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『MEMORIA WAR ―記憶戦争― 信長・武蔵・ジャンヌ――歴史の英雄と名もなき者たち』  作者: 130
第二章 赤き戦原

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第23話 三段と二天

歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。


※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。

――歴史記憶体《沖田総司》。


 ――遺想能力発動を確認。


 朝倉湊のスマートフォンに、能力名が浮かび上がった。


 《無明三段》


 続いて、短い説明が表示される。


 ――連続刺突補正型遺想能力。


 ――第一撃に対する対象の防御反応を観測。


 ――第二撃、第三撃の軌道を連続補正します。


「……三回、突く?」


 牧野壮真が呟いた。


 ただ速く三回突く能力ではない。湊には、そう思えた。


 一発目を避けたのか、受けたのか、それとも下がったのか。その反応に合わせて、二発目の軌道が変わる。


 さらに、二発目への反応を見て、三発目が変わる。


 防ぐたびに、その防御を破る一撃が続くのだ。


「厄介すぎるだろ……」


 湊の声が漏れた。


 宮本武蔵は笑っていた。


 両手には二本の木刀。対する沖田総司の手には、一振りの刀がある。


 周囲には戦闘記憶体が現れ始めていたが、二人は互いだけを見ていた。


「三つか」


 武蔵が言うと、沖田は刀をわずかに下げた。


「見えるなら、どうぞ」


「見えぬから面白い」


「じゃあ」


 沖田の身体が沈んだ。


「行きます」


 消えた。


 湊には、本当にそう見えた。


 次の瞬間、鋭い金属音が響いた。


 武蔵の右の木刀が、最初の突きを受け止めていた。沖田の刀が弾かれる。


 だが、すでに二撃目が来ていた。


 一撃目を受けたことで、武蔵の右肩が上がっている。沖田の刃は、その下の脇腹へ伸びた。


 武蔵が左の木刀を滑り込ませ、受け止める。


「二つ!」


 壮真が叫んだ。


 三つ目の軌道が変わった。


 武蔵の木刀は、二本とも防御に回っている。その隙間を縫って、沖田の切っ先が喉へ走った。


「武蔵!」


 湊は思わず叫んでいた。


 武蔵が首をわずかに傾ける。


 刃は喉を外れた。だが、完全にはかわしきれなかった。


 肩の服が裂け、細い赤い筋が浮かんだ。


 全員が息を呑んだ。


 宮本武蔵が、初めて湊の目の前で傷を負った。


 沖田が間合いを離す。


 武蔵は自分の肩を見て、指で血に触れた。


 そして、笑った。


「速い」


 沖田も笑った。


「避けた人、初めてじゃないですけど」


 刀を軽く振る。


「三つ目まで見て避けた人は、あまりいません」


「見えておらん」


「じゃあどうして?」


「一つ目と二つ目を見た」


「それだけ?」


「三つ目が来る場所は減る」


 沖田の笑みが少し薄くなった。


 湊にも意味が分かった。


 武蔵は三撃目を見てから反応したのではない。


 一撃目と二撃目、自分が防御した位置、そこから沖田が狙える場所。それらを一瞬で絞り込んだのだ。


 能力だけに頼った動きではなかった。剣士として、次の一撃を読んでいた。


「なるほど」


 沖田が刀を構え直した。


「じゃあ、次は減らさないようにします」


 武蔵の周囲に淡い光が走った。


 ――《二天記憶》。


 ――対象戦闘情報の蓄積を開始。


 湊は画面を見つめた。


 武蔵の能力が、相手の動きや癖、攻撃を蓄え始めている。


 戦えば戦うほど適応していく。沖田が三回攻撃すれば、その分だけ情報を得られる。


 だが、沖田の《無明三段》も、武蔵が防ぐたびに次の軌道を変えていた。


「お互いに相手を読んでる……」


 黒瀬凛が呟いた。


「どっちが有利なんだ?」


 大地の問いに、誰もすぐには答えられなかった。


 伊能忠敬だけが、二人を見ながら静かに言った。


「長引けば、二本の方だろう」


「武蔵?」


「あの男は、見たものを蓄えている」


 伊能の視線が沖田へ移った。


「しかし、若い方は、蓄えられる前に終わらせようとしている」


 その言葉どおり、沖田が動いた。


