第7話 最初の記憶核
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。
無名軍の開始領域へ戻った頃には、空の色がすっかり変わっていた。
夕方なのか、それともこの世界がそう見せているだけなのかは分からない。赤みを帯びた空の下、古びた商店街と近代的な建物が不自然に連なる街並みの中で、多くの人間が慌ただしく動いていた。
湊たち三人が姿を見せると、入口付近にいた相馬源一郎が駆け寄ってきた。
「無事でしたか」
「一応」
湊が答えると、相馬の視線が壮真の肩に巻かれた包帯へ向いた。
「怪我を?」
「ちょっと木刀で」
「木刀?」
壮真が苦笑する。
「説明すると長いです」
相馬は何か言いたそうだったが、結局、小さく息を吐いた。
「三人とも戻った。それで十分です」
その言葉が、湊には少しだけ重く聞こえた。
三人とも戻った。
この世界では、それすら当たり前ではない。
四人は近くの建物へ移動した。
元は喫茶店だったらしい。店内ではテーブルが寄せられ、簡単な作戦場所が作られていた。十人ほどの無名軍参加者が、そこへ集まっている。
湊たちは、自分たちが見てきたことを順番に説明した。
最初に見つけたMINOR COREと、革命軍との遭遇。その戦いで使えるようになった、壮真の《BACK SECOND》、凛の《ROUTE》、湊の《REPLAY》。
そして、宮本武蔵。
その名前が出たところで、何人かが反応した。
「宮本武蔵って……あの宮本武蔵?」
若い男が聞いた。
「アラートでそう出た」
湊が答える。
「遺想能力強度LEVEL 5。危険度S。しかも、どこの軍にも所属してなかった」
部屋の空気が変わった。
「戦ったんですか?」
相馬が聞いた。
壮真は腕を組んだ。
「戦ったと言えば戦ったし、逃げたと言えば逃げたし」
「ほぼ逃げただけ」
凛がすぐに訂正する。
「生きて戻ったなら、それでいい」
相馬の返事は早かった。
湊は、武蔵が去り際に言ったことを思い出した。
――勝てぬなら、勝たぬ方法を探す。それも兵法だ。
「それと、聖域軍にも会いました」
凛が続けた。
「負傷者を、所属に関係なく治療してた」
「敵軍も?」
「うん」
「そんな軍もあるのか……」
誰かが呟いた。
湊は、ナイチンゲールとジャンヌについても説明した。
ナイチンゲールは遺想能力強度LEVEL 2なのに、危険度はA。ジャンヌはLEVEL 4で、危険度Sだった。
同じ歴史記憶体でも、武蔵とは強さの種類がまるで違っていた。
「LEVELだけじゃ、強いかどうか分からないのかもしれません」
湊は言った。
「宮本武蔵なんて、能力を使う前から普通に強かったし」
壮真も頷く。
「ナイチンゲールは戦う感じじゃないのにAだったしな」
相馬は少し考えた。
「能力そのものの大きさと、その人物が戦場に与える影響は別……ということでしょうか」
「たぶん」
凛が答えた。
今のところ、それ以上は分からなかった。
相馬は集まった者たちを見回した。
「分かりました。こういう情報は共有していきましょう。ただし、実際に見たこと以上を事実のように広げるのはやめましょう」
「先生っぽい」
壮真が言う。
「元教師ですから」
相馬が苦笑した。
そのとき、湊のポケットの中でスマートフォンが震えた。
同時に、周囲にいた何人かも顔を上げる。
――MINOR CORE反応を確認。
半透明の地図が浮かび上がった。
光点は、無名軍の開始領域からそれほど離れていない場所にあった。
「さっき出たやつ」
凛が言った。
「ああ」
今度は、新しい情報が追加されていた。
――副記憶核《MINOR CORE》。
――当該記憶核を所有した軍には、七大MEMORIA COREに関する座標情報の一部を付与します。
