第31話 止めるための戦い
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。
『そう簡単に、終わらせないって』
高瀬蓮の《ECHO》を通じて流れ込んだ声に、朝倉湊は拳を握った。
間違いない。黒いノートの男だ。
BELLUMは倒した。五軍の代表も揃い、《WAR》は目の前にある。
あとは、この領域にいる全員が六十秒だけ攻撃をやめればいい。
それなのに、戦争を終わらせたくない人間が、まだ一人いる。
「蓮!」
『はい!』
「どこにいるか分かる?」
『やってみます!』
通信の向こうで、蓮が息を整える気配がした。
――《ECHO》。
銃声、悲鳴、命令、足音。五軍の会話と、残留する戦闘記憶。
無数の声の中から、蓮は一つの笑い声を探った。
『見つけた』
「どこ?」
『北西です。でも……動いてます』
ニコラ・テスラが顔を上げた。
「中継塔の出力を上げろ」
『やってます!』
「もっとだ」
『簡単に言わないでください!』
アラン・チューリングが通信座標を確かめた。
「声の到達時間に差がある。三点以上から取れれば位置を絞れる」
「声だけで?」
湊が聞くと、チューリングは淡々と答えた。
「声だからだ。通信には必ず時間がかかる」
テスラが、塔側の装置へ操作を加えた。
「蓮。もう一度拾え」
『はい!』
ノイズの後に、また男の声が聞こえた。
『六十秒なんて』
別の地点で捉えられた声が重なる。
『無理だと思うけどな』
さらに、三つ目。
『だって、誰か一人殺せば終わりだろ?』
湊の顔が強張った。
チューリングが即座に計算した。
「北西。旧塹壕群。推定誤差二十七メートル」
「十分だ」
テスラが言った。
湊は蓮へ叫んだ。
「相馬さんに送って!」
『もう繋ぎます!』
数秒後、相馬源一郎の声が返ってきた。
『朝倉さん?』
「黒いノートの男の場所が分かりました」
一瞬の沈黙があった。
『どこです』
「北西の旧塹壕群。蓮が案内できます」
『分かりました』
「でも、気をつけてください。あいつ、停戦を壊すためなら誰でも殺します」
『承知しました』
落ち着いた返事だった。
だからこそ、湊は不安になった。
「相馬さん」
『はい』
「無理なら追わなくていいです」
通信の向こうで、わずかに笑った気配がした。
『それは朝倉さんが言う言葉ではありませんね』
「……最近よく言われる」
『こちらは任せてください』
通信が切り替わった。
蓮が、外周に残った無名軍へ声を送る。
『北西旧塹壕群! 停戦妨害者が移動中!』
『了解!』
『何人向かう?』
『単独行動は禁止!』
返ってくる声に交じり、別の声がした。
『場所だけ教えろ』
宮本武蔵だった。
『僕も行きます』
沖田総司が続いた。
『ちょっと待て! 何でその二人が一緒に行くんだよ!』
壮真が割り込む。
『速いからだ』
『僕の方が速いですけどね』
『ほう』
『そこで始めるな!』
こんな状況なのに、湊は少しだけ笑いそうになった。
だが、すぐに蓮の声が変わった。
『動きました! 北へ!』
外周の旧塹壕群では、相馬たちも走り始めていた。
先頭を進む伊能忠敬が、測量棒を地面につく。
――《一歩一図》。
光の線が、崩れた塹壕の中へ広がった。
「右は行き止まりだ。左へ百二十歩。そこから三方向に分かれる」
「何でそんなすぐ分かるんです?」
走りながら壮真が聞いた。
「前に測った」
「便利すぎる!」
「歩いた場所だけだ」
その横を、武蔵と沖田が駆け抜けた。
二人とも速かった。普通の参加者を置き去りにしてしまいそうな勢いだった。
「先行しすぎないでください!」
相馬が叫んだ。
