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9.契約召喚⑧

地獄で行われた緊急会議


 地獄は混乱していた。

 人間のむやみやたらな契約召喚によって、疲労で倒れる悪魔や、常に背中の痛みに怯える悪魔や、周りに比べて召喚が少ないことにちょっと虚しくなる悪魔などが現れた。そこで、各居住区ごとの代表者が集まり、今度の事態について会議が行われることになった。

 地獄中央文化センター(パンデモニウム)、第二多目的室。十二名の代表者が集まったところで、会議が始まった。

「人間どもめ、こっちの都合も考えずにやたらめったら呼び出しやがって」

「こっちが寝てようが、起きてようが、食べてようが、着替えてようがところ構わずだからな」

「ところでさあ、召喚されたときにあるビスケットとぶどうジュースって、食べてもいいの?」

「だめだろ、あの儀式でなされる契約だと、俺達の報酬は地獄への帰還だけだからな」

「でも、あれって僕たちに供えられてるものじゃないの?」

「あれ、やたら美味しそうだよな」

「ビスケットとぶどうジュースぐらい、地獄へ帰ってから自分で用意して食べろよ」

「分かってないなあ、あそこにあるから美味しそうなのよ」

「あれ、儀式が終わったあとどうしてるんだろ。捨ててるのかな。もったいなくない?」

 議長のバエルは手元の木槌を叩いて、場の静粛をうながした。

「みんな落ち着け、一旦、ビスケットとぶどうジュースは忘れろ。我々が今すべきは、今回の騒動を鎮めるための話し合いだ」

 しかし効果はあまりなく、悪魔たちの関心は次第に、自分の好きなビスケットの種類へと向かった。

 我らがグラシアも、この会議に出席していた。正式な召喚中の彼は、地獄と人間世界を自由に行き来できる代わりに、地獄にいられる時間が一日あたり一時間と限られていたが、そのすべてを使ってでも、この件に関するすべての会議に出席する決意だった。今度の事件を引き起こした「犯人」としては、一分だってこの場にいたくはなかったが、自分の知らないうちに真相が究明され、彼の召喚者のパトリアに危険な決定がなされる可能性を考えると出席しないわけにはいかなかった。


――なのに……よりによって……


 この会議でグラシアに当てられた席次は、彼が現在、最も会いたくない悪魔、クロセルの隣だった。前述の通りグラシアと、クロセルの親友カイムの間に起こったある事件が尾を引き、彼らの間には未だ溝があった。

 グラシアは、クロセルに話かけるどころか、横顔を一瞥する勇気すらなく、自分の席で石像のごとく固まっていた。

「ねえ、クロセル。そういえばカイム、地獄に帰ってきた?」

 誰かが、彼に話しかけた声が聞こえる。すぐに苛立った声で返答があった。

「まだですよ。一度、契約召喚されて以来、もう二週間は帰ってきてないです」

 別の悪魔の声。

「そういえば俺、契約召喚で人間の世界に行ったときに、カイムに会った。なんか這いつくばって掃除しながら、すげえ泣いてた」

「なんですって?」

 グラシアは、もう頭一つ動かさず、息も殺し、空気になった気持ちでこの場を乗り切ることに決めた。

 そうこうしているうちに、ようやく会議は進行の兆しが見えた。議長の横にいたマルバスが立ち上がって、皆の注目を集めたあと、発言した。

「そもそも、誰があんな召喚術を人間に広めたんだ。とても人間たちが自分で開発したとは思えない」

 発言者の隣にいた悪魔が引き継いだ。

「それなんだが、図書館の古文書現代語訳プロジェクトの対象になってる本の中に、古代に我々が人間に与えた契約召喚に関するものがあった」

「その本の内容を、人間の世界に広めた悪魔がいるってこと?」

「古文書現代語訳プロジェクトって、仕切ってるの図書館のバイトリーダーのカイムだっけ?」

「じゃあ、あいつが犯人? 意外だな。隠れて何かするタイプじゃないと思うんだが」

「まあ、遠慮深い変態の考えることは分からんからな」

「とにかくカイムが帰ってきたら問いただし、返答しだいでは責任をとってもらうしかないな」

「責任をとらせるって何すんの? カイムって拷問されても喜びそうじゃない?」

「まったく、遠慮深い変態の考えることはわからん」

「例えば今後、千年間ドーナツ食べちゃいけないとか……」

「つらすぎる……」

「まあまあ、百年間生き埋めくらいで勘弁してやれ」

「そういえば、クロセル。あんたカイムと仲いいじゃん。なんか聞いてないの?」

 グラシアは、「カイム」という名前が犯人候補として呼ばれるたびに、自分の右側からひどい圧迫を感じ、もう身動きしたくても、金縛りで動けなかった。行く筋もの冷や汗が、背中を伝う。やがて彼の右耳に、はっきりとクロセルの舌打ちが聞こえた。グラシアはみぞおちを抉られた気がした。その舌打ちが聞こえたのは、彼の横にいた自分だけのようだった。やがてクロセルが、かったるそうに立ち上がる気配があった。

