第1話 小型犬。
ハインリヒは正直、戸惑っていた。
毎回のことだが、初めて会った女と、お散歩でもして親交を深める、って…どうすりゃいいんだ?
アルノルト侯爵家の一人息子のハインリヒに縁談が来た。もちろん今までも世話好きのおばさまのおかげで何度となく中庭を歩かされた。
大体、うちの無駄に広い中庭を一周すると、先方様から辞退される。途中で帰ってしまう女もいた。
今日紹介されたのは、ゲルデ伯爵家の令嬢。さっきから俺の後ろをちょこちょことついてくる。16歳だと聞かされたが、小柄で13歳ぐらいにしか見えない。薄い金髪がもこもこしていて、緑色の瞳がクリっとしている。
先ほども出されたケーキをじっと見ているので、にっこり笑って勧めると、嬉しそうに食べ始めた。満足そうだった。まるで子供だな。あんまり美味しそうに食べるので、俺の分もあげた。
…これはあれだな…よく奥様方が抱えている白くてもこもこの小型犬。あれに似てる。
ハインリヒはいつものように黙々と中庭を歩く。特に話すこともないので、与えられた散歩と言う宿題をこなしている感じだ。どんどん早足になっている。早いところこの宿題を終えて、仕事に戻ろうと思う。
「ち、ちょっと!待ちなさいよ!」
声を掛けられると思っていなかったので、驚いてハインリヒが振り返ると、はあはあっと、息の上がったご令嬢が、膝に手を置いて上目遣いに俺を睨みつけていた。
「脚の長さ!脚の長さを考えなさいよ!」
「は?」
「は、じゃないわよ。あなた、頭悪いの?脚の長さが違うってことはね、脚が短い方は倍のスピードが必要なわけよ?ほぼ、競歩だからね?いや、走ってきたからね?」
「……」
確かに、俺にきゃんきゃんと吠え掛かっているこの女の脚は短い。身長が30センチは違うのに脚の長さが同じじゃ気持ちが悪いか。だな。
「ちょっと休憩!」
「…チッ」
「今、あなた、舌打ちした?舌打ちしたわよね?信じられない」
「……」
今までの女は皆、うつむいてもじもじして黙っていた。なんだこの女。めんどくせえ。
「今、あなた、メンドクサイって思ったでしょ?」
さっさと備え付けられたベンチに腰を下ろしたその女が、汗を拭きながら睨んできた。頬が赤くなっている。全力疾走した後みたいだな?
その女がぽんぽんっ、と自分の座ったベンチの隣を叩く。
ぽんぽんっ。
「お座りなさい、って言ってるの。あなたみたいな大男に立ってられたら、圧迫感がすごいわ。座って頂戴」
「……」
仕方なく隣に座った。座ったって、チビじゃないか。
「私だって走ろうと思えば走れるのよ?今日は余所行き用のお洋服だし、靴がねえ…」
そう言うので、その女が履いていた靴をつま先に引っ掛けてぶらぶらしているのを見た。なるほど…走ったせいなのか、履きなれていないせいなのか、踵が赤くなって血がにじんでいる。
「痛いか?」
ハインリヒは短く聞いた。
「痛いわよ」
「あ、その…申し訳なかった」
「もう走れないわよ?」
「だから…ごめん、て」
「ふふんっ」
その女は汗が引っ込むまで座っているつもりのようだ。ハンカチをパタパタさせて,風を送っている。ここに置いていくわけにもいかずに、ハインリヒは途方に暮れながら、中庭をぼんやりと眺めた。
春先の柔らかい風が吹いている。風、なんて感じたのも久しぶりな気がする。今日は休日だが、いつもは休日でも王城の自分の執務室で慌ただしく過している時間帯だ。
…春なんだなあ…。
俺の独り言に、その女が
「そうね。うちの領地では冬に生まれた子ヤギや子牛が外に出るのよ。初めての春。わくわくするわよね」
「……」
「それに、一面に花も咲くのよ。タンポポとか」
…ご令嬢と言う生き物は、バラとかが好きなのかと思ったが…。
「バカじゃないの?タンポポはお茶にもなるのよ?」
「…は?バラだって、フール国ではジャムになるんだろう?食べたことないけどな」
「なんだか、口の中がバラの匂いって、気持ち悪そうね」
「……そうだな」
「あら。あなたと初めて意見が合ったようね?」
「……」
「話してみないとわからないこともあるわよね」
若草色のくりくりっとした瞳が俺を見て笑う。
こいつ、やっぱり…犬みたいだ。