武蔵が振り返る。
「見える範囲だ」
「十分遠いです!」
「先生、心配性ですね」
沖田が少し笑った。
「あなた方が自由すぎるんです!」
前方に赤い霧が立ち上った。
その中から、五体、十体、二十体と戦闘記憶体が現れる。
黒いノートの男が、また倒れた戦闘記憶体へ干渉したらしい。
――局所再構成を確認。
――戦闘記憶体、増殖。
「またあいつ、この使い方してんのかよ!」
壮真が顔をしかめた。
武蔵は止まらなかった。
一体目の武器を木刀で弾き、二体目の肩を打つ。三体目の足を払って倒した。
反対側では、沖田の刀が走った。
斬撃から、そのまま突きへ移る。
――《無明三段》。
三度の刺突で、三体がほとんど同時に崩れた。
「三」
武蔵が言った。
「こっちは四」
「今のは三だ」
「後ろの一人も僕です」
「俺が先に崩しておいた」
「それは横取りじゃないですか?」
「数えるなって!」
壮真が叫んだ。
だが、二人は止まらなかった。
武蔵が左、沖田が右へ並ぶ。
さっきまで本気で斬り合っていた二人が、今は同じ方向を向いていた。
「右は任せた」
武蔵の言葉に、沖田が少し驚いた。
「信用するんです?」
「右から斬られたくないだけだ」
「それ、信用って言うんですよ」
「違う」
「そうですか」
二人が同時に踏み込んだ。
何度も共闘してきたかのように、互いの邪魔をしない。
武蔵が相手を左へ崩すと、そこへ沖田の突きが入る。
沖田が一体を前へ誘えば、武蔵の木刀が横から打ち込まれた。
戦闘記憶体が、次々と崩れていく。
中央にいる湊にも、《ECHO》越しの戦闘音だけで、その異常さが伝わってきた。
「さっき殺し合ってたよな、この二人……」
「今は共闘してる」
隣で凛が呟いた。
「明日また戦ってそうだな」
大地が言うと、少し離れた場所から信長が答えた。
「そういうものだ」
「何で納得してるんですか」
「強者同士なら当然だ」
「全てを一緒にするな」
上杉謙信が言った。
「貴様も似たようなものだろう」
「違う」
湊は二人を見た。
「ここでも始めないでください」
「朝倉さんも慣れましたね」
ジャンヌが言った。
「慣れたくなかったです」
その頃、外周では最後の戦闘記憶体が崩れていた。
「十五」
武蔵が言う。
「十六」
沖田が返した。
「もうどっちでもいい!」
壮真が叫んだ。
だが、黒いノートの男はいなかった。
伊能が地面を見た。
「走った跡がある」
「分かるんですか」
相馬が聞いた。
「土が違う」
伊能が測量棒を右へ向けた。
「北へ向かっている」
『合ってます!』
蓮の声が届いた。
一団は、さらに深くなる塹壕へ進んだ。
途中、地面に少量の血が落ちていた。
その先で、一人の参加者が倒れていた。
無名軍だった。
まだ生きている。
「待って!」
真奈が駆け寄ろうとすると、相馬が腕をつかんだ。
「一人で行かない!」
「でも!」
「三人で!」
真奈と壮真、もう一人の参加者が近づいた。
倒れていた人の肩には傷があったが、意識は残っていた。
「大丈夫ですか!」
真奈がしゃがむ。
「……うん」
そのとき、奥から声がした。
「優しいね」
全員が振り向いた。
塹壕の上に、黒いノートの男が立っていた。
片手には刃。もう片方には、破れたノートを持っている。
「いた」
壮真の顔が険しくなった。
男は倒れた参加者を見た。
「その人、誰だっけ」
「あなたが傷つけたの?」
真奈が睨んだ。
「たぶん」
相馬が前へ出た。
「それ以上近づかないでください」
「先生」
男が笑った。
「止まりなさい」
「命令?」
「お願いです」
「じゃあ嫌」
男が塹壕へ飛び降りた。
武蔵が動こうとする。
