好きが嫌いな人-10-
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墓参りをするタイミングに厳密な決まりはない。盆や彼岸以外に行ってもルール違反ではないし、故人を偲びたい気持ちに正解も不正解もないだろう。
死んだ人だって、息子や孫に会えたら嬉しいはず。
――ま、普通なら、な。俺の家、普通じゃないし。
岬は墓に来て、手を合わせる度いつも叱られている気分になる。そんなことする暇があれば仕事をしろ。きっと母親ならそう言う。
「なんで、来るかなぁ。身内でもないのに。しかも俺が来るタイミングで」
墓石に人影がかかり顔を上げ後ろを振り返ると、HIROTOが立っていた。
憎たらしいほどスタイルが良く、喪服が似合う上、嫌味なくらいさまになっている。
雨でも降っていれば、それだけで絵になるだろう。あいにく、すっきりとした秋晴れ。そして、その麗しいHIROTOの立ち姿を目におさめる観客は岬ただ一人だ。
都内にある小さな寺。
墓参りシーズンでもない墓地は寺本来の静寂に包まれ、ゆったりとした時間が流れていた。
芸能人が二人揃って、昼間から呑気に墓参り。
自分の母親じゃなくても、油売ってないで仕事しろと思う。
「沙希子さんのファンだったので。息子さんに今回共演でお世話になるし、ご挨拶も兼ねて」
「物好きというか、律儀というか。なら、なおさら墓なんか参ってないで仕事しろって怒るだろうよ、あの人は」
「怒られないと思いますよ。だって、命日は過ぎているし、タイミング的に行くなら今日かなと、明日から、また撮影続きますから」
「なるほど、考えていることは同じか」
「それに『青の鬼火』で寺の長男演じるし、沙希子さんも芸の肥やしになるから来たっていえば、よしっ! て笑ってくれると思いますよ」
「じゃあ俺もそういうことにするわ。寺息子の友人の役やるからって」
岬は立ち上がって、HIROTOと場所を入れ替わった。
「喜んでないかもしれないけど、息子だから、一応お礼言っとく。ありがとな」
HIROTOは、岬の前で数珠片手に手を合わせる。
女優、宮森沙希子。
清純派で売っていた訳でもないのに、二十歳の時に出来た子供の岬は、隠し子として世間からその存在を消されていた。
たとえ未婚の子だとしても、世間体を気にするような人ではなかった。とにかく破天荒で、気性の荒い女だった。だから子供がいると世間にバレたところで誰も気にしなかっただろうし、その人気が下火になることもなかったはずだ。
それでも最後まで沙希子は、息子の存在を公表することはなかった。死ぬまでも死んでからも世間は彼女に子供がいたことを知らない。
たまに息子に会っても口を開けば仕事の話ばかり。家庭より仕事が大事だった人。
そういう酷い人なので、一度だって岬の親だったことはない。
ただそこにいるだけで、存在感のある大御所の女優。性格が尖っていても周りから愛され、役者としても面白い人だった。
ただ、母親にはなれなかっただけ。
岬自身、叔父叔母夫婦の子として育てられたので、沙希子が本当の母だとは中学に上がるまでは知らなかった。たまにやってきては「君も、いつか役者になりなさい」とかウザいことを言う、顔が恐ろしく綺麗な親戚のおばさんだと思っていた。
結婚しなかった理由も相手も、隠し子にされた理由も、本人の口から聞いたことはない。
訊く前に事故で亡くなったから。
仕事帰りに対向車の事故に巻き込まれた。
初めて母との共演が決まった日だった。一度くらい同じ舞台で目にもの見せてやると意気込んでいたが、結局それは叶わなかった。
そして育ての親である叔父叔母夫婦も、二年前に突然の交通事故で亡くなった。
舞台の千秋楽だった。話を聞いた時は嘘だと思ったし、この一族は、呪われているとさえ思った。実母も育ての両親も事故で亡くした、なんて冗談でも笑えない。