 今度は最初より速かった。


 一撃目を、武蔵は受けずにかわした。


 沖田の二撃目が、その逃げた方向へ伸びる。


 そこで武蔵は、前へ出た。


「え?」


 凛の声が漏れた。


 さらに避けるのではなく、間合いを潰したのだ。


 突きには距離が必要だった。武蔵は踏み込むことで、その距離を奪っていた。


 左の木刀が沖田の腕へ向かう。


 沖田は刀を引き戻して受けた。そこへ、右の木刀が頭を狙って振られる。


 沖田がしゃがみ、木刀が髪をかすめた。


「おっと」


 笑いながらも、沖田は後退した。


 武蔵は止まらない。一歩踏み込み、二本の木刀を異なる角度から繰り出す。


 沖田が一歩、二歩、三歩と下がるのを見て、湊は気づいた。


「追い込んでる」


「武蔵が?」


 壮真が聞いた。


「違う」


 湊は沖田の足元を見た。


 後退する先には、瓦礫や崩れた柱、壁がある。


「逃げる場所を減らしてる」


 武蔵は、ただ斬りかかっているわけではなかった。


 沖田が避けられる方向を、一つずつ塞いでいた。


「剣で囲んでる……」


 凛が呟くと、伊能が少しだけ笑った。


「地図と同じだ」


「え?」


「道が十本あっても、人が選べる道を九本塞げば」


 伊能は測量棒を地面についた。


「残るのは一つだ」


 武蔵の左の木刀を、沖田が右へかわした。


 そこには、右の木刀が待っていた。


「っ!」


 沖田が大きく身体を反らす。


 木刀は顎の下、数センチのところを通り抜けた。


 沖田が後方へ跳び、距離を取った。


 武蔵は追わなかった。


「一つ」


「何がです?」


 沖田が眉を上げた。


「お前の癖だ」


 武蔵は笑った。


「追い込まれると、右足から下がる」


 ほんの一瞬、沖田の表情から笑みが消えた。


「……それ」


 自分の足元を見てから、また笑う。


「直せますよ」


「直してみろ」


「言われなくても」


 沖田が構えを変えた。


 右足を前へ出す。さっきまでとは逆だった。


「変えた!」


 壮真が声を上げた。


 武蔵は、嬉しそうに笑った。


「そうでなくてはな」


 湊は二人を見ながら、妙な感覚を覚えていた。


 宮本武蔵。沖田総司。


 教科書や漫画、映画の中で、名前として知っていた人間。


 だが、今、目の前で戦っているのは名前ではなかった。


 一人は、戦いながら相手を覚える。


 もう一人は、覚えられるたびに自分を変える。


 歴史の中の人物というより、今ここで生きている人間に見えた。


 沖田が刀を水平に構えた。


 武蔵は二本の木刀を、わずかに広げる。


 ――《無明三段》。


 再発動の表示に続き、《二天記憶》の同期率上昇が告げられた。


 二人が同時に地面を蹴った。


 沖田の一撃目が、正面から伸びる。


 武蔵は右の木刀で外へ流した。


 二撃目は、前回と違っていた。


 脇腹ではなく、低い位置。脚を狙っていた。


 武蔵が左足を引く。


 沖田の目が、その反応を捉えた。


 補正された第三撃が、胸へ向かう。


 二本の木刀は、どちらも間に合わない位置にあった。


「入る!」


 湊が叫んだ。


 だが、武蔵は右の木刀を手放した。


「え?」


 木刀が落ち、右手が空く。


 沖田の切っ先が胸へ届く、その直前だった。


 武蔵の右手が刀の峰の側面に触れ、横へ押した。


 ほんの数センチ。


 それだけで軌道がそれ、刃が武蔵の脇を抜けた。


 同時に、左の木刀が沖田の肩口で止まった。


 沖田の刀も、武蔵の首のすぐ横にあった。


 二人とも動かなかった。


 湊は息をするのを忘れていた。


 沖田の刃があと数センチ進めば、武蔵の首に届く。武蔵が木刀を振り抜けば、沖田の側頭部を打てる。


 沈黙を破ったのは、沖田の笑い声だった。


「これ」


 武蔵も笑った。


「ああ」


「どっちが勝ちです?」


「知らん」


「僕も分かりません」


 二人は同時に武器を下げた。


 壮真が大きく息を吐いた。


「心臓に悪すぎる」


「本当に殺し合うかと思った」


 凛が言うと、壮真が二人を見た。


「そのつもりだったかもしれないぞ」


「言わないで」


 決着はつかなかった。


 だが、湊には、それでよかったような気がした。


 武蔵が落とした木刀を拾う。沖田が刀を納めようとした、その瞬間だった。


 ――MEMORIA WARNING.