だが、男は倒れている参加者の背後へ回り、首元へ刃を当てた。
「動くな」
武蔵が止まった。
沖田も刀を抜いたまま動かなかった。
「危ないよ」
男が刃をわずかに近づける。
「俺がこれ刺したら、この人、誰だったか分からなくなる」
人質にされた参加者が震えていた。
相馬は男を見た。
「それで?」
男の眉が動いた。
「それでって」
相馬が、ゆっくり近づいた。
「私は今、この方がここにいることを見ています」
「死んだら忘れる」
「そうでしょうね」
「なら」
「だから今、助けるんです」
男の笑顔が消えた。
「先生」
「はい」
「話、分かってない?」
「理解しています」
相馬は一歩進んだ。
「死ねば忘れる」
もう一歩。
「名前も、顔も」
倒れている参加者へ目を向ける。
「それでも」
男が刃を押し当てた。
「今、この瞬間、この人がここにいることまで、なかったことにはできません」
男の目が細くなった。
「止まれ」
相馬は止まらなかった。
「刺すよ」
「それでも」
「本当に刺すよ」
「なら」
相馬は自分の胸を指した。
「私を先に」
「相馬さん!」
壮真が叫んだ。
相馬は男だけを見ていた。
「この人を殺す理由が、私を止めることなら、私を殺せばいい」
男の刃が、わずかに動いた。
相馬は穏やかな声で続けた。
「そのあと、あなたは私のことも忘れるでしょう」
男が止まった。
「でも、きっと、また何か足りないと思いますよ」
その言葉は、通信を通じて湊の胸にも届いた。
三十一。三十二。
誰かが足りない。
誰なのかは分からない。それでも、一人いた。
黒いノートの男は、相馬を見つめていた。
初めて迷いが浮かんだ。
ほんの一秒。
それだけで、沖田総司は動いた。
男が反応するより速く、その手首へ刀の柄を打ちつけた。
「っ!」
刃が落ちた。
同時に、武蔵の木刀が肩を打った。
殺さず、骨も折らず、身体の軸だけを崩す一撃だった。
男が膝をつく。
沖田が背後へ回り、腕を取った。
「捕まえました」
「俺が崩した」
「僕が刃を落としました」
「俺が先だ」
「今はどっちでもいい!」
壮真が叫んだ。
真奈がすぐに負傷者を引き離した。
仲間たちが男を押さえ、手首と足を縄で縛る。
相馬が息を吐いた。
「先生」
壮真が顔を向けた。
「はい」
「今のもうやらないで」
「努力します」
「約束して」
相馬が一瞬黙った。
「俺のときと同じ顔してる!」
「……約束します」
黒いノートの男は、地面へ座らされていた。
手は後ろで縛られている。
それでも笑った。
「これで終わり?」
「停戦が終わるまで、ここにいてもらいます」
「でも」
男は周囲を見回した。
「何で俺を縛ったか、誰か死んだら忘れるかもよ」
「なら書いとく」
壮真が言った。
男の笑いが止まった。
「何?」
壮真が紙を探したが、手元にはなかった。
真奈が母のレシピノートを開いた。
一瞬迷ってから、最後のページを一枚破る。
「お母さんに怒られそうだけど」
ペンで文字を書いた。
《停戦妨害者》
《拘束を解かないこと》
さらに、二行を加える。
《黒いノート所持》
《殺人行為を複数回確認》
男は、その文字を見つめていた。
壮真が紙を男の胸へ括りつける。
「忘れたら」
自分たちの手元に残す分にも、同じ内容を書いた。
「読めばいい」
男の表情が、はっきりと歪んだ。
「……ずるい」
「お前にだけは言われたくない」
中央で聞いていた湊の胸が、少し軽くなった。
「捕まえた」
凛が言った。
「うん」
だが、まだ終わってはいなかった。
止まったのは、黒いノートの男一人だけだ。
《CRIMSON FRONT》には、何百人もの参加者がいる。
