第8話 天下布武
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。
SEALED
何度見ても、表示は変わらなかった。
朝倉湊のスマートフォンから《REPLAY》の文字が消え、その場所には無機質な英字だけが浮かんでいる。
隣では、黒瀬凛がICカードを握り直していた。
「駄目。《ROUTE》が出ない」
牧野壮真も、古びた腕時計を何度も確認する。
「こっちも。《BACK SECOND》が消えてる」
他の五人も同じだった。
遺想具そのものは手元に残っている。だが、その物に宿っていたはずの力だけが発動しない。
――《天下布武》領域内。
――領域内の低強度遺想能力へ支配干渉。
――遺想能力強度LEVEL 3以下。
――発動抑制。
湊は、ホールの中央に立つ男を見た。
織田信長。
遺想能力強度LEVEL 4。危険度S。
宮本武蔵よりLEVELは一つ低い。それなのに、危険度は同じだった。
理由は、もう目の前にある。
自分より低いLEVELの能力を、一帯まとめて使えなくする。それだけで、この場にいる八人は、ほとんど戦う術を失っていた。
信長は焼け焦げた扇を片手に、MINOR COREの前へ立っていた。
「来ぬのか」
誰も答えなかった。
信長が薄く笑う。
「取ってみよ、と言ったはずだ」
壮真が小声で言った。
「いや、能力全部消しといてそれ言う?」
信長の視線が向いた。
「何か言ったか」
「独り言です」
返事だけは速かった。
凛が湊のすぐ横へ寄った。
「どうする?」
「……分からない」
「正直ね」
「嘘ついても仕方ないだろ」
MINOR COREまでは、数歩しかない。
信長も、まだ触れていなかった。
誰かが先に触れれば取得できるのか。それとも、何か認証が必要なのか。それさえ分からない。
ただ、このまま引き返せば、信長が手に入れる可能性は高かった。
そのとき、八人の中にいた一人の男が前へ出た。
「俺が行く」
二十代半ばくらいで、手には短い鉄棒のような遺想具を持っていた。
「待って。能力使えないんだぞ」
湊が止める。
「だから何だよ。あそこまで数メートルだろ」
男はMINOR COREを見た。
「全員で見てるだけなら、来た意味ないだろ」
言っていることは分かる。
男は走った。
一直線にCOREへ向かう。
信長は動かなかった。
五メートル、三メートル、二メートル。
男が手を伸ばした瞬間、信長が一歩横へ出た。その身体が、男の進路を塞ぐ。
「どけ!」
男が鉄棒を振った。
信長は刀を抜かなかった。
半歩ずれて鉄棒をかわし、それを持つ手首へ扇の骨を当てた。力任せに叩いたのではない。振り切る直前の腕の向きを、わずかに変えただけだった。
鉄棒がCOREとは逆方向へ流れ、男の体勢が崩れる。
そこへ信長が肩を当てた。
「うわっ!」
男は床へ転がった。
「……普通に上手い」
壮真が呟いた。
湊も、同じことを考えていた。
武蔵とは違う。
目で追えないほど速いわけでも、人間離れした剣技を見せたわけでもなかった。
ただ、相手がどこへ行きたいのかを先に理解し、必要な場所へ動いている。
最小限の動作で、目的を邪魔していた。
信長は倒れた男を見下ろした。
「一人で突っ込めば取れると思ったか」
男が立ち上がろうとする。
「まだ……!」
「やめろ!」
湊が叫んだ。
男が振り返る。
「何でだよ!」
「同じことしても、次はもっと簡単に止められる」
男は悔しそうに歯を食いしばったが、それ以上は進まなかった。
信長の視線が湊へ移った。
「貴様は行かぬのか」
「行ったら止めるんだろ」
「無論」
「じゃあ行かない」
信長の目が、少し細くなった。
「妙な男だ」
「よく言われる」
「まだ数人にしか会ってないでしょ」
凛が小声で突っ込んだ。
湊は聞かなかったことにした。
信長は焼けた扇を閉じた。
「恐ろしいなら退け」
「帰っていいの?」
壮真が聞く。
「止めはせぬ」
「意外と優しい」
「弱者を追う暇などない」
「前言撤回」
壮真の顔が引きつった。
凛の表情も険しくなる。
「弱かったら従えってこと?」
信長は凛を見た。
「力なき者が力ある者へ従う。何がおかしい」
「全部」
「ならば覆せ」
あまりにも単純な返答に、凛は黙った。
信長は続けた。
「力がない。策もない。ならば従え。それが最も早い」
湊は信長を見た。
王冠軍の分類傾向は、統率、支配、征服、秩序。
なぜこの男がそこへ振り分けられたのか、少しだけ分かった気がした。
「じゃあさ」
湊が口を開いた。
「何だ」
「あんたより強い奴がいたら?」
