第3話 犬と暮らせば。
「なんだ、ハインリヒ、今日ももう帰るのか?」
ハインリヒが自分の机の上を片づけていたら、殿下に声を掛けられた。
「ええ。散歩をさせないといけないものですから。朝、晩」
「ん?犬でも飼ったのか?」
「え?まあ…そんな感じです」
ご令嬢に怪我をさせるなんて!とおばさまに大騒ぎされて、仕方なく歩けないエルナを靴が履けるようになるまで屋敷で預かることになった。おばさまも家に帰らずに泊まり込んでいる。宰相職の父は王城に部屋を持っていて、もともと家にはあまり帰らない。おばさまはその父の妹だ。
あの日、踵にハンカチを巻いて、ベンチから応対室までは仕方がなく俺がエレナをおぶって帰った。
「へえ、あなたはいつもこんな景色を見ているのね?」
急に背が高くなったみたい!と喜んでいたエレナは、子供みたいだった。実際、小さいし、軽いし…小型犬そのものだ。
急いで帰ろうとしていた俺の背中に殿下が声をかけた。
「首輪はしておけよ?盗まれるぞ?最近多いらしい」
…盗む?黙って連れ去られるような女じゃないが…殿下がそう言うなら…。
そう思ってハインリヒは帰り道に実家の御用達の宝飾品店に立ち寄った。
「おや、坊ちゃま。今日は何をお探しで?」
宝飾品店の店主がそう言うので、
「首輪を」
そう言うと、ああ、はいはい、と言いながら、ネックレスコーナーに案内された。
…こんなところに?首輪が??
「レディへの贈り物でございますね?」
…あるのか?
「こちらなんていかがでしょう。良いものですよ。坊ちゃまの瞳の色で…これなんかどうでしょうかね?値は張りますが」
そう言って店主が見せてくれたのは、黒のベルベッドに琥珀がはめ込まれたチョーカーと言うもの。後ろがリボンで、サイズの調整ができるらしい。そういわれたら、首輪かもしれない。
「じゃあ、これを」
ハインリヒは急いで屋敷に帰って、着替えると、エレナを散歩に連れ出す。
最初のうちは仕方なくおぶっていたが、今は踵の当たらないサンダルをおばさまが買ってきてくれた。
毎朝、毎晩、だいたい決まった時間に散歩に出る。
最初のうちは中庭だったが、裏庭に行ったり、厩舎に行ったり、その奥の馬が放せる場所にも行った。小さな林もある。
ペタペタとサンダルを鳴らしながら、エレナが歩く。歩調を合わせてよネ、と言われてなるべくゆっくり歩く。面倒だが怪我人?だから仕方がない。
「今日はね、お屋敷の菓子職人さんに会ったの。この前のケーキのお礼を言ったのよ」
おばさまに書庫に案内してもらった、だの、執事と地下のワインセラーの探検に行っただの、侍女頭に刺繍道具を借りただの…なんだかんだと毎日退屈もせずに暮らしているようだ。
…それにしてもよくしゃべる。
「聞いてる?」
そう言いながら俺を見上げてくる小さいエレナはやっぱり、小型犬みたいだな、そう思った。
朝食も夕食も一緒に取っているが、
「美味しいんだから、もっとゆっくり食べなさいよ」
だの
「もっとよく噛んで食べなさい」
だの…うるさい。




