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『MEMORIA WAR ―記憶戦争― 信長・武蔵・ジャンヌ――歴史の英雄と名もなき者たち』  作者: 130
第3章 BOND

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第41話 誰かの朝を取り戻す

 シャッターの陰から、女が出てきた。


「その人を放して」


 黒い外套の人物は、女が近づいてくるのを待っていた。


「返してほしいか」

「私の記憶なの」

「なら、仲間を二人連れてこい。記憶を預けたままでな」


 女の足が止まった。


「そんなことしたら、その人たちが……」

「お前のは戻る」


 声は静かだった。


 捕まっている男が、首を振った。


「来るな。誰も連れてくるな」


 外套の人物は男を見た。


「膝を伸ばせ。まだ返してないだろ」


 男の足が震えていた。身体が沈むほど、首に回った糸が締まる。


 女は端末を握りしめた。


 湊は二階の壁の陰で、スマートフォンを下ろした。


 ただ捕まえるだけではない。


 助かりたければ、次の誰かを差し出せと言っている。


 凛が袖を引いた。


「下へ。出口を確かめる」


 湊は撮影を止め、蓮へ場所と状況を伝えた。救援はまだ到着できないという相馬の返答を聞きながら、二人で階段を降りる。


 一階の裏には、荷物を運び込むための通路があった。駅の正面まで抜けられる。裏通りとの境には太い柱と、半分下りた防火シャッターがあった。


 凛が通路を往復して確かめる間、湊は柱の陰から外を覗いた。


 人質まで七メートルほど。黒い身体は二棟のビルに挟まって屈み、胸元の男を路面近くへ押さえている。


 男の踵が浮きかけた。


 外套の人物が腰を持ち上げ、また足をつかせる。


 湊は目を細めた。


 生かすために、手をかけている。


 凛が戻り、湊の隣で身をかがめた。


 男が首の輪へ指を入れると、外套の人物が左手を上げた。二本の指が曲がり、脇を通る糸が引かれる。肩を後ろへ押さえつけられ、男は腕を下ろした。


 その間、頭上を探っていた巨大な手は止まっていた。


 左手が開くと、今度は巨体の肩が動く。脇の糸は張ったままだが、男が腕を動かしても、それ以上は引かれなかった。


 湊は凛の袖に触れ、相手の左手を指した。


「今、あの指で糸を引いた」

「大きい方は止まってる」


 二人はもう一度、男の手元を見た。


「正面まで通れる。大きいのは、ここに入れない」


 柱の脇には、空の台車があった。


 湊はそれと、男の首を見比べた。輪を引いているのは、脇を通る細い二本の糸だった。


「下から支えれば緩む。台車に乗せて、その二本を切る」

「近づく間は?」

「あいつは人質を生かしたい。そばまで入れば、大きい手でまとめては潰せない」


 凛は外套の人物を見た。


「本人は、止めに来るよ」

「風で押し返す。その間に切ってもらう」

「左手も見て。糸を足されたら、抜けられなくなる」

「分かった。台車を挟んで、手を伸ばさせない」


 湊はスマートフォンを握り直した。


「顔が撮れれば、他の人にも知らせられる。こいつに近づくなって」

「撮るために残らないで」

「助けたら一緒に戻る」


 凛が頷いた。


 湊は強風の動画を開いた。


 彼女が台車を押し、二人は柱の陰を出た。


 車輪の音に、外套の人物が振り向く。


「そいつらがお前の仲間か」


 湊は返事をせず、人質へ駆け寄った。


 頭上で黒い腕が持ち上がる。指の影が路面を横切った。


 湊は男の肩へ左腕を回し、すぐ横に立った。


「この人まで潰したら、誰を脅すんだ」


 黒い手が止まった。


 外套の人物は湊を見た。それから、男の震える足へ目を落とす。


「じゃあ、お前が支えろ」


 男の膝裏を蹴った。


 体重が湊の腕へ落ちてくる。


 首の糸が張る。


 湊は歯を食いしばり、男の脇へ肩を入れた。持ち上げなければ窒息する。離れたら、目の前で死ぬ。


「凛!」


 台車が足元へ入った。


 凛が車輪を止め、二人で男を荷台へ立たせる。男は取っ手にしがみつき、激しく咳き込んだ。


 外套の人物が左手を曲げた。


 頭上の手が止まり、胸から伸びた糸が、相手の左指に絡んでから湊の足元を打った。湊は靴を引いた。車輪に絡んだ一本が台車を引き、男の身体が傾く。


 凛が取っ手を押さえた。