 全員の頭に警告音が響いた。


 伊能忠敬が、先に顔を上げた。


「来る」


「何が?」


 湊が聞いた直後、地面が振動した。


 一つや二つではない。大量の足音が近づいていた。


 建物の隙間から、道路の奥から、屋根の上から。


 赤い霧とともに、何十、何百という戦闘記憶体が現れた。


「多すぎる!」


 真奈が叫んだ。


 ――高強度歴史記憶体間戦闘を検出。


「え」


 湊は表示を見た。


 ――周辺戦闘記憶との共鳴増幅を確認。


 壮真が武蔵と沖田を振り返った。


「お前らのせいじゃん!」


「そうか」


 武蔵が言った。


「すみません」


 沖田も続ける。


「軽い!」


 現れた戦闘記憶体には、今まで見たことのない兵士も交じっていた。


 騎兵に銃兵、槍兵に弓兵。刀や盾を持つ者もいる。


 さらに、市街地の向こうで大砲の砲口がこちらへ向いた。


「散開!」


 相馬が叫んだ。


 砲声が轟く。


 伊能が測量棒を地面へ打ちつけた。


 ――《一歩一図》。


 光の線が周囲へ広がった。


「東へ十八歩!」


 二つの無名軍が同時に動いた。


 直後、今までいた場所へ砲弾が落ち、地面が吹き飛んだ。


「次、北へ七!」


 伊能の声に迷いはなかった。


 自分の足で測った道も、建物も、高低差も、彼の中には地図として残っている。


「壁!」


 大地が前へ出た。


 崩れかけた木製の門が、こちらへ倒れ込んでくる。


 ――《ANCHOR》。


 大地は足を固定し、両腕で門を支えた。


「早く!」


 参加者たちが、その下を次々とくぐっていった。


 真奈が負傷者を誘導する。


「こっち! 一列! 押さないで!」


「右から銃声!」


 蓮がイヤホンを押さえた。


「伏せろ!」


 相馬の声に、参加者たちが身を低くする。


 それでも、敵の数が多すぎた。


 前にも後ろにも、屋根の上にも兵士がいる。門を抜けようとする一団が、再び囲まれかけていた。


 湊はスマートフォンを開いた。


「凛!」


「道が多すぎる!」


 《ROUTE》で使えるのは、これまで通った経路だ。


 逃げ道はある。だが、二つの無名軍全員を通しきるまでに、敵に塞がれるかもしれない。


 そのとき、武蔵が前へ出た。


「ならば」


 二本の木刀を持ち直す。


「今度はあれで試すか」


 沖田が隣へ立った。


「続きじゃないんですか」


「続きだ」


 武蔵は迫る戦闘記憶体を見た。


「どちらが多く斬る」


 沖田が笑った。


「数えるんです?」


「嫌か」


「いいですよ」


「遊ぶな!」


 壮真が叫んだときには、二人はもう走り出していた。


 十体ほどの戦闘記憶体へ、武蔵が踏み込む。


 左右の木刀で相手の武器を弾き、そのまま一体、二体と打ち倒した。


 沖田は、さらに速かった。


 ――《無明三段》。


 一人の敵へ三回突くのではなかった。


 一撃目で最初の兵士を突き、その反応を捉える。その情報を使って、次の兵士へ二撃目を放つ。


 さらに三体目へ、補正された三撃目が伸びた。


「対象変えられるのかよ!」


 湊が声を上げた。


 沖田は三体を一息に抜いた。


「三!」


「五だ」


 武蔵が言った。


「いつの間に?」


「見ておけ」


 《二天記憶》の光が揺れた。


 武蔵は、さっきまで沖田と戦っていた。


 その速さ、突きの間合い、足運び。そこで蓄えた戦闘の情報を、今度は戦闘記憶体へ向けて使っていた。


 沖田の動きをそのまま再現しているわけではない。


 それでも、敵が構えようとしたときには、次に武器が来る場所へ木刀が伸びていた。


「七」


「今六じゃない?」


「七だ」


「ずるいなあ」


「遅い」


「じゃあ」


 沖田の目が細くなった。


「本気で数えます」


 二人が左右へ分かれた。


 戦闘記憶体の群れが、中央から割れていく。


 湊は一瞬、見入ってしまった。


「湊!」


 凛の声で我に返る。


「今はそっちじゃない!」


「分かってる!」


 自分たちにも、やるべきことがあった。


 武蔵と沖田だけに任せてはいられない。


 湊は使える記録を探した。


 花火、雨、風、工事、電車。


 その中に、つい先ほど撮った動画があった。


 武蔵と沖田の戦い。


「……これ」


 指が止まった。


 画面の中で、沖田が三度の攻撃を放ち、武蔵が二本の木刀で応じている。


 《REPLAY》で使えるのか。


 人そのものは再現できない。だが、そこで起きた現象の一部なら。


 湊は同期を試した。


 ――対象記憶を認識。


 画面にノイズが走る。


 ――高密度戦闘記憶を検出。


 ――人物情報の直接再現。


 ――不可。


「やっぱり」


 だが、表示には続きがあった。


 ――物理現象情報の部分抽出。


 ――可能。


 湊は目を見開いた。


 沖田も武蔵も、再現することはできない。


 だが、二人の戦いの中で生じた音や衝撃、風圧なら使える。


「凛!」


「何!」


「前空けて!」


「何するの!」


「試す!」


「また!?」


 湊は動画を選んだ。


 二人が最初にぶつかった瞬間。木刀と刀が衝突し、鋭い音と衝撃が生じた場面だった。


 ――再現可能時間。


 0.8秒。


「短っ!」


 だが、それで十分だった。


「《REPLAY》!」


 正面に迫る戦闘記憶体。その槍と盾の間で、鋭い音が弾けた。


 キィンッ!


