第44話 橋を落とす者、守る者
「十八人」
玲奈が紙に最後の線を引いた。
「私たちも、見張りも入れて。自分で歩けるのが十二人。肩を貸せば歩ける人が四人。残り二人は運ばないと無理」
湊は診療室の奥を見た。
高架から救った男性は、足を床につけようとして看護師に止められていた。もう一人は、湊たちが来る前から寝かされていた女性だった。毛布の下で、片脚だけが不自然に動かない。
「担架は?」
大地が尋ねる。
「一つしかない。もう一人は、この診察台ごと動かせれば」
大地が左手で台の端を押した。車輪は回ったが、一輪だけが横を向いたまま戻らなかった。
「段差で止まるぞ」
「そこだけ持ち上げる。ずっと担ぐよりはいい」
玲奈が紙の名前を線で結んでいく。
四人が歩行の介助につく。担架には二人、診察台には玲奈と蓮。大地は荷物を減らし、進む先を空ける。吊った右腕で人を持ち上げる役には入れなかった。
蓮は出発前に、別の街区へ呼びかけた。壮真と真奈の返事はなく、三度目を試す前にイヤホンから手を離した。
「今は搬送の連絡に絞る」
湊は頷いた。休んだばかりの耳へ、全てを任せることはできない。
先に道を確かめられるのは、湊と凛、相馬の三人だった。
「私と相馬さんで、先に道を見てくる」
凛が言った。
湊は端末に、敵の顔と人数を表示した。
「これを見せてください。何を聞かれたかは、蓮を通して俺に」
相馬は画面を覗き、湊を見た。
「その男が何をしていたか、直接見た人が話せる方がいい。入口を閉めようとしている相手です。判断を変えてもらうには、その場で答える必要があるでしょう」
湊は左腕へ目を落とした。
ここで人を運ぶ手にはなれない。だが、見たことを伝える役ならできる。
「分かりました。通れる場所で、俺は人数を数えます」
凛が頷いた。
「私は道が分かったら戻る。途中で人手が必要になると思う」
大地が入口へ向かった。
「こっちも準備できた順に出す。狭いところを先に抜けさせるぞ」
*
駅から離れるにつれ、糸の擦れる音は遠くなった。
代わりに、鉄柵を引きずる音が聞こえてくる。
街区の裂け目には、コンクリートの陸橋が一本残っていた。白い光で作られた橋ではない。都市が動いた後も、ひび割れた車道が辛うじて両岸をつないでいる。
橋の入口には車が斜めに並べられ、人が一人ずつ通れる隙間だけが空いていた。
鉄柵を運んでいた王冠軍の男が、相馬に気づいた。
「まだ来てないのか」
「十八人です。歩けない二人を運びます。この幅では診察台が通りません」
「だったら、先に歩ける者を寄越せ」
男は湊たちの後ろを見た。
「待つ場所じゃないんだ、ここは」
橋の向こうでは、避難者が壁際に座り込んでいた。靴を脱がされている女がいる。隣の男も肩で息をしていて、立たせる余裕がないようだった。
橋の上から、作業を終えた数人が戻ってきた。
「準備は済んだ。あとは下の支えを断つだけだ」
湊は入口脇の作業階段を見た。橋の下へ降りた先に、亀裂の入った鉄骨が見える。
「ここを落とすんですか」
「こちら側をな。斬った者は、残る側の階段から戻れる」
男が示した路面の亀裂は、車道を横切っていた。あそこが落ちれば、こちら岸から渡る道はなくなる。
湊は端末を開いた。
「大きい方を動かしてる人間がいます。こいつが、記憶を預かった人を捕まえていました」
「見せろ」
背後から低い声がした。
黒と金の衣が、車の間を抜けてくる。
織田信長だった。
*
信長は画面だけを見た。
「撮ったのは貴様か」
「はい」
「この男を倒したのか」
「いえ。捕まっていた人を助けて、逃げました」
「動かすところは見たか」
湊は、左手の指を曲げると細い糸が動いたこと、その間は巨体の手が止まっていたことを話した。
「両方を一度には動かしていませんでした。俺たちが見た範囲では」
信長は画面から目を離した。
「本体を探せ。巨体の真下とは限らん」
王冠軍の男が、屋根を見張る仲間へ声を飛ばした。
湊は続けた。