信長の眉がわずかに動いた。
「そいつに従うの?」
壮真が横から湊を見る。
「お前、それ聞く?」
信長は怒らなかった。
少し考えるように、湊を見つめる。
「俺より強い者か」
「いるかもしれないだろ」
湊の脳裏に武蔵が浮かんだ。
危険度S。遺想能力強度LEVEL 5。
しかも、能力を使う前から異常な強さを持った剣士だった。
この世界には、あんな存在が他にもいるかもしれない。
信長は答えた。
「ならば戦う」
「従わないんだ」
「何故、俺が従う」
湊は思わず言った。
「いや、今自分で力ある者に従えって言ったじゃん」
壮真が吹き出した。
凛も口元を押さえる。周囲にいた五人まで、緊張した顔を少しだけ崩した。
信長だけが笑わなかった。
数秒間、湊を見つめている。
今さら遅いが、言い過ぎたかもしれない。
やがて、信長が口を開いた。
「なるほど」
怒ってはいなかった。
むしろ、少し面白そうだった。
「貴様の言うとおりだ」
「認めるんだ」
「俺は俺の意思で決める」
信長はMINOR COREへ目を向けた。
「ならば貴様らも、自らの意思で俺を覆してみよ」
「結局それ?」
壮真が小声で言った。
「たぶん」
信長が一歩下がった。
COREまでの道が空き、八人の間に緊張が走る。
罠なのか。
それとも、取れるなら取ってみろという言葉どおりなのか。
凛が囁いた。
「一人じゃ無理」
湊も頷いた。
「八人で行く」
「全員?」
「相手は一人。能力は封じられてるけど、こっちは人数がいる」
壮真が肩を見た。
「俺、一応負傷者」
「走れる?」
「そこは問題ない」
八人は少しずつ散った。
正面と左右へ分かれ、信長を囲むように位置を変える。
「一斉に行けば、一人くらい触れる」
誰かが言った。
単純な作戦だった。
だが、今できることは多くない。
湊が合図を出した。
「行く!」
八人が同時に走った。
信長は右、左、正面へ視線を動かし、その場から全員を見ていた。
そして、左へ動く。
右側から来た二人が信長を追って進路を変え、その動線が重なった。信長は二人の間を抜けた。
「うわっ!」
二人が体勢を崩した。
信長は止まらなかった。
その間に、壮真がCOREへ向かう。
信長の視線が自分へ向いた瞬間、壮真は反射的に腕時計へ手を伸ばした。
だが、《BACK SECOND》は封じられている。
「あ」
その一瞬を、信長は見逃さなかった。
壮真の前へ入り、肩を掴む。負傷していない側へ身体を回転させ、その勢いを利用して進む方向を変えた。
壮真の身体が、COREではなく湊の方へ向いた。
「ちょっ――」
湊は避けきれなかった。
二人はぶつかり、そのまま床へ倒れ込んだ。
「痛っ!」
「何すんだよ!」
「俺じゃねえ!」
その間に、凛が走った。
信長が振り返る。
だが、凛はCOREへ向かわず、信長の背後へ回り込んだ。
「今!」
別の二人が、同時に中央へ踏み込んだ。
信長の表情が少し変わった。
初めて、読みを外したように見えた。
「いけ!」
湊が叫ぶ。
一人の手がCOREへ伸びた。
あと数十センチ。
その隙間へ、信長が刀の鞘を差し込んだ。
腕を叩いたのではない。手とCOREの間を塞ぎ、触れられなくしたのだ。
男が手を伸ばす方向を変える。
もう一人も近づいたが、信長は身体を入れ替え、二人の進路を塞いだ。
八人と、一人。
人数では圧倒している。それなのに、誰一人としてCOREへ触れられなかった。
湊は床から立ち上がった。
「……何なんだよ」
速すぎるわけではない。
武蔵ほどの異常な動きでもなかった。
それなのに、信長は常に一番必要な場所にいた。
凛が息を切らしながら言った。
「全員見てる」
「何?」
「誰がCOREへ行こうとしてるか。誰が囮か。たぶん最初から全部見てる」
湊も気づいた。
信長は、一人一人を倒そうとしていない。
目的はCOREを守ることだ。
だから、COREへ届く可能性が最も高い者だけを止め、それ以外は無視する。
剣術というより、戦場を見る目と判断だった。
指揮官として積み重ねてきた経験は、遺想能力とは別に、この男の中にある。
「ズルくない? 能力も強くて本人も頭いいって」
壮真が言った。
「文句言ってどうする」
凛が返す。
信長は八人を見た。
「終わりか」
誰も答えられなかった。
八人は息を上げている。一方の信長は、COREの近くをほとんど離れていなかった。
「能力を失えば、この程度か」
その言葉が、湊の胸に刺さった。
《REPLAY》。
ここへ来てから初めて得た、自分だけの力だ。
それが使えないから、何もできない。
本当に?
