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『MEMORIA WAR ―記憶戦争― 信長・武蔵・ジャンヌ――歴史の英雄と名もなき者たち』  作者: 130
第一章 無名軍

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第5話 交戦を推奨しません

歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。


※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。

「さて。どう逃げる?」


 宮本武蔵はそう言って、二本の木刀を構えた。


 朝倉湊は地面に片膝をついたまま、その姿を見上げていた。


 勝てない。


 それだけは、もう分かっていた。


 武蔵はまだ、遺想能力らしいものを使っていない。それなのに、湊にはその動きすらまともに見えなかった。


 壮真の《BACK SECOND》がなければ、最初の一撃で終わっていたかもしれない。


「湊、立てる?」


 凛の声に、湊は頷いた。


「ああ」


 立ち上がり、スマートフォンを握り直す。


 画面には《REPLAY》が表示されていた。使うことはできる。


 武蔵はこちらを急かさなかった。三人がどう動くのか、観察しているようだった。


 壮真が小声で言った。


「さっきの作戦でいいんだよな?」


「うん。倒さない」


「倒せない、の間違いじゃなくて?」


「どっちでもいい」


 凛が周囲を確認する。


「私が道を作る。湊が時間を稼いで。壮真は――」


「死にそうになったら一秒戻す?」


「軽く言わないで」


「俺だって好きで死んでるわけじゃないんだけど」


 こんな状況でも、壮真は壮真だった。


 湊は少しだけ息を吐いた。


 怖い。


 それでも、一人ではない。


「行くよ」


 凛が言うと、武蔵の目がわずかに細くなった。


 湊はスマートフォンを操作した。


「《REPLAY》!」


 選んだのは、革命軍との戦いでも使った豪雨の動画だった。


 ――《REPLAY》。


 武蔵の周囲へ、滝のような雨が降り注ぐ。


 三秒。


 視界を奪うには、十分なはずだった。


「凛!」


「分かってる!」


 凛のICカードが光った。


 ――《ROUTE》。


 地面に淡い道が現れ、建物の間を縫うように奥へ伸びていく。


「走って!」


 三人は一斉に動いた。


 雨に遮られ、武蔵の姿は見えない。


 いける。


 そう思った直後だった。


「同じものか」


 すぐ後ろから声がした。


 湊の背筋が凍る。


「え?」


 振り返ると、豪雨の中から武蔵が歩いて出てきていた。


 目を閉じている。


 雨で視界を奪われているはずなのに、その足取りには迷いがなかった。


「何で……」


 木刀が、湊の顔へ伸びた。


「湊!」


 壮真の腕時計が鳴った。


 カチッ。


 世界が一秒戻り、武蔵の足が一歩手前へ戻る。


 湊はすぐに身を低くした。


 木刀が頭上を通り過ぎる。


「走れ!」


 三人は《ROUTE》へ飛び込んだ。


 一つ目の角を曲がり、続いて二つ目を抜ける。凛が作った光の道によって、普通なら数十秒かかる場所を一気に進んでいく。


「これなら――」


 壮真が振り返り、言葉を失った。


 少し離れたところに、武蔵がいた。


 確実に追ってきている。


「何で追いつくんだよ!」


「私の道を使ってるわけじゃない!」


 凛の声にも焦りが混じっていた。


 武蔵が走っているのは普通の路地だった。それなのに、距離が縮まっていく。


 足運びも、道の選び方も違う。身体能力そのものが、湊たちとは比べものにならなかった。


 その動きを見て、湊は気づいた。


「凛。次、曲がる方向変えて」


「どういうこと?」


「今のルート、読まれてる」


「そんなの分かるの?」


「たぶん」


 凛は迷わなかった。


「じゃあ変える!」


 《ROUTE》が右へ曲がり、次は左へ伸びる。さらに建物の中へ入ると、武蔵の姿が一瞬見えなくなった。


 壮真が笑った。


「撒いた!」


 その言葉の直後、前方の角から木刀が突き出された。


「うわっ!」


 三人は急停止した。


 武蔵が待っていた。


「嘘だろ……」


 壮真の顔が引きつる。


 武蔵は木刀を肩へ乗せた。


「道を作る前に、そこの女は行き先を見る」


 凛が目を見開いた。


「視線?」


「それだけではない」


 武蔵は凛の足元へ目を向ける。


「身体が先に向く」


 次に、湊を見た。


「お主は技を使う前、必ずその板を見る」


 スマートフォンのことだった。


 さらに、武蔵は壮真へ視線を移す。


「お主は死ぬ直前に時計へ触れる」


 壮真が自分の左手を見た。


「……全部見てたのか」


「戦っておるからな」


 武蔵にとっては、当然のことらしかった。


 湊は息を整えた。


 これが技能なのか。


 遺想能力を使わなくても、武蔵には積み重ねてきた戦闘経験がある。三人が自分でも気づいていない癖まで、見抜いている。


「もう一回!」


 湊はスマートフォンを操作した。


 同じ雨では駄目だ。


 別の記録を探し、花火の動画を選ぶ。


 ――《REPLAY》。


 武蔵の目の前で白い光が弾け、巨大な破裂音が響いた。


「今!」


 三人は反対方向へ走り出した。


 数秒経っても、背後から追ってくる気配はなかった。


「効いた?」


 壮真が聞く。


「分からない!」


 湊は振り返った。


 武蔵は少し離れた場所に立ち、片目を細めていた。


 初めて効いた。


 わずかでも、動きを止められた。


「行ける!」


 凛が《ROUTE》を発動し、建物の中へ道を作った。


 三人は飛び込むように中へ入った。


 廊下から階段を抜け、古い食堂へ出る。そのまま厨房を通り、裏口を目指した。


 目についた道を、とにかく進んでいく。


「このまま距離を――」


 湊の言葉を、アラートが遮った。


 ――MEMORIA WARNING.