「十八人を通したいんです。車を動かしてもらえれば」
「どれほどかかる」
相馬が答えた。
「ここまで私たちの足で七分ほど。搬送では、それ以上です」
信長は車へ顎を向けた。
「一台退けろ。運ぶ者を通せ」
湊が礼を言うより先に、指が道路の入口を示した。
「ただし、あれが姿を見せるまでだ」
駅側の建物が途切れ、道が真っ直ぐ橋へ続いている。巨体がそこへ出れば、途中に身を隠せる場所はなかった。
「まだ人が残っていても?」
「橋に手をかけられれば、落とす側も巻き込まれる」
信長は作業階段を見た。
「あそこへ降り、支えを断って戻る。その間まで見込んでいる」
湊は亀裂の向こうを見た。周りの建物は崩れ、両岸をつなぐ屋根も、線路もない。
屋上の見張りから声が下りてきた。
「両脇、変化なし! あいつが使っていた足場は、ここでは途切れてる!」
完全に追跡を防げるかは分からない。それでも、この橋を渡らせるよりは逃げる時間を作れる。
「二人で……誰かと組んで、止めることは」
湊が言いかけると、信長は駅側へ目を向けた。
「止めている間、誰が次を受ける」
向こう岸の負傷者が、ようやく二人がかりで立ち上がっていた。
「ここで仕留められる保証はない。橋へ来てから勝てなければ、あの者らも逃げられん」
湊は答えられなかった。
この男は、勝てるかどうかだけで決めていない。
「蓮、出発して。通れる幅は空けてもらえる」
『もう出てる。担架も動いた』
息の弾む声だった。
凛が来た道を指した。
「戻る。次の角、段差があったから」
「俺はここで伝える」
彼女は頷き、駆け戻った。
*
歩行の介助を受けた四人と、その肩を支える四人が橋を渡った。
首に傷の残る男性も、その中にいた。向こう岸へ足をつけたところで、一度振り返った。自分を助けた者がまだこちらにいると確かめるように。
湊が手を上げると、彼は小さく頷き、先へ進んだ。
「八人、渡りました」
相馬が紙へ印をつける。
『診察台の車輪、止まった』
蓮の声が割り込んだ。
湊は端末を握った。担架に二人、台を持ち上げるには四人。先に介助の組を渡らせた今、搬送隊の手が足りない。
続けて凛の声がした。
『聖域軍と合流した。二人、運ぶのを手伝ってくれる。上杉謙信もいる』
「場所は?」
『屋根のある通路。担架を先に出す』
相馬が顔を上げた。
高架で救った男性の担架が、角から現れた。革命軍の二人が、歩幅を揃えて運んでいる。
その後ろで、白い衣が動いた。
謙信は担架を追い越さず、振り返って短く指示した。
「角で持ち替えろ。道の途中では止まるな」
診察台を運ぶ四人が、建物の陰で一度腰を落とした。玲奈と蓮に加え、聖域軍の二人が持ち手を握り直す。大地が左手で落ちた看板をどかし、凛が先の路面を確かめていた。
湊は橋の向こうへ手を振った。
「担架が行きます!」
王冠軍の男が車の脇を空けた。
謙信は担架が橋へ入るのを見届け、診察台のところまで引き返した。持ち手を握り直した四人が再び歩き始めると、その横につく。
担架と運び手が渡り終わり、相馬が三つ、印を増やす。
十八人のうち、十一人が向こうへ着いた。
湊たち七人と、手を貸してくれた謙信たち三人は、まだこちら側にいる。
その時、建物の上で黒い腕が持ち上がった。
「上!」
湊の声に、凛が顔を上げる。
巨影は、屋根を一つ越えてきていた。壁を掴む指の間から、砕けた外壁がこぼれ落ちる。
その下の路地を、黒い外套が横切った。
湊はスマートフォンを向けた。拡大した画面の中で、頬の傷が見えた。
「あの男です!」
男は診察台を見た後、橋へ目を向けた。左手を開き、ゆっくりと前へ押し出す。
巨影の腕が、道路の入口へ伸びた。
「路地の奥だ!」
王冠軍の見張りが弓を上げた。だが、外套の男は崩れた壁の陰へ身を引いていた。矢をつがえたまま、見張りが屋上を横へ走る。
「壁で見えない! 回り込む!」
湊の画面にも、もう男の姿はなかった。居場所が分かっても、そこへ刃を届かせる間に巨体は進んでくる。
