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『MEMORIA WAR ―記憶戦争― 信長・武蔵・ジャンヌ――歴史の英雄と名もなき者たち』  作者: 130
第3章 BOND

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第46話 傷だらけの反撃

「左の店」


 謙信が言った。


 刀の先が、道路沿いの古い金物店を示していた。


 湊は先に戸口を覗いた。中に人影はない。棚の向こうには、奥へ続く通路が見える。


 凛が謙信を支えて入ってくる。


 床に、赤い足跡が残った。


 湊は扉を閉めかけたが、途中でやめた。壊れたガラス越しに、道路から中が見える。閉めても、隠れたことにはならない。


「奥を確かめる」


 凛へ言い、店の通路へ入った。


 棚の端に左腕が触れた。痛みが走り、息が詰まる。それでも足は止めず、右手で奥の扉を押した。


 狭い荷受け場だった。


 木箱が積まれ、壁際には古い鉄棚が置かれていた。隣の建物との間へ抜ける戸が開いている。


「裏へ出られる」


 湊が戻ると、謙信は棚に背を預けていた。


「追いつく前に、血を止める」


 凛は頷き、裂けた上着の裾を両手で引いた。布がうまく切れず、謙信が刀の先を添えた。


 彼女は目で礼を返し、切り取った布を渡す。


 謙信は右腿の傷へ押し当てた。


 指の間へ、すぐに赤いものがにじんだ。


 湊は棚に残っていた布巾を見つけ、包装を破った。謙信がそれも重ねて押さえる。


「信長は」


 湊が言いかけた。


 謙信は顔を上げない。


「脚を取れば、私が追えぬと見た」


「殺すつもりじゃなかった?」


「避けねば死ぬ刃もあった」


 湊は口を閉じた。


 手加減されたから生きている、という話ではなかった。


 外で、何か重いものが動いた。


 謙信が顔を上げ、湊も入口を振り返る。


 通りの向こうで、黒い糸が壁を掴んでいた。


     *


『朝倉』


 声が聞こえた。


 蓮だった。


「聞こえる。こっちは三人」


『診療所の組は十六人。運んだ人もいる。それとは別に、聖域軍の二人も渡ってる』


 湊は棚に手をついた。


 数は、合っている。


「橋の脇の金物店。謙信が脚を怪我してる。今は歩くのが難しい」


『戻る道を――』


 大地の声が割り込み、相馬がそれを止めた。


『道がないまま動いてはいけません。まず、位置を聞きましょう』


 凛が湊を見た。


 彼女も同じことを考えたのだろう。


 無理をしてこちらへ来れば、助ける人数が増える。


「今は来ないで。裏から動く。次に止まった場所を知らせる」


 湊は言った。


「道の情報が入ったら教えて。こっちも知らせる」


『分かった』


 湊は入口へ目を戻した。


 黒い腕は、店へ向かってこなかった。


 巨体の片側が崩れた壁に引っかかり、残った手で瓦礫を押しのけている。失った腕はまだ戻らず、肩の切り口から糸が垂れていた。


 倒したわけではない。


 それでも、今はすぐに追えない。


 湊は裏口までの通路から、倒れた空箱を足でどかした。謙信が引きずる脚に触れそうなものを、壁際へ寄せていく。


