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9.契約召喚④

召喚者が自分の悪魔を受け入れるかどうかに職歴は関係ない

 グラシア・ラボラスが顔を上げると、久々の人間の世界。我が神たる召喚者は、地面に這いつくばって、泣きわめいていた。

「……あの……私をお呼びですか」

 思い切って呼びかけても、わめき続ける人間は答えない。悪魔は、大きな声を出した。

「お呼びですか!」

 パトリアはようやく振り返った。いつの間にか自分の側に、風変わりな男が片膝を立てていた。彼はそのままの姿勢で、頭を下げた。

「私がここにいる形而上学的原因は、あなたであって私ではない。私の名はグラシアラボラス。リージェントに属するソロモンの悪魔の一柱。あなたの忠犬として、この身を灰にする覚悟です」

 恐る恐る顔を上げた悪魔と、我知らずその正式な召喚者となった人間は、しばらく顔を見合わせた。

「ちなみに自己PRをさせていただくと、私は地獄の門のアルバイトを六千年以上続けておりまして、そこで培った辛抱強さは他のどの悪魔にも負けません!」

 この辺りでは珍しい灰色の波打った髪。髪と同じ灰色の右目と、シェリー酒のような黄金色の右目。浮世離れしたきめ細かい傷一つ無い肌。整った顔に、尖った鼻と尖った顎。口を開くたびに見える、尖った二本の犬歯。背中に背負った黄金の翼。敵意は全く無い。

 しかし、知らない外国語だったので、パトリアには彼が何を言っているのかは全然分からなかった。

「……どなたですか……」




 地獄の門、地獄側。

「ウエーン、ウエッ、ウエッ、オエ…」

「……泣くなグラシア……悪魔だと分かった途端に、召喚者に嫌われるなんて、初対面ではよくある話だろう」

「だってさあ俺が現れる直前に、悪魔に幼馴染を殺されたばっかりだったんだって。パトリアにとって悪魔に対する評価が地の底に落ちた瞬間に、俺が現れたわけよ。一体誰なの? その悪魔……パトリアに、弁解してほしいんだけど……」

 人間に正式に召喚された悪魔は、地獄にいられるのは一日に一時間という制限があるものの、こちらと人間の世界をある程度自由に行き来できるようになる。

 パトリアと話が通じるようになった途端に、とんでもない喧嘩になったグラシアは、一度地獄へ撤退したのだった。

「弁解なんかしたってどうしようもないだろう……悪魔の評価が地の底なら、もうこの先は上がるしかない。おまえはおまえのできることをやって、少しづつ召喚者の信頼を勝ち取れ」

「パトリアに俺ができることは何か聞いたら、五万の兵隊から国を守ってほしいって」

「なんだ、いいじゃないか。それくらいなら、お前一人の力があれば、国境に迫られる前に、敵の数を半分以下にして、士気を挫くことはできるだろう。その間に、その国の軍隊が、まだまだ余力があるふりをして、徹底抗戦する姿勢だけ示し続ければ、おのずと撤退していくさ」

「名無し国に軍隊はないって」

「え? でもまあ、いざとなったら戦いに参加できる国民はいるだろう。そいつらに形だけでも武器を持たせて……」

「パトリアの国の人間は誰も、国を守るために武器を取るなんてことは、どんなことがあっても絶対にしないんだって。彼が言うには、たとえ敵兵の百分の一でも国内に入られたら、国民は我先に降伏するのに必死になって、この国は落ちるだろうって。だから、最初から最後まで僕一人で五万の兵隊が国境を超えるのを食い止めなければならない。無理じゃない?」

