第22話 名のある無名
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。
黒いノートの男は、無名軍だった。
その事実は、朝倉湊が思っていた以上に重く残った。
王冠軍でも、革命軍でも、聖域軍でも、叡智軍でもない。自分たちと同じ白い円を掲げる、第五軍《NAMELESS》。
「……無名軍だからって、同じ考えじゃないんだな」
湊が呟くと、隣を歩いていた黒瀬凛が答えた。
「最初からそうだったんじゃない?」
「何が?」
「私たち、何かを信じて集まったわけじゃないでしょ」
凛は、自分の頭上に浮かぶ白い円へ目を向けた。
「王様になりたいとか、革命したいとか、人を救いたいとか、知識を求めたいとか。そういう理由で一緒になったわけじゃない」
「分類されなかっただけ」
「そう」
少し前まで、湊は無名軍という言葉に、仲間のような響きを感じ始めていた。
だが、同じ軍だからといって、同じものを目指しているとは限らない。
相馬源一郎のような人間もいる。凛や壮真、大地や蓮もいる。
そして、あの男もいる。
「嫌な軍だな」
後ろから牧野壮真が言った。
「自分もだよ」
「だから嫌なんだよ」
壮真は肩の包帯を確かめながら歩いていた。
「王冠軍なら王冠軍らしいとか、革命軍なら革命軍らしいとかあるじゃん。無名軍だけ何でもありじゃん」
相馬が振り返った。
「だからこそ、自分で選ぶしかないのかもしれませんね」
「何をです?」
「どういう人間でいるのかを」
壮真が黙った。
湊も言葉を返せず、手元のスマートフォンへ目を落とした。
画面には、まだ《WAR》の情報が残っている。
戦争を終わらせるには、この領域にいる参加者まで含めて、六十秒間、敵対行動を止めなければならない。
そのためには、五軍すべてへ声を届ける必要があった。
高瀬蓮のイヤホンに、その可能性はある。まだ完全に能力が解放されたわけではないが、他軍の声を拾うことはできていた。
北にいる、別の無名軍にも声を届けなければならない。
湊は、以前に蓮が拾った通信を思い出した。
――こちらもNAMELESS。
――歴史記憶体が、一人いる。
「蓮」
「はい」
「まだ聞こえる?」
蓮は片方だけのイヤホンを耳に入れ、しばらく耳を澄ませた。
かすかなノイズが漏れる。
「……薄いです」
「方向は?」
「北」
目を閉じたまま、蓮が続けた。
「前より近い」
相馬が地図を確かめた。
MINOR COREを失ってから、現在位置以外の情報更新は止まっている。それでも、北へ続く地形の情報は残っていた。
「このまま進みましょう」
無名軍の三十一人は、赤い戦場を北へ進んだ。
焼けた平原を抜けると、道は次第に狭くなり、周囲に崩れた建物が増え始めた。
石造りの建物の隣に木造家屋があり、その向こうには近代的なコンクリートの壁が立っている。
時代の違う街が、無理やり一つに縫い合わされたような場所だった。
遠くでは砲撃が続いていたが、この辺りは比較的静かだった。
だからこそ、最初の金属音は全員にはっきり聞こえた。
キィンッ。
続いて、もう一度。
キンッ!
何かが倒れる音がした。
「戦闘?」
大地が前へ出ると、相馬が手を上げた。
「走らないでください」
建物の向こうで、また金属音が響いた。
今度は速い。
キン、キン、キィンッ!
