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『MEMORIA WAR ―記憶戦争― 信長・武蔵・ジャンヌ――歴史の英雄と名もなき者たち』  作者: 130
第3章 BOND

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第47話 剥がされなかった警告

 坂の下で謙信を座らせると、凛は肩に回されていた腕をゆっくり外した。


 白い袖が、指に張りついた。


 湊はスマートフォンの明かりを床へ向けた。壁際に水が溜まっている。そこを避け、乾いた場所へ自分の上着を畳んで置いた。


「背中に」

「お前が冷える」

「今は暑いです」


 嘘ではなかった。歩いてきただけなのに、額から汗が落ちる。


 謙信は上着を受け取り、壁との間へ挟んだ。右腿を押さえた手は離さない。帯の脇に差した布も、赤く濡れていた。


 湊が蓮を呼ぶと、返事に雑音が混じった。


『……聞こえる。少し遠い』

「坂の下。ここまでは届く」

『分かった。こっちから呼んで返事がなかったら、入口へ戻った凛の声を待つ』


 確認はそれだけにした。


 曲がり角の先は、荷物を運ぶための通路だった。天井から外れた配管が一本、斜めに垂れている。その下をくぐれば人は通れそうだが、先の床は暗くて見えない。


「見てくる」


 凛が言った。


「私が戻るまで、二人ともここ」


 湊は頷き、スマートフォンを差し出しかけた。


 凛は自分の端末を上げた。


「明かりならある」

「あ、そうか」

「あなたのは、持ってて」


 湊は画面を下ろした。


 彼女が暗がりへ入る。小さな光が配管の下を抜け、床を左右に確かめながら進んでいった。


 謙信が刀を鞘へ収めた。


「抜いたまま待たないんですか」

「ここで刃を見せていても、足は戻らん」


 短く答えて、傷を押さえ直す。


 湊はそれ以上尋ねなかった。


 あの階段では、何度も信長の前へ戻っていた足だった。今は少し角度を変えるだけで、謙信の呼吸が止まる。


 スマートフォンを開き、駅で撮った映像を選んだ。


 胸ポケットに入れてからの画面は、ほとんど何も見えなかった。服と壁と、揺れる取っ手。自分の息だけが大きい。


 だが、風を使った直後には男の顔がある。


 撮れているのは、風で押し返した後からだ。その前の攻防は映っていない。


 それでも、レンズを睨む顔を見ていると、撮影を始める前の動きが思い出された。


 人質を盾にされ、画面を押せなかった。男はそこから踏み出し、台車を倒そうとした。


 次に、金物店での動きを思い返した。


 端末を狙われた。棚が邪魔をすると、左手の位置を変えた。距離を取っていても、欲しいものへ手を届かせようとはする。


 強いだけではない。


 こちらが何を守るかを見て、攻める場所を選んでいた。


「何が見えた」


 謙信が尋ねた。


「俺たちが、何を手放せないか見てます。人質も、スマホも」

「お前も、見ればよい」

「何をですか」

「あれが、傷を負ってまで取り返しに来たものを」


 湊は画面を見下ろした。


 顔の画像。


 それだけではない。あの男は、受付に貼った紙のことを尋ねた。


 紙を剥がすだけなら、湊を追う必要はなかった。


「誰に見せたか、聞かれました」


 謙信は黙って聞いていた。


「自分の顔を知らない人がいないと、あのやり方は続けられない」


 湊は録画を閉じた。


 逃げるだけでも、隠れるだけでもない。既に一度、あの男を困らせることはできていた。


     *


 戻ってきた凛の靴には、灰色の泥がついていた。


「階段は十一段。上の扉は開く。赤い庇も見えた」

「外は?」

「二人いる。こっちは見られてない。軍章は確認できなかった」


 彼女はしゃがみ、指で床へ通路の形を描いた。


 一本道の途中に荷物用の小さな昇降機があるが、動かない。さらに進むと階段。上がった先に短い廊下があり、外扉へ続く。


「階段を上がった先。廊下の右側に、横へ開く鉄格子がある。奥は物置で行き止まり。扉の外に鎖が掛かってた」

「戻る道は同じ?」

