第2話 黒猫。
エルナは16歳にして初めてのお見合だった。母が気合を入れて、着飾ってくれた。
「いい?おしとやかにするのよ?余計なこと言わないのよ?」
「はいはい」
「お相手はアルノルト侯爵家の御子息、ハインリヒ様。様、よ?わかってる?」
「はいはい」
「はいは一回。口答えはしない!」
「はい」
先週末に領地から王都の屋敷に呼び出されて、一週間、風呂に入れられたり、香油を塗られたりして磨き上げられた。
いつもは日に焼けて荒れたままになっている髪も、随分キラキラになった。日焼けは母親にぎっちり叱られたが、いまさらどうしようもない。
「まったく。もう16歳になったんだから、おとなしくして頂戴よ。なんで貴族令嬢がこんなに日に焼けてるのよ!!!」
それはね、お母様、外に出ているからだと思うわ。なるべく日に当たった方がいいとお医者様も言っていらしたもの。
そうして母に連れられてやってきたアルノルト侯爵家の屋敷は、見上げるほど大きかった。もちろん、伯爵家のうちの屋敷だってそんなに小さいわけではないけれど…王家にゆかりがあると言われているだけあって…これは…
「お母様?これは…私には無理じゃないかしら?」
「そんなことないわよ~多分」
「……」
私と母はしばらく黙って、その屋敷を見上げた。
母が私の耳元でおまじないの言葉をささやく。くすぐったくて笑ってしまった。
今日私がお見合いをするのはなかなか難しいご子息らしく、21歳になった今まで、婚約者は無し。見合いは20回近くやって、20戦20敗。高い高い壁のような方らしい。その壁に上り詰めた者はいない、って感じらしい。
現在は王太子殿下付きの秘書官。ゆくゆくは父親の跡を継いで宰相になられるだろうと噂される人らしい。
「当主が宰相職とかになった場合、領地の運営とか、どうするのかしら?」
「そりゃあ…あなたがやればいいんじゃない?」
「はい?」
「まあ、そんな先のこと心配しないで、今のお茶会を心配しなさいな!」
母は…ポジティブなのかなんなのか…。そう思いながら、二人は案内されるがままに応対室に入った。
…ほおおおっ、さすがに調度品もすごいわね…
…おお、お茶のカップも高そうね…
…おお…そんでもって、噂のご子息のプライドも高そうね…
エルナは何枚か被った猫の皮の向こうで、今ほど仲人さんに紹介されたハインリヒ、と言う青年を眺めた。背が高くて、神経質そうだ。
黒髪に…興味なんかこれっぽっちもないけどとりあえず微笑んで置こうかと言う微笑みを張り付けている。
…なんていうか…不機嫌な黒猫?
アンバーの瞳には私の姿なんか映っちゃいないようだ。私が小さいからか??見えないのか?上品にお茶を飲み始めた。
…ああ、なんで俺こんなことしなくちゃいけないんだろうなあ…と、黒猫の心の声を勝手にアテレコして…エルナは笑いだしそうになってこらえる。
こういう席ではお茶は飲んでもいいが、出されたケーキは遠慮するとマナーの先生に教えられた。
…凄く美味しそう。侯爵家には腕のいい菓子職人がいるのね…
ふっと目が合ったその青年に、ケーキを勧められる。勧められたらいいのよね??
エルナは一口、また一口とケーキを食べて…一つ食べきってしまった。本当に美味しかった。もしご挨拶出来たら、ここの菓子職人に礼を言いたい。
食べ終わってお茶を飲んでいたら、母がとても大きく目を見開いて私を見ていた。
…あ…でも、まあ…食べてしまったものは仕方ない。美味しかったし。もう二度と食べられないと思うし。そう思っていたら、青年がついっ、と自分の前に置かれたケーキを私の方に押してよこした。
…まあ!このケーキはまた違うやつね?
勧められたら断れないな。自分でそう言い訳をして、エルナは2つ目のケーキを平らげた。この黒猫さん用に作られたのか、甘さ抑え目。美味しくいただいた。
黒猫さんはちらりと私を見たが…自分で勧めておいたくせに、少々呆れた表情だった。
そして…現在に至る。
さきほどから全力疾走したおかげで、靴がすれて歩けそうにない。




