第26話 皇帝と奴隷
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。
スパルタクスが走った。
巨大な身体が地面を蹴り、赤い霧を切り裂く。迷いのない足取りで、ナポレオン・ボナパルトへ一直線に向かっていた。
「何で集合するだけで戦うんだよ!」
朝倉湊の叫びは、当然届かなかった。
王冠軍の参加者たちが、一斉に武器を構える。
だが、ナポレオンが片手を上げた。
「動くな」
全員が止まった。
「え?」
湊は声を漏らした。
スパルタクスは止まらない。
二十メートル、十五メートル、十メートル。
近づくにつれ、その姿がはっきりと見えた。
大きな身体には無数の傷がある。手には短い剣を持ち、片腕には千切れた鎖を巻きつけていた。
MEMORIAが反応した。
――歴史記憶体を確認。
――第二軍《REVOLT》。
――遺想能力強度LEVEL4。
――危険度S。
――希少度LEGEND。
――個体識別。
SPARTACUS.
スパルタクス。
ナポレオンとの距離が、五メートル、三メートルと縮まる。
「皇帝!」
スパルタクスが叫んだ。
ナポレオンは動かなかった。
「お前と同じ道を歩けと言うのか!」
剣が振り上げられた。
「ちょっと待て!」
湊は走り出そうとした。
凛が腕をつかむ。
「間に合わない!」
「でも!」
残り一メートル。
剣が振り下ろされる、その直前だった。
横から一振りの刀が伸びた。
鋭い金属音とともに、スパルタクスの剣が止まった。
織田信長だった。
「ほう」
片手で刀を支え、相手の剣を受け止めている。
「奴隷風情が、皇帝へ真っ先に斬りかかるか」
スパルタクスの目が信長へ移った。
「誰だ、お前」
信長が笑う。
「知らぬか」
「知らん」
「それでよい」
信長が剣を押し返した。
スパルタクスも引かない。刀と剣が噛み合い、二人の腕に力がこもった。
「俺もお前を知らん」
スパルタクスが言った。
「だが」
腕の鎖が揺れる。
「人を上から見る目は知っている」
信長の笑みが、少し深くなった。
「面白い」
湊は嫌な予感を覚えた。
「信長まで乗るなよ……」
ナポレオンの横では、徳川家康が静かに二人を見ていた。
「止めないんですか?」
湊が思わず声をかけると、家康がこちらを向いた。
初対面だったが、システムの識別はすぐに表示された。
――歴史記憶体。
――第一軍《CROWN》。
TOKUGAWA IEYASU.
――遺想能力強度LEVEL3。
――危険度A。
――希少度LEGEND。
能力名は、まだ表示されなかった。
家康は、睨み合う二人へ視線を戻した。
「止めて止まる者なら、そもそも始めぬ」
「……納得したくない」
壮真が後ろで呟いた。
スパルタクスが一度剣を引いた。
次の瞬間、横薙ぎの一撃が走る。
信長が身体を反らしてかわし、刀を返した。
スパルタクスは鎖を巻いた腕で受けた。
金属がぶつかり、火花が散る。
「腕で!?」
凛が息を呑んだ。
だが、鎖はただの防具ではなかった。
赤い光が、その表面を走った。
――遺想能力発動を確認。
《NO MASTER》
スパルタクスの周囲で、赤い光が爆発した。
――支配・命令・強制干渉への抵抗補正。
――拘束状態に応じ、身体能力および遺想出力を増幅。
湊は目を見開いた。
「命令されるほど強くなる?」
「より正確には」
テスラがスパルタクスを見た。
「自由を奪われるほどだろう」
鎖がぎしりと鳴った。
スパルタクスの腕が、信長の刀を押し返していく。
「皇帝。王。支配者」
一歩踏み出す。
「俺は、そういうものが嫌いだ」
信長は押されながらも笑っていた。
「奇遇だな」
「何が」
「俺も」
刀の角度を変え、相手の力を横へ流した。
「他人に支配されるのは嫌いだ」
スパルタクスの身体が、わずかに前へ崩れた。
信長が踏み込み、首へ刀を伸ばす。
だが、その手首に鎖が絡みついた。
「捕まえた」
スパルタクスが引いた。
信長の身体が前へ動いたところへ、頭突きが叩き込まれた。