わずかな間を置いて、重い音が轟いた。
建物の壁が、内側から吹き飛んだ。
「伏せて!」
凛の声に、湊は身を低くした。頭上を石片が飛び、道に散らばった。
立ち上る煙の向こうから、人影が現れた。
一人ではない。次々に飛び出してくる参加者たちの頭上に、白い円が見えた。
「無名軍!」
湊が叫んだ。
崩れた建物から出てきたのは、十数人の参加者だった。全員が、第五軍《NAMELESS》の軍章を掲げている。
「こっち!」
相馬が手を上げると、向こうもこちらに気づいた。
「第五軍!?」
若い女が叫んだ。
「同じ無名軍です!」
相馬が答えた、その直後だった。
建物の中から、軍服姿の戦闘記憶体が飛び出してきた。
五体、十体。その後ろには槍兵が続き、さらに騎兵の姿も見える。
「多い!」
真奈が声を上げた。
「下がって!」
大地が前へ出た。古い革手袋が光る。
――《ANCHOR》。
両足を地面へ固定し、突っ込んできた戦闘記憶体の盾を真正面から受け止めた。
「今!」
凛がICカードを握った。
――《ROUTE》。
ここまで通ってきた道に、白い経路が後方へ伸びる。
「負傷者を先に!」
相馬が叫んだ。
だが、向こうの無名軍は、そのまま逃げてはこなかった。
一人の老人が、参加者たちの前へ出た。
歴史記憶体の見た目が、実際の年齢と一致するとは限らない。それでも、湊が今まで見てきた歴史記憶体の中では、明らかに年を重ねた姿だった。
簡素な服を着て、妙な棒を手にしている。
杖ではない。目盛りのある、測量器具のようなものだった。
老人は地面を見た。
「右へ三間」
MEMORIAの翻訳が入る。
周囲の無名軍は、迷わず右へ動いた。
直後、彼らが立っていた場所へ砲弾が落ちた。
爆発が道をえぐる。
湊は目を見開いた。
「分かってた?」
老人は、もう次の場所を見ていた。
「十二歩先。石壁の陰へ」
三人の参加者が走った。
銃弾が石壁を叩く。だが、そのときには全員が遮蔽物の内側へ入っていた。
「何だ、あの人」
壮真が呟いた。
距離が近づいたところで、湊の頭の中に認証音が響いた。
――歴史記憶体を確認。
老人も、こちらを見た。
――所属。
一拍置いて、表示が続く。
――第五軍《NAMELESS》。
「本当にいた」
凛が呟いた。
歴史に名を残した人間が、無名軍にいる。
――遺想能力強度LEVEL2。
――危険度B。
――希少度LEGEND。
老人の足元で、淡い光が広がった。
そこから無数の細い線が伸び、建物や道、段差や壁をなぞっていく。高低差と距離が、地面の上に描き出されていた。
街そのものが、図面へ変わっていくようだった。
――遺想能力。
《一歩一図》
――歩測済み領域における地形・距離・高低差を記録。
――記録情報の共有を確認。
「地図……?」
湊が呟くと、個体識別の表示が現れた。
――INO TADATAKA.
伊能忠敬。
湊でも知っている名前だった。
日本地図を、歩いて測った人。それ以上のことは、詳しく知らない。
壮真も目を丸くしていた。
「伊能忠敬って……あの日本地図の?」
老人――伊能忠敬は、戦場から目を離さずに答えた。
「そのように呼ばれているらしい」
「本人じゃないみたいな言い方」
「私が知る私と」
伊能は一歩進み、測量棒を地面についた。
「そちらが知る私が、同じとは限らん」
湊はその言葉に引っかかった。
だが、聞き返す余裕はなかった。戦闘記憶体が、また迫っていた。
「第五軍の者」
伊能に呼ばれ、湊は顔を上げた。
「はい!」
「左の建物は使うな」
「何で?」
「十三秒後に崩れる」
「十三?」
壮真が聞き返したとき、屋根に亀裂が走った。
「移動!」
相馬の声に、全員が右へ動いた。
十三秒後、砲弾が建物を襲った。傾いた壁が砕け、屋根ごと道へ崩れ落ちた。
壮真が口を開けた。
「地形だけじゃなくない?」
伊能は首を振った。
「砲撃地点は分からん」
「じゃあ何で」
「壁が傾いていた」
「……普通に見てたの?」
「測るとは、見ることだ」
壮真は黙った。
湊は少し笑いそうになったが、その余裕はすぐに消えた。
戦闘記憶体が三方向へ広がり、こちらを囲もうとしていた。
「湊!」
「分かってる!」
凛に答えながら、スマートフォンで動画を探した。
工事、雨、風、雑踏。
何を使う。
正面には槍兵。右には銃兵。左からは騎兵が迫っている。
全部を一度に止めるのは無理だった。
「大地!」
「正面は任せろ!」
大地が槍兵の前へ立ち、《ANCHOR》で踏みとどまった。