 何もない空間に、先ほどの衝突の音と衝撃が再現される。


 盾が横へずれ、槍の穂先がそれた。


 ほんのわずかな乱れだった。


 それでも、通り抜ける隙間ができた。


 凛が目を見開いた。


「今の」


「撮ったばっかのやつ!」


「そんなのも使えるの?」


「俺も今知った!」


「便利すぎない!?」


「0.8秒!」


「短すぎ!」


「だから走れ!」


 凛が笑った。


 ――《ROUTE》。


 彼女が先へ走り、通った経路に白い線を伸ばす。湊の作った隙間へ、二つの無名軍が続いた。


 伊能が湊を見た。


「記録する者か」


「え?」


「いや」


 測量棒を地面につき、進む先を確かめる。


「後で話そう」


 そのとき、大きな音が響いた。


 大地が支えていた門が、きしみながら沈み始めていた。


「もう無理!」


「全員抜けました!」


 相馬が叫んだ。


「本当!?」


 大地が周囲を見回した。門をくぐろうとしている参加者は、もういない。


「解除!」


 《ANCHOR》を解き、大地は横へ飛び退いた。


 門が崩れ落ちる。


 追ってきた戦闘記憶体の前で、大量の木材が道を塞いだ。


「やった!」


 壮真が声を上げた。


 だが、湊は振り返った。


「武蔵たちは?」


 全員が門の向こうを見た。


 赤い霧と戦闘記憶体の中で、二人はまだ戦っていた。


「置いてきた!」


 真奈が言った。


 壮真は少し考えてから、首を傾げた。


「大丈夫じゃない?」


「何で!」


「だってあれ」


 視線の先で、戦闘記憶体が次々と倒れていた。


「二十一」


 武蔵が言う。


「二十三」


 沖田が返した。


「数え違いだ」


「そっちこそ」


 二人とも、何事もないように戦っている。


 凛がため息をついた。


「心配して損した」


「放っておけ」


 伊能が言った。


「仲間じゃないんですか?」


 湊が聞くと、伊能は首を振った。


「どちらも私の仲間ではない」


「冷たい」


「死にそうに見えるか?」


 湊はもう一度、二人を見た。


 楽しそうだった。


「……見えない」


「ならばよい」


 伊能が北を指した。


「こちらだ」


 二つの無名軍は、さらに市街地の奥へ進んだ。


 数分歩くと、戦闘音が遠ざかった。


 そこでようやく、別の無名軍の者たちと、落ち着いて向き合うことができた。


 人数は十七人。うち三人が負傷していた。


「あなた方も、最初からこの人数ですか」


 相馬が聞いた。


 三十代くらいの男が首を傾げる。


「たぶん」


 湊と相馬は、一瞬だけ目を合わせた。


 また、同じ言葉だった。


 この集団にも死者がいたのかもしれない。


 だが、分からない。


「俺は長谷川航。三十二」


 男が名乗った。


 配送関係の仕事をしていたらしい。この集団では、相馬と同じように皆の話をまとめているようだった。


「リーダーってわけじゃない」


 先にそう言った長谷川へ、相馬が少し笑った。


「よく分かります」


「そっちも?」


「私も違うと言っているんですが」


「似てる」


 壮真が小声で言った。


 湊も、少しそう思った。


 長谷川は伊能へ目を向けた。


「俺たち、この人と途中で会った」


「最初から一緒じゃない?」


「違う」


 湊は伊能を見た。


「歴史記憶体って、最初から軍に配置されてるわけじゃないの?」


「私は目を覚ましたとき、一人だった」


「どこで?」


「北の外れだ」


「無名軍だっていつ分かったんです?」


「これが出た」


