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『MEMORIA WAR ―記憶戦争― 信長・武蔵・ジャンヌ――歴史の英雄と名もなき者たち』  作者: 130
第3章 BOND

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第35話 預ける記憶

 《あなたの大切な記憶を、一つ、相手へ預けてください》


 その表示を見ても、誰もすぐには動かなかった。


 敵を倒せと言われる方が、まだ分かりやすかった。


 武器を持ち、走り、攻撃を避けて戦う。それなら、嫌でも身体は動く。


 だが、自分の記憶を誰かへ預けろと言われても、何をすればいいのか分からなかった。


「……どういう意味だよ」


 牧野壮真が腕時計に触れた。


 佐伯真奈も、自分の端末を見つめていた。


 《MEMORY LINK TUTORIAL》


 《DEPOSIT ONE PERSONAL MEMORY》


 《MEMORY MUST POSSESS EMOTIONAL VALUE》


 《TRIVIAL DATA IS INVALID》


 朝倉湊は、順に表示を読んだ。


「どうでもいい記憶じゃ駄目」


「大切な記憶じゃないと成立しない」


 黒瀬凛が続けた。


「大切って、誰が決めるんだよ」


 まるで湊の疑問を聞いていたかのように、MEMORIAの表示が変わった。


 《EMOTIONAL VALUE IS DETERMINED BY THE OWNER》


「本人?」


「自分が大切だと思っているかどうか、でしょうね」


 相馬源一郎が静かに答えた。


「それを、他人に渡す?」


 高瀬蓮がイヤホンを握った。


 次の説明が現れた。


 《DURING DEPOSIT, OWNER ACCESS WILL BE SUSPENDED》


「……は?」


 壮真が声を漏らした。


「所有者アクセス?」


 真奈が聞き返すと、チュートリアルが日本語へ切り替わった。


 《預けている間、その記憶を持ち主は思い出すことができません》


 全員が黙った。


「待って。じゃあ」


 湊が画面を見つめる。


「預けたら忘れる」


 凛が言った。


「ああ」


「一時的に?」


 その問いに答えるように、次の表示が出た。


 《MEMORY WILL BE RETURNED WHEN LINK IS RELEASED》


「戻る」


 湊は少し息を吐いた。


 だが、その下に新しい一行が現れた。


 《EXCEPTION》


 嫌な言葉だった。


 《IF THE RECEIVER IS LOST, MEMORY RECOVERY IS NOT GUARANTEED》


 誰もすぐには声を出さなかった。


「……受け取った方が死んだら?」


 壮真が呟いた。


 《LOST LINK》


 《RECOVERY PROCEDURE MAY BECOME AVAILABLE WITHIN DOMAIN》


 《MEMORY LOSS MAY BECOME PERMANENT IF RECOVERY FAILS》


「永久に、なくなる可能性がある」


 真奈が言った。


 記憶を預けるだけなら、まだ試せたかもしれない。


 だが、その相手が死ねば、自分の記憶まで失うかもしれなかった。


「……最悪」


 凛が呟いた。


 湊は画面から目を離せなかった。


 人が死ねば、その人を忘れる。それだけでも十分に狂っている。


 今度は、生きている人間へ自分の記憶を預けなければならない。


 しかも、その相手を守れなければ、自分の一部までなくなる。


「だから、BONDなんでしょうね」


 相馬が周囲を見た。


「絆?」


「信用しなければ成立しない」


 自分の端末へ視線を落とす。


「相手に、自分の記憶を預ける」


「信用っていうより、人質じゃねえか」


 大地が顔をしかめた。


「そうとも言えます」


「ひでえ試験だな」


「MEMORIAらしい」


 凛が冷たく言った。


 そのとき、遠くで爆発が起きた。


 全員が顔を上げた。


 切断された都市の別のブロックで、光が走っている。


 誰かの叫び声が聞こえた。


「人がいる!」


 蓮がイヤホンを押さえた。


「向こう!」


 大地が示された方向を見た。


 数十メートル先に浮かぶ交差点で、別の参加者たちが戦っていた。


 BROKEN LINKが四体。その参加者たちを囲んでいる。


 頭上には、砕けた鎖の軍章が見えた。


「革命軍」