「カイムさんが犯人なわけないでしょう。彼は被害者ですよ」

「クロセルはカイムと仲がいいから、かばってるんじゃないのか」

「ああん?」

「すいません」

「だいたい、なんでそれだけの状況証拠で、カイムさんが犯人ってことになってるんですか。そもそも例のプロジェクトで、実際の翻訳作業をしていたのは、彼じゃありませんよ。やりたいと申請をした悪魔に一冊ずつ託されて作業されていたはずです。だとすると、契約召喚の詳細を熟知していたのは、契約召喚に関する本の担当になった悪魔で、そいつが一番怪しいってことになるでしょ」

 議長の木槌の音。

「では、今から誰かが図書館に行って、その本の担当になっている悪魔を調べることにしよう。誰か……」

 皆、一斉に議長を見た。

「え、俺?」

 議長のバエルが図書館に向かい、しばらく会議は休憩になった。めいめいが隣の悪魔と小声でビスケットの話しを始めた中、グラシアは相変わらず微動だにできなかった。右側からせわしなく指で机を叩く音。気のせいか、自分に鋭い視線が向けられている気がする。しかし、怖くて確かめられない。左隣にいるアスモデウスが「ビスケットとクッキーは、バターの配合割合で区別すべきだ」などと彼に向かって熱弁していたが、生返事で対応した。

 グラシアが目をつぶると、まぶたの裏に、まもなく知らされる図書館の調査の結果、犯人として祭り上げられる運命の悪魔の顔が浮かんだ。八方塞がりだった。彼はもう、どの道を選んでも誰かを裏切る運命なのだった。

 数分後、ようやく議長がもどった。

「契約召喚に関する本の翻訳作業をしていたのは、ナベリウスだ。翻訳作業はまだ終わってないことになっていて、本も図書館に返却されていない」

「じゃあカイムさんが、今回のタイミングで儀式を人間に広めるのは無理ですね」

「犯人はナベリウスか……」

「そういえばあいつ、孤独癖があって、謎なところが多いよね」

「カイムとはまったく違う意味で、何考えているか分からんのか」

「とりあえず帰ってきたら、話を聞かなけりゃならんな」

 グラシアは恐る恐る手を挙げて、小声で異議を申し立てた。

「……ナベリウスは、犯人じゃないと思う」

  すぐに右側から、明らかに敵意を持った声が聞こえた。

「は? あんた、本当の犯人が誰だか、知ってるんですか」

 彼は上げた手を引っ込めて、背中を丸めて小さくなった。

「……ごめん、なんとなくそう思っただけだ。深い意味はない」

 グラシアにしてみれば、召喚者のパトリアを守るためには、この裏切りはしかたのないことだった。ナベリウスの潔白を証明するために、今ここですべてを白状したら、悪魔たちがパトリアに何をするか分からない。彼の名を出さず、うまく自分だけのせいになるように説明したとしても、自分が正式な召喚中だとバレている以上、召喚者の関与を疑われずにはすまないだろう。





 地獄で第一回会議が終了した数十分後。

 人間の世界、「名無し国」。議事堂の屋根の上で、結界を守るナベリウス。

 この白髪長髪の悪魔がぼんやり青空を流れる薄い雲を見ていると、目の前に誰かが降り立った。見れば、ナベリウスと同じ居住区に住む悪魔、プルソンである。(彼はこの国の脱税調査に繰り返し協力させられており、地獄とこの国を頻繁に往復させられていた。そのため、二つの世界を跨ぐ連絡係として指名された)

「久しぶりだな、ナベリウス」

「ああ、何の用でわざわざこんなところへ来たんだい?」

「地獄から会議の結果報告が俺に届いた。この国で広まっている悪魔の契約召喚は、君が翻訳を担当している本に詳細が書いてあるものだった。その本を、君はまだ持っているな。それが理由でみんな、契約召喚を人間社会に広めた犯人は、君ではないかと疑っている。地獄へ帰ったらみんなからの尋問があるだろう。しかし事前に聞いておきたい、君は本当に犯人なのか?」

 ナベリウスは二週間以上もの間、屋根の上から町で何が起こっているのかを見ており、いつかこの質問が自分に向けられる日が来るだろうと、予想していた。その答えはすでに決まっていた。

「ああ、契約召喚を広めたのは俺だ」




地獄。

「ナベリウスが犯人は自分だって認めたぞ」

「で、なんだって? ビスケットとぶどうジュースについて何か言っていたか?」

「それは聞かなかったらしい」

「聞けよ」



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