「朝倉、左!」


 湊は端末を相手へ向けた。外套の人物は指を開き、荷台の陰へ身を寄せる。糸の引く力が止まった。人質を間に置かれ、湊も画面を押せない。


「こっちへ来て!」


 凛が女を呼んだ。


 女が走り、男の腰を支える。凛は金属片を渡し、首の輪につながる二本を示した。


「ここを切って。私たちが止めるから」


 外套の人物が短い刃物を抜いた。


 女の手が止まる。


「今なら、その二人を置いて行けば返してやる」


 女は男を見た。


 彼は息を切らせながら、首を振った。


 女は金属片を糸へ押し当てた。


 外套の人物が人質の脇から踏み込み、台車へ左手をかけた。引き倒すつもりだった。


 身体が荷台の横へ出る。


 湊は待ち構えていた指で、画面を押した。


「《REPLAY》!」


 風が吹きつけた。


 相手の外套が膨らみ、頭巾が後ろへ剥がれた。取っ手から手が離れ、その身体が脇の壁へぶつかる。


 胸元から端末が落ちた。


 凛が足で女の側へ弾いた。女は男に取っ手を掴ませたまま端末を拾い、自分のポケットへ入れると、すぐに腰を支え直した。


 相手の左手が上がりかけた。


 凛は台車と相手の左手を結ぶ糸を掴み、身体ごと後ろへ引いた。壁際の身体がつんのめる。糸が指からほどけて落ちた。


 湊はカメラへ切り替えた。


 むき出しになった男の顔を捉え、録画を始める。


 頬に古い傷が一本。薄い唇が引き結ばれていた。


 その目が、レンズを見た。


 湊は撮影を続けたまま、スマートフォンを胸ポケットへ差し込んだ。上端のレンズを外へ出し、空いた右手で取っ手を掴む。


 もう、カメラの方は見なかった。


 男が戻ってくる。


 女は歯を食いしばり、糸を擦っていた。一本が切れると、人質の男性が自分の襟元へ指を入れた。


 刃物が女へ向いた。


 凛が取っ手の陰から腕を伸ばし、女の肩を引いた。刃が金属を叩いた。


 男はすぐに手首を返した。


 凛の上着の脇が裂ける。


 彼女の足元に白い道が走った。


 ――《ROUTE》。


 今、台車を押してきた経路を後ろへ滑り、凛は柱の手前まで退いた。


 相手は追わなかった。


 女の方へ向き直る。


 湊は取っ手を引き寄せ、その間へ身体を入れた。


 金属の横から回り込んだ刃が、左前腕を裂いた。


 手から力が抜けそうになる。


 それでも右手は離さなかった。


「そのまま、切って!」


 女は下を向いたまま、金属片を動かした。


 目の前で、血が荷台へ落ちた。


 湊の血だった。


 女の手が一度止まり、次に、もっと強く動いた。


 相手が刃を引き、左手を胸の前へ出す。


 柱から駆け戻った凛が、その左腕を両手で掴んだ。手のひらを取っ手へ押しつけ、指を曲げさせまいと身体を預ける。


 相手が刃物を持つ右腕を返した。


 凛は身を低くした。刃が髪の上を通る。長くは押さえていられない。


「切れた!?」


 女は答える代わりに、金属片を引いた。


 細い音がした。


 男性が首の輪へ顎を押し込み、頭を抜く。背中を引き剥がすと、シャツが裂けた。


 女が彼を抱え、荷台から降ろした。


 凛は左腕を放し、取っ手の陰へ退いた。


 黒い腕が振り上がった。


 人質が外れた途端、その動きから迷いが消えた。


「朝倉、戻る!」


 凛の声に、湊は足を動かした。


 台車の固定を外して相手へ押し出し、自分も柱へ走る。背後で荷台が潰れ、金属の破片が背中を打った。


 振り返らなかった。


 凛が女と一緒に男性を通路へ入れ、その後へ湊が飛び込んだ。


 黒い指が柱を掻いた。コンクリートが砕ける。


 四人が抜けたところで、凛と湊はシャッターの下端へ手をかけた。


 外で、壁の崩れる音がした。黒い腕が柱の向こうへ引き抜かれ、駅の屋根が軋む。


 巨体は二棟の間で屈んだまま、肩を起こそうとしていた。軒に引っかかった糸の束が、外壁ごと剥がれていく。


 抜けてくる。


 湊は凛と一緒にシャッターを引き下ろした。直後、向こう側から刃物が板を叩く。


 凛が湊の手首を掴む。


 湊はそのまま走った。


     *


「四人。駅の正面へ向かってる」


 湊は蓮へ伝えた。


 通路の先に、改札と外の光が見える。背後では、まだ金属を打つ音がしていた。


 相馬の声が返った。


『玲奈さんたちが正面へ回っています。駅の西側が、桐生さんたちのいた道路につながっていました』


 通信に玲奈の声が入った。