 湊は目を凝らした。


 その中に、見覚えのある女性がいた。


「あ」


 瀬川玲奈だった。


 革命軍の会社員。WARで何度か顔を合わせた相手だ。


「玲奈さん!」


 湊は叫んだ。


 だが、距離があり、戦闘の音にかき消されて届かなかった。


「つなげる!」


 蓮がイヤホンを握った。


 ――《ECHO》。


 ノイズの向こうから、声が返ってきた。


『……誰!?』


「無名軍! 朝倉!」


『朝倉!?』


 玲奈の声だった。


『あんたたちもここにいるの!?』


「います!」


『見れば分かる! これどうやって倒すの!』


「二人で攻撃!」


『雑!』


「こっちも今分かったばっかりなんです!」


 BROKEN LINKの腕が、玲奈の横へ伸びた。


『うわっ!』


 通信が乱れかけた。


「まだ!」


 蓮が接続を保った。


『こっちは三人! 一人足りない!』


 湊は大地を見た。


 大地が自分を指す。


「俺?」


 その端末が震えた。


 《CROSS-FACTION PAIRING CANDIDATE DETECTED》


 《KIRYU DAICHI ⇄ SEGAWA REINA》


「……マジかよ」


 大地が画面を見た。


「埋まった」


 湊が呟いた。


「革命軍と?」


 壮真が聞く。


「軍は関係ないようですね」


 相馬が言った。


「BONDだからじゃない」


 凛が続けた。


「何が?」


「誰と誰が信用できるか」


 凛は、大地と遠くの玲奈を見た。


「軍章じゃなくて、人を見てる」


 大地がため息をついた。


「知らねえ相手よりマシか」


 蓮が通信へ呼びかけた。


『玲奈さん』


『何!』


『桐生大地さんって人と、ペア候補出てます』


『誰!?』


 大地の眉が動いた。


「おい」


「そのまま言いました」


 蓮が答えた。


『大きい人!』


「説明雑!」


『あ、あの作業着っぽい人!?』


「見えてんじゃねえか!」


『聞こえてる!』


 こんな状況なのに、壮真は笑いそうになった。


 真奈が肘で小突いた。


「今笑う?」


「ちょっとだけ」


「痛い?」


「そこじゃない」


 だが、笑っていられる時間はなかった。


 街が再び振動した。


 《DOMAIN PROGRESSION LOCK》


 《FORMAL MEMORY LINK REQUIRED》


 切断された道路や駅、建物を結ぼうとしていた白い光が、一斉に消えた。


「仮リンクじゃ、先へ行けない」


 湊が言った。


 相馬が頷く。


「誰かが最初に試すしかありません」


 全員が黙った。


 大切な記憶を預ける。


 言葉にすれば簡単だった。


 だが、それは自分の中から、一時的に何かが消えるということだ。


 その怖さは、湊にも分かった。


 この世界で、忘れるという言葉は軽くない。


 壮真が腕時計を見た。


 真奈が気づいた。


「何」


「いや」


「何か考えてるでしょ」


「まあ」


「やめときなさい」


「まだ何も言ってない」


「顔で分かる」


「そんな分かりやすい?」


「分かりやすい」


 壮真は時計の表面を指でなぞった。


 古い腕時計だった。いくつもの傷がついている。


「俺、試してみようかな」


「壮真」


 湊が呼ぶと、壮真は顔を上げた。


「誰かやらないと進まないんだろ」


 真奈の表情が変わった。


「だからって最初にやる必要ない」


「でも俺と真奈さん、候補出てるし」


「それとこれとは別」


「信用してない?」


「そういう言い方やめて」


「ごめん」


 壮真は笑った。


 だが、いつもより弱い笑い方だった。


「俺も怖いよ」


 真奈が黙った。


「忘れるの」


 壮真が腕時計へ目を落とす。


「この世界に来てから、それが一番怖い」


 湊は何も言わなかった。


「だから、逆に、試した方がいいと思う」


「何で」


「戻るかどうか」


 真奈が目を細めた。


「もし戻らなかったら?」


「その時は」


 壮真は真奈を見た。


「覚えててよ」


 真奈の言葉が止まった。


「俺の代わりに」


「……軽く言わないで」


「軽くないよ」


 壮真は真顔だった。


「だから頼んでる」


 真奈の視線が、時計へ落ちた。


「何を預けるつもり?」


 壮真はすぐには答えなかった。


 時計に触れ、指を止める。


「これを」


「時計?」


「じゃなくて」


 壮真が目を閉じた。


「これをもらった時の記憶」


 湊は息を詰めた。