部屋がざわついた。
「座標?」
「これ取れば、本物のCOREを探しやすくなるってことか?」
続けて、補足が表示された。
――MINOR COREは七大COREへの到達に必須ではありません。
――ただし所有数に応じて、領域情報および攻略情報の開示率が上昇します。
壮真が頷いた。
「持ってるだけで有利になるってことだな」
「たぶん」
湊が答えた。
さらに、情報が続いた。
――MINOR CORE周辺に複数の参加者反応を検出。
――識別可能範囲外。
――所属情報、未取得。
今度は、誰もすぐに口を開かなかった。
最初に発言したのは、三十代くらいの男だった。
「行かない方がいい」
全員が彼を見る。
「もう誰か向かってるんだろ。何軍かも分からない。こっちは戦える人間がほとんどいないんだぞ」
別の女性も頷いた。
「副記憶核一つのために死人が出たら意味がない」
「でも、全部そうやって譲るの?」
凛が言った。
女性が凛を見る。
「何?」
「今回は危ないから行かない。次も誰かいるから行かない。その次も。それで最後に何が残るの?」
「じゃあ戦えっていうの?」
「そうは言ってない」
凛は地図へ視線を戻した。
「誰がいるのか調べる。取れそうなら取る。無理なら逃げる。それでいいでしょ」
湊は、再び武蔵の言葉を思い出していた。
勝てないなら、勝たなくていい。
目的を達成する方法は、一つではない。
相馬も同じ考えに至ったらしかった。
「偵察しましょう」
ざわめきが止まった。
「相馬さん?」
「目的は戦闘ではありません。MINOR CORE周辺の状況を確認する。そのうえで、可能なら取得する」
壮真が少し笑った。
「無名軍っぽい」
「褒めていますか?」
「かなり」
相馬は地図を拡大した。
MINOR COREがあるのは、開始領域から南東の区域だった。古い城下町と近代的な商業地区が混ざり合い、その中央には大きな石造りの建物が表示されている。
「人数は多く出しません」
「何人?」
凛が聞いた。
「八人」
「少なっ」
壮真が言う。
「人数を増やせば見つかりやすくなります。それに、動ける人間を全員連れていけば、ここが無防備になる」
相馬は三人を見た。
「朝倉さん、黒瀬さん、牧野さん。お願いできますか」
湊は驚かなかった。
どこかで予想していた。
「行きます」
凛も頷いた。
壮真だけが、包帯の巻かれた肩を見た。
「俺、病人なんだけどなあ」
「残る?」
凛が聞いた。
「誰が残るって言った?」
即答だった。
相馬は他に五人を選んだ。
周囲を見るのが得意な者、護身程度ならできる者、足の速い者。
誰も強者ではなかった。歴史に名前を残した人物でもない。
そんな八人が、無名軍にとって初めての小さな偵察隊になった。
出発前、相馬が全員を見た。
「一つだけ約束してください」
「何です?」
湊が聞いた。
「記憶核より、命を優先すること」
壮真が笑う。
「先生、やっぱり戦争向いてないな」
「知っています」
相馬は笑わなかった。
「でも、私はこの軍が勝つことより、皆さんが戻ってくる方が大事です」
湊は相馬を見た。
指揮官として、それが正しいのかは分からない。
だが、無名軍の一人としては、不思議と間違っていない気がした。
MINOR COREの反応地点へ近づくにつれて、遠くから戦闘音が聞こえ始めた。
爆発音に金属音、そして叫び声。
誰が戦っているのかまでは分からなかった。
「止まって」
凛が手を上げた。
八人は建物の陰へ身を寄せた。
壮真が少しだけ顔を出す。
「いるな」
大通りの右側に、数人の参加者がいた。頭上には砕けた鎖の紋章が浮かんでいる。
「革命軍」
凛が小声で言った。
反対側では、十数人ほどの集団が隊列を組んで進んでいた。
頭上にあるのは、王冠の紋章だった。