 伊能は頭上の白い円を示した。


「理由は知らん」


「叡智軍じゃないんですね」


 壮真が言うと、伊能が彼を見た。


「なぜだ」


「いや、地図作った人だし」


「地図を作れば賢者なのか」


「そう言われると……」


「私は」


 伊能は少し遠くを見た。


「知りたかったから歩いたのではない」


 誰も口を挟まなかった。


 伊能は測量棒を握り直した。


「歩いて、確かめたかった」


「何を?」


 湊が聞くと、伊能は少し考えた。


「そこに何があるかを」


 湊は手元のスマートフォンを見た。


 写真や動画。その中に残る、知らない少女。


 自分の持つ記録と、どこか似ているような気がした。


「地図とは、知らぬ場所に名を与えるものではない」


 伊能は測量棒を地面についた。


「そこにあるものを、あると残すものだ」


 湊の胸が、わずかに動いた。


 そこにあるものを、あると残す。


 三十一。三十二。


 誰かが、いた。


 なのに、その人のことは残っていない。


 湊はスマートフォンを強く握った。


「こっちも聞きたい」


 長谷川が話を戻した。


「何を?」


「何で俺たちを探してた」


 蓮がイヤホンに触れた。


「声が届いたんです」


 長谷川の表情が変わった。


「あれ、届いてたのか」


「誰が送った?」


「こいつ」


 長谷川が示した先に、古い無線機を持つ女性がいた。彼女の遺想具らしい。


「能力?」


 女性は首を振った。


「まだ使えない。でも北側の伝令所に繋いだら、一瞬だけ送れた」


「伝令所?」


 湊が聞き返すと、伊能が口を開いた。


「それを見せたかった」


 測量棒を地面につく。


 ――《一歩一図》。


 光の地図が広がった。


 北部の細かな道路や建物、高低差が描き出される。湊たちのMEMORIAには表示されていなかった情報だった。


 その中に、一つの高い塔があった。


「何です?」


「伝令塔だ」


 長谷川が答えた。


「俺たちはそう呼んでる」


 伊能が地図に線を加えた。


 塔を中心に、四方向――いや、五方向へ伸びている。


 湊はその線を見つめた。


「五本?」


「そうだ」


 王冠軍、革命軍、聖域軍、叡智軍、そして無名軍のいる方向へ、線が続いていた。


「この塔には、戦場各地から伝令が集まる」


 伊能が言った。


 蓮のイヤホンが、かすかに反応した。


 ノイズの中に、一つ、二つと声が交じる。


「ここ」


 蓮は塔を示した。


「声が集まってる」


 湊の鼓動が速くなった。


 五つの軍すべてへ、六十秒の停戦を伝える。


 凛も気づいた。


「これ、使えるんじゃない?」


「全軍への通信に?」


 相馬が地図を見た。


「できるかは分かりません」


 湊は答えた。


「でも」


 五方向につながる伝令塔。そして、通信を拾い始めている蓮のイヤホン。


 ナポレオンは、声が届くだけでは足りないと言った。


 相手が従う理由も必要になる。


 それでも、どうやって全軍へ声を届けるのか。その最初の問題を解く手がかりが、目の前にあるかもしれなかった。


 長谷川が、湊たちの顔を見回した。


「何の話?」


「戦争を終わらせる」


「……は?」


「六十秒だけ」


「説明すると長い」


 壮真が横から言った。


 湊は彼を見た。


「それ俺の台詞」


「便利だから借りた」


 だが、伊能の表情は険しかった。


「問題がある」


「何です?」


 湊が聞くと、伊能は測量棒で塔の周囲を示した。


 そこには、赤い線が何本も描かれていた。


「ここへ近づく者は」