 謙信が布を強く結び、立ち上がろうとした。右脚に体重が乗ったところで、口元が固くなる。


「左へ」


 凛が自分の肩を差し入れる。


「傷のある方へ乗せないで」


 謙信は言われた通りに身体を寄せた。


「世話になる」


 湊が裏の扉を開いた。


 荷受け場を抜ければ、隣の建物の脇へ出られる。


 その戸口へ、一人の影が落ちた。


     *


 黒い外套だった。


 湊は後ろへ下がった。


 男の右手には、短い刃物があった。左手は腰の高さで開かれている。


 店の表で、瓦礫を押していた音が止まった。


 湊はその静けさで気づいた。


 巨体から、人間の方へ切り替えた。


「その端末を置け」


 男は湊の右手を見ていた。


「受付に貼ったのも、お前らだな」


 湊はスマートフォンを身体へ寄せた。


「あの紙を見て、まだ誰かが来ると思う?」

「誰に顔を見せた」


 男は答えを待たず、左手を湊へ向けた。


 記憶を預かっているからではない。今度は、自分たちが知らせたことを止めに来たのだ。


「もう、その端末だけじゃない」


 湊が言うと、男の口元が歪んだ。


 戸口の向こうは、店の脇へ続く細い路地だった。表から壁沿いに回れば、傷の処置で止まった三人を追い越せる。


 男の視線が床の血へ落ち、次に謙信の脚へ移る。


 凛は謙信を鉄棚へ寄せ、そばに立てかけられた箒を掴んだ。


 男は戸口の外で左手を動かした。


 糸が箒へ巻きつく。凛は引かれる前に手を放した。


 男は入ってこなかった。奪った箒を横へ払い、次の糸を鉄棚の脚へかける。


 棚が軋んだ。


 謙信が預けていた左肩が、支えから離れる。


 転ばせるつもりだ。


 湊が右手を伸ばすより先に、謙信は腰を落とした。左脚を棚の手前に置き、背後の壁へ肩を移す。


 頭上に、淡い光が戻った。


 ――《毘沙門陣》。


 謙信の切っ先が、張った糸を断った。


 棚は斜めに止まり、その下へ空箱が潰れる。


 男は切れた糸を捨て、湊へ指を向け直した。


 細い一本が、スマートフォンを持つ右手へ伸びる。


 湊は手を引いた。糸が棚の縁へ当たり、金属を擦った。


 男は身体を戸口の外に残し、棚を避ける角度へ左手を回した。


 その手が、戸口の端からのぞいた。


 謙信が刀を引き寄せる。湊には、先ほど信長を通してしまった時の右脚が見えた。


 何歩も動けない。


 だが、刀の届く先を見ている。


 湊は光の記録を開いた。


「目を伏せて!」


 凛が顔を背け、謙信の顎がわずかに引かれた。


 湊は画面を押した。


 ――《REPLAY》。


 白い光が荷受け場を満たした。


 戸外の男が顔を隠す。右手は刃物を握ったまま頬へ上がり、左手の動きが止まった。


 光が薄れるより早く、背にした壁を肩で押し返し、左足で一歩、踏み込んだ。


 湊の目の前で、白い衣が伸びた。


 刀を引いたのは、退くためではなかった。


 狭い戸口へ、突きの長さを残していたのだ。


 男が左手を引く。間に合わず、袖と腕の外側が裂けた。


 右の刃物が謙信の顔へ向く。


 謙信は刀を引き戻しながら、迫る刃物を外へ払った。鋼が戸口の枠を打つ。


 男は刃物を握ったまま腕を引いたが、左腕から流れる血を見て、足元へ捨てた。空いた右手で傷を押さえる。