「何?」


 壮真が周囲を見る。


 新しい敵の姿はなかった。


 だが、警告は続いた。


 ――歴史記憶体《宮本武蔵》の遺想能力発動を確認。


 湊の顔色が変わる。


「今まで使ってなかったのかよ……」


 能力名が表示された。


《二天記憶》


 ――遺想能力強度、LEVEL 5。


 ――戦闘記憶蓄積型。


 ――交戦対象から取得した戦闘情報に対する適応を開始します。


「適応?」


 凛が足を止めかけた。


 壮真も振り返る。


「つまり何?」


 湊の頭に、先ほどまでの武蔵の動きが浮かんだ。


 一度目の斬撃より、二度目。二度目より、三度目。


 相手を観察するたびに、動きから無駄が消えていた。


「同じことをすればするほど……」


 湊は呟いた。


「通じなくなる」


 三人の表情が変わった。


「正解だ」


 背後から声がした。


「っ!」


 武蔵が来ていた。


 湊は花火の動画を起動した。


 《REPLAY》。


 閃光が弾ける。


 先ほどは、武蔵が目を細めた。


 だが今度は、光る直前に顔を背け、さらに片手で耳を塞いでいた。


 閃光と爆音が過ぎても、その歩みはほとんど止まらなかった。


「……もう駄目?」


 凛が呟く。


「たった二回だぞ」


 壮真も信じられないという顔をしていた。


 武蔵が近づいてくる。


「同じ技を二度見せれば、二度目は技ではない」


 湊は思わず言い返した。


「意味分かんないって!」


「ならば覚えておけ」


 木刀が伸びた。


 湊は横へ跳び、ぎりぎりでかわす。


 今度は、壮真の《BACK SECOND》を使っていなかった。


「使わなかったな」


 武蔵が言った。


 湊は答えずに走った。


 壮真も気づいたようだった。


「俺のやつも覚えられてる?」


「多分」


「じゃあ使えないじゃん!」


「使える。でも同じ避け方はするな!」


「一秒しかないのに無茶言うな!」


 凛が前方へ、新しい《ROUTE》を伸ばした。


 今度は最短距離ではなかった。階段を上り、別の建物へ入り、さらに下へ降りていく。


 武蔵が一瞬だけ遅れた。


「これなら?」


 凛が聞いた。


「毎回変えれば!」


「どこまで?」


「分かんない!」


 湊はスマートフォンをスクロールした。


 同じ記録が通じないなら、違う記録を使い続けるしかない。


 雨、花火。


 その次に、強風の動画を見つけた。数年前、台風の日に道路脇で撮ったものだった。


 ――再現可能時間、4.4秒。


 振り返ると、武蔵が細い路地へ入ったところだった。


「《REPLAY》!」


 猛烈な横風が吹きつけ、武蔵の着流しが大きく揺れた。


 さすがの武蔵も、一歩流される。


「効いてる!」


 壮真が叫んだ。


「武蔵を飛ばすんじゃない!」


「え?」


 強風にあおられ、路地脇に積まれていた木箱が崩れた。


 箱が次々と道へ落ち、武蔵と三人の間を塞ぐ。


「こういうこと!」


 三人は走った。


 背後で木箱が砕ける音が響く。武蔵は止まっていなかった。


 それでも、少しだけ時間を稼げた。


「なるほど」


 遠くから声が届いた。


「俺ではなく、周囲を使うか」


「もう気づいた!」


 壮真が叫ぶ。


「早すぎるだろ!」


 凛は再び違う道へ《ROUTE》を伸ばそうとした。


 だが、カードの光が弱くなっていた。


「……待って」


 息を切らした凛が言った。


「どうした?」


「ちょっと……きつい」


 ICカードの淡い光が、不安定に点滅していた。


 ――RESONANCE LOAD.