ゴッ、と鈍い音がした。
信長が一歩後ろへ下がる。
「うわ」
壮真が声を漏らした。
「歴史人物が頭突きした」
「そこ?」
湊が返す間にも、信長は額へ手をやっていた。
指に、少しだけ血がついた。
信長は笑った。
「よい」
空気が変わった。
黒と金の光が、信長の周囲から広がり始める。
湊の表情が変わった。
「まずい」
――歴史記憶体《織田信長》。
――遺想能力発動。
《天下布武》
空気が重くなった。
周囲の遺想能力が、一斉に揺らぐ。
LEVEL3以下への抑圧。
大地の《ANCHOR》の光が消え、凛の《ROUTE》も薄れた。蓮のイヤホンにはノイズが走った。
「またこれ!」
壮真が叫んだ。
だが、スパルタクスは止まらなかった。
《NO MASTER》はLEVEL4。抑えられていない。
それどころか、《天下布武》の支配領域に入ったことで、鎖の赤い光がさらに強くなった。
――強制支配干渉を確認。
――《NO MASTER》補正上昇。
スパルタクスが笑った。
「それが、お前の力か」
「そうだ」
「いい」
剣を構え直す。
「ますます殺したくなった」
「やってみろ」
二人が動こうとした瞬間、別の声が響いた。
「やめなさい!」
白い炎が、二人の間に壁を作った。
スパルタクスの剣と信長の刀が、炎を挟んだ両側で止まる。
ジャンヌ・ダルクが白い旗を手に、その中央へ進み出た。
「今は戦うために集まったのではありません!」
「聖女か」
信長が言った。
「あなたは前にも」
「知っておる」
「なら聞いてください!」
スパルタクスが白い炎を見た。
「お前も俺を止めるか」
ジャンヌは一歩も退かなかった。
「あなたを支配するつもりはありません」
《NO MASTER》の赤い光が、わずかに弱まった。
「ただ、今、あなたがこの人を殺せば」
ジャンヌはナポレオンを示した。
「戦争を終わらせられない」
スパルタクスがナポレオンを見た。
ナポレオンは最初から剣すら抜かず、ただ成り行きを見ていた。
「なぜ戦わない」
「必要がない」
「俺がお前を殺そうとしている」
「今のお前の目的は私を殺すことではない」
スパルタクスの眉が動いた。
「何?」
「試しているだけだ」
一瞬、周囲が静まった。
ナポレオンは続けた。
「皇帝と呼ばれる者と共に歩けるか」
スパルタクスは答えなかった。
「自分が、また誰かの命令下へ入るのではないか。それを確かめている」
スパルタクスの顔から笑みが消えた。
湊はナポレオンを見た。
この人は、戦場だけを見ているのではない。相手が何を考え、何を恐れているのかも見ている。
信長とは、また違っていた。
「俺はお前の兵にはならん」
スパルタクスが低く言った。
「するつもりもない」
「命令するな」
「必要ならする」
「殺すぞ」
「従わなければよい」
スパルタクスが黙った。
「私は提案する」
ナポレオンが一歩前へ出た。
「お前が従うかは、お前が決めろ」
数秒、スパルタクスはナポレオンを見続けた。
やがて、剣を下げた。
「……気に入らん」
「私もだ」
「いつか殴る」
「好きにしろ」
壮真が湊へ小声で聞いた。
「これ共闘できる?」
「今ちょっと不安になった」
ジャンヌが大きく息を吐いた。
信長は、まだ楽しそうだった。
「もう終わりか」
「あなたもです!」
「俺は襲われただけだ」
「途中から楽しんでいました」
「当然だ」
ジャンヌが何か言い返そうとした。
その横で、一人の武将が信長を見ていた。
上杉謙信だった。
白い装束に鎧をまとい、落ち着いた目をしている。まだ能力は使っていなかった。
信長も、その視線に気づいた。
二人の目が合う。
湊は、また嫌な予感を覚えた。
「次はやめてくださいね」
先に言った。
「何のことだ」
「その人と戦おうとしないで」
謙信が少しだけ笑った。
「まだ何も言っておらぬ」
「目が戦ってます」
「分かるようになってきたな」
壮真が言った。
嫌な成長だった。
そのとき、通知音が響いた。
――MEMORIA NOTICE.
