9.契約召喚⑬
ついに始まった粛清
やはり「遠慮深い変態」の考えることは分からない
「あらやだ、最終局面に入ってからずいぶん長いじゃない」
奥様! 次で最終話です!
五日後、粛清計画の決行日。ついに悪魔たちが井戸に流した遅効性の毒の効果が現れた。
始まりは、人通りの多い路上で、病気一つしたことが無かった、若い屈強な男性が突然、喉をかきむしり血を吐いて倒れたことだった。彼は自分の首を締めるように掴んだまま、のたうち回った。彼は背中を反らせたり丸めたりしながら、陸に揚げられた魚のように暴れていたが、次第に動きが激しくなり、最後には雌鶏のような高い声を上げて、大人しくなった。周囲の人が駆け寄り、数人で身を起こしたが、彼はすでに息がなかった。
皆が顔を見合わせた時、またしてもうめき声が上がった。その人も、最初の男性と同じ経過をたどった。しかし誰かに生死を確かめられることは無かった。その時にはすでに、その場の半分以上の人が、地面に転がっていたからである。
「何があったんだ」
「きっと伝染病だ。爆発的に感染が広がっているんだ」
「同じ空気を吸っただけで感染するぞ」
この推測は間違いで、真実は地下水に仕込まれた毒の効果が現れただけだった。したがって、この数日の内に井戸の水を飲んだすべての人間(それは国民のほとんどだった)は、すでにまもなく訪れる死から逃れられない運命だった。
しかし、真実を知らない人々は、布で口を塞いで国外へ脱出を試みて、ナベリウスが展開する見えない国境の壁に跳ね返された。
人々は議事堂の屋根の上にいる悪魔に向かって、術を解除するように怒鳴った。しかし白髪長髪の黒鶴の羽を持つ悪魔は、流れる雲を見上げたまま微動だにしなかった。そのうち誰かが彼に向かって石を投げたのをきっかけに、皆真似を始めた。
その時突然、議事堂に集う人々の前に悪魔プルソンが、呪術道具のラッパを持って現れた。
「あ、あんた、屋根の上にいるあんたの仲間が、俺達を無視するんだ。国境の見えない壁を消すように、あんたから言ってくれ」
プルソンは答えずに、小声で呪文を唱えた。彼がラッパの先を人間どもに向けると、熊の形をした光が飛び出し、周囲を一周しながら、人々の首を落とし、再びラッパに吸い込まれた。
他の悪魔たちも行動を開始した。毒の効果が現れないまま、身を隠している人間がいないか町中の建物を壊しながら探し回った。しらみ潰しに探すのが面倒な建物には、火を放った。この期に及んで、いまだに悪魔たちに助けを求めてすがりついてくる人間は、間髪入れずに切り捨てた。
大聖堂の最上階の部屋の前には、大勢の人々がつめかけていた。ここは、教会の最高権力者である、レソナンティア(注2)の位にある者の部屋だった。彼は、街で突然起こった伝染病を恐れて部屋にこもったままだった。
「出てきてください。レソナンティア。悪魔どもが人間を襲い始めました。見えない壁も取り除かれず、国民は閉じ込められたままです。このままでは国民は全滅してしまいます」
「悪魔を我々の生活に取り入れさせたのは、教会です。どうか、あなたの言葉の力をもって、悪魔たちを説得してください」
「待て、お前たち。私はまず、お前たちと対話をしたい」
「では、ここを開けてください」
「……」
「レソナンティア! 顔もまともに見られない者同士の間では、そもそも対話なんて成立しません!」
先ほどまで結婚式の最中だった礼拝堂の中。
正装した人々が、長椅子から崩れ落ちてそこいら中に横たわり、息絶えている。目を見開いて苦悶の表情を浮かべたまま、何かをつかもうと手を伸ばした死体や、喉を爪で掻きむしった形跡のある仰向けの死体。
彼らが吐いた血溜まりの中、未だ立っているのは二人のみ。たった数分前までこの場の主役だった花嫁の兄、トーマスと、悪魔のカイム。小刻みに震えるトーマスの足。カイムは花嫁と花婿が並んで倒れているところにかがみ、二人の手をつなぐように重ねてやった。それから身を起こすと、人間の友人の方を振り返った。
悪魔はまっすぐ彼を見つめながら、一歩ずつ近寄った。
「トーマス、これで君の妹は愛する者と永遠に一緒だ。幸せの門出に一役買うことができて、私としてもとてもうれしいよ」
トーマスは大声をだそうとしたが痛みに耐えかねて喉を抑え、代わりに引きつったような音を出しながら息を吸い込み、連続で咳をした。下を向いた彼の口から血が滴った。
「おまえに解毒剤を飲ませるのに苦労したよ。結局おまえは、私が渡した薬を混ぜたワインを半分しか飲み干してくれなかった。今おまえが死ぬこともできず、苦しんでいるのはそのせいだ」
人間は近づいてくる悪魔を手で追い払う仕草をしながら、よろめく足で後退りした。
「トーマス、そんなに怯えないでくれ。私はおまえを一人にするようなことはしない。私はただ、友人として自分の手で、おまえを大事な家族の元へ連れて行ってやりたかっただけだ。できるかぎり気持ちいいやり方でな」
悪魔はついに、トーマスの胸ぐらをつかみ顔を近づけささやいた。
「ようやくおまえと目があった。これが二人の最初で最後の対話だな」
カイムはトーマスにキスをした。まもなく悪魔の口の中に仕込まれていた即効性の毒が効いて、トーマスが床へ崩れ落ちた。
友人の死体を見つめる悪魔に、入口から一筋の光が差し込んだ。扉からアンドレが顔を覗かせた。
「終わった?」
「ああ」
注
2
名無し国の教会には、独自の位階制度があり、第五位ノートスから最高位レソナンティアまで五つの位階で構成されている。これは平和革命派の経典で語られる、異教徒達を懐柔するための「導きの五段階」になぞらえて定められた。
「導きの五段階」とは以下の通り。
第一段階ノートス(うなずき)「うん、うん。少数派の君のこと、誰も理解してくれないんだね」
第二段階エンパティ(共感)「君は何も悪くない。悪いのは君を理解しない差別社会だ」
第三段階アポロバチオ(承認)「ありのままの君でいいんだよ」
第四段階インクルージオ(包摂)「君の居場所はここにある……そして……君があがめるべき神もこちらにいらっしゃる……」
第五段階レソナンティア(共鳴)「今さら逃げるなんて、罰が下るぞ。さあ、もう考えるのはやめてともに歌おう」