 男は左腕を胸へ抱え、戸口から離れた。


 謙信も追わなかった。踏み込んだ左脚を戻そうとして身体が傾き、凛が背へ腕を差し入れる。


 右腿の布から、血が一筋落ちた。


「謙信!」

「支えてくれ。今の一歩で終いだ」


 刀は下げない。戸外の男も、もう一度間合いへ入ろうとはしなかった。


 男は右手で左腕を押さえていた。指から垂れた糸が、棚の脚へ落ちる。


 湊は店の表へ目を向けた。


 瓦礫を押しのける音は戻っていない。


 細い糸も、巨体も止まっている。今なら、離れられる。


 謙信が湊へ言った。


「表へ戻れ」


 男に塞がれた裏口を捨てる。


 湊は頷き、凛とともに謙信を店内へ戻した。


     *


 表へ出ると、巨影はまだ瓦礫のそばにいた。


 先ほどより近かったが、手は止まっている。


 湊は黒い指から目を離さず、凛へ尋ねた。


「黒瀬、来た道で曲がれるところは?」


「二軒先。そこから診療所の方へ戻れる」


「途中まででいい。大通りから外れたい」


 凛はICカードへ手を伸ばしかけ、肩にかかった謙信の重みを受け直した。


「私だけなら《ROUTE》で戻れる。でも、三人一緒はまだ試してない」

「俺が乗れた時は、仮リンクが出てた」

「今ここで、謙信を支えたまま試すのは無理。歩いて曲がろう」


 湊は頷いた。先に着く一人より、ここで肩を貸す一人が必要だった。


 凛が謙信の腕を肩へ掛け直した。


 湊は謙信の右側に立ち、右手を背へ添えた。左腕は胸の前に寄せたままだった。身体を持ち上げるのではなく、傷のある方へ倒れないよう支える。


 三人で、道を横切った。


 足音は遅い。


 謙信が左脚で進み、右脚を引き寄せる。その一歩に、湊も凛も合わせなければならなかった。


 裏の路地から、男の低い罵声が聞こえた。


 湊は振り返らなかった。


 曲がり角まで、あと数歩。


「ここ」


 凛が身体を左へ向けた。


 三人が建物の陰へ入ると、謙信の身体が重く沈んだ。


「一度、止めて」


 凛の声に、湊も足を止めた。謙信は壁へ背をつけ、腿の布を押さえる。


 湊は角から店の方を見た。


 外套の男が表へ出てきていた。口と右手で左腕へ布を巻き、締め直している。


 こちらを見つけた。


 湊は身を引きかけた。だが、男は追ってこなかった。


 男は店内へ戻った。しばらくして、再び表へ出てくる。右手には先ほどの刃物が戻っていた。左腕を胸へ抱えたまま、三人とは反対側の路地へ消えた。


 巨影の腕は動かなかった。


「退いた?」


 凛が尋ねた。


「見えなくなっただけ。こっちへ来るのは、やめた」


 湊は男が消えた場所を見た。


 さっきまでと違う方角だった。傷を巻く間に、次の攻め方を考えているのかもしれない。


「今のうちに離れよう」


 湊たちは謙信を支え直した。


 追い立てられる足音はない。それでも、足を止めて待つ理由にはならなかった。


 凛が次の角を選び、三人は店から見えない通路へ入った。


「追手が来れば、見える場所を」


 謙信が言った。


「背を壁につけられればよい」


 凛は前を見た。


 通路の先に、取り壊された建物の跡があった。片側には壁が残り、もう片側は低い瓦礫に埋まっている。通りからこちらへ来るには、その手前の細い隙間を抜けなければならない。