「うん。さっき通ったところは、能力で戻れた」


 湊は謙信の脚を見た。


 十一段なら簡単だとは言えなかった。ここまで来るのにも、二人の肩が必要だった。


「外の二人に、話せないかな」


 凛はすぐには頷かなかった。


「誰か分からない」

「だから、先に顔を見せる。あの男の」


 湊は保存した画像を開いた。


「敵の仲間だったら、戻る。こっちの人数も、謙信のことも言わない」


 凛は画像を見た。


「私が持っていく?」

「一緒に。話している間、もう一人を見ててほしい」


 謙信が壁から背を離した。


「行け。ここへ通じる道は、私が見ている」

「戦わないでください」

「そのために、先を確かめるのだろう」


 湊は頷いた。


 凛が通路へ入り、湊も後へ続いた。配管の下では左腕を胸へ寄せ、右手を壁へついて身体を沈める。


 階段を上がると、廊下の先から風が入ってきた。階段口には腰の高さのコンクリート壁があり、数段下がって身をかがめれば、その陰へ全身を隠せそうだった。


 凛は外扉へ進む前に、右側の物置を指した。鉄格子は開いており、外の柱に長い鎖が掛かっている。その輪には、留め具に使っていたらしい短い鉄棒が通されていた。


「中は行き止まり。戻るなら階段の方」


 湊は頷いた。入口の脇には、人一人が身を寄せられる壁のくぼみがあった。その向かいの壁は平らで、外扉から階段まで見通せる。


 凛は物置へ入らず、そのまま廊下を歩いた。


 外扉の手前で足を止める。


 外から声がした。


「剥がすなよ」

「でも、道が違うって」

「さっき、あの人が言ってた。顔も同じだった」


 湊は凛と目を合わせた。


 壁に貼った警告の話だった。


     *


 扉の隙間から見えたのは、赤い庇の端と、向かいの壁だった。


 そこに紙が一枚、貼られている。


 受付に貼った二枚とは違った。大きさも、字も違う。


 黒い外套の男に注意。

 記憶を預かった人を、一人で渡らせないこと。


 湊は、その文字から目を離せなかった。


 自分の書いたものが、誰かの字で書き直されていた。


 扉から少し離れたところに、中年の女性と、片方の靴紐を結び直している若い男性がいた。二人とも武器は手にしていない。


 湊は扉を少し開けた。


「その紙、誰から聞いたんですか」


 二人が振り返る。


 凛は湊の斜め後ろで、両方の手が見える位置に立った。


 女性が湊の包帯へ目をやった。


「駅の西側。画面を見せてくれた人がいたの。ここでも案内してる男がいるから、顔を確かめろって」


 湊は画像を向けた。


「この人ですか」


 女性の表情が変わった。


「そう。少し前に、戻ってきた」


 湊は端末を握り直した。


「どっちへ?」


 彼女が指したのは、貨物口の正面ではなかった。


 壁沿いの小さな受付。その庇の陰だ。


「あそこ。私たちに、ここから出ろって。通れなくするからって言ってた」


 凛が受付の窓を見た。


 内側で、黒い布が動いた。


 湊はすぐ扉の陰へ戻った。


 男が左腕を胸へ抱え、窓口の紙を片手で引き剥がしていた。


 先ほど見失った敵が、そこにいた。


 湊は画像を閉じなかった。


「その人について行かないで。俺たちは、その男に捕まっていた人を助けてきました」


 女性が壁の警告へ手を伸ばした。


 剥がすためではなかった。


 浮いていた端を、もう一度押さえた。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。


少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。


『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』の漫画版をaimangaで公開しています。

小説とはまた違った形で描かれる、湊たちの物語も楽しんでいただけたら嬉しいです。


漫画版はこちら:

【https://a-i-manga.com/series/T0sv47QH】

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