湊はスマートフォンを見た。
画面には変わらず、SEALEDの文字が浮かんでいた。
「……くそ」
指で画面を払った。
すると、画面が動いた。
湊の指が止まる。
もう一度スワイプすると、やはり普通に動いた。
「ん?」
《REPLAY》は封じられている。
だが、ホーム画面へ戻ることはできた。時計も、カメラも開く。
試しにカメラを起動すると、信長の姿が画面に映った。
撮影できる。
ライトをつけると光り、音量も変えられた。アラームの設定画面も開いた。
湊は画面を凝視した。
《天下布武》が封じているのは、スマートフォンではない。
遺想能力だ。
「……そういうことか」
凛が近づいてきた。
「何?」
「能力は使えない」
「うん」
「でも、スマホは使える」
壮真も覗き込む。
「そりゃスマホだからな」
「違う」
湊は周囲を見回した。
巨大な石造りのホールには、太い柱と古い照明があった。二階へ続く階段や扉、割れた窓も見える。
壁の高い位置に、古びた案内板が一枚掛かっていた。
「……あれ」
湊はスマートフォンのカメラを向けた。
ズームすると、肉眼では読めなかった文字が、画面の中で大きくなる。
一階、二階。
そして、地下保管区画。
湊の指が止まった。
「地下……?」
凛が画面を見た。
壮真も近づいてくる。
「地下室?」
湊はホールの中央へ目を向けた。
透明なMINOR COREが浮いている。その真下には古い石材の床が広がり、ところどころに細いひびが走っていた。
湊は、その床を見つめた。
今の自分たちには、信長を突破できない。
なら、違う方法を探せばいい。
「何考えてるの?」
凛が聞いた。
「俺たちが取るのは無理かもしれない」
壮真がため息をつく。
「急に弱気」
「最後まで聞けよ」
湊は信長を見た。
「でも、あいつにも取らせない方法ならあるかもしれない」
二人が同時に湊を見た。
「どうやって?」
湊はスマートフォンの画面を見せた。
「この下」
凛が意味を理解し、目を見開いた。
「まさか」
壮真だけが、まだ分かっていなかった。
「何?」
湊はMINOR COREの真下を指さした。
「床を落とす」
数秒の沈黙のあと、壮真が顔をしかめた。
「それ、作戦?」
「作戦」
「ただの嫌がらせじゃない?」
凛が言った。
「今はそれでいい」
湊は周囲を見回した。
能力は使えない。
それでも、ここには八人いる。物があり、スマートフォンも動く。この建物そのものだって使えるかもしれない。
武蔵との戦いで分かったことだった。
強い相手へ、直接攻撃する必要はない。
相手ではなく、戦場を使えばいい。
信長がこちらを見ていた。
「何を企んでおる」
「別に」
「顔に出ておるぞ」
「そう?」
信長が少し笑った。
「やってみよ」
湊も、わずかに笑った。
《REPLAY》も、《ROUTE》も、《BACK SECOND》も使えない。
それでも、何もないわけではなかった。
能力を得る前から、ずっと使っていた物がある。
湊は、ひび割れたスマートフォンを握った。
「やってやるよ」
「何をだ」
信長が問う。
湊は中央のMINOR COREを見た。
「能力のない戦いを」
信長の目が、わずかに細くなった。
透明なMINOR COREは、二人の間で何も知らないかのように、静かに光り続けていた。
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『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
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