「あそこなら」


 謙信が頷いた。


 湊たちは残った壁まで進み、謙信を座らせた。


 刀は、膝の上へ横に置かれた。


 凛はすぐには腰を下ろさなかった。通路へ戻り、今来た角を確かめる。


 湊はスマートフォンを出した。


「蓮。場所を変えた」


 声が届くまでに、少し時間がかかった。


     *


『こっちは建物に入れた。診察台の人も、看護師さんが見てる』


 蓮の声の後ろから、謙信を呼ぶ声がした。台を運んだ聖域軍の一人だった。


「二人とも、そちらの負傷者を頼む。戻る道が見つかるまでは動くな」


 謙信は短く命じ、腿の布を押し直した。血はまだにじんでいる。脇腹にも畳んだ布を挟み、帯で押さえていた。


「お前たちも通すつもりだった」


 湊を見る。


「そこまでは、守りきれなかった」


 通路から戻った凛が、その前へしゃがんだ。


「まだ終わってない。ここから三人で戻ればいい」


 謙信は頷き、刀を膝へ戻した。


 湊は蓮へ、金物店から曲がった角と、今いる建物跡を伝えた。相馬が聞き取り、紙へ書いているという。


「謙信の傷に当てる布も足りません。合流する時、包帯をお願いします」

『用意します。受付の青年が、その辺りを通ったと言っています。先に、地下へ降りる車路はありませんか』


 相馬の声だった。


『駅の貨物口へ出る道だそうです。橋のこちら側には渡れませんが』

「貨物口……」


 凛が顔を上げた。


「あいつが人を集めてた場所じゃない」

「出口も安全とは限らないね」


 湊は、診療所で聞いた女性の声を思い出した。疑ったのに、急がなければと思って相手を先へ行かせた。その判断を、今なら自分もしてしまいそうだった。


「青年が自分で歩いたところだけ教えてください。あの男から聞いた道とは分けて」

『確認します』


 謙信は来た通路へ目を向けた。追手の姿はない。湊は返答を待つ間、端末を膝へ下ろした。


 凛が通路の見える位置で、湊の隣へしゃがんだ。


 上着の裾は短く裂け、肩には血がついている。


 湊は、その血を見た。


「黒瀬のじゃない?」


「謙信の」


 彼女は答え、自分の肩を見下ろした。


「朝倉は」


「腕は痛い。新しい傷は、たぶんない」


 凛は包帯へ目を向け、頷いた。


 今回は、何も付け足さなかった。


 湊は右手を開いた。


 さっきまで誰かを支えていた指が、少し震えている。


 凛がその手を見た。


「私も」


 彼女は自分の手を膝へ乗せた。


 指先が、小さく揺れていた。


 湊は笑わなかった。


 手を伸ばし、彼女の指へ触れた。


 白い線も、端末の音も出なかった。


 凛は手を引かなかった。


 数秒だけ、そのままでいた。


 やがて凛が顔を上げた。


「坂を見てくる。最初の曲がり角か段差まで。そこからは戻る」

「俺はここで話を聞く」


 湊が答えると、謙信は刀を持ち直した。


「帰るまで、ここを見ている」


 指が離れた。


 凛の足音が、角の向こうへ遠ざかる。


     *


 相馬から聞けたのは、赤い庇のある搬入口へ出ることと、途中に上り階段があることだった。青年は段数を覚えていない。橋が落ちた後の地下を見た者もいなかった。


 湊はスマートフォンへ目印を打ち込んだ。


 受付で青年を置いてきていたら、この道の存在すら分からなかった。だが、連れてきたからといって、その言葉だけで進めるわけではない。


 通路へ白い線が伸びた。


 湊が顔を上げると、凛が今歩いた道を滑るように戻ってきた。建物跡の手前で足を止め、ICカードを下ろす。


「坂の下までは行ける。車一台分の幅があって、段差もない」


 彼女は膝をつき、地面へ短い線を引いた。


「降りたところで右に曲がる。その先は見てない。手前に、壁へ寄せて座れる場所がある。入口からは脇の壁に隠れる」

「出口までは?」

「分からない。約束したところで戻った」


 湊は頷いた。


 謙信の右脚を見る。三人で地上を歩き続けるにも、見えない階段へ進むにも、無理がある。


「坂の下まで移ろう。そこから先は、謙信を動かす前に確かめる」


 凛が顔を上げた。


「地下へ入ったら、戻るのは上りだよ」

「分かってる。だから、出口へ向かって歩き続けない。まず、今見てきた場所まで」


 湊は言葉を切り、謙信を見た。


「そこまで、肩を貸します」


 謙信は鞘を地面へ立て、左脚で身体を起こした。


「頼む」


 凛が左側へ入り、湊は右手を背へ添えた。


「蓮。地下へ降りる。入口で一度呼ぶから、声が届くか確かめて」

『届かなかったら?』

「凛が地上へ戻って伝える。こっちの場所が分からないまま、探しに来ないで」


 凛が頷いた。


 三人は通路を進んだ。角を曲がると、開いたシャッターの下に緩い坂が見えた。光は途中まで届き、その先で右へ折れている。


 湊は入口から蓮を呼んだ。返事を聞いてから、凛と足を揃える。


 坂を下りるたび、謙信の重みが右手へかかった。


「ゆっくりでいい」


 凛が言った。


 湊は頷いた。まだ見ていない出口へ急ぐのをやめ、彼女が確かめて戻ってきた曲がり角へ向かった。


 今度は、そこまで行くと自分たちで決めていた。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。


少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。


『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』の漫画版をaimangaで公開しています。

小説とはまた違った形で描かれる、湊たちの物語も楽しんでいただけたら嬉しいです。


漫画版はこちら:

【https://a-i-manga.com/series/T0sv47QH】

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