「王冠軍もいる」
湊が言った。
ここへ来て初めて、誰がMINOR COREを狙っているのか分かった。
システムが教えてくれたわけではない。
自分たちの目で見て、確かめた。
革命軍は建物や細い路地を使い、人数差を埋めるように王冠軍を攪乱していた。
対する王冠軍は、統率されていた。
前へ出る者と守る者が分かれ、後方からも援護している。戦争は始まって間もないはずなのに、無名軍よりずっと「軍」に見えた。
「分類どおりって感じ」
凛が呟いた。
王冠軍の分類傾向は、統率、支配、秩序。
湊も、最初にシステムが告げた言葉を思い出していた。
スマートフォンの地図を確認すると、MINOR COREは二軍が戦っている場所の、さらに奥にあった。
「正面からは無理だ」
凛が周囲を見回した。
「裏から回る」
八人は戦闘中の二軍を避け、細い路地へ入った。
最初の角では王冠軍の二人と遭遇しかけたが、物陰に身を寄せ、通り過ぎるまで待った。
次の路地へ進むと、今度は革命軍の二人と鉢合わせた。
双方が同時に足を止めた。
相手も、八人の頭上にある白い円の紋章を見た。
「無名軍か」
革命軍の男が武器へ手をかける。
壮真も反射的に腕時計へ触れた。
数秒間、互いに動かなかった。
「今やるか?」
男が言った。
「そっちがしたいなら」
凛が答えた。
沈黙のあと、男が武器から手を離した。
「やめとく」
壮真も腕時計から手を離す。
「賛成」
双方は、そのまますれ違った。
湊は振り返らなかった。
軍が違い、COREを奪い合っている。それでも、会った瞬間に必ず殺し合うわけではない。
少なくとも、まだこの世界の全員が戦争に慣れているわけではなかった。
やがて、目的の石造りの建物が見えてきた。
――MINOR CORE反応増大。
システムから届いたのは、それだけだった。
残り百二十メートル。
六十メートルまで近づくと、戦闘音も大きくなった。
突然、大通り側で爆発が起きた。
「伏せろ!」
八人が身を低くする。
近くで建物の一部が崩れた。
王冠軍と革命軍の戦線が、こちらへ近づいていた。
「このままだと挟まれる」
湊が言った。
凛が、古い建物の裏口を見つける。
「中を抜けよう」
全員で建物の中へ入り、薄暗い廊下と階段を通って、反対側の出口を目指した。
凛は、通過する経路を確かめるように周囲を見ていた。
「これなら、あとで《ROUTE》が使える」
「帰りだけじゃなくて、途中でも使うかも」
湊が言うと、凛が頷いた。
建物を抜けた。
残り四十メートル、二十メートル。
八人は、目的の石造りの建物へ辿り着いた。
中へ入ると、外の戦闘音が嘘のように遠くなった。
巨大なホールだった。
その中央に、拳より少し大きい透明な結晶が浮いている。内部では、淡い光がゆっくり脈打っていた。
――MINOR COREを確認。
壮真が息を吐いた。
「……着いた」
誰もいなかった。
少なくとも、見える範囲には。
湊はゆっくりと結晶へ近づいた。
五メートル、四メートル、三メートル。
手を伸ばした、その瞬間だった。
――MEMORIA WARNING
湊の身体が止まった。
この警告音は知っている。武蔵が近づいたときにも聞いたものだった。
八人全員が周囲を見回した。
「誰かいる」
凛が小声で言った。
暗いホールの奥から、足音が響いた。
一歩、また一歩と近づいてくる。
湊はスマートフォンを見た。
――高出力記憶反応。
――識別範囲内。
続いて、認証が始まった。
――歴史記憶体を確認。
全員の表情が変わる。
まだ、名前は表示されていなかった。
――所属。
第一軍《王冠軍》。
暗がりから、一人の男が姿を現した。
赤黒い衣装をまとい、腰には刀を差している。片手には、焼け焦げた扇を持っていた。
湊には見覚えがあった。
