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9.契約召喚⑭

この物語の最終話

 独房のパトリア。

 町の様子が見えないここにも、人々の切り裂くような叫び声は届いていた。彼は鉄格子を掴んで、激しく揺するようにしながら怒鳴った。

「おい、グラシアはどこだ。町で何が起こっているんだ。誰か俺をここから出してくれ」

 その時突然、廊下を歩くブーツの音がした。やがて彼の前に、美しい姿勢で歩く、初老の女性が姿を現し、彼の前に立ち止まった。高い鼻と光る瞳に、峻厳さと気高さが現れた顔つき。パトリアは幼馴染のソルを思い出した。

 彼女はこちらを振り返ると、見下すように彼を見た。「この人は強い」と若い男性は直感した。こんな人がまだ、この国にいたなんて……彼は身構えたが、全く反応できない速さで、彼女は片足を振り下ろした。大きい音がして、気がつくと独房の鍵が蹴り壊されていた。女性はずれたブーツのかかとを直して、そのまま立ち去ろうとしたので、パトリアは急いで独房を出て彼女にすがった。

「町で何があったのですか」

 悪魔のバランは、ほとんど廃墟になった独房の近くで、人間の世界に来たついでにドライフラワーにする花を摘んでいるところだった。すると怒鳴り声が聞こえたので行ってみると、独房に閉じ込められた人間。彼の裸足の左足にナベリウスとクロセルの印章があったので、これが噂のグラシア・ラボラスの召喚者だとわかった。

 そこでパトリアを助けてあげたのはいいが、彼に詳しいことを、もう話してもいいのか、この悪魔には判断できなかった。

 二人はしばらく見つめ合ったが、やがてヴァプラの額に角が現れたので、このソルを彷彿とさせる「強い人」の正体を悟ったパトリアは「クソ」と叫び、自分の目ですべてを確かめるために町へ向かって走り出した。

 そして惨状を知った。




 パトリアは、夢中で町まで走り、生きている人間を探した。しかし新しい通りに出るたびに、そこは血まみれで横たわる死体で溢れ、動く人の姿はない。彼は、おぼつかない足取りで死体をよけながら進み、辺りを見回し、自分が直面している夢とも現実ともつかない状況に向かって何かを叫び続けた。たまに地面のむくろの中に、親しい人の顔を見かけると、その声は悲鳴に変わった。

 議事堂前の広場に出て、折り重なる首の無い死体と転がる首に直面したパトリアは、ついに力尽きて座り混んだ。そして地面に両手をついて、石畳に向かって、かすれてしまった声で罵倒し、胃の中のものを吐いた。


 彼がようやく顔を上げると、いつの間にか、彼を中心に同心円を描くように、地獄中の悪魔が集まり、彼に向かってひざまずいていた。(首なし死体は無造作に、端の方へまとめられていた)

 パトリアは、かすれた声で罵った。

「悪魔ども、皆殺しにしやがって。きさまらはもう、地獄へ帰ることができない。クロセル、おまえはもう俺の願いを叶えることはできない。国民が全滅した今、『国を守れ』という願いをどうやって叶えるんだ。国民がいない以上、この国はすでに滅亡した!」

 最前列でひざまずいていたクロセルが顔を上げた。相変わらずの薄ら笑い。

「何言ってるんですか。国民は全滅なんかしていません。あなたの目の前にいるじゃありませんか。もはや我々全員は、立派なこの国の『国民』なんですよ。ねえ、ヴァプラ?」

 クロセルが目配せすると、国会議員のヴァプラは、議員バッジを皆に見せるように胸を張った。

「ああ、養子登録されたすべての悪魔は、この国の国民として認められ、すべての権利が付与されると、議会ですでに決まっている」

 クロセルは、パトリアに向かって深く頭を下げた。

「これからわたしどもは貴方の願いに従い、『この国を守る』ため、今こちらに迫っているイグニス国軍を一掃いたします。ここにいる悪魔たち全員が、この『名無しの国』の『国民』として勇敢に戦ってくれるでしょう」

 悪魔の一人が、急に立ち上がって叫んだ。

「俺、戦争から帰ったら結婚するんだ」

 それにつられて皆、次々に立ち上がった。

「あたしも戦争から帰ったら結婚しよ」

「僕も」

「みんな何言ってんだ」

「戦争で死にたいやつが言うおまじないだよ」

「なんだそれ、効くのか?」

「効くわけ無いでしょ」

「いいか、みんな家に帰るまでが戦争だからな。はしゃぎすぎないように……」

 騒ぎ始めたみんなを、会議で議長をやっていたバエルがたしなめたが、言うことを聞く者はいなかった。

「俺は戦争から帰ったら、まず山盛りのビスケット食べながらぶどうジュース飲むね」

「それだ」

「俺一番」

 一番初めに立ち上がった悪魔が、戦場へ向けて光速移動を開始し、姿を消した。

「あ、ずるい僕も行く」

「私も」

「あ、おいみんな待て……もう、しょうがないなあ」

 しんがりとなったバエルが去った後、パトリアはただ一人残された。彼は石畳の黒ずんだ血の染みを残して、誰もいなくなった広場を呆然と見つめた。

 やがて彼の背後に足音。それが止むと、聞き慣れたグラシア・ラボラスの声がした。

「……パトリア……ごめん……君に守りたいものがあるように、僕も自分が守りたいものがあるんだ……」

 しばらくの沈黙のあと、再び悪魔の声がした。

「でもさあ、よく考えたらこれも『国防』の一つの形だと思わない? 君も、ちゃんと守るべきものを守ったと僕は思うな」

 悪魔の正式な召喚者は、膝をついたままうなだれて固まっていたが、やがて肩を震わせ、引きつった声をあげた。

 泣いているようにも聞こえたが、よく聞くと彼は笑っていた。









 現在、「名無し国」と呼ばれる伝説の国については、真偽不明の文献がいくつか残るだけである。

 それらの記述ををまとめると以下の通り。

 当時、同国の近くにキャンプ中だった、五万のイグニス国兵は、正体不明の謎の軍勢の不意打ちによって、たった一時間のうちに、ほぼ全員が戦場で命を散らした。すべてが混乱の内に終わっており、自分が誰にどうやって命を奪われたのか、気づかなかった者も多かったという。後に残った遺体はほとんどがこぶし大の肉片になるまで刻まれ、四肢や首の原型をとどめたわずかな肉片は、樹木の枝や、地面に突き立てられた槍の先に、まるで美術品のように並べて飾られていた。その素早さと残虐性はとても人間の仕業とは思えない、と文献は語る。

 惨劇から、身体を欠損させながらも、わずかに生き残った数名が、逃亡先でした証言によると「彼らは風や動植物を自在に操っていた」「彼らの額にはツノがあった。翼を持つものもいた」とのこと。もっと直接的に「あれは悪魔だ」と証言する者もいたが、全員正気を失っているようにしか見えなかったという。

 この事件以降、「名無し国」は、人外の軍事力を隠し持つ国として伝説となり、その地は六百年もの間、難攻不落の地として周辺諸国に恐れられた。



追記


 この物語から数十年後、ベリアルは、アフリカ大陸のある部族に神として崇められているところを、キメイエスによって救出された。


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