五軍代表認証地点に、五つの光が点った。
ナポレオン、スパルタクス、ジャンヌ、テスラ、湊。
五人の腕の紋章が、同時に反応した。
――代表個体間敵対行動禁止規定。
――認証地点進入後より適用。
「やっぱり今までは適用前だったんだ」
湊が思わず言った。
「だからスパルタクスが突っ込んだんだね」
凛が続ける。
「知っていた」
スパルタクスが言った。
「知っててやったの!?」
答えはなかった。
システムが、各軍の選抜を確認し始めた。
――第一軍《CROWN》。
代表、NAPOLÉON BONAPARTE。
随行、ODA NOBUNAGA、TOKUGAWA IEYASU。
――第二軍《REVOLT》。
代表、SPARTACUS。
随行、HARRIET TUBMAN、SAKAMOTO RYOMA。
――第三軍《SANCTUARY》。
代表、JEANNE D'ARC。
随行、FLORENCE NIGHTINGALE、UESUGI KENSHIN。
――第四軍《ACADEMIA》。
代表、NIKOLA TESLA。
随行、ALAN TURING、LEONARDO DA VINCI。
――第五軍《NAMELESS》。
代表、ASAKURA MINATO。
随行、KUROSE RIN、KIRYU DAICHI。
――通信中継個体。
TAKASE REN。
十五人と、通信を担当する蓮。
湊は改めて周囲を見回した。
ナポレオン、信長、家康。スパルタクス、ハリエット・タブマン、坂本龍馬。ジャンヌ、ナイチンゲール、上杉謙信。テスラ、アラン・チューリング、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
そこに凛と大地、そして自分がいる。
歴史の教科書を何冊も開き、その中の人物を無理やり一つの場所へ集めたような光景だった。
「やっぱお前だけ浮いてる」
後ろから壮真が小さく言った。
「聞こえてる」
「凛さんと大地さんもだけど」
「俺まで巻き込むな」
大地が返した。
「私は気にしてない」
凛が言った。
「俺も気にしないことにする」
湊が答えたところへ、坂本龍馬が歩いてきた。
「君が朝倉君?」
「はい」
龍馬が柔らかく笑った。
「声、聞いたぜよ」
湊は少し固まった。
歴史人物の言葉は、MEMORIAの翻訳で完全な現代語になることもあれば、本人らしい癖が残ることもある。
龍馬には、その癖が強く残っていた。
「六十秒、戦うないう話」
「はい」
「面白いこと考えるのう」
「俺一人じゃないです」
「そう言うところも、えい」
湊は何と返せばいいか分からなかった。
その横では、ハリエット・タブマンが周囲を観察していた。
人の配置、入口、逃げ道。その目は、次々と場所を移っていた。
「あなた」
呼ばれて、湊は顔を向けた。
「はい」
「中央までの道は一本?」
「地図では各軍別です」
「出口は」
「まだ分かりません」
ハリエットが頷いた。
「分からない場所へ入るなら、戻る道を先に決めた方がいい」
「私もそう思います」
凛がすぐに反応した。
二人が互いを見る。
凛の《ROUTE》は、通った経路を使う能力だ。
ハリエットの能力は、まだ表示されていない。それでも、人を逃がし、導いた歴史を持つ人だということは分かっていた。
二人がどんなふうに動くのか、湊は少し楽しみになった。
別のところでは、テスラとアラン・チューリングが話し込んでいた。
すでに中央のシステム表示を解析しているようだった。
その隣で、ダ・ヴィンチが壁に絵を描いていた。
湊は近づいた。
「何してるんですか」
「見る」
「何を?」
「全部」
壁には円と五つの入口が描かれていた。
中央の領域、赤い霧、伝令塔、戦闘記憶。その関係が、線と形になっていく。
「見えるものを描けば」
ダ・ヴィンチが線を加えた。
「見えないものの形も分かることがある」
湊は伊能忠敬を思い出した。
地図を作ること。記録すること。見ること。
似ているようで、それぞれ違う。
ダ・ヴィンチの能力発動を告げる表示は、まだ出ていなかった。
「代表は集まれ」
テスラが声を上げた。
五人の代表が中央に集まった。
「なんでテスラが仕切ってる」
スパルタクスが聞いた。
「装置を理解しているからだ」
「皇帝よりはましか」
ナポレオンは無視した。
「喧嘩はやめてください」
ジャンヌが言った。
「これずっと続くの?」
湊が呟く。
「無駄話をやめろ」
「はい」
テスラが五つの入口の表示を示した。
「各軍は自分の入口から入る。中央到達までの経路は別」
「通信は?」
湊が聞いた。
蓮は伝令塔に残り、《ECHO》で全員をつなぐ。
『聞こえます』
蓮の声が、全員の頭へ直接届いた。
「すご」
『俺にも聞こえてます』