湊は赤い《WAR》を見た。
「蓮」
『はい』
「もう一回」
『全軍に?』
「うん」
蓮が呼吸を整えた。
『いけます』
湊は目を閉じた。
もう、長い演説はいらない気がした。
「繋いで」
――《ECHO》。
戦場全域への通信が開かれた。
『停戦を邪魔していた一人は、拘束しました』
その言葉に、戦場の会話が途切れた。
『でも、まだ始まりません』
『誰か一人でも戦っている限り、六十秒は始まらない』
湊は一度、言葉を止めた。
『俺たちは、戦争を終わらせるために、今までずっと戦ってきました』
変な話だった。
戦争を終わらせるために戦う。
だが、最後に必要なのは、その逆だった。
『だから、もう戦わなくていい』
『勝たなくていい』
ナポレオンを一瞬見た。
『COREを取るのは、このあとでいい』
ナポレオンは何も言わなかった。
スパルタクスが笑い、ジャンヌは静かに聞いていた。テスラは腕を組んでいる。
『六十秒だけ、自分で、武器を下ろしてください』
通信を開いたまま待った。
最初は何も変わらなかった。
遠くで、一発の銃声が響く。
さらに二発、三発。
湊は拳を握った。
止まらない。
やはり、無理なのか。
そのとき、ナポレオンが通信へ入った。
「何を」
湊が見ると、ナポレオンは蓮へ告げた。
「繋げ」
『繋がってます』
『第一軍《CROWN》』
冷たく、強い声が響いた。
『全軍』
湊は少し緊張した。
命令するつもりなのだと思った。
だが、続いた言葉は違った。
『これは命令ではない』
スパルタクスの目が動いた。
『私は武器を下ろす』
ナポレオンが軍刀を地面へ置いた。
『従うかは、各自で決めろ』
遠くの王冠軍で、一人が剣を置いた。
次の一人が銃を地面へ下ろす。
槍を持っていた者も、穂先を下げた。
一人、また一人。
王冠軍の戦闘音が減っていった。
スパルタクスは数秒、ナポレオンを見ていた。
やがて笑った。
「気に入らん」
剣を地面へ突き立て、開かれたままの通信へ声を張った。
『第二軍!』
ナポレオンへ目を向ける。
『皇帝にできて、俺たちにできん理由があるか!』
ナポレオンの眉が動いた。
革命軍から笑い声が返った。
一人が武器を下ろす。
『六十秒だ! 鎖を外すより短いぞ!』
革命軍でも、次々と武器が下がっていった。
ジャンヌは白い旗を地面へ立てた。
『第三軍《SANCTUARY》』
優しく、はっきりした声だった。
『守るために戦ってきた皆さん』
ナイチンゲールが聞いていた。
謙信が刀を納める。
『今だけは、戦わないことで、守ってください』
聖域軍の武器が下りた。
テスラは、通信へ顔を向けながら嫌そうにしていた。
「言わないんですか」
湊が聞いた。
「必要か?」
「第四軍がまだ止まっていません」
チューリングが言った。
テスラは黙り、ため息をついた。
『第四軍《ACADEMIA》』
一呼吸置く。
『条件は明確だ』
「テスラらしい」
湊が呟いた。
『六十秒間、敵対行動を行うな。合理的に判断しろ』
叡智軍から、何人かの笑い声が返った。
だが、装置の作動音が止まり、攻撃も止まっていった。
残るのは、第五軍。
湊が言葉を探すより先に、相馬の声が入った。
『第五軍』
外周からの通信だった。
『無名軍には、全員へ命令できる人はいません』
少し笑っているようだった。
白い円の下には、王も、全員を束ねる指揮官もいない。
『だから、私は、私の遺想具から手を離します』
相馬は胸元の卒業メッセージの布を、そっとしまった。
『先生、それ武器じゃないけどね』
壮真が笑った。
『では、戦うために使わないと宣言します』
壮真が腕時計から手を離した。