『先に助けた人は、西口の待合室。仲間に見てもらってる。そこを通って一緒に出るから!』


 柱の向こうから、玲奈と革命軍の男が現れた。


 男が被害者の男性を引き受けると、湊はようやく壁へ手をついた。


 玲奈が左腕へ布を押し当てた。


「押さえて。歩ける?」

「はい」


 言ってから、膝が震えていることに気づいた。


 凛が右側へ回り、肩を貸した。


「ゆっくりでいいから」


 入口を出た先では、大地が右腕を吊り、通りを見張っていた。


「西口へ。駅から見える通りは使うな!」


 背後で、屋根の縁に黒い指がかかった。まだ上半身は上がってこない。


 凛が湊を促し、大地が全員を建物の脇へ通した。壁際の低い庇の下を抜け、狭い通路を折れる。背後から人間の足音が追ってこないか、湊は耳を澄ませた。


 西口の待合室では、額に布を巻いた負傷者を、革命軍の別の参加者が支えていた。玲奈が声をかけ、二人も列へ加わる。


 玲奈が先へ立った。


 助けた女が、ポケットから取り返した端末を出す。


「返せる?」


 男性は支えられたまま頷いた。女が画面を持ち、彼が動く左手で返却を選ぶ。


 白い光が女へ戻った。


 それでも、歩みは止めなかった。


 駅の壁が背後へ遠ざかる。


 女が何か言いかけ、口元を押さえた。


「……卵、焦げてた」


 男性が顔を上げる。


「息子が初めて朝ご飯を作ってくれた時。黒くなったところ、裏にして隠してて」


 女は鼻をすすった。


「その時の顔、思い出せた」


 男性は小さく息を吐いた。


「よかった」


 湊は二人から目を逸らした。


 忘れていたのは、誰かの朝だった。


 世界を動かす秘密でも、英雄の戦いでもない。


 それを返さないだけで、人をあんな場所へ呼び出せる。


 凛が肩を持ち直した。


「痛い?」

「痛い」


 強がる余裕はなかった。


 彼女は歩調を落とした。


「戻ってきたね」


 湊は凛を見た。


 駅の中で交わした約束。


 思い出して、頷いた。


「うん」


 その先の言葉は、うまく出なかった。


 玲奈が二つ目の角を曲がり、低い連絡通路の陰から手招きした。


 大地は最後尾で足を止め、今来た道を見た。遠くで壁が崩れている。だが、角の向こうに外套の男も、黒い指も現れなかった。


「少しだけだ。腕を巻いたら動くぞ」


 玲奈が湊の腕の布を結び直す。その間も大地は通りから目を離さなかった。


 いったん立ち止まると、湊は凛に肩を預けたまま、胸ポケットからスマートフォンを取り出した。


 録画を止め、風を使った直後の場面を開く。


 顔が映っていた。


 古い頬の傷。こちらを見た目。


 湊はその一枚を保存した。


 大地が一瞬だけ画面を覗き、すぐ通りへ目を戻した。


「こいつか」

「はい」


 助けた女も画面を見た。


「最初は、道を教えてくれたの」


 声が小さくなる。


「受け取った人から渡れば安全だって。向こうで待ってるからって……」


 男性が壁へ背中を預けた。


「渡ったところで捕まった。後ろへ知らせる前に、首へ糸が来た」


 女は彼の左手を握った。


 大地は通りを警戒したまま、黙って顎を引いた。


 玲奈は何も言わなかった。


 二人も、少し前まで記憶を預けていた。


「蓮。顔が撮れた」


 湊はスマートフォンを持ち直した。


「知ってる人がいないか、会える人から見てもらいたい」


 返事を聞きながら、画像をもう一度見た。


 こんな顔で、道を案内していたのか。


 助けを求めた人に、手を差し出して。


 湊は画面を閉じた。


 まず、怪我人を安全な場所へ運ぶ。


 次は、こちらから見つける。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。


少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。


『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』の漫画版をaimangaで公開しています。

小説とはまた違った形で描かれる、湊たちの物語も楽しんでいただけたら嬉しいです。


漫画版はこちら:

【https://a-i-manga.com/series/T0sv47QH】

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