最初に全員が集められた広場で、王冠軍の中に立っていた男だ。
あのときは、名前までは分からなかった。
――遺想能力強度。
LEVEL 4
「……4?」
壮真が小さく呟いた。
武蔵はLEVEL 5だった。
だが、警告は続いた。
――危険度。
S
壮真の表情が変わる。
「LEVEL 4なのに……S?」
凛も男を見つめていた。
湊はナイチンゲールを思い出した。
LEVEL 2で、危険度A。
やはり、LEVELと危険度は別物だった。
――希少度。
LEGEND
最後に、個体識別が始まった。
男は頭の中の声を聞きながら、わずかに眉を動かした。
――個体識別完了。
織田信長。
八人は動きを止めた。
「……織田信長」
壮真が小さく呟くと、男の視線がそちらへ向いた。
「俺を知っているか」
「名前くらいは」
「そうか」
それだけだった。
自分が織田信長であることについて、本人には迷いがないようだった。
ただ、《歴史記憶体》という呼ばれ方には、まだ何か引っかかっているようにも見えた。
信長は、中央のMINOR COREへ目を向けた。
「それを取りに来たか」
「ああ」
湊が答えた。
「ならば取ってみよ」
壮真が眉をひそめる。
「いいの?」
信長の口元がわずかに上がった。
「取れるならな」
焼け焦げた扇が開いた。
瞬間、空気が変わった。
――MEMORIA CRITICAL ALERT
――歴史記憶体《織田信長》。
――領域型遺想能力の発動を確認。
能力名が表示された。
《天下布武》
足元から赤黒い光が走った。
床を伝い、壁や柱へ伸びながら、ホール全体を覆っていく。
湊のスマートフォンが震えた。
画面にあった《REPLAY》の文字が消え、代わりに別の文字が浮かぶ。
SEALED
「……え?」
湊は横を見た。
凛のICカードからも、《ROUTE》の反応が消えていた。
壮真が何度も腕時計を確かめる。
「《BACK SECOND》も出ない」
他の五人からも、動揺の声が上がった。
――《天下布武》領域形成完了。
――領域内の低強度遺想能力へ支配干渉。
――遺想能力強度LEVEL 3以下。
――発動抑制。
湊は表示を見つめた。
信長の遺想能力はLEVEL 4。だが、危険度はS。
その理由が、少し分かった。
自分より低いLEVELの能力を、使わせない。
それだけで、戦場の意味が変わる。
壮真の《BACK SECOND》も、凛の《ROUTE》も、自分の《REPLAY》も使えなかった。
信長が一歩進んだ。
刀を抜く様子はない。それでも、八人の誰も動けなかった。
最後の警告が響いた。
――歴史記憶体《織田信長》。
――危険度S。
――交戦を推奨しません。
「またこれかよ……」
壮真が小さく言った。
湊は、能力の表示が消えたスマートフォンを見た。
《REPLAY》は使えない。
だが、スマートフォンそのものは消えていなかった。
信長が薄く笑う。
「さて」
焼けた扇を片手に、八人を見た。
「力を封じられた無名の者どもに、何ができる?」
誰も答えなかった。
目の前の記憶核まで、あと数歩。
そのわずかな距離を、織田信長が隔てていた。
湊は、ひび割れたスマートフォンを強く握った。
能力は使えない。
なら、何を使う。
答えは、まだ出なかった。
ただ、武蔵と戦ったときとは何かが違う。
あの男には、逃げることを選んだ。
だが今回は、逃げればMINOR COREが確実に信長へ渡ってしまう。
第七記憶戦争が始まって初めて、湊たちは能力を使えないまま、目的を奪い合うことになった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
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