 ――共鳴負荷上昇。


 ――連続使用に注意してください。


「共鳴負荷?」


 湊の表情が変わる。


 凛は額の汗を拭った。


「能力って、無限には使えないみたい」


 当然と言えば当然だった。


 だが、その当然すら今まで知らなかった。


 壮真も腕時計を見た。


「俺もさっきから、使うたびに変な感じする」


「どんな?」


「昔のことを思い出す」


 壮真は腕時計を見つめた。


「親父からこれ貰ったときのこと」


 すぐに顔を上げる。


「今はいい。あとで話す」


 湊もスマートフォンを確認した。


 自分にも、同じ負荷があるのだろうか。


 それらしい表示はなかった。


 代わりにあるのは、同期率と記憶強度。他の二人とは違う項目だった。


 考える暇はなかった。


 武蔵が来る。


「もう一回!」


 三人は再び走り出した。


 どれだけ走ったのか、分からなかった。


 気づけば、三人は巨大な駅の前まで来ていた。


 現代的な駅舎と古い木造駅舎が重なったような、奇妙な建物だった。入口が何か所もあり、中には階段や通路、ホーム、地下道が見える。


 湊は駅を見上げた。


 一つの考えが浮かんだ。


「中へ!」


「何で?」


 壮真が聞いた。


「いいから!」


 三人は駅へ飛び込んだ。


 武蔵も追ってくる。


 改札を抜け、長い通路を走り、階段へ向かう。


「凛!」


「何?」


「《ROUTE》って、一度通った道なら作れるんだよな?」


「今のところは!」


「じゃあ走れ!」


「走ってる!」


「違う! 適当に走って!」


 凛が一瞬、湊を見た。


「適当に?」


「同じところ通らなきゃ何でもいい!」


 壮真が笑う。


「作戦雑すぎない?」


「いいから!」


 三人は駅の中を走り回った。


 右へ曲がり、次は左へ。階段を上ってホームを抜け、今度は地下へ降りる。別の階段から、さらに違う通路へ進んだ。


 その間にも、武蔵は迫ってきていた。


 何度か、木刀がすぐ近くを通り過ぎる。


 壮真が一度、《BACK SECOND》を使った。


 カチッ。


 時間が一秒戻る。


 だが、戻った直後、武蔵の木刀が壮真の避ける方向へ先回りした。


「うわっ!」


 壮真は無理やり身体を反転させ、床へ転がった。


 木刀が肩をかすめる。


「ほら! やっぱ覚えてる!」


「だから同じ避け方するなって!」


「一秒でそこまで考えられるか!」


 湊も必死だった。


 だが、これで確信した。


 《二天記憶》は、相手の能力そのものを無効にするわけではない。武蔵が得た戦闘情報へ適応する能力だ。


 なら、その情報が役に立たない状況を作ればいい。


 湊は立ち止まった。


「凛!」


「何!」


「ここから今まで通った道、全部繋げられる?」


 凛が息を切らしながら周囲を見た。


「全部?」


「順番は適当でいい」


 凛の目が変わった。


「……なるほど」


 壮真だけが、まだ理解していなかった。


「何が?」


 湊はスマートフォンを操作し、昔、駅のホームで撮った動画を開いた。電車が走り去っていく記録だった。


「武蔵が覚えてるのは俺たちの戦い方だ」


「うん」


「でも、凛が今から作る道は――」


 凛がICカードを握った。


「まだ誰も通ってない」


 正確には、今までに通った複数の道を、新しい順番でつなぐ。


 武蔵が見たことのない経路だった。