「凛、右!」
凛が建物の間へ走る。彼女の通った細い経路に《ROUTE》の白い光が走り、無名軍の参加者たちが銃兵の射線から外れていった。
残るのは、左の騎兵だった。
湊の指が、一つの動画で止まった。
「これ!」
駅のホームで撮られた映像。電車が、目の前を通過する。
――《REPLAY》。
戦場に轟音が響き、強い風圧が吹きつけた。
そこに電車の姿はない。ただ、巨大な車体がすぐ脇を通過したような音と風が、騎兵を襲った。
馬が驚き、列が乱れる。
「今!」
無名軍が一斉に動いた。
棒や剣、工具、遺想具を手に、崩れた隊列へ踏み込んでいく。戦闘記憶体を押し返し、進むための隙間を作った。
逃げるために後退するだけではなかった。
自分たちから前へ出て、包囲を突破しようとしている。
湊もスマートフォンを握ったまま走った。
正面から一体の兵士が軍刀を振るう。身をかわしたところへ、横から凛の声が飛んだ。
「こっち!」
ICカードを振った凛の足元に、白い経路が浮かぶ。
湊は彼女の示した方へ滑り込んだ。追ってきた軍刀が空を切り、その兵士へ大地が横から体当たりした。
「行け!」
「ありがとう!」
「あとで!」
戦いながら、何かが変わったと感じていた。
以前なら、誰かに助けられて逃げるだけだった。
今は、それぞれが周囲を見て、自分にできることを引き受けている。
「右から三!」
相馬が接近する敵を知らせた。
「負傷者二人!」
真奈が声を上げる。
「左、銃声来ます!」
蓮はイヤホンを押さえていた。まだ能力は解放されていない。それでも、遠くの音を拾っている。
湊は次の動画を選んだ。
花火。
短い映像だが、使える。
「目閉じて!」
近くの無名軍が反応したところで、湊は《REPLAY》を発動した。
閃光が弾け、戦闘記憶体の動きが止まった。
「押す!」
大地が前へ出る。周囲の無名軍も、それに続いた。
その瞬間、何かが湊の目の前を横切った。
シュッ、と短い音がした。
一体の戦闘記憶体の首元に、細い線が走る。
次の瞬間、その身体が崩れた。
「……え?」
誰がやったのか、見えなかった。
続いて、二体目が倒れた。
突きは一回に見えた。だが、兵士の胸元には、ほとんど同時に三つの穴が開いていた。
湊の背筋が冷えた。
速い。
倒れた兵士の向こうに、若い男が立っていた。
細身の身体に羽織をまとい、刀を手にしている。顔には、どこか楽しそうな笑みが浮かんでいた。
軍章はない。
「また未所属?」
壮真が言った。
男は一人で、戦闘記憶体の群れへ入っていった。
斬り、突き、相手の攻撃をかわす。
ただ動きが速いだけではない。兵士が動こうとしたときには、もうそこに刃があった。
一体、二体、三体と倒れていく。
「能力?」
凛が聞いた。
湊はスマートフォンを見た。能力発動の警告は出ていなかった。
「違う」
男の動きへ視線を戻す。
「技能だ」
宮本武蔵を思い出した。
能力を使わなくても強い人間がいる。この男も、同じなのだ。
認証音が響いた。
――歴史記憶体を確認。
若い男が、ほんの少しこちらを見た。
――所属。
――該当なし。
未所属。
――遺想能力強度LEVEL4。
湊の表情が変わった。
――危険度S。
「S?」
壮真が一歩下がった。
――希少度LEGEND。
続いて、個体識別が表示される。
――OKITA SOUJI.
沖田総司。
「新選組……」
凛が呟いた。
湊も、その名前は知っていた。
詳しくはない。それでも、新選組の剣士だということくらいは分かる。
沖田は最後の戦闘記憶体を突き、刀を引いた。
兵士が倒れる。
そこで初めて、こちらへ身体を向けた。
「そっち」
若い声だった。
「第五軍?」
「はい」
相馬が答えた。
「そう」
沖田はそれほど興味もなさそうに、刀の血を払った。もっとも、戦闘記憶体の血はすぐに消えていった。
「助けてくれたんですか」
湊が聞くと、沖田は少し笑った。
「別に」
また、それか。
未所属の人間は、だいたい同じなのだろうか。
「邪魔だっただけ」
「やっぱり」
壮真が言った。
「何?」
「いや、そう言う人多いなって」
沖田が首を傾げた。
そのとき、別の音がした。
ドン、と重い足音が響く。
戦闘記憶体ではなかった。
崩れた門の向こうに人影が見えた瞬間、湊の身体が先に反応した。
知っている。
二本の木刀。
「あ」
宮本武蔵だった。
壮真が、本気で嫌そうな顔をした。
「何でいるんだよ」
武蔵は湊たちを見た。
「また会ったな」
「会いたくなかったです」
「そうか」