そういう理由で、岬と沙希子が親子だと知っているのは、社長と、身内を除けばHIROTOだけだ。
「にしても、やっぱり、沙希子さんと岬さんって似てますよね」
手を合わせながらHIROTOはそう墓石に語るように口にした。
「そんなこと気づくの、HIROTOくんくらいだよ。ちなみに参考までに、俺とどこが似てんの?」
HIROTOと何度か共演が重なったとき、唐突に沙希子が母親かと言われたときは、どこかから情報が漏れたのかと思った。今の自分と過去の彼女を思い出し比べて見ても、容姿で似ているところは見つからない。
「そうですね、正確に言葉にするのは難しいな。演技を見てそう感じたから?」
「おいおい、役者だろ、そこは表現者として上手いこと言葉にしろよ」
「そういうのは、小説家とか脚本家がやってくれるでしょう」
「ま……確かに。俺も苦手だわ。言葉にすんの」
「それも、沙希子さんに似てますね」
「ちょっとHIROTOくん、俺の母親のなんなの、恋人だったとかはマジでやめてね。これ以上、俺の家系図複雑にしないでよ」
「前にも言いましたけど、共演者でよく面倒見てもらったんです」
「あ、そ」
葉山へ偉そうに「役者なんだから言葉にして伝えろ」なんて言ったが、HIROTOの言うことも一理あると思った。役者はどちらかといえば表現者として演奏家や画家に近い。
葉山をいじめるつもりはなかった。けれど、遊ぶつもりはあった。
追い詰めれば、追い詰めるほどに役者として成長していく、葉山をずっと側でみていたいと思う。
今も、昔も。最高に、血湧き肉躍る、本物の役者だと思っている。
ギラギラと目を光らせ、自分と対等であろうと必死になるところが、愛おしいと思う。
いつだって葉山は、たったひとつの答えを探そうと役に真剣に向き合っている。
岬はそんな葉山を年下でも心から尊敬していた。
素直さと頑なさが同居しているような男だ。甘やかして優しくしたいと思う。けれど、それは葉山の矜持を傷つけることだと分かっていた。
葉山が役者じゃなければ良かったと折に触れて思う。
思うだけでなく、実際に自分の力で辞めさせてやろうかと傲慢な思いで演技を仕掛けた。
結果は岬が惨敗した。腹立たしいことこの上なかった。
無論、やる前から結果は分かっていた。何をしたって、何を言ったって、葉山の中で、役者を続けたいという気持ちは変わらない。
葉山がただの自分のファンなら、もっと話は簡単だった。本人は否定するだろうが、一種のファン心理みたいなものが、葉山の根底にはあると思う。自惚れてもいいなら。
葉山は初めて見た岬の鮮やかな演技が忘れられないだけだ。最初に見たものを親と思うのと同じ種類のもの。
最初にHIROTOに出会っていたら、違う結果になったかもしれない。
(いや……なんか、それはそれで、ムカつくわ。葉山くんが、俺以外に目をキラキラさせて「好きです」とか言うの? 無理無理、腹立つ)
自分のことを棚に上げて、そんなことを思っていた。欲しいものは欲しい。役者であることを一番に望んでいる。
愛情さえも、演じることの面白さと、天秤にかける非情さを持っている。
葉山と自分が、お互い様なのは、こういうところだ。
あぁ、やっぱり自分も母親と同じ血が流れていると思った。一番を諦められない。
葉山が役者じゃなければ、面倒臭く頭の中がこじれていなければ、単純馬鹿なら、興味も持たなかった。あの年で手にしている緻密な演技と表現力に舌を巻く。共演者にいてくれれば綺麗な絵にまとまるし、一度共演すれば、また彼と一緒に仕事をしたいと思う。そういう男だから。
――あぁ、大嫌いだな。
優しくしたいのに、甘やかしたいのに、絶対にそうさせてくれないところが。憎らしくて、腹立たしい。
岬が葉山の望む役者でいる限り、葉山が岬の望む役者でいる限り、この気持ちは一生伝わらないだろう。