 同じ道を材料にしても、進む順番が違えば、これまでとは違う逃げ方になる。


「それなら」


 壮真が笑った。


「覚えようがない」


 背後から、武蔵が迫っていた。


 湊は動画を押した。


 ――《REPLAY》。


 電車の走行音が轟き、強烈な風圧が吹きつけた。


 電車そのものが現れたわけではない。ホームを通過したときの音と風が、目の前で再現されていた。


 武蔵の視線が、一瞬だけそちらへ向いた。


「今!」


 凛が叫んだ。


 ――《ROUTE》。


 駅の中に、複雑な一本の光の道が生まれた。


 階段、ホーム、地下、別棟。先ほどまでに通った場所をつなぎ、何度も折れ曲がりながら伸びていく。


 三人が飛び込むと、武蔵もその後を追った。


 最初の分岐で、凛たちは右へ進んだ。


 武蔵が一瞬遅れる。


 次は上下に分かれ、さらにその先でも道が曲がった。


 先ほどまでの観察だけでは、次に進む方向を予測できない。


 湊が振り返ると、武蔵の姿は見えなくなっていた。


「走れ!」


 三人は出口へ向かって駆けた。


 光の道を抜けたところで、凛がICカードを離す。


 《ROUTE》が消えた。


 駅の外へ出た三人は、さらに建物の陰へ走り込み、倒れ込むように身を隠した。


 誰も声を出さなかった。


 荒い呼吸だけが聞こえていた。


 十秒、二十秒、三十秒。


 武蔵は来ない。


 壮真が小声で言った。


「……撒いた?」


「静かに」


 凛が口元へ指を当てた。


 一分経っても、武蔵は現れなかった。


 湊は壁へ背中を預け、そのまま座り込んだ。


「……無理」


 壮真も隣へ座った。


「俺も」


 凛は立っていたが、その膝は震えていた。


「交戦を推奨しませんって……」


 息を整えながら、凛が言った。


「本当にそのままの意味だったんだ」


 壮真が笑いそうになった。


「もう二度と会いたくない」


「そうか」


 三人の身体が固まった。


 頭上を見上げると、建物の屋根に宮本武蔵が座っていた。


「うわあっ!」


 壮真が本気で叫んだ。


 湊はスマートフォンを構え、凛もICカードを握る。


 武蔵が声を上げて笑った。


「安心せい」


「できるわけないだろ!」


 壮真が叫ぶ。


 武蔵は屋根から飛び降りた。


「お主らの勝ちだ」


「……何?」


 湊が聞き返した。


「一度、見失った」


「でも見つけたじゃん」


「そのあと探した」


 武蔵は平然と言った。


「条件は、俺から逃げ切ることであったな」


 湊は、戦いの前に交わした言葉を思い出した。


 武蔵が一度見失った時点で、逃走は成功したということらしい。


 三人から、一気に力が抜けた。


 壮真が地面へ寝転がる。


「先にそういう細かいルール言ってくれ……」


「聞かれなんだ」


「この人ほんと嫌だ」


 武蔵が湊を見た。


「朝倉湊と言ったな」


 湊の表情が変わる。


「何で名前を?」


 武蔵は壮真へ目を向けた。


「そこの男が何度も呼んでおった」


「ああ……」


 壮真が顔をそらした。


 武蔵の視線が、湊のスマートフォンへ戻る。


「妙な戦い方をする」


「戦ってないです」


「だから面白い」


 湊は眉をひそめた。


「どういう意味です?」


「普通、弱い者ほど強い者を倒そうとする」


 武蔵は二本の木刀を腰へ戻した。


「己が弱くないと証明したいからな」


 湊は何も言わなかった。


「だが、お主は最初から俺を倒す気がない」