武蔵は笑った。以前と変わらない笑い方だった。
その視線が横へ動き、沖田のところで止まった。
沖田も、武蔵を見ていた。
数秒、誰も動かなかった。
それなのに、二人の間の空気だけが変わった。
「離れた方がよい」
伊能忠敬が静かに言った。
「何で?」
湊が聞くと、伊能は二人を見たまま答えた。
「測らずとも分かる」
武蔵の手には二本の木刀。沖田の手には一振りの刀。
二人は互いだけを見ていた。
戦闘記憶体も、周囲にいる無名軍も、目に入っていないようだった。
「速いな」
先に口を開いたのは武蔵だった。
沖田が笑った。
「見てました?」
「ああ」
「あなたも強そうだ」
「試すか」
「待って」
湊は思わず割って入った。
二人の視線が同時にこちらへ向いた。少し怖かった。
「ここでやるんですか」
「ここだからだ」
武蔵が答える。
「広いですよ」
沖田も言った。
「そういう問題じゃない!」
湊が叫ぶと、後ろから壮真の声がした。
「無理だ。聞いてない」
「諦めるなよ!」
凛が湊の腕をつかんだ。
「下がるよ」
「でも」
「止められると思う?」
湊は二人を見た。
武蔵も、沖田も、危険度Sだった。
「……思わない」
「なら離れる」
伊能が測量棒を地面についた。
――《一歩一図》。
崩れた市街地に、無数の線が広がる。
「北東へ四十七歩」
伊能と一緒にいた無名軍が、すぐに動き始めた。
「石壁の向こう。低地がある」
「全員、移動してください!」
相馬の声に、二つの無名軍がその場を離れ始めた。
湊も凛に促されて走った。
だが、途中で振り返ってしまった。
怖い。
それでも、見たかった。
時代も、生きていた場所も、戦った相手も違う二人の剣士。本来なら、決して出会うはずのない者同士が向かい合っている。
武蔵が右の木刀を下げた。
沖田は刀を正面に置いていたが、構えているようには見えない。力の抜けた自然体だった。
先に動いたのは、沖田だった。
消えた。
湊には、そう見えた。
キィンッ!
武蔵の木刀が、一撃を受け止めた。
そのときには、沖田はもう横へ動いていた。突きが走り、武蔵が半歩ずれてかわす。
三つ目の攻撃は、その直後に来ていた。
「速っ」
壮真の声が漏れた。
武蔵が二本目の木刀で受けると、沖田はすぐに間合いを離した。
一秒あったかどうか。
その間に、三度攻撃していた。
能力発動の警告は、まだ出ていない。
純粋な技能だけで、今の動きをしていた。
沖田が笑った。
「避けるんですね」
武蔵も笑った。
「三つ来たからな」
「見えました?」
「二つは」
「じゃあ三つ目は?」
「勘だ」
沖田の笑みが、少し深くなった。
「いいなあ」
今度は武蔵が踏み込んだ。
速さだけなら、沖田ほどではない。
だが、踏み込む位置が正確だった。
沖田がかわそうとした先へ、二本目の木刀が伸びる。
「っ!」
沖田が身体をひねった。木刀が羽織をかすめる。
初めて、沖田の顔から笑みが消えた。
武蔵は追わなかった。
「お前」
二本の木刀を構え直す。
「一度目より二度目が遅い」
沖田の目が細くなった。
「もう見てるんですか」
湊には、その言葉の意味が分かった。
《二天記憶》。
相手の戦いを記憶し、適応する武蔵の能力。
まだ発動表示は出ていない。それでも、武蔵は自身の技能だけで、すでに沖田の剣を読み始めていた。
「じゃあ」
沖田が刀を少し下げた。
「覚えられる前に終わらせればいい」
空気が変わった。
湊のスマートフォンに警告が走る。
――高出力遺想反応。
「待って」
湊は声を上げた。
今度は、どちらも振り向かなかった。
武蔵の身体から光が立ち上った。
――歴史記憶体《宮本武蔵》。
――遺想能力発動。
《二天記憶》
LEVEL5。
沖田総司の目から笑みが消えた。
刀を持ち直し、静かに構える。
――歴史記憶体《沖田総司》。
――遺想能力発動を検出。
能力名が表示される、その直前だった。
崩れた市街地の奥から赤い霧が流れ、大量の戦闘記憶体が現れた。
だが、二人の剣士はそちらを見なかった。
互いだけを見ている。
「……本気でやる気だ」
湊が思わず呟くと、少し離れたところから伊能忠敬が答えた。
「そうらしいな」
湊は伊能を見た。
歴史に名を残しながら、第五軍に分類された人間。
その向こうでは、どの軍にも属さない二人の剣士が向かい合っていた。
次の瞬間、沖田の能力名が表示された。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。