「さすがに……ちょっと無理だな」

「あーあ、俺がナベリウスならなあ。君なら、敵が到着する前に、国全体に結界を張って、五万の兵隊どころかトカゲ一匹も国に入れさせないことができるのに」

「まあな。しかしおまえは俺じゃない。おまえにしかできないことだってあるさ」

「俺じゃ何もできないよ。召喚されたのが、ナベリウスだったらよかったのに」

「だが呼ばれたのはおまえだ。これには、何か意味があるはずだ」

 グラシアはふと、ナベリウスの傍らに年代物の紙の束があることに気付いた。丸だの三角だの波線だのを組み合わせた見慣れない記号のような文字が並んでいる。

「その紙の束、何?」

「六千年以上前に、悪魔の誰かが書かれたとされる書物の写本だ」

「なんでそんなもの持ってるの」

「今、図書館で古文書の現代語訳プロジェクトをやってるんだ。それに参加申請したら、バイトリーダーのカイムから、この本を渡された」

「地獄の門の門番と、兼業ってこと?」

「ああ、だってここにずっと座ってたって何もすることがなくて、暇じゃないか」

 その暇を何の疑問もなく甘受していたし、召喚されなければ今後もそうするつもりだったグラシアは少し肩をすくめたが、すぐに気を取り直して聞いた。

「それ、どんな本なの?」

「人間が悪魔を簡単に召喚する儀式が書いてある」

「儀式なんかしたって、俺たちはその人間の首を落としてすぐ帰ってくるだけじゃん」

「普通はな。しかしこの本の通りに儀式が行われ、我々が人間の世界に現れると、強制的に、我々は術者とある契約を結ばされることになる。その契約というのは、術者の願いを一つ叶えないかぎり、悪魔は地獄に帰れないというものだ。そのかわり、願いを叶えれば、術者を手にかけなくても、自動的に帰還できる。もしも術者の首を落としてしまったら、願いが叶ったか見届ける者がいなくなってしまって、その悪魔は地獄へ帰る手段を失ってしまう。我々はこれを契約召喚と名付けた」

「契約召喚? ……誰なの……そんなややこしい召喚術を開発したの……」

「俺達だよ。大昔は、地球の人口がとても少なく、悪魔を正式に召喚する人間も少なかったから、それはそれで暇すぎたんだよ。それで悪魔自らこんなものを作って、人間と交流しようとした。しかし、術が完成した当初は、儀式に三親等内の親族の全身の肉と血が必要だったから、ハードルが高すぎて利用者がいなかった。その後だんだん改良され、三親等内の親族の左腕一本で良くなり、次にはその親族が飼っている家畜の肉と血でよくなり、最終的にはその親族が食べるはずだったビスケットとぶどうジュースで良くなった」

「それで利用者は増えたの」

「いや、別の問題もあった。儀式の時に唱えなければならない呪文が特殊で、発音が難しかったんだ。当初悪魔は、地獄の門を出てすぐのところにある島国に住む、我々と同じ言葉を話す民族へこれを広めようとした。当時、連中は派手な壺を作るしか能がなかったんだが、温厚で物覚えもよかったから、試すにはちょうどよかったんだ。しかし民族の差なのか、彼らの舌では呪文の正確な発音が無理だった」

「ちなみにどんな呪文なの?」

 一瞬、理由も無く、ナベリウスを嫌な予感が襲った。しかし、自分の仕事の成果を誰かに披露したい欲にかられた彼は、すぐにそれを忘れ、咳払いをして喉を整えた。

「※※※ ※※※※※ ※※※※※※※。

 直接文字で表現不可能だから、本の中では、舌と唇の動かし方や、自然界に存在する似た音の例をいくつか挙げることで細かく説明されていていたんだ。昨日の夜、ようやくその解読が終わって、正確に再現できるようになった」

「※※※ ※※※※※ ※※※#※※※?」

「違う。※※※ ※※※※※ ※※※※※※※」

「※※※ ※※※※※ ※※※※※※※」

「そうそう」

「確かに、難しいね。それで発音できる人間は見つかったの?」

「ああ、今の西スラヴで見つかり、そこで術を広めたらしい」

「西スラヴ! 僕が召喚された場所に近いね。パトリアなら契約召喚術を使えるかも」

 ナベリウスは、驚いて大声を上げた。

「だめだめ、余計な気を起こすんじゃないぞ」

「そういえば今現在、人間の世界に、契約召喚は広まっていないよね」

「そりゃそうさ、結局俺達はすぐにその術を封印したからな」

「なんで?」

「なんでって、そりゃ地獄がえらい騒ぎになったからさ」

「えらい騒ぎ?」

「ああ、二度とこんな術を人間どもに与えてはいけない……あ、お湯が沸騰してる……」

 ナベリウスは、あわてて事務所にしている小屋へ戻った。一人になったグラシアは、彼が置いていった古文書の訳文原稿をしばらく見つめていたが、意を決してそのページをめくり、契約召喚の具体的なやり方を盗み見た。




 人間の世界。パトリアが宿泊している宿。

「……グラシア……さっきは悪かった……ソルが死んだのはおまえのせいじゃない。どうして俺は、ソルが悪魔召喚をすると言った時に、自分がやると言わなかったんだろうか。危険を冒すだけなら、無能な俺でもできたのに。もしも今生き残っているのがソルなら、結果は違ったかもしれない……」

「ソルって人、パトリアと仲がよかったの……」

「ああ……」

「でもその人と、自分を比べると辛くなる……」

「……」

「わかるよ…俺にもそういう友達がいるんだ……」

「俺達は役立たず同士だな……」

「パトリア……たった一つだけ君をこの国の救世主にする方法があるんだ……」



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