第42話 正しい説明に潜む罠
布を剥がす時が、一番痛かった。
朝倉湊は右手で椅子の縁を握った。声を飲み込むと、目の前にしゃがんだ女が顔を上げた。
「我慢しても、早く終わらないよ」
駅から二つの建物を抜けた先に、小さな診療所があった。
革命軍の参加者が入口を見張り、負傷者を中へ入れている。玲奈が西口で仲間を見つけた時、ここへ運ぶよう教えられていたという。古い診療台には毛布が敷かれ、棚から集めた包帯が机に積まれていた。
処置をしている女は、現実では看護師だったと名乗った。
能力で治しているのではない。洗う時も、傷の縁を確かめる時も、触れられれば痛かった。
「指、動かしてみて」
湊は言われた通りにした。左手の指を曲げると、前腕の傷が引きつった。
「動く。でも痛いです」
「それはそう。しばらく、その腕で物を持たないで」
女は隣の椅子を見た。
「そっちの人も」
大地が、吊った右腕を見下ろした。
「まだ何もしてねえぞ」
「今、椅子を動かそうとした」
大地は左手で椅子を持ち直した。
湊は笑いかけ、背中に響いて顔をしかめた。破片の当たった場所も、さっき確かめてもらったばかりだった。
「笑うと痛い?」
黒瀬凛が横から覗いた。
「笑わせないで」
「私、何も言ってない」
彼女の上着には、脇の縫い目を横切る裂け目があった。中の服がのぞいている。
湊が見ていることに気づき、凛はそこを手で押さえた。
「こっちは平気」
「本当に?」
「確かめてもらった」
診療台の方へ顎を向ける。湊はようやく息を吐いた。
包帯を巻き終えた女が、湊の右手へ水の入った紙コップを渡した。
「血がにじんだら、すぐ言って。動けることと、使っていいことは違うからね」
言葉が、大地にも届く高さだった。
*
救い出した男性は、隣の部屋で横になっていた。首元には赤黒い線が残り、声を出すたびに咳が混じる。女が椅子を引き寄せ、その傍らに座っていた。
高架から引き上げられた負傷者も、奥の診療台へ移されている。
全員を運び込んだところで、玲奈が入口から戻ってきた。
「今のところ追ってきてない。見張りは交代で置くって」
「ありがとうございます」
湊はスマートフォンを膝へ置き、撮った顔を開いた。
頬の古傷は、耳の下から口元の手前まで走っていた。画像の男は、こちらへ戻ろうとしている。
「見せていいですか」
ベッド脇の女性に尋ねた。
「ここにいる人に。あの男を知ってる人がいるかもしれません」
女性は頷きかけたが、すぐには声を出さなかった。
「……何があったかも?」
「話せるところだけでいいです」
女性は膝の上で両手を組んだ。
「私、最初に疑ったの。橋の向こうに一人で行かせるなんて変だって」
隣の男性が目を開ける。
「でも、待ってる人がいたから。後ろにも、渡りたい人が並んでて。早くしなきゃって」
指が白くなるほど、握りしめていた。
「それで、先に行ってって言った」
男性が身体を起こそうとした。途中で咳き込み、女性が慌てて背中へ手を添える。
「俺も……行けると思った」
「でも」
「俺も決めたんだよ」
短い言葉の後、男性は息を整えた。
湊はスマートフォンを裏返した。
画像を見せて、名前を聞く。それだけのつもりだった。
誰かに説明してもらうことが、その人にもう一度あそこへ戻ってもらうことになるとは、考えていなかった。
「俺から話します。見たことだけ」
女性は少しの間、湊の顔を見ていた。
それから頷いた。
*
待合室で画像を見せると、一人の男が椅子から腰を浮かせた。
「こいつ、案内してたぞ」
入口近くにいた、灰色のパーカーの男だった。
「どこで?」
玲奈が近づく。
「貨物口。駅の東側に、古い荷物の受付みたいな建物がある。そこで道を聞いた」
「一人だった?」
「若いのがもう一人。紙に矢印を書いて、渡してた」
湊は顔を上げた。
「紙?」
「ああ。機械よりこっちの方が見やすいだろって。俺たちは橋が混んでたから、別の道にしたけど」
男は画像へ目を戻した。
「こいつが、何したんだ」
