第10話 乾杯。(最終話)
「あいつらは帰ってきたのか?」
「ええ、早々に帰って来て、お部屋で仲良くお茶を飲んでいらっしゃいましたよ」
「…ふむ…」
夜遅い時間に久しぶりに屋敷に帰ったアルノルト侯爵を執事長が出迎えた。上着を預かって、どっかりとソファーに座り込んだ当主を眺める。
「エルナ嬢の体が弱いと聞いて、反対なさったんですって?」
「ああ。妹が言ったのか?」
「ええ。それは…奥様のことがあったから、ですか?」
「…ああ」
ふうっ、と息を吐いて、もたれ掛かった当主はずい分と遠いところを見ているようだ。
「体の弱い嫁だと、ハインリヒもその子どもも…寂しい思いをするだろうと思ってな。妻も体が弱かった。いつも明るく振る舞っていたけどな」
「そうでございましたね。それで…奥様がお亡くなりになったショックで、旦那様は屋敷に寄りつかなくなってしまって…ハインリヒ坊ちゃまは寂しい思いをなさったと思いますよ」
「ああ…そうだな。私は屋敷のそこかしこに妻の姿を探してしまって……屋敷にいるのが辛かった。結局、仕事に逃げたんだ。ハインリヒには悪いことをした」
ふふっ、と執事長は声を出さずに微笑んだ。
「そうですね。お酒でも出しますか?」
「ああ。久しぶりにお前も付き合え。今日は息子の嫁が決まったお祝いだ。体が弱くても、自分が支えていくからと言いおった。やっと反抗期だ」
「うふふっ。そうですね。大旦那様に、旦那様も啖呵を切っておいででした」
「…あははっ。そんなところ、似なくてもいいのにな」
上着をハンガーにかけて、執事長が振り返った。
「旦那様は…体の弱かった奥様を娶られて、後悔なさっていらっしゃいますか?」
「いいや。でも、正直、こんなめでたい時に一緒に乾杯するのがお前とじゃ、寂しいと思ってはいるよ」
そう言って当主が寂しそうに笑った。
「それはそれは。では、盛大に飲みましょうかね」
執事長はグラスを3つ用意して、ゼクトを注ぐ。細かい泡が静かにはじけた。
「おめでとうございます」