真奈はレシピノートを閉じ、伊能は測量棒を地面へ置いた。
武蔵は二本の木刀を見た。
沖田も自分の刀を見る。
二人の目が合った。
湊は嫌な予感を覚えた。
「今は絶対やめろ」
『分かっておる』
『六十秒だけですよね』
二人が同時に武器を地面へ置いた。
『こいつらが置いた!』
壮真が叫んだ。
「そこ基準!?」
笑いが広がった。
無名軍も、一人、また一人と武器から手を離していく。
戦場の音が消えていった。
遠くで最後の銃声が一つ鳴り、それきり止まった。
砲撃もない。
叫び声もない。
MEMORIAが反応した。
――全戦闘記憶体。
――停戦命令を受理。
青軍、緑軍。古い兵士も、騎士も、侍も、銃兵も、すべてが動きを止めた。
――参加者敵対行動、監視。
一秒、二秒、三秒。
――検出なし。
湊の心臓が強く鳴った。
60。
数字が動いた。
59。
「始まった」
凛が小さく言った。
58。57。
全員が動かなかった。
56。55。
《CRIMSON FRONT》から、初めて戦争の音が完全に消えた。
54。53。
湊には、自分の呼吸がうるさいほど聞こえた。
52。51。50。
まだ十秒しか経っていない。
それなのに、ひどく長かった。
外周では、黒いノートの男も数字を見ていた。
胸には紙が括りつけられている。
《停戦妨害者》
笑ってはいなかった。
49。48。47。
男の指が、わずかに動いた。
「何すんだ」
壮真が気づいた。
男は答えなかった。
手首を縛る縄。その近くの袖の中に、小さな金属が見えた。
46。45。
武蔵の木刀も、沖田の刀も地面に置かれたままだった。
44。43。
男が、隠していた小さな刃を指先へ滑らせた。
壮真の顔が変わった。
「刃物!」
42。
男は縄へ刃を当て、切り始めた。
誰かへの攻撃ではない。
MEMORIAは反応しなかった。
41。40。
縄が半分ほど切れる。
39。38。
武蔵と沖田が見ていた。
だが、武器は取らなかった。
37。
縄が切れた。
男が立ち上がる。
壮真は身構えたが、拳を出せなかった。
「攻撃しないでください!」
相馬が叫んだ。
36。
男は小さな刃を握り、武蔵を見た。
「来るな」
武蔵は木刀を置いたまま歩き出した。
35。
男が一歩後退した。
「止まれ」
武蔵は進んだ。
34。
「刺すぞ」
「そうか」
33。
男の右腕が、わずかに上がった。
刃先が武蔵へ向く。
だが、まだ振っていない。まだ刺していない。
敵対行動になる、その直前だった。
武蔵が右手を伸ばし、男の手首をつかんだ。
「なっ――」
刃が止まった。
MEMORIAが即座に反応した。
――接触行動を確認。
全員が息を止めた。
――敵対性判定。
32。31。
「それ攻撃だろ!」
男が叫んだ。
一拍置いて、表示が続いた。
――非攻撃性拘束行動。
――敵対行動として判定しません。
「いける!」
壮真が声を上げた。
武蔵は手首を押さえているだけだった。
殴らず、投げず、ひねり上げることもしない。
刃を誰にも届かせないよう、ただ止めていた。
「斬ればいいだろ」
男が睨む。
武蔵は笑った。
「今日は斬らぬ」
「何で」
「戦わぬと決めたからだ」
男の顔が歪んだ。
30。29。
沖田が歩いてきた。
刀は地面に置いたままだった。
「僕も手伝います」
男が反対の手を動かそうとすると、その手首を握った。
こちらも、攻撃ではなかった。
ただ、動きを止めている。
――非攻撃性拘束行動。
――許容。
「二人がかりかよ」
「強いんでしょう?」
沖田が少し笑った。
「能力強度LEVEL2だぞ」
「関係あります?」
男が言葉を失った。
28。27。
伊能忠敬が、予備の縄を拾った。