湊は人質の首に糸が巻かれていたこと、記憶を返させないため端末を奪っていたことを話した。
聞いていた人々の顔から、先ほどまでの疲れた表情が消えていく。
「じゃあ、戻ってこない連中も……」
誰かが言った。
湊は首を振った。
「全部同じ理由かは分かりません。俺たちが見たのは、あの二人です」
男が画像を指した。
「軍章は?」
「外套で見えませんでした」
「革命軍じゃないのか。あっちで案内してたんだぞ」
玲奈が口を開きかけた。
その前に、待合室の奥から声がした。
「私たちを助けてくれたのは、革命軍の人です」
ベッド脇にいた女性だった。戸口に立ち、片手を扉に添えていた。
「その人がどこの軍かは、知りません。でも、助けてくれた人まで同じだとは思いません」
待合室が静かになった。
女性は玲奈を見た後、湊の手元へ目を落とした。
「その写真、貸してください」
湊は端末を差し出した。
女性は両手で持ち、顔が皆に見える向きへ回した。
「この人です。この人に、記憶を返してほしければ、別の二人を連れてこいと言われました」
声が一度、詰まった。
「だから、誰かに呼ばれても……その人だけを責めないで。私も、行かなきゃって思ったから」
玲奈が女性の隣に立った。
誰も、すぐには返事をしなかった。
入口の見張りが、自分の端末を出した。
「顔、撮らせてもらっていいか」
湊は頷いた。
男は画面を撮影し、外の交代要員へ見せに行った。もう一人も端末を出す。
画像が、手から手へ渡っていった。
*
湊が廊下へ出ると、蓮から呼びかけがあった。
『朝倉。聞こえる?』
「聞こえる。今、処置が終わった」
『相馬さんが話したいって』
声が切り替わる。
『こちらから駅へ向かう道は見つかりました。ただ、途中が狭い。合流には少しかかります』
「無理しないでください。こっちは大地さんたちと一緒です」
湊は貨物口の話を伝えた。相馬は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
『そこへ行くつもりですか』
「俺は、今は走れません」
答えるまでに、少し時間がかかった。
「でも、調べたいです。顔を知らせるだけじゃ、違う人が同じ案内を続けるかもしれない」
隣で凛が頷いた。
『なら、先にその紙を探しましょう。現場へ近づかずに分かることがあるかもしれません』
待合室へ戻ると、玲奈が小さな紙を持っていた。
「捨ててなかったって」
灰色のパーカーの男が、ポケットを叩いた。
折り目のついた紙には、四角い建物と、太い矢印が描かれていた。
上に『西へ』。
下に、小さく二行。
受け取った人から先に渡ること。
渡り終えるまで記憶を返さないこと。
湊はその文字を見た。
渡り終えるまで記憶を返さない。それは、壮真たちが渡った時にも必要だった。
その説明に、一人を先へ行かせる順番が混ぜられている。知っていることが一つ正しいだけで、残りまで正しく見えてしまう。
凛が紙の端を押さえた。
「この四角、駅?」
「たぶん」
湊は端末で、先ほど撮った駅の外観を探した。巨影を追って録画していた時、背景に映り込んでいたものだ。
凛は画像と紙を見比べた。
「矢印の先、私たちがいた裏通りだと思う」
断定するには、見えていない場所が多い。
それでも、調べる場所は絞れた。
湊は紙を灰色のパーカーの男へ返しかけた。
「持っていけよ」
男は手を出さなかった。
「俺も渡ってたかもしれないんだろ」
湊は紙を受け取り直した。
「使わせてください」
外では、見張りが通行人を呼び止めていた。
顔の画像を見せ、短く説明している。先ほどまで急いでいた二人が足を止め、来た方を振り返った。
湊はその様子を、廊下の窓から見た。
今度は、こちらが先に知らせられた。
だが、紙を配っている誰かには、まだ届いていない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。
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