湊の呟きに、蓮が答えた。
「各代表間の通信は蓮を経由。叡智軍が通信機器を維持する」
テスラが説明を続けた。チューリングも、塔側の通信を補助していた。
「中央到達後は」
ナポレオンが聞いた。
「五代表が五つの停戦権限を同時認証」
「その後、全軍へ六十秒の停戦命令」
ジャンヌが確かめた。
「そうだ」
「そこまでは簡単だな」
スパルタクスが言った。
全員が彼を見た。
「何だ」
「簡単じゃないと思う」
湊が答えた。
「道を進むだけだ」
その瞬間、地面が揺れた。
一度、二度。
五つの入口が、同時に赤く光った。
――FINAL WAR ROUTEを開放。
門が開いた。
その向こうに見える景色は、すべて違っていた。
王冠軍の先には、石造りの城塞。
革命軍には、鎖のある地下空間。
聖域軍には、燃える街。
叡智軍には、機械の並ぶ廃墟。
そして無名軍の先には、何もなかった。
黒い空間だけが広がっていた。
「……何でうちだけ何もないの」
凛が言った。
湊も嫌だった。
――各経路は当該軍の記憶傾向を基に構成されます。
「無名軍、傾向ないからじゃない?」
後ろから壮真が言った。
「ありそう」
湊は黒い入口を見た。
何も見えないのは、それはそれで怖かった。
――各軍経路内では、他軍選抜との接触は発生しません。
――中央到達まで、各選抜は独立行動となります。
――通信中継のみ許可。
「何分」
ナポレオンが聞いた。
――制限時間。
30:00。
「三十分!?」
湊が声を上げた。
「聞いてない!」
――制限時間超過時。
一拍置いて、表示が続いた。
――代表認証を無効化。
――FINAL WAR PROTOCOL初期化。
「また最初から」
壮真が言った。
「絶対嫌だ」
さらに説明が加わる。
――経路内には、各軍記憶傾向に対応する戦闘障害が出現します。
スパルタクスが笑った。
「ほら、戦うじゃないか」
「嬉しそうにしないでください」
ジャンヌが言った。
「行くぞ」
テスラの声で、五軍がそれぞれの入口へ向かい始めた。
湊も、凛と大地を伴って黒い門へ歩いた。
その直前、相馬に呼び止められた。
「朝倉さん」
湊が振り返った。
相馬、壮真、真奈、伊能、長谷川。武蔵と沖田、そして残る無名軍の者たちがこちらを見ていた。
「何です?」
相馬は少しだけ迷ってから、言った。
「三人で戻ってきてください」
湊は笑った。
「そこはCORE取ってこいじゃないんですか」
「そちらもできれば」
「できれば?」
「帰ってくる方が重要です」
凛が少し笑った。
大地が頷いた。
「戻ります」
「お願いします」
「湊!」
壮真が声を張った。
「何!」
「俺の分まで何かすごいことやってこい!」
「雑!」
「怪我しないで!」
真奈が続けた。
「そっちの方が現実的!」
蓮の声が通信で届いた。
『時間始まります』
全員が入口の前へ向き直った。
30:00。
29:59。
「もう!?」
湊は走った。
凛と大地が続き、三人で黒い門をくぐった。
その瞬間、音が消えた。
外にいた相馬も壮真も、もう見えなかった。
暗闇の中に、三人だけがいる。
湊のスマートフォンが光った。
――第五軍《NAMELESS》経路。
――適性試験を開始します。
「適性試験?」
凛が聞き返した。
「何するんだ」
大地が周囲を見た。
答えは表示されなかった。
代わりに、少し先の暗闇に人影が現れた。
湊は足を止めた。
その手には、黒いノートがあった。
「……嘘だろ」
男が笑った。
「来たね」
凛がICカードを構えた。
大地の革手袋が光る。
湊もスマートフォンを握り直した。
黒いノートの男の頭上には、白い円が浮かんでいた。
第五軍《NAMELESS》。
システムの表示が続いた。
――第五軍経路戦闘障害を認識。
湊の表情が変わった。
「戦闘障害?」
男が笑った。
「ひどい呼び方だな」
一歩、こちらへ近づく。
「俺も参加者なのに」
「何でここにいる」
湊が低い声で聞いた。
男はノートを開いた。
新しいページに、数字が書かれている。
60。
17。
その下には、新しく加えられた数字があった。
30:00。
「だって」
男は笑いながら刃を抜いた。
「君たちだけ戦争終わらせに行くの、ずるいだろ」
大地が前へ出た。
――《ANCHOR》。
凛の足元には、《ROUTE》の白い線が走る。
湊は《REPLAY》を使うため、スマートフォンを構えた。
今度は逃げない。
「ちょうどいい」
湊が言うと、男の眉がわずかに上がった。
「何が?」
湊は一歩前へ出た。
「一回、ちゃんと殴りたかった」
残り時間、29:31。
第五軍選抜の、最初の戦闘が始まった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。