「誰から?」


 真奈が聞いた。


 壮真は少しだけ懐かしそうに笑った。


「親父」


 古くても、ずっと持ち続けている腕時計。


 記憶と結びついた物が、この世界では遺想具になる。


「それ、大切すぎない?」


「だから成立するんじゃない?」


「もし私が死んだら」


「死なせない」


 即答だった。


「そういう問題じゃない」


「じゃあ」


 壮真は少し考えた。


「俺も死なない」


「もっと違う」


「難しいな」


 真奈はため息をついた。


 だが、拒絶はしなかった。


 端末を持ち直す。


「……やり方は?」


 表示が変わった。


 《PAIR CONFIRMATION》


 《MAKINO SOMA》


 《SAEKI MANA》


 《BOTH PARTICIPANTS MUST CONSENT》


「俺はいい」


「待って」


「はい」


 数秒の沈黙が、長く感じられた。


 遠くでBROKEN LINKがうなり、街が軋んでいる。


 それでも、誰も真奈を急かさなかった。


「本当に、その記憶でいいの?」


「うん」


「預かってる間、思い出せないんだよ」


「うん」


「私が何を見るかも分からない」


 壮真が少し困った顔をした。


「……変なとこまで見えたらごめん」


「そういう話してるんじゃない」


「緊張してる」


「私も」


 その言葉に、壮真の笑みが消えた。


 真奈が端末を押した。


 《CONSENT:SAEKI MANA》


 壮真も、自分の端末を操作した。


 《CONSENT:MAKINO SOMA》


 《MEMORY SELECTION》


 壮真は時計を握り、目を閉じた。


「親父から、この時計をもらった日」


 ゆっくりと言葉にする。


 画面が光った。


 《TARGET MEMORY DETECTED》


 《EMOTIONAL VALUE:VALID》


 湊は思わず凛を見た。


 凛も、こちらを見ていた。


 次は自分たちなのだと、言われた気がした。


 《MEMORY DEPOSIT READY》


 《WARNING》


 《OWNER WILL TEMPORARILY LOSE ACCESS TO SELECTED MEMORY》


 《RECEIVER WILL EXPERIENCE MEMORY FRAGMENT》


 真奈が息を吸った。


「壮真」


「何?」


「絶対、戻すから」


 壮真が少し笑った。


「頼む」


 《BEGIN DEPOSIT?》


 YES / NO。


 壮真が《YES》を押した。


 瞬間、腕時計が光った。


「――っ」


 壮真の身体が揺れた。


 真奈が目を見開く。


 目の前の景色が変わった。


 体育館でも、戦場でもない。


 どこかの古い家だった。


 夕方の光が差し込んでいる。


 男の手が見えた。


 その向こうにいるのは、今より若い壮真だった。少年というほど幼くはない。


 低い声がした。


『持っとけ』


 男の手が、時計を差し出した。


『別に高いもんじゃない』


 壮真の声が返る。


『いらないって』


『いいから』


 父親の顔は、まだ見えなかった。


 だが、その声は少し照れているように聞こえた。


『時間だけは』


 ノイズが走った。


『――』


「……!」


 真奈が息を呑んだ。


 記憶が途切れ、現実の景色が戻ってきた。


 壮真が目の前に立っていた。


 自分の腕時計を見ている。


 真奈は泣いていなかった。


 それでも、見たばかりの光景を受け止めきれず、目を揺らしていた。


 《MEMORY DEPOSIT COMPLETE》


 《FORMAL MEMORY LINK ESTABLISHED》


 《MAKINO SOMA ⇄ SAEKI MANA》


 二人の間に白い光が生まれた。


 細い糸のように伸び、互いをつないでいく。


「壮真?」


 真奈が呼びかけた。


「うん?」


「大丈夫?」


「何が?」


 壮真は時計へ目を落とし、眉を寄せた。


「……あれ」


 湊は嫌な予感を覚えた。


「どうした?」


 壮真が左腕を持ち上げた。


 そこにある古い腕時計を、確かめるように見つめている。


「これ」


 真奈が息を止めた。


 壮真は困ったように笑い、時計を指した。


「俺、これ、誰にもらったんだっけ」


 誰も答えなかった。

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