 棒の先が、地図の一点に止まる。


「戻ってこない」


 空気が変わった。


 長谷川も黙った。


「何がいる?」


 大地の問いに、伊能は首を振った。


「分からん」


「見てない?」


「見に行った」


「じゃあ」


 伊能は地図を示したまま言った。


「ここまでは覚えている」


 塔から約二百メートルの地点だった。


 そこで線が途切れている。


 測量済みの地図の中で、その先だけが空白になっていた。


「この先へ行った記憶が」


 伊能忠敬は言った。


「私にもない」


 湊の背筋に寒さが走った。


 忘れた。


 それが何を意味するのか、もう知っている。


 だが、伊能はここにいる。死んではいない。


 ならば、何を忘れたのか。


 そのとき、遠くで再び金属音が響いた。


 キィンッ!


 壮真が振り返った。


「まだやってる?」


 赤い霧の向こうから、二つの人影が走ってきた。


 武蔵と沖田だった。


 二人とも無事だった。


「二十七」


 沖田が先に言った。


「二十九だ」


 武蔵が返す。


「絶対数えてないですよね?」


「数えた」


「嘘だ」


 壮真が頭を抱えた。


「何で仲良くなってんだよ」


「なっておらん」


「なってませんよ」


 二人の声が重なった。


 その直後、互いを見る。


「続きは」


「いつでも」


 空気が、また少し張り詰めた。


「今はやめて!」


 湊が叫ぶと、二人がこちらを見た。


「何だ」


「大事な話してるんです!」


「そうか」


 武蔵が言った。


「じゃあ聞きます」


 沖田も応じた。


 素直なのか、素直ではないのか。湊には分からなかった。


 地図へ視線を戻す。


 伝令塔と、そこから伸びる五本の線。


 そして、その周囲にある空白。


 戦争を終わらせるために向かうべき場所が見つかった。


 だが、そこには何かがいる。


 あるいは、何かが消えている。


 湊がスマートフォンを開くと、画面にノイズが走った。


 ほんの一瞬、文字が浮かんだ。


 《OBSERVATION GAP》


 すぐに消えた。


「観測……欠損?」


 伊能忠敬が画面を見た。


「お前の地図も」


「地図じゃないです」


「同じだ」


 伊能は言った。


「分からぬ場所がある」


 測量棒を握る手に力がこもる。


「ならば」


 老人の目が、わずかに鋭くなった。


「測りに行く」


 その言葉に、武蔵が笑った。


「面白そうだ」


「何かいるんですか?」


 沖田も聞いた。


 壮真が慌てた。


「待って。この二人連れてくの?」


 湊は武蔵と沖田を見た。


 危険度Sが二人。


 これから向かう伝令塔には、何がいるのか分からない。


「……逆に」


 湊は言った。


「今なら、かなり安全じゃない?」


 凛が呆れた顔をした。


「その二人が喧嘩しなければね」


「しない」


 武蔵と沖田が同時に答えた。


 誰も信じなかった。


 それでも、湊は少しだけ笑った。


 戦争を止め、五軍へ声を届けるために。


 二つの無名軍に伊能忠敬、そして、なぜか宮本武蔵と沖田総司まで加わった。


 その奇妙な一団で、北の伝令塔へ向かうことになった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。


少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。

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