「ところで、葉山くん、急に演技変わったんですけど、何かアドバイスしたんですか?」
嫌な奴だよと岬は思った。ある程度の確信があって言っているところが。
「なんで、俺が?」
「なんとなく。突然、表情が豊かになりましたね。一緒にやって楽しいですよ。打てば響くというか、こっちが欲しい演技をよく分かっている。このあとの展開であの笑顔を歪めて、泣かすことになるかと思ったら、ゾクゾクするなぁ」
「HIROTOくん、ドエスだね」
「岬さんもですよね」
「俺はドエムだよ。母親の墓前で何言わすんだよ」
無防備に見せたあの可愛らしい顔を、撮影現場でHIROTOにも見せたのだと容易に想像できた。
手を繋いで、頭を撫でて、そんな些細なことが一番気持ちよかったと言った。そんな傷ついた彼を、自分が、もっと幸せにしたかった。出来もしないのに。
「葉山くんは、元々、上手いよ。最初は、ちょっと色々あって疲れてただけだから、そのうちHIROTOくんも食っちゃうような俳優になるかもね」
「親バカなんですか? 可愛くて仕方ないんですね、葉山くんのことが」
HIROTOに笑われて、小さく息を吐く。
「HIROTOくんだけだよ、俺の親馬鹿が伝わってんの。葉山くんは全然ダメ、俺のこと神様だと思ってるし、下手なこと言えないって。ほら、先輩は後輩の夢壊しちゃいけないから」
「やっぱり、そういうところが、沙希子さんに似てます。女優は夢壊しちゃいけないのってよく言ってましたから」
「そんなことHIROTOくんに言ってたの、嫌なおばさんだな」
後から気づいた。母親が優しかったことを。こうやって、いま役者として自由に演技が出来ているのは、母親が自分の存在を世間に公表しなかったからだ。どんな道を選んだとしても、七光りだと色眼鏡で見られることは誰だって避けたい。
岬が自分らしく生きられるようにと、その場所をくれたのは間違いなく、母親だ。
愛されていないと思っていた。けれど、ちゃんと愛されていた。
そのことに気づけたのは、母親が死んでから。
「役者の嘘に気づくのも、暴くのも、二十八年かかるんだねぇ」
嘘だったと気づいても、その真実を信じられないのは、沙希子が本物の役者だったからだ。
腹は立つけど、最後は幸せになった。結末だけが綺麗な嘘。
「役者になってからで計算すれば、半分くらいにはなるんじゃないですか?」
「葉山くんは、どうだろうなぁ、どう思う?」
「彼、才能あるんでしょう、岬さんより。俺も、葉山くんは、本物の役者だと思ってますよ。それに、才能溢れる十代の若者ですから」
HIROTOは墓前から立ち上がり岬に向き直ると、にこりと毒気のない笑顔を見せる。
「ほんと、HIROTOくんって嫌な男だよな、ドエス!」
「じゃあ俺はそろそろ、帰ります。来週から、またよろしくお願いしますね」
「はいはい! じゃあ、またね」
手をひらひらと振ってHIROTOを見送り、もう一度墓前に向き直った。
線香の煙を見ていると、無性にタバコが吸いたくなった。けれど、箱を開くと切らしていた。ぐしゃりと箱を潰す。
やっぱり、今日も叱られている気分だった。
「あーもう、確かにね! 役者は夢を壊しちゃいけないよな。――俺だって、少しは、反省していますよ。もっと上手く出来たかなって」
線香の細い煙が、一瞬の強い風に煽られて、目の前でふと途切れる。
「――大嫌いで、大好きなんだよ」
誰もいない、静かな空間へそっと語りかけていた。
今の演技は何点だろう。母親なら、そんなことを考える前に目の前の仕事に向き合えと言うだろう。岬もそう思う。
このままならない葉山への気持ちの結末が、ありでもなしでもいい。
お互いが望む役者でいられれば、きっと、欲しいものは半分手に入っているから。
葉山が岬の望む役者でいてくれてよかったと思う。幸せだと思う。
嘘でも、本当でもない、今の岬の気持ちだった。