記憶を返したから追われない。今度は、そう考えてはいけなかった。
あの男が、こちらを見て動かしている。
*
信長が刀を抜いた。
「橋の上を空けろ。落とす」
王冠軍の男が、向こう岸へ走る。
謙信は診察台の横から前へ出た。
「運び続けろ。走るな」
運び手に言い残し、橋までの道を駆けた。信長が作業階段へ足を向けたところへ追いつき、その入口を塞ぐ。
そこを降りなければ、最後の支えには刃が届かない。
信長の足が止まった。
「退け、謙信」
「台が渡るまで待て」
「待てば、断つ者が戻れん」
「私が後ろを受ける」
「一度受けた後はどうする。橋へ手をかけられてからでは遅い」
謙信は巨影を一瞥した。
診察台はまだ、道の半ばにある。運ぶ一人の膝が折れかけ、隣の者が歩幅を縮めた。
「間に合わせる」
「間に合わなかった時に死ぬのは、貴様だけではない」
信長が踏み込んだ。
刀は謙信の喉へ向かわなかった。低い位置から斜めに入り、階段の前に置かれた足を払う。
謙信が抜き放った刃を落とした。
鋼が噛み合った瞬間、信長は押す力を抜いた。受けた刀がわずかに沈む。その外側へ身体を滑らせ、階段を取ろうとする。
謙信の切っ先が、無防備になった肩へ向きかけた。
だが、追わなかった。
一歩引いて階段の口へ戻り、信長の進む先へ刀を置いた。
刃先が黒と金の衣を掠める。信長は足を止めた。
「斬れる時に斬らんのか」
「通さぬために立っている」
信長の目が細くなった。
湊は診察台の方へ目を走らせた。
「毛布……足に、かかる」
台の上の女性が、垂れた毛布を指していた。蓮の膝に触れそうになった端を、自分の胸元へたぐり寄せる。脚の痛みに顔を歪めても、手は離さなかった。
「ありがとう。そのまま押さえてて」
玲奈が声をかけた。凛は割れた路面を指し、四人を右へ寄せる。大地はその先で、転がった石を足で払いのけていた。
ここで二人が争わず、巨影を迎え撃てば。
そう言いたかった。
診察台が傾き、壊れた車輪が路面を擦った。四人が持ち上げ直す間にも、黒い腕は近づいてくる。
あと少し待ってほしい。その少しを、信長は向こう岸の者を逃がすために使おうとしていた。
「まだ七人います」
湊は言った。聖域軍の三人もいる、と続ける前に、信長が答えた。
「聞いておる」
信長は湊を振り向かなかった。橋の向こうから、まだ咳き込む声が届いていた。
謙信が刀を構え直した。
「まだ渡っていない者を、数から外すな」
「渡った者もな」
信長の刃が、今度は高く上がった。
謙信は階段の前を譲らず、身体を斜めにした。斬撃を横へ流せば、後ろの搬送路へ抜ける。
受けるしかなかった。
衝突した刀が鳴り、謙信の膝が沈む。
信長はそこで刃を引いた。鍔元を外れた切っ先が白い袖を裂き、腕に赤い線を残す。
謙信は踏みとどまった。剣を追わず、肩で相手の進路を塞ぐ。
信長の身体が半歩、階段から離れた。
湊は息を詰めた。
二人とも、相手を見ているだけではなかった。階段と、搬送路と、迫る巨体。その全ての位置を計りながら、一歩を奪い合っている。
「朝倉さん」
相馬が紙を差し出した。
「台が来たら、私が向こうで数えます。あなたはこちらで呼び込んでください」
湊は頷き、車の脇へ移った。
刀の間に入っても、台は一歩も進まない。
「こっち! 右側が通れます!」
玲奈が顔を上げた。
凛は返事の代わりに手を上げ、台の角が車へ当たらないよう、運び手を導いた。
頭上で、コンクリートが砕けた。
黒い指が、建物の角から離れる。
次に掴む場所を探す腕の下で、信長の刀が再び動いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』の漫画版をaimangaで公開しています。
小説とはまた違った形で描かれる、湊たちの物語も楽しんでいただけたら嬉しいです。
漫画版はこちら:
【https://a-i-manga.com/series/T0sv47QH】