「勝てないからですよ」


「それでよい」


 あっさりと言われた。


「勝てぬなら、勝たぬ方法を探す。それも兵法だ」


 湊は、武蔵との戦いを振り返った。


 雨も、花火も、風も、《ROUTE》も《BACK SECOND》も、一つずつではすぐに対応された。


 だが最後は、まだ誰も知らない道を、その場で作った。


「ただし」


 武蔵の声に、湊は顔を上げた。


「次に会うとき、同じ手を使うな」


「やっぱり覚えてるんですか」


「全部な」


 武蔵が笑った。


「お主ら三人の癖も、技も、逃げ方も」


 壮真が嫌そうな顔をする。


「次会ったらもっと無理じゃん」


「ならば次までに変われ」


 武蔵は背を向け、歩き出した。


「どこ行くんだよ」


 壮真が聞いた。


「知らん」


「自分のことなのに?」


「面白そうなところへ行く」


 相変わらず自由だった。


 数歩進んだところで、武蔵が足を止めた。


 振り返らずに言う。


「朝倉」


「何ですか」


「お主には型がない」


 湊には意味が分からなかった。


 武蔵は続けた。


「今はただ、何も持っていないだけだ」


 そして、言った。


「だが、何も持たぬ者は、何にでもなれる」


 その言葉を残して、武蔵は去っていった。


 三人は、しばらく動かなかった。


 最初に口を開いたのは壮真だった。


「褒められたのか?」


「たぶん」


 凛が答えた。


 湊は、武蔵の消えた方向を見ていた。


 自分には何もない。


 今まで、何度もそう思ってきた。


 なのに、武蔵は同じ言葉をまったく違う意味で使った。


 何も持たない。


 だから、何にでもなれる。


「……意味分かんねえ」


 湊は小さく呟いた。


 だが、不思議と嫌な言葉ではなかった。


 スマートフォンへ目を落とす。


 《REPLAY》。


 まだ、数秒の現象を再現することしかできない。凛も壮真も、能力を使い始めたばかりだ。


 それでも三人で、危険度Sの相手から逃げ切った。


 勝ってはいない。倒してもいない。


 ただ、生き残った。


 今は、それで十分だった。


「戻ろう」


 凛が言った。


「無名軍へ」


 壮真が立ち上がる。


「賛成。肩も痛いし」


「また?」


「またって言うなよ。武蔵の木刀だぞ」


 三人は歩き始めた。


 はるか離れた建物の屋根で、武蔵が一度だけ振り返った。


「型がない、か」


 小さく呟き、笑う。


「育てば、面白くなりそうだ」


 武蔵は再び歩き出した。


 同じ頃、別の領域では、白い旗が風に揺れていた。


 簡素な野営地に、多くの負傷者が横たわっている。


 その中心で、一人の少女が負傷者の声に気づき、顔を上げた。頭上には、第三軍《聖域軍》を示す盾の紋章が浮かんでいた。


 少女は、自分がなぜ《歴史記憶体》と呼ばれているのか、その意味をまだ知らない。


 だが、目の前には助けを必要としている人間がいる。


 今は、それで十分だった。


 少女は負傷者のもとへ駆け出した。


 第七記憶戦争は、少しずつその姿を現し始めていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。


少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。

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