地面に置いた測量棒には触れなかった。
「縛り直すのも平気?」
壮真が聞いた。
「攻撃でなければよいのだろう」
「たぶん」
「ならやる」
26。
男の腕が再び縄で固定された。
――非攻撃性拘束。
――許容。
「よし!」
25。
男の顔から、笑みが完全に消えた。
「ずるい」
「さっきも言ってましたね」
沖田が言った。
「斬らずとも止められる」
武蔵の言葉に、男は何も返せなかった。
24。23。
戦場全域は、静かなままだった。
22。21。20。
湊は《WAR》を見た。
赤いCOREが脈打っていた。
19。18。
前回は、あと十七秒で壊された。
17。
胸が痛いほど心臓が鳴った。
16。
黒いノートの男は動けない。
15。
誰も攻撃しなかった。
14。13。12。
隣で、凛が湊の手に触れた。
湊は一瞬、彼女を見た。
凛は前を向いたまま、何も言わなかった。
ただ、その指が湊の手を軽く握った。
11。10。
湊も握り返した。
9。8。
ナポレオンの武器は地面に置かれていた。
スパルタクスは腕を組み、ジャンヌは祈っていた。
テスラは数字を見つめていた。
7。6。5。
《CRIMSON FRONT》は静かだった。
4。3。
湊は息を止めた。
2。
1。
0。
音はなかった。
一瞬、何も起きなかった。
『……え』
壮真の声が届いた。
次の瞬間、赤い空が割れた。
――戦争終了条件。
――達成。
全員が目を見開いた。
――第一主要記憶核《WAR》。
――取得条件を満たしました。
青軍と緑軍の戦闘記憶体が、一人ずつ武器を下ろした。
その身体が赤い光の粒になり、消えていく。
死ではなかった。
再構成でもない。
役目を終えた記憶が、静かにほどけていた。
砲台も塹壕も、燃える街も城壁も。
騎馬も戦車も、異なる時代の戦場が、少しずつ赤い霧へ戻っていった。
《CRIMSON FRONT》が崩れ始めていた。
湊は空を見上げた。
「終わった……」
「うん」
凛が答えた。
本当に終わった。
誰かが勝ったわけでも、負けたわけでもない。
六十秒、戦わないことを選んだ。
それで、戦争が終わった。
遠くで、相馬が小さく笑っていた。
伊能は消えていく戦場を見つめた。
「地図が変わるな」
「また測るんですか」
長谷川が聞いた。
「当然だ」
武蔵が地面の木刀を拾った。
沖田も刀を取り、二人の目が合う。
「今はやるなよ!」
壮真がすぐに叫んだ。
「今はな」
「あとで」
「だから怖いんだよ!」
黒いノートの男は何も言わなかった。
胸の紙には、まだ文字が残っている。
《停戦妨害者》
《拘束を解かないこと》
男はそれを見て、ゆっくり目を伏せた。
中央では、赤い《WAR》の光が強くなっていた。
「CORE」
湊が気づいた。
戦争は終わった。
なら、次に決まるのは所有権だ。
湊、ナポレオン、スパルタクス、ジャンヌ、テスラ。
五人が同時にCOREを見た。
全員が代表で、全員が条件達成に関わっている。
システムの表示が現れた。
――取得権保持者。
――五名。
「五人?」
湊の表情が変わった。
「最後は取り合いか」
スパルタクスが笑った。
「また戦うのですか?」
ジャンヌが聞いた。
「可能性は高い」
テスラが答える。
ナポレオンは何も言わなかった。
五人の中央で、《WAR》が浮かんでいた。
新しい表示が現れた。
――最終所有権判定を開始します。
湊はスマートフォンを握った。
「まだ終わってないのかよ……」
その瞬間、ナポレオンが一歩前へ出た。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。




