み会なんて行きたくなかったのに」
暗くて岬の表情はよく見えない。今、岬は、どんな顔をしているのだろうか。
「主演のHIROTOくん残ってるから帰ってもシラケたりしないし、葉山くんは、気にする必要はない。はい、だから本日のお仕事は終わり、ご苦労さん。葉山くんは、ここでおとなしく芸能人オーラを消してじっとしてろ、以上」
わかった? と念押しすると、岬は葉山の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、一人店